鵯越の逆落とし
歴代の作例には、『鵯越の義経』『義経一の谷』『義経一の谷の戦い』『義経鵯越の逆落し』など様々に題がついた。源平合戦の英雄源義経(みなもとの よしつね)が歴史の表舞台に現れる有名な奇襲戦法「鵯越の逆落とし(ひよどりごえの さかおとし)」の山車である。義経の伝説の中では五條の橋と並ぶ知名度だが、盛岡山車の義経ものとしては定番とはいえない時期が長かった。 盛岡市内では戦後、本町(本組)や仙北町(は組)が出した。 の 組(沼宮内)
新町組(沼宮内)
上町組(一戸)
上和町組(石鳥谷)
若衆組(大迫)
(ここに載せた写真の話) 馬も恐れる 鵯峠(ひよどり とうげ) めざすは平家 一ノ谷
圧倒的に不利な兵数で福原・須磨に迫る平家の大軍に立ち向かう源氏軍。義経は敵の背後を突くべく一ノ谷の戦、平家を背面から突くべく六甲山の難所を越えて鵯越という断崖に辿り着く。崖の下に布陣した平家方は「敵など攻めてくるものか。」と油断しきっていた。それもそのはず、一の谷は人はおろか獣もめったに近寄らぬ屏風を立てたような絶壁が三方をぐるりと巡り、最後の一方は海原が囲む自然の要害である。馬で攻めるも徒(かち)で攻めるもまったく容易ではない。義経は鹿の一群が鵯越を越えていくのを見て、なだめ諭す家来らにこう呼びかけた。「馬も四ツ足(四本足)、鹿も四ツ足、四ツ足の鹿が下れるのだから、同じ四ツ足の馬が下れぬわけはない。」高らかに音声をあげ、先陣切ってまっさかさまに駆け下る義経。弁慶ら郎党の一団がそれに続く。けたたましい鵯の声に混じって切り立つ崖を疾風のように下る義経軍、油断していた平家はなすすべも無く壊滅し、瀬戸の海に逃れた。
騎馬武者の山車の馬は、たいてい前足を折って躍り上がるような姿に作られる。だが『義経一の谷』の馬はこれとは逆の「下り馬」であり、前足は伸び、頭は低い位置に据わる。盆を大きく飛び出して観客に迫るような馬は迫力満点で、意外性も手伝って観る者の心を奪う。上半身だけを山車の進行方向にあわせて設置する例もあるが、全身を飾り下半身を坂の上に上げて斜めに傾ける表現もある。義経は弓を手にして手綱を構える姿とするのが普通だが、刀を抜いて天に翳しながら駆け下る構図もあった。義経を真っ直ぐ馬に乗せるのではなく、やや後ろに反るような姿に作ると駆け下っている感じが出る。馬の色は淡いグレーが主流だが、義経の愛馬が「太夫黒」であったので黒い馬にした作例もある。
平成に入ってからは、仙北町の武者人形の流れを汲む岩手郡岩手町での盛作が際立つ。沼宮内の新町組は下り馬に弁慶を乗せて『風流 一の谷弁慶』を作り、大銀座祭りに出た。川口の下町山道組は義経弁慶の2体2頭立てで鵯越を作り、以降の組騎馬武者山車の嚆矢となった。大迫のあんどん山車には、平泉から義経に従った佐藤継信・忠信兄弟の初陣の姿として下り馬を並べた趣向が登場している。
平成17年は大河ドラマが義経であったこともあり、五条の橋とともに一の谷の山車が各地で盛作され、以降比較的採られやすくなった。
鵯越の伝説を採り上げた盛岡山車には、他に『畠山重忠』がある。
文責・写真:山屋 賢一
組趣向:下町山道組(川口)
は組(盛岡)
/弁慶:大町組(沼宮内)
新町組(沼宮内)
他流 花巻市 住田町 二戸市
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提供できる写真
閲覧できる写真
絵紙
義経一の谷
盛岡な組(本項2枚目)
一戸橋中組(本項1枚目)
川口下町山道組
沼宮内の組
十日市山車
沼宮内新町組
一戸上町組
石鳥谷上和町組
大迫若衆組
土沢中下組(本項3枚目)
平三山車各種(二戸、野田等)
花巻上町
住田町仲組
久慈め組盛岡本組
盛岡は組
石鳥谷上若連
川口下町山道組
二戸福岡長嶺ほか盛岡な組・川口下町山道組(色刷)
一戸橋中組・一戸上町組(香代子)
葛巻浦子内組(手拭)
沼宮内新町組(手拭)
川口下町山道組(白黒)
盛岡は組
盛岡本組
万灯絵紙
一の谷弁慶
沼宮内大町組
沼宮内新町組沼宮内新町組(町内)
沼宮内新町組(銀座祭)沼宮内大町組
沼宮内新町組(手拭)
義経弁慶鵯越
川口下町山道組
川口下町山道組
義経畠山鵯越
盛岡は組
盛岡は組(圭)
佐藤兄弟鵯越
大迫下若組
作例のうち、特に私の心が躍った3つである。
うち2枚目が、私が初めて見物した一の谷の山車で(平成10年盛岡・本宮な組)、終始雨に降られビニールをかけたままの見物であった。1枚目は大河ドラマ「義経」の年の一作で(平成17年一戸・橋中組)、依頼されて絵紙をお貸ししたり、製作中の馬を見せていただいたりと思い出深く、駆け下り感あふれる出来上がりに大満足した。3枚目の土沢の山車は、当地・当組のうまさとセンスの良さがよくわかる秀作。
他に加えるとすれば、川口発見物の年の『義経弁慶ひよどり越え』か(平成11年・下町山道組)。
(他地域の『義経一の谷』)
鵯越の逆落としは、義経の山車人形として採り上げられることが極めて多い場面である。岩手県内では大迫のあんどん山車のほか、二戸地方、花巻地方、東磐井・気仙地方などで作例がある。東北圏内では青森の八戸山車・弘前ねぷた、秋田の土崎曳山、宮城の栗駒山車祭りなどで見た。うち栗駒で出た鵯越の山車は、脇に落馬した兵を添えるなど面白い工夫をたくさん入れた意欲作であった。
単に義経の騎馬姿を描く場合、わかりやすいのでとりあえず「鵯越の義経」と題を付けることも多い。
(音頭)
人馬(じんば)もかよわぬ 鵯越を 九郎判官(くろう ほうがん) 逆落とし
眼下に見下ろす 平家の陣地 嵐の前の 一の谷
平家の守り 鵯坂を 逆さに下る 奇襲攻め
われに続けと 一声発し 鵯越の 逆落とし
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