盛岡山車の演題【為朝の山車】
 

為朝の山車

 



『島の為朝』(従者付)一戸町上町組平成26年

 浴衣一枚という簡素な衣装で木目込みの躍動的な骨組みを全面に出す「裸人形」は、盛岡の山車職人たちが最も得意とした人形趣向であり、南部流風流山車ならではのものであった。
 裸人形が好まれたからこそ山車とされえた英雄もいる。保元の乱(ほうげんのらん)で武運つたなく敗れた源氏随一の弓矢の名手、源為朝(みなもとの ためとも)がその典型である。数ある演題の中で、苗字もなくただ『風流 為朝公』と題され得るのはこの人物を置いて他に無い。往時の盛作振りは現在ほとんど影を潜めてしまったが、裸人形の最盛期、これほど多く盆板に上がった人物はいなかった。
 特徴的なのは、武人である為朝がほとんど鎧を着て登場せず、通常の衣装が浴衣とされている点である。他の地域の為朝の山車がほぼ例外なく鎧武者であるのに対し、盛岡周辺では『湯上り為朝(ゆあがり ためとも)』といって、その描くところに思いをいたす以前に「為朝といえば浴衣に乱れ髪」と相場を決めている。
 為朝の山車の主な製作例を3つ提示したい。



「島の為朝(山犬大蛇)」沼宮内大町組平成10年

●風流 忠犬為朝を救う

 題は『島の為朝』(盛岡駒形会S56・沼宮内大町組H10)の他、『為朝大蛇退治』『忠犬為朝を救う』等定めが無い。滝沢馬琴の「椿説弓張月(ちんせつ ゆみはりづき)」にある、為朝の青年期の伝説を採った山車である。
 藤原信西(ふじわらの しんぜい)と対立した為朝は、北九州の偏狭筑紫(つくし)で生活をはじめる。ここから為朝を俗に「鎮西(ちんぜい:九州の意)八郎」と呼ぶのだが、山中で暮らす間、2匹の山狗(山犬・やまいぬ:狼のこと)が為朝に懐いて狩りの供をするようになった。ある日のこと、そのうちの一匹が何かに憑かれたようにしきりに為朝に吠え立てるので、始めは笑っていた為朝も「やはり野獣は人になつかぬものだ」と怒って、山狗の首を刎ねた。すると切られた山狗の頭は宙に舞い上がり、茂みの影から為朝を狙っていた大蛇の首に噛み付いたのである。喉笛を噛み切られ大蛇は絶命し、為朝は九死に一生を得た。
 「自分を守るために吠えていた山狗の気持ちをわかってやれなかった」
 為朝は浅はかな自分を悔やみ、山狗のなきがらを丁重に葬る。血も涙もない人の有り様を「虎狼のようだ」というが、狼にはこれほどまでに熱い忠義の心があり、それを感じられなかった人間の自分こそ虎狼であると、為朝は嘆くのである。

 為朝の大蛇退治は南部流風流山車に登場する題のうち最もグロテスクな一つで、為朝が殺した山狗の首なし胴体・松の上から為朝を狙う大蛇は首筋を山狗の首に噛まれており、これに太刀を払い弓矢を背負う胴鎧の為朝という3体構成である。小説自体がこういったおどろおどろしい珍獣の跳梁する様を魅力とするものであるから、これは「風流 椿説弓張月」と呼んでも差し支えない気が個人的にはしている。
 盛岡では戦前に青物町、戦後は油町・仙北町で、一戸町では上町組、岩手町では沼宮内の大町組が作っている。或る種の見世物小屋のような雰囲気を楽しみたい。

(音頭)

鎮西八郎(ちんぜいはちろう) 筑紫の果てに 今も高鳴る 弓の弦(つる)
犬の一念 火を吐く島に 光る幾代の 語り草




●風流 為朝公(湯上り為朝)

絵紙『湯上り為朝』大正期盛岡(もりおか歴史文化館提供)

