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盛岡の山車 |
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毎年9月14日に盛岡八幡宮に奉納される山車。山車行事の起源は藩政期にさかのぼるが、現在の山車のスタイルが定着したのは大正期と思われる。北は一戸町、南は石鳥谷町に及ぶ中部内陸地域の山車行事の元祖。14日の八幡下りで見せる総勢500人超の若衆によるパレードは圧巻で、1台の山車につく人数としては東北地方最多。すべての山車が連動して動くのは14日午後1時(八幡下り)と15日午後6時(大絵巻パレード)。 ※ 南部山車番付掲載文面 写真が欠ける場合は、更新ボタンを押してください |
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一戸の山車 |
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毎年8月最終金・土・日曜日に一戸町内を運行する野田組、西法寺組、本組、橋中組、上町組の5台の山車。町内小倉家に遺る恵比寿人形(大阪府「天神祭り」のお迎え人形)を明治後期に祭典に担ぎ出したのが山車行事の始まりといわれ、大正に入って盛岡の消防団が風流山車の作法を伝えた。かなり早い段階で盛岡の管轄から独立し、本組の釣鐘弥左衛門、橋中組の曲垣平九郎、野田組の日蓮上人など盛岡ではほとんど製作例の無い奇抜な演題を多く創作している。昭和40年代に行政の規制によって山車行事が途絶えかけたが(この影響から大八車を用いる団体が少ない)、バイパス完成の昭和58年に従来どおり5台の山車が揃い現在に至る。音頭上げのときに太鼓をたたく、掛け声に「よーいさよいさ」が混じる、山車を止めるときに独特の太鼓をたたく、など一戸山車ならではの特色があり、飾り方も5つの組おのおのの作法を伝えている。盛岡、八戸と並んで古くから山車の貸し出しを盛んに行い、祭典終了後約1ヶ月間にわたり県内各地で一戸の山車人形が引き出されている。 ※ 南部山車番付掲載文面
※当たり年 平成18年記録(夜間合同運行の様子) ※当たり年 平成19年記録(車庫中の山車・山車の装飾) ※当たり年 平成20年記録(雨天時の山車) 写真が欠ける場合は、更新ボタンを押してください
(同町内にはこの他中山・中里・小鳥谷などで山車行事が見られる。)
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浄法寺の山車 |
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9月中旬の神明社大祭にて運行される上組、仲の組、下組の山車。いずれも人形・装飾を一戸に委託して作っている山車であり、上組は西法寺組(前年の人形)、仲の組は上町組(その年の人形)、下組は橋中組(その年の人形)が担当している。丈、幅ともに一戸の山車よりも小ぶりで、人形配置もそれに合わせて改変されているが、とりわけ上組の人形は一戸町における様相とかなり異なる。各組とも白黒の絵紙を祝儀札とする習慣が残り、音頭も盛岡風で合いの手に太鼓の乱打を入れる。初日と最終日の神輿渡御還御に付いて合同運行を行い、門付け運行も頻繁に行っている。
※【郷土芸能 三妙院山伏神楽】神明社奉納「駒ヶ嶺新山神楽」ほか |
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二戸の山車(盛岡流のものについて) |
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堀野(9月第2土日運行 武内神社)の東組が一戸の西法寺組から人形その他を借りて山車を作っているが、囃子、掛け声、音頭とも岩手町以南に倣ったもので、盛岡流の山車の最北端といえる。
福岡(9月第1金土日運行 呑香稲荷・愛宕・秋葉の三社)では川又連合、在八町内会、五日町町内会が山車を自作しており、このうち五日町の山車が盛岡流といわれている。囃子や音頭は二戸地方のほかのところと同じで盛岡流ではないが、牡丹や人形、下げ波などは盛岡のものに近い。また、は組が一戸の上町組から飾り一式を借りているので外見は盛岡流だが、飾り方や作法は二戸地方独特のものである。写真は五日町山車「九戸政實」で、地元九戸城を枕に秀吉軍20万を迎え撃った二戸地方の英雄である。
石切所(9月第3土日運行 枋ノ木神社)では五日町町内会の人形が2団体で用いられている。2団体とも、金勢さまを祀った人形の無い見返しであった。
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軽米の山車 |
