熊野神社例大祭石鳥谷まつり2022

岩手県花巻市石鳥谷熊野神社祭典「下組」の山車(令和4年)




 人目に付かぬ路地裏を掛け声無く笛無く、整然と太鼓だけを鳴らして下組の山車が歩いている。その簡潔で磨かれた音楽こそが「自分らしい時間」を作ってくれる、
…今年の石鳥谷では久々にそんな風に感じた。嬉しかった。

(補足@)コロナ禍のもとで技術を不断に継承することを目的に、令和4年いしどりやまつりが「縮小」開催された。これまで登場した趣向の再構成・磨きなおしの多い“総集編”の山車となったが、その中で音頭が新作されたり山車絵(当地ではこれを「番付」というそうだが…)が新たに描かれたのは素晴らしい。

 



景 清/ 阿古屋 【 中 組

岩手県花巻市石鳥谷熊野神社祭典の山車(令和4年)

鬼神景清 大立ち回り 平家の無念 はらす迄  
(見返し)いとし彼のひと ゆくえも知れず 阿古屋恋慕の 三味を弾く

※南部流風流山車の「景清もの」

 
岩手県花巻市石鳥谷熊野神社祭典の山車(令和4年)

 全日程雨で一度も雨除けを外せなかった平成30年の山車の再構成、再作するに最もふさわしい年である。柱が短めだとか代り映えが乏しいとは感じるが、音頭も番付も新たに作られ、見返しは前回脇に置かれた孔雀の打掛が着用されるなどした。
 従来より頭に対して体が大きめに、太めに作られたのが良い。いかにも牢破りしそうな豪傑の迫力である。化粧の上手さも際立ち、眉の先までよく見えるようなのも嬉しい。





勧進帳/ 藤 娘 【 西 組

岩手県花巻市石鳥谷熊野神社祭典の山車(令和4年)

朝日かがやく熊野の祭り 錦織り出す 西組が

※同構図の先行作

岩手県花巻市石鳥谷熊野神社祭典の山車(令和4年)


 平成29年の趣向の再構成で、開口を改めたのをはじめ表・裏ともだいぶ変化。松がもっと欲しい気はするが人形の見栄えが勝っており、松の下に綺麗に紅葉が入る石鳥谷流に懐かしさを感じた。手作り山車なりに安定感ある、落ち着いた仕上がり。





四ツ車大八/ め組の喧嘩 【 下 組

岩手県花巻市石鳥谷熊野神社祭典の山車(令和4年)岩手県花巻市石鳥谷熊野神社祭典の山車(令和4年)

義理と情けを 両手に込めて 高くかざす哉 四ツ車

※南部流風流山車の『四ツ車大八』



 表・裏とも平成24年の磨き直し、顔はどちらも変わり、存在感・勇みがだいぶ増した。特に見返しについては改善著しい。足の勢いをもっとはっきり見たいのと、背景に何か在ってほしい気はした。
 行き過ぎる際の荷車が斜め上に付いている奇観は圧倒的であり、見ごたえ十分で心地よかった。太鼓の整い具合も改めて実感し、また桜の色が祭典終盤にきちんと褪めてきていて、私は何故かそこに古態を感じ、不思議に嬉しくなった。





碇知盛/ 道成寺 【 上和町組

岩手県花巻市石鳥谷熊野神社祭典の山車(令和4年)

海の水面に おのれを映す 戦い敗れし 夢の跡
(見返し)桜薫るる 紀州の御寺 踊り舞い散る 笠の花

※南部流風流山車の『碇知盛』※同『道成寺』

岩手県花巻市石鳥谷熊野神社祭典の山車(令和4年)

 表・裏とも平成29年の磨き直し、表は前回と異なり趣向を片側に大胆に寄せた。それは接近時の見栄え(迫力)を大いに高め、碇の大きさを強調しもしたが、場面全体の乏しさを感じさせることにもなった。見返しは背景に明るい緑の大鐘を足し、人形の目線・向きが吟味されて盆(山車の舞台)の外にさらに世界を広げるような演出に。
 表は特に夜の見栄えが圧巻で、着物の色や背景の波が上手く共鳴した。







弁慶飛び六方/ 藤 娘 【 上若連

岩手県花巻市石鳥谷熊野神社祭典の山車(令和4年)

智慧の弁慶 あるじを守り 天衣無縫の 飛び六方
固き絆で 安宅を越える 踏むは六方 奥の道

※南部流風流山車の『勧進帳』



岩手県花巻市石鳥谷熊野神社祭典の山車(令和4年)

 平成23年『安宅』の再作と言えなくもないが、今回唯一の新作と見なすのが妥当であろう。見返しは平成1929年の作の組み換え(実は全部姿勢が違う)。
 コロナ中断前の当組の創意・ワクワク感からするとだいぶ違和感があるが、片足立ちの姿勢がきちんと舞の形に見えるのは流石。見返しも既視感アリアリながら、この形にきちっと組めるのは凄い。人形趣向が小ぶりな分“全景の美しさ”がモノを言い、大変雄大な景を展開した。
 松の最上部に新たに派手な電飾が入った。囃子もうまく、やはり長い時間見てしまうのはここの山車であった。






岩手県花巻市石鳥谷熊野神社祭典「中組」の山車(令和4年)




(補足A)コロナ禍のもとでの令和4年いしどりやまつりの山車は「各組自由運行」が原則とされ、10日のパレードは中止・祭典本部では例年のパンフレットに加え各組の運行予定表が提供された。代替企画として中心街2カ所で回顧展が開催され、うち一方では昭和54年以降歴代のポスターが網羅された(ただし全て2次資料)。
 8日の神輿渡御に山車が連動してお供をする形はとれず、定位置(おおむね地区境)で待機し行列が自町内に差し掛かった時だけ続き、途中で折り返すようなスタイルとなった。街路の露店は一切無く、夕方から雨が降ったので「夜の部」は中止された。
 10日は各組の中心街通過時刻(各1時間を想定)がパンフレットに明示され、複数組が交差する14時から15時にかけてがいちばん盛り上がった。露店は街路には出なかったが別のイベントに合わせて広場に集中して出たので、その効果も相まって山車を見る人が多くなった。下組は夕方時点で早々「御花御礼」を風流板に掲げ、夜間はパレード後の動き(橋の手前で自町に向けて戻る)を1時間早く。中組・上若連はおおむね例年通りの動き、上和町組は初日の夜のような地元廻りを行った。西組は夜間運行「なし」との表示であったが、6時ころまで太鼓の音は聞こえた。
 

※各組歴代作例
※令和4年総括




写真・文責:山屋賢一(やまや けんいち)/連絡先:sutekinaomaturi@outlook.com

岩手県花巻市石鳥谷町好地 令和4年9月8日・同10日

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