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もとは9月15日からの3日間だったが、近年は敬老の日に当たる9月第3月曜日を最終日とする3日間開催されている。八戸・二戸・一戸・三戸から山車が借りられてくるが、一戸からは例年、野田組(上新町)・本組(大町)の山車が来る。どちらも奥行きのあるトラック台車に飾り、太鼓類はすべて表の人形飾りの前に乗せるので、見返しは大太鼓がなく人形飾りのみである。大太鼓は山車1台に1〜2基、斜めに据えて一人でたたく。盛岡周辺の手木打ちにあたる役が軽米には無く、大太鼓が囃子のすべてを取り仕切っている。音頭や運行時の掛け声は二戸、山車のお囃子は久慈や八戸・上北町に似ていて、盛岡流ではない。音頭は二戸や九戸と共通する「沖上げ音頭」を歌う。浴衣姿に襷をかけた少女たちが笛および小太鼓に合わせたテビラガネを演奏、行列の先頭には高張り提灯ではなく横旗が立ち、手古舞に該当する金棒引きは揃いの化粧回しをつけている。本組の人形を付ける大町の山車は、下げ波や軒花を一戸とほぼ同じ位置に付けている。野田組借り上げの上新町は下げ波を省き、山車の側面下方に藤の花を下げ、見返しの下を石垣模様の板で覆ってシブキを添える。どの山車でも花もらいの返礼に「本日は御祝儀を頂き誠に有難うございました」と印刷された色紙を配るが、上新町はこの紙に野田組の山車絵を一部取り入れている。 写真は平成21年の蓮台野芙蓉団の山車「和藤内」で、珍しく一戸から人形を買ったときのもの。大町と同じく、滝波と大桜を飾っている。後ろには、大正団の八戸山車が全開状態で続いている。
※【郷土芸能 三妙院山伏神楽】八幡宮祭典行列随行「澤田神楽」ほか |
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(沼宮内 稲荷神社) 毎年10月第1金・土・日曜日に運行される新町組、大町組、の組、愛宕組、ろ組の5台の山車。昭和50年ころまでは盛岡や一戸から人形を借りて山車を作っていたが、新町組、の組を皮切りに自前で人形を仕立てるようになり、平成10年にいたって全ての組が自作を行うようになった。盛岡仙北町は組流の三段松、片側桜飾りを伝承し、立ち岩は岩肌を模した奔放で古風な山車である。囃子、飾り方などが5団体でほぼ統一されている点が珍しい。番付は愛宕組・の組が模様の入った手拭、新町組・ろ組が山車の絵と音頭の入った手拭、大町組は盛岡のような色刷りの絵紙である。どこからどれだけ祝儀が出たか紙に書いて山車に掲げる独特の風習がある。初日と最終日は神輿について午後1時から合同運行を行い、中日の夜は郷土芸能の群舞を先立たせた夜間パレードを行う。
写真が欠ける場合は、更新ボタンを押してください
(川口 豊城稲荷神社) 9月23日周辺に3日間設定し運行を行う井組、下町山道組、み組の山車。昭和61年に山車行事が復活し、同町沼宮内から技術指導を受けて平成4年ごろから自前で人形を仕立てるようになった。高さ5メートル超の背の高い山車で、沼宮内新町組流の三段松飾り、片側桜、立ち岩は岩肌を模す奔放で古風な山車である。番付はみ組、下町山道組が色刷りの絵紙、井組は当初白黒刷りの絵紙だったが、近年は手拭になった。初日と最終日は大名行列(神社の大きな祭典に藩主自ら隊列を引き連れて応援した事の名残)、狐踊りなどを伴うお通りについて日中合同運行、中日は流し踊りを伴っての夜間運行を行う。昼間の合同運行では、音頭上げのために山車を止める回数がほかの地域に比べて格段に多い。きちんと照明を燈すが、夜間運行日以外はなぜか夜が早い。
※ 【郷土芸能 姫神系山伏神楽】川口豊城稲荷神社奉納「川口神楽」ほか ※ 【郷土芸能 さんさ踊り】川口豊城稲荷神社奉納「南山形さんさ踊り」ほか
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葛巻の山車 |
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9月下旬の土日に八幡宮へ奉納される下町組・浦子内組・新町組・茶屋場組の4台の山車。一戸や盛岡から借り入れた人形・牡丹に、自前の松・桜・藤・山吹を飾って仕上げる。人形貸出先とは一味違う仕上がりである。桜は枝垂桜が多く、藤は紫と白の2色を飾る。囃子は各組で別々のものを伝え、リズムの違いで進行囃子と帰り囃子に分かれ、おそらく場によって使い分けている(岩手県内では珍しい事例)。
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滝沢の山車 |
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平成7年より巣子地区で「滝沢山車まつり」が開催されている。期日は、当初は10月初旬の土日だったが、ここ数年9月第4週末に固定されつつある(要確認)。もともと盛岡のさ組が山車や人員を繰り出して行っていたが、平成18年からは滝沢巣子地区各町内会と消防第7分団とで独自に行うようになった。 ニュータウンの巣子にお祭り広場を作って出店を並べ、イベントステージを設け、山車小屋と本部もここに置いている。山車は両日とも朝の8時半から9時ころに出庫、日中いっぱい住宅街を回った後、夜は電飾してメインストリートをパレードする。さ組バックアップ時代はその年の盛岡まつりに出た山車のほかに、マネキンなどを使った小型の山車(「さんしゃ号」と呼んでいた・立ち岩を館にしたて昔風の風貌を目指した時期もあった)が運行していたが、自主開催となってさんしゃ号の台車をメインに用いるようになった。ゴムタイヤの外側に大八車の絵を貼って、細部まで盛岡流の車を模倣、突き出した桜など飾り方もダイナミックで、人形も年を経るごとに完成度を増しつつある。音頭の歌詞も数種類つくり、盛岡並みのものに仕上げている。絵紙はカラーの大変立派なものを発行し、イベントが近づくと家々に張り出される。囃子・音頭ともさ組の作法が正確に受け継がれており、さ組同様地元住民から山車の引き手を公募し運行を行う「誰でも参加できる山車」としている。平成17年には6月第1日曜日に同村鵜飼地区で行われる「チャグチャグ馬コまつり」にもゲスト出演した。 写真は初の自作山車「南部利直侯」で、地元が鷹の産地であったことにちなんだ鷹狩りの姿である。盛岡流人形山車のほか、富士見西町内会によるお囃子のない創作みこし・装飾リヤカー(アニメキャラクター等をあしらったもの)も地区内を運行する。
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大更の山車 |
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7月15日(に近い日曜日に開催されたときもあったが、近年は15日に固定されつつある:要確認)に、大更八坂神社に奉納される西根山車同志会の山車。飾り一式を盛岡観光協会から借り受けている。囃子や音頭も盛岡の状況とほぼ同じで、照明はかけず日中のみ運行される。祝儀札に帯のない白黒の番付を配る。前日に工場の倉庫で組み上げるので、掛け巣を持たない。 (平成15・17・19年見物)
※以前は平舘地区にも山車行事があり、こちらは借り上げではなく自前の山車であったらしい。現在は途絶えている。八幡平市内ではこのほか荒屋新町などいくつかの地域で山車行事が断続的に行われている(未調査)。
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岩泉の山車 |
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9月第1土日に開催される岩泉町岩泉地区の秋祭りで、県道沿いにある大神宮の神輿渡御に太鼓屋台1台(三本松)、風流山車1台(南沢廻)が随行する。南沢廻の山車は、盛岡風の木彫り人形を使った木目込み式の大人形を飾り、牡丹、下げ波、松、桜といった南部流風流山車の要素を概して全て備えている。絵紙もやや小さな極彩色のものを配り、演題にちなんだ歌詞の音頭上げも行う。囃子は笛が独特の旋律だが、やれやれの掛け声や太鼓のリズムなどはかなり盛岡のものに近い。三本松の太鼓屋台も、お囃子は盛岡とよく似たものをはやしている。 (平成16年見物) |
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(日詰 志賀理和気神社) 毎年9月第1金曜日に志賀理和気神社に奉納される上組、一番組、橋本組、下組の山車。以前は9月4日に奉納され、以降3日間に渡り町内を練り歩いた。山車人形は、長らく盛岡や一戸から借り上げて飾ってきたが、平成18年以降人形を含む自作にいたった組もある。4つの組で囃子の構成、特に笛が異なり、大太鼓に合わせてかける独特の囃子言葉が威勢よく、全体に活気あふれる山車祭りである。4台そろっての運行は2日めの夜だが、祭典期間の3日間はどの日も、日詰商店街の夜間運行でにぎわう。山車を伴う神輿渡御を夜間に行い、夜の運行を佳境とする山車まつりである。
写真が欠ける場合は、更新ボタンを押してください (上平沢 志和八幡宮) 毎年9月8・9日両日に運行される。盛岡一番組などから頭、手足などを借り、衣装は自前で作って地元の若者衆で組み上げた山車である。牡丹、桜、藤も自前で作り、番付としてその年の山車の絵を染めた手拭を配る。山車行列の先頭に大きな御幣を上下に振る子供がつくのが特徴。音頭の合いの手や大太鼓のリズムに特徴があり、笛はカセットテープに吹き込んだものを流す(日詰の下組が平成8年まで使っていたものと同じ)。 ※ 日程概要 9/7(宵宮) ※獅子踊りのお祭り参加は最近は無い
(大巻 堤島神社) 毎年9月第3土日に紫波町彦部を運行、土曜は午後1時出発で夜8時解散、日曜は朝8時半出発で夜7時解散、山車小屋は例年、畳店の敷地内におかれている。同地区の「野村胡堂あらえびす記念館」では例年この時期に「キッズフェスティバル」が開催され、大巻の山車も午後3時ころ、記念館敷地に入場する。山車行事は昭和60年から始まり、人形はじめ山車はすべて地元有志の手作りである。桜は花びらの数がやや少ないが赤白黄の3色で、藤とともに和紙製のものを使っている。牡丹はプラスチック製、台車は車以外は大八の部品だが、車はゴムタイヤを使っている。日詰から太鼓を借り、笛も一番組に習って近年定着させた。大太鼓の子供たちがかけている掛け声も日詰風である。歩み太鼓を中断して音頭を上げ、あげ太鼓(2つまっちゃ)は山車を止めるときに叩く。祝儀返しは堤島神社の御札と、山車の絵を描いた手拭。音頭を終えて山車が動き出すときは、爆竹を鳴らして景気付けをする。
※備考 ●神社お通りは2日目の昼3時ころ神社到着 ●星山神楽は2日目の夕方(4時半ごろから)、若手の荒舞を中心に1時間半程度神社神楽殿で演舞 ●あらえびす記念館キッズフェスティバルは毎年9月第3土曜日の午後1時から4時ころまで開催、郷土芸能や餅の振る舞い、昔の遊び体験などが行われる。
(十日市 土倉稲荷神社・金比羅神社) 毎年9月第2日曜日の朝11時から夜8時ころまで、紫波町古館十日市を運行。人形は地元有志の手による稚拙なものだが、台車は本式の盛岡山車大八車を使っている。人形の顔は発泡スチロール、衣装はビニールシートに着色を施すなどして作る。紙の桜を山車の最上部・および両側に地面をかするほど長く垂らし、牡丹は紙牡丹、両側に紅白互い違いにして飾る。夜は山車を電飾し、さらに山車の前に照明用のトラックが走る。太鼓のリズムは盛岡に似ているものの、笛のメロディーは独特である。音頭上げは七・五・七・五で、ところどころ拍子が抜けている。「よいさあえ」の後半に歩み太鼓が重なるのと、合いの手以外に何人かが唱和する場面があるのが特徴で、まっちゃは無い。
※【郷土芸能 耳取系シシ踊り】志賀理和気神社奉納「宮手鹿踊り」ほか ※【郷土芸能 さんさ踊り】志賀理和気神社奉納「かじ町さんさ踊り」ほか |
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石鳥谷の山車 |
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毎年9月8日に熊野神社に奉納される下組、上若連、中組、上和町組、西組の5台の山車。正式な形での盛岡山車最南端の伝承例である。染め方の違う桜を併用し両側に飾る、山車の前後に雪洞(御神灯)を付ける、立ち岩に絵を描き背景を凝って作る、菖蒲や山吹を伴う…などの特色がかつては共通して見られたが、現在は各団体個性の際立った作風へと変化している。近年は、珍しい歌舞伎演題がよく登場する山車祭りとなった。花巻の「女祭り」に対して石鳥谷は「男祭り」との意識が強く、勇ましさを強調するため、もともと笛はつかなかった(現在は全ての組が笛を導入しているが)。大太鼓のリズムに合わせて山車を激しく揺らし、「皆さん見てくれ この山車を 今年の山車は○○だ」「写真を撮るなら今のうち」「梶棒見てくれ色男 小太鼓見てくれ可愛い子」など歌のような掛け声をたくさんかけて威勢よく引く。すべての山車が合同で動く機会は最終日夜6時からの夜間パレード。 ※ 南部山車番付掲載文面
※平成19年記録 写真が欠ける場合は、更新ボタンを押してください
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大迫の山車 |
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(盆祭り「通称あんどんまつり」) 8月14日と16日に運行される上若組、若衆組、下若組、川若組の4台のアンドン山車。盛岡流の大八車の上に大きなアンドン人形を乗せて高さ5メートル超の山車を作る。針金を使わず垂木と竹で作るので、平面と立体を混ぜ合わせたような独特の作風となり、有名な隣県のねぶたとは一線を画する大迫独特の人形灯篭である。角錐に組んだ小さなアンドンに藤の花を描いて吊るす程度で造花は一切付かない。盛岡流の山車と同じく表と見返しがあり、演題名には表裏とも「風流」が先行する。音頭上げ、囃子なども盛岡流で、笛の旋律のみ独特である。画題は盛岡山車に通ずるような武者もの、歌舞伎ものが主だが、仏画も多い。中日に大幅改修をして、14日と16日で別々のアンドンを乗せる。中休みの15日に寄付集めをするが、このとき16日のアンドンの絵柄を描いた簡単な番付を祝儀札として配って回る(14日の絵柄を描いた絵紙は無い)。 (三社大祭) (平成18・19年見物)
(三社大祭秋山車出場歴)
⇒参考:広報おおはさま |
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旧東和町の山車 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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お囃子や装飾花、運行形態等は盛岡山車諸派とまったく異なるが、山車人形は盛岡と同じ大人形で、見栄えのするものを飾っている。写真は平成21年に鏑町の山車が復活した際の見返しで、盛岡の城西組から見返し装飾の一部を借り上げて作った「鯉の滝登り」である。 山車行事の詳細はこちらで。
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北上の山車 |
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千厩の山車 |
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千厩町の夏祭り(近年は7月最終土曜日に開催:要確認)に登場する人形山車のうち1台が、盛岡と同じ形の牡丹、藤がらみの松の飾りで山車を作っている。人形は玉眼のない木彫りのものにサインペンなどで表情を描いたもので、囃子を乗せる車を後方にパイプでつないで運行する。囃子は他団体と同様、街路放送の盆踊りに合わせて太鼓をたたくのみ。写真は「藤娘」の見返し。 (平成16年見物) |
盛岡山車作法概要(旧「南部山車番付」より)
●大八車 ※これまでに出てきた主な演題※
盛岡山車の台車は総ヒノキ造りで、「大八車」とよばれています。昔ながらの技法で一つ一つ材木を組み上げて作る大八車は、盛岡山車の最も誇りとされるポイントで、実際、盛岡の山車が初めて銀座祭りを運行した時、浅草の神田明神、三社祭りや山王祭を支えてきた江戸の古老の皆さんが、「まだ大八車というものが動いているのか…。」と涙を流して感激したそうな。車の前方および後方に丸太を通し、これを「舵棒(かじぼう)」といい、強力(ごうりき)と呼ばれる屈強な若い衆が舵棒を押したり引いたりして7.8人がかりで山車を動かします。もちろん力が足りないので、舵棒の横から綱を通し、これに曳き子がついて「やれやれ遣れ遣れ」の掛け声で曳き歩くのです。運行中に車がきしむと「車が鶴の声で鳴いている」といい、また大八車そのものが万年生きる亀を表すともいわれ、縁起を担いで年に一度のお祭りを祝います。現在の形では、これに飾りを配して約4.5メートルが平均的な高さとなっています。
※ 台車の変化形
トラック等を改良した台車を利用したもの:一戸町に2例、葛巻町に2例、浄法寺町・二戸市では全てが該当
補助付きの大八車:盛岡市数例(愛宕町み組から派生)、岩手町数例、一戸町数例
●人形
京人形造りの風流人形が盛岡山車のメインとなります。人形は、頭・手足のみ木彫で(場合によって手は肘まで、足は脛まで)、木材で芯を作り稲藁で肉付けする木目込み式です。稲藁は当年のものを使い、これを山車として神様にお供えして豊年を報告する意味があるとも云われています。表に使うものは大体普通の人間の3〜4倍くらいの大きさに仕立て、原則として1ないし2体が飾られます。京風の風流人形で等身大を逸脱する例は全国的にも稀有であり、盛岡広域の山車がいかに風流人形に重きを置いているかを実感させるものがあります。
演目の傾向としては、歌舞伎の場面をそのままの形で用いるケースと、歴史上の名場面を山車人形の形式にうまく当てはめて描くケースの2種類に大別されます。歌舞伎山車は芸事の山車であり、芸能の起源を天岩戸神話にたどって祭りの始まりにちなむものともいわれています。盛岡や石鳥谷は歌舞伎演目を選ぶ組が多く、衣装の豪華さや見得の見事さなどをどこまで真にせまって描けるかを競います。県北地方に行くと武者もの・講談ものが多くなって、山車人形としての制約(人形の数が限られる点など)の下でいかに簡潔に名場面を表現するか、アイディアが見所となります。もちろん鎧兜のきらびやかさや躍動感などにも注目が集まります。古今の偉人、時には負け戦・絶命の直前を描くような演題もありますが、先人の辛苦の上に現在の繁栄があることを踏まえ、神への感謝を新たにする心意気が込められているという方もいます。また、更新制という風流山車の潔い心意気が、滅び行くものに美しさを見出すのかもしれません。
見返しといって山車の裏側にも人形を飾り、こちらは等身大の女性の人形を飾るのが一般的ですが、地方によっては昔話や風景が描かれることもあります。この見返しの人形も、他地域に比して盛岡山車では著しい力の入れ具合を伺うことが出来ます。見返しにはスポンサーとなっている酒造会社の酒樽を飾る例もあります。

@最古の歌舞伎演題
「和藤内(虎退治・紅流し)」
Aよく知られた歌舞伎
(盛作)「暫」「矢の根五郎」「勧進帳(巻物・折檻・飛び六方)」「鳴神」「鳥居前(源九郎狐)」「景清」「解脱(釣鐘の景清)」「先代萩(松前鉄之助・仁木弾正)」
(希少)「助六」「弁天小僧」「熊谷陣屋」「楼門五三の桐」「不動」「毛抜」「土蜘蛛」
Bあまり知られていない歌舞伎
「碁盤忠信」「雨の五郎」
C獅子の趣向
「石橋(しゃっきょう)」「連獅子」「鏡獅子」「三条小鍛冶」「元禄忠臣蔵」
D2体もの歌舞伎
「車引き」「対面」「草摺引き」「道成寺押し戻し(竹抜五郎)」「関の戸」「里見八犬伝」「紅葉狩」「上意討ち」ほか

@騎馬武者もの
「佐々木高綱」「天慶の乱(平将門)」「巴御前」「那須与一」ほか
A義経一代記
「天狗と牛若丸」「五条の橋」「義経一の谷」「義経弓流し」「義経八艘飛び」「吉野山の義経」「高舘合戦」など
(弁慶)「鬼若丸」「釣鐘弁慶」「勧進帳」「船弁慶」「弁慶上使」「弁慶立ち往生」
(平家物語)「遠藤盛遠」「清盛と重盛」「源頼政鵺退治」「熊谷次郎直実」「畠山重忠」「那須与一」「碇知盛」など
B太平記もの
「四条畷(楠木正行)」「村上義光」「児島高徳」「大楠公」「新田義貞(稲村ヶ崎・藤島)」「大森彦七」
C戦国武将
「川中島」「森蘭丸」「加藤清正(虎退治)」「日吉丸」「黒田武士」「甕割柴田」「明智光秀」「地震加藤」
(創作)「桶狭間の合戦」「本多忠朝」「真田幸村」「坂崎出羽守」「山之内一豊」「厳島合戦」など
D大河ドラマ等の影響
「独眼竜政宗」「池田屋騒動」「山本勘助」「巌流島」「前九年の合戦」など
E郷土史
「坂上田村麻呂」「安倍宗任」「安倍貞任」「八幡太郎義家」「ゆはずの泉」「藤原三代」「九戸政実」「相馬大作」
(以降地元城主)「南部信直」「南部利直(騎馬武者・大蛇退治)」「光武者」「川口正家」「北秀愛」「姉帯大学」など
3、裸人形
@豪傑・英雄譂
「早川鮎之助」「関口弥太郎」など
A力士の山車
「桂川力蔵」「四つ車大八」「濡髪長五郎」「小野川喜三郎」
B町奴・無頼漢の山車
「幡隋院長兵衛」「唐犬権兵衛」「釣鐘弥左衛門」「一心太助」「遠山桜」「磐梯山四郎次」など
C為朝の山車
「山犬と為朝」「為朝公(湯上り為朝)」「嶋の為朝」
D忠臣蔵
「清水一角」
(以下単純に忠臣蔵演題)「大石蔵之助」「大高源吾」「堀部安兵衛(高田馬場・討ち入り)」「俵星玄蕃」
E「紀伊国屋文左衛門」
4、退治もの
@「児雷也」「綱手」「大蛇丸」
A夜叉退治
「羅生門」「紅葉狩」「道成寺押し戻し」「土蜘蛛」
B干支がらみ
(鼠)「松前鉄之助」
(牛)「鬼童丸」
(虎)「和藤内」「加藤清正」
(竜)「鳴神」
(蛇)「八岐大蛇」「山犬と為朝」
(馬)「畠山重忠」「曲垣平九郎」、諸騎馬武者
(猿)「岩見重太郎」
(犬)「唐犬権兵衛」「丸橋忠弥」
(猪)「仁田四郎忠常」
Cその他
「俵藤太(百足退治)」「大江山(鬼退治)」「頼光蜘蛛退治・若菜姫(蜘蛛)」「庚申山の化け猫・有馬の猫騒動(猫退治)」「鬼若丸・乙若丸・滝窓志賀之助・柳川庄八・大工六三(鯉退治)」「源三位頼政(鵺退治)」など
D大道具

(門)「朝比奈三郎」「大高源吾」「上意討ち」など
(楼)「里見八犬伝」「地震加藤」「楼門五三桐」
(鐘)「釣鐘弁慶」「解脱」「娘道成寺」「釣鐘弥左衛門」
(火消しの山車)
「日本銀次」「野狐三次」「新門辰五郎」「江戸火消し」「纏一代」「南部火消し」「南部梯子乗り」
5、見返し
@表裏関連
「静御前(白拍子・旅姿)」「牛若丸」「胡蝶の精」「お小姓弥生」「三浦屋揚巻」「八重垣姫」「雲の絶間姫」
A歌舞伎舞踊
「藤娘」「汐汲み」「道成寺(笠・烏帽子・鐘)」「禿(かむろ)」「女暫」「菊づくし」「滝夜叉」など
Bマネキン見返し
「わんこ娘」「手古舞」「ふれあい娘」など
(郷土芸能・民謡)「元禄花見踊り」「さんさ踊り」「外山節」「からめ踊り」「根反鹿踊り」「川口狐踊り」「大宮神楽」など
(物売り・風俗)「飴売り」「鳥売り」「春駒」「鳥追い」など
C昔話
「花咲爺」「一寸法師」「桃太郎」「金時」「浦島太郎」「たつのこたろう」「鶴の恩返し」「ぶんぶく茶釜」など
(酒屋関連)「養老の滝」「猩々」
D景勝
「二見ヶ浦」「鶴と亀」「めでたい」「十五夜」「鯉の滝登り」など
E越境見返し(表と同じ趣向)
「児島高徳」「助六」「源九郎狐」「猩々」「早川鮎之介」など
6、廃絶演題
@館山車
A納め物
「吊灯篭」「狛犬」「献額」など
B無生物
「鯛」「伊勢海老」「鰹」「花籠」など
C福神もの
「大黒さん」「つり恵比寿」など
●装飾(造花)
盛岡山車の装飾には定型があり、「万物の盛りの形を一堂に会す」という法則を根底に、天井には常緑の松(生木:神の降りる依り代)、松の枝には紙で作った藤の花房を絡ませ(往古は蔓を付けて藤を吊るしたという)、人形の両脇には紅白の牡丹の花をいくつも咲かせます。
牡丹は紅白の布に金型をかがり縫いして切り抜き、大花びら6枚・中花びら3枚・小花びら3枚を組み合わせて作ります。本式では左右に25個ずつ花を付けますが、現在は平均して一台に70個ほど付いているといわれています。牡丹は山車に熨斗を付ける役目があるとも云われ、ゆえに左に白牡丹・右に赤牡丹を備え、白は銀・赤は金の水引で縁取りをします。釘がよく効くコブの木を芯にして取り付け、花の芯には豆電球を一つずつ入れて夜間照明のアクセントにします。
松の横からは満開の桜、これは型抜きした和紙を折りたたんで染色し、10枚張り合わせて玉に作り膠で山桜に枝付けしますが、ひとつの山車におよそ300〜500個ほど飾られているようです。花びらの縁を赤く染めたもの(里桜:本来は歌舞伎演題用の桜といわれる)と、芯を赤く染めたもの(山桜:本来は蓬莱山の桜として山桜が適当といわれる)の2種類があり、両者を併用するところもあります。枝の先には花芽(蕾、若葉)を付けて金銀の短冊を吊るした紐でくくり、光があたると神秘的な輝きを起こすように工夫します。
人形の足元には張子製の岩を飾って笹の枝をさし、水玉のついた銀色の波しぶき(波出し)と波の絵(横波・盆波)を飾ります(「荒磯仕立て」)。大八車の横には滝の絵を下げ(下げ波・滝波)、桜と同じ製法で作った大きな軒花(玉桜・大桜)を添えます。盛岡山車には華やかな夜間照明を伴うものが多く、夜の山車パレードはお祭りの見所のひとつです。
※ 装飾の変化形
ビニール製の桜:一戸町に3例
紅梅白梅:一戸町に1例
山吹:葛巻町、旧石鳥谷町に見られる
長い波しぶき:一戸町、葛巻町
●曳き子と囃子方
山車の曳き手はみな火消し装束で、黒の股引に半纏、豆絞りを閉めて襷を掛けるという格好です。もともと火消し組を母体とするこの種の山車組の心意気といわれています。山車の前には金棒曳き、通称手古舞(てこまい)と呼ばれる厚化粧に鬘の女性たちが花を添え、先導役としてひょっとこなど道化を付けるところもあります。囃子は、子供達の叩く小太鼓がベースで、ててん、ててん…という2拍子を刻む歩き太鼓を5・6人の小学生でたたきます。これにあわせて、見返しに据えられた大太鼓を成人男女が4人程度でたたきます。大太鼓のリズムは盛岡山車伝承圏内ではほぼ大差なく、また、必ず大太鼓を見返し、つまり山車の裏側に据える決まりになっています。大太鼓と同じリズムで鉦が打たれ、綱の周りや曳き子の前方では横笛を奏でます。横笛の曲は盛岡で一般型と八幡町型(八幡町、神子田町、中ノ橋)の2曲、他は殆ど一般型1曲です。県北一戸では3曲が伝わり、こちらは八幡町型が優勢(3/5)、紫波町日詰や葛巻町では組それぞれが独自の笛の旋律で、バラエティー豊かに4曲を聞き分けることが出来ます。同じ旋律でも地方によってアレンジの仕方がさまざまで、ペースの緩急を変えるだけで相当雰囲気の違う仕上がりになります。山車を止めるときには挙げ太鼓、とめ太鼓、休み太鼓の3つが単発的に演奏されます(まっちゃ)。また、進行を早めるときには歩みをリズムアップした早太鼓を演奏します。これら一般的な形に、地方によって独特の拍子が加わります。
●山車音頭と絵紙

山車を出すための資金は、組の若衆が一軒一軒を訪ねて集めて回ります。山車を伴う花もらい(花:寄付のこと)を「本隊」、山車の運行コース以外を回る花もらいを「支隊」といい、本隊ならば山車がその家に差し掛かったときにお礼の音頭を上げ、支隊の場合は花もらいが各戸にて音頭を上げるか、お花の上がった家の前に印を描いて(白チョークで丸印に組の名前など)本隊への目印にします。音頭はもともと山車を動かす合図ですが、盛岡の場合はこのように「お礼」「余興」「寿ぎ」の意味合いが強まって伝わっています。社会生活の変化など諸事情により「花もらい」の伝統を改め戸口負担の寄付集めを行っている地域もありますが、盛岡・一戸・沼宮内・川口などでは住民の理解と催行側の意欲によって、希少な風習が根強く残っています。


山車の絵の手拭:旧石鳥谷町、岩手町沼宮内に2例、葛巻町、紫波町上平沢、旧大迫町
柄染めの手拭:紫波町に3例、岩手町に3例
白黒刷りの絵紙:一戸町、紫波町日詰に1例、旧浄法寺町、北上市黒沢尻、旧西根町
多色刷りの絵紙:盛岡市、岩手町川口2例、岩手町沼宮内に1例
簡単な山車の構想を描いた紙:旧大迫町(あんどん山車)
「この度は御祝儀を頂き…」と書かれた色紙:軽米町
絵紙を店頭に張り出す習慣:盛岡市、北上市黒沢尻、岩泉町
※音頭の例(一般型)
1、あげ太鼓 トトン(は) トトン(よ) トトントン(それ)ドドカカドンドドカカドンドン カカドンドン
2、謡い出し 「よおいはええい(よお祝え)」
3、合いの手 「やあれこりゃま(わ)のせい」
4、枕 「やれよはえい」
5、音頭本歌詞上の句(7・7)
6、合いの手 「やあれこりゃま(わ)のせい」
7、音頭本歌詞下の句(7・調子「ええい、えええい」・5・調子「ええい」)
8、合いの手 「よーいよーい、よいさあよいさ、よーいさあ、えい」
9、歩み太鼓
※音頭の変化形
・長町音頭(盛岡市)…謡い出しに変化→2「いそれはそい」4「それは」となる(「獅子音頭」)
・紺屋町音頭(盛岡市)…歩みだしの合いの手に変化→8「よーい、よ−い、よいさあよいさ、よーいさあえええい、よ−いはえい」
・旧石鳥谷町…2・4・3の順で読む(謡い出しと枕がつながる)、合いの手(3・6)に変化→「やあれこりゃわいのせい」
・岩手町南部(川口、沼宮内ろ組)…3.6→「やあれこりゃあのっ、せーい」、8→「よ−いよ−い、よいさあよいさ、よいさあのえーい」
・一戸町…合いの手部の太鼓拍子が入る(3、6→「やあれこンのっせい」、8→「よーいよーい、よいさーよいさ、よーいさあのせー」(そおれ))
・上平沢囃子(紫波町)…8→「よーいさ、よいさあよいさ、よーいさ、えーい」
・日詰ほか…8→「よおいよおおい…」となり、歩みの拍子打ちを伴う
・旧浄法寺町…歌い出しが「やれよはえい」になる。合いの手に太鼓の乱打等が入る。
・旧石鳥谷町、旧大迫町…音頭を上げるとき、山車の正面を各家々に向けて止める
・日詰、石鳥谷…音頭を終えて歩み太鼓に入る時に特別なリズムを叩く
・北上…音頭と上げ太鼓の最中に纏振りが演じられる
・大巻・十日市(紫波町)…音頭の中に複数で唱和する場面がある
●盛岡山車の「周辺」
花巻山車
東北山車行事の重大なルーツとして「仙台祭り」というのがあるらしいことを、私は東北を飛び越えて西日本の方から教えられました。現在仙台には「青葉祭り」という山車行事がありますが、これは人形山車行事ではありません。往古の仙台山車(やまほこ、という)の面影は、どうやら花巻まつりをはじめ岩手県南・宮城県北に僅かながら残っているようです。
平三山車

囃子屋台
岩手県内には「人形を飾る毎年更新する山車」がない地域もありますが、そうした所ではどんな山車が出ているか紹介しています。県無形文化財の日高火防祭(旧水沢市)には、豪華な装飾と華やかに着飾った少女たちに彩られた「はやし屋台」が登場します。また、当該年の前厄に当たる「厄年連」が前後に装飾トラック「花車(はなしゃ)」を伴って町中を踊って回ります。同じような踊りを伴う太鼓屋台の風習は大船渡市・陸前高田市など気仙地方にもよく見られ、3年ないし5年周期で回ってくる「式年大祭」に登場、地域住民の「晴れ舞台」となります。遠野市に伝承する「南部ばやし」の山車も、踊りを伴うという点ではこれらに共通しています。岩手県外、東北地方の著名な祭礼にもこのような「更新されない山車」で賑わうものがいくつかありますので、自分の目の届く範囲で紹介してみました。
七夕山車
仙台藩領(岩手県南と宮城県)で盛んな七夕祭りのうち、山車を出して七夕を祀る風習群。岩手県南沿岸の気仙地方のみに伝承しています。衝突の衝撃を和らげるため山藤巻で台車を組む「気仙町喧嘩七夕」は約900年の伝統を持ち、古風な紙花(アザフ飾り)で山車を飾ります。原型となった今泉七夕(八日町・荒町の2基)が大正以降広く気仙地域に伝播しました。「盛町七夕」は大きな箱型あんどんの四方に武者絵を描いた山車です。このほか船に五色紙や笹竹を飾った「海上七夕」「運連」などがあります。
八戸山車
八戸山車は、あまりに巨大化しすぎたためにかえって意味不明なものが多くなった、という弊害があるものの、山車組の多くが行ってきた周辺地域への貸し出しが「やらない繁華が無い」ほど山車行事を浸透させ、東北一の風流山車過密地帯を生み出したのです。日詰山車の語り草「人形10体回り舞台の忠臣蔵」はじめ、「かぐや姫」「天岩戸」など八戸山車にしか出せない華やかさは確実に存在します。貸し出しの際、山車を丸ごと一般道に乗せて輸送していたことが問題となり、平成15年以降は借り上げ地域での山車自作の動きが活発化しています。
青森県南の人形山車
東北一の山車台数を誇る青森県の山車のうち、ねぶた・八戸山車という二大体系に分類されないものを紹介しています。三戸郡の山車囃子は、神社に向かう際は三味線などで優雅に、自町内に帰る際には盛岡・八戸同様活発に…と、色彩を変えて演奏される独特のものです。野辺地の山車囃子は祇園ばやしと呼ばれ、活発なフレーズが無く終始優雅なものであり、稚児姿の少女たちが演奏します。山車人形は2〜3体が原則で、電動の仕掛けはありません。
青森県内の山車行事にはねぶた・八戸山車を含めて賞レース制度があり、出来栄えや囃子の統率度などで最優秀賞・秀作などを決めて表彰しますが、岩手や秋田などではほとんど見られない青森独特の風習です。
ネブタ
ねぶたには、人形灯篭の「組ねぶた」と扇面図の「扇ねぶた」があります。組ねぶたには多岐にわたって様々なモチーフが取り入れられ、絵であるが故の奇抜な構想も観客を楽しませてくれます。一方の扇ねぶたは趣向の7割を「三国志」「水滸伝」に求め、幕末から100年かけて「津軽にしか無い」実に個性的な画風を蓄えました。ともに全国有数の山車人形発想の宝庫です。
秋田・山形の山車
東北地方日本海側の人形山車は、各々の人形に人物名の立て札をつけるなど太平洋側には無い作法を持っており、一方では歌舞伎山車の宝庫、また戦国武者演題の宝庫でもあります。角館・土崎・新庄など拠点に集中的に伝承し、同じ作法の行事が周辺域にいくつも伝わっている、ということは少ないようです。
山笠
全国的に見ると、人形を飾る風流山車行事は北九州と北東北に集中して伝承されています。北九州では人形山車を「山笠」と呼び、厄病を祓う祇園社の夏祭りとして盛大に、地域に密着した形で行われています。筆者は平成18年7月に3日間北九州地方に出向き、各地の山笠行事を見物してきました。東北の風流山車を考える上でのひとつの「参考」として、皆様にご報告いたします。
※番付引用(岩手町川口下町山道組「加藤清正」・花巻市石鳥谷町中組「押戻」)
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