 保元の乱に敗れ落ち武者となった為朝は、身を寄せた先で裏切りに遭い、温泉で療養しているところを追っ手に取り囲まれる。為朝は湯屋の柱を一本引き抜き、頭上にかざして追っ手を蹴散らした。この様子を記述しているものに「保元物語」や前述の弓張月があり、細部にわたって南部流風流山車の『為朝公(ためともこう)』の意匠に適合する。
 昭和26年はサンフランシスコ平和条約調印の年で、日本の解放独立を象徴する「為朝の牢やぶり」としてこの作品が作られた。湯殿破りが牢破りに錯誤されているのである。これは当時の認識としても、頭上に柱をかざす為朝の姿が一体何を表すか分かる人がわずかであったことを示しているのだろうか。とは言いつつも、浴衣姿で追っ手を蹴散らす場面は戦前戦後を通して盛岡山車定番の為朝の姿であり、それこそ説明も何もなしに『為朝公』として納得されうるものであった。
 一体であれば湯屋の柱を両手で持ち上げる姿が定形であるが、潰し人形(鎧武者)を付ける場合は刀を振り上げた為朝・桶を高く掲げた為朝など工夫が加わることもある。為朝のほうが貧相な姿だが、勇みに満ちた組み付けをする。


(音頭)

義勇兼備(そなえ)し 為朝公の 誉れは遠く 今の世に
出るや為朝 囚屋
(ひとや)をやぶり 仰ぐ講和の 日の光
憤怒る
(いかる)為朝 髪逆立てて 睨む武勇の 気の配り
囚屋の柱 おがらの如く 砕く為朝 弓の神



「1体の弓打ち・浴衣に髭」紫波町志和町平成24年

●風流 島の為朝(弓打ち)

 この場面を指して『島の為朝』と付題する例が多く、「島」とは彼が流された八丈島のことであろう。
 源氏の武者で最も強いといわれた源為朝は、特にも常人なら引くのに13人を要すという強弓(つよゆみ:ごうきゅう)の使い手であったとされる。保元の乱に敗れ、腕の筋肉を切られて島流しになったにもかかわらずその腕は衰えず、為朝を討とうと遠く海峡をやってきた平家の軍船をくだんの強弓で射て、たった一本の矢で沈めたという。
 この趣向はもともと浴衣を一枚だけ着せた為朝の弓を手にする姿の山車であり、伝承域一帯で一時期大流行した。従者一人がついて(八丁礫の喜平治とも)「お見事」と日の丸扇子を掲げる2体飾りとするのが本寸法ではあろうが、特に盛岡市外においては1体・浴衣・ザンバラの為朝が非常によく山車に上がっている。衣装はいたって質素であり、源氏の紋所笹竜胆(ささりんどう)を紺に染めた真っ白い浴衣を纏っているだけというのが典型であった(絵紙の上では上半身ほぼ裸に近い)。流人なのだから、この格好のほうが適切なのだろう。一応御曹司扱いされる為朝なので青年の髪型で月代は剃らないことになっているが、この定型すら崩し、ザンバラ髪に無地の浴衣を纏って弓を持っている人形をさえ、『島の為朝』として祭り場に繰り出した。とにかく衣装よりも、いかに動きがついて格好良く組まれているかを見所としたのである。志和八幡宮祭典(紫波郡紫波町)では平成に入って以降も、浴衣一枚に無精髭、流人の荒々しく勇ましい姿を凝らした為朝の山車を出している。

「1体の弓打ち・晴れ着」石鳥谷町下組平成3年

 昭和58年、平成3年…と時代が下るごと、袴が豪華になったり胴丸をつけたりと為朝は豪華になっていった。志和町や石鳥谷では上記大蛇退治の為朝が着た赤い晴れ着を使い、この題を華やかに演出した。一戸の本組では平成以降、従者とともに鎧姿で船に乗せてこの逸話を描いている。

 弓の出てくる為朝の山車にはこの他、鬼も引けない為朝の強弓(仮題)というのがある。為朝の弓は上記の如く尋常ならざる張りの強さで、力自慢の「天邪鬼(あまのじゃく)」でさえ容易に引くことが出来なかった。子鬼2匹が奮闘する様を見て、為朝は苦笑している。
 青森県八戸市の博物館に、藩政期に豪商が江戸から買い入れた山車人形としてこの場面を作ったものが展示されている。非常に立派で、面白味のある人形である。盛岡でも戦前に一度出た。


(音頭)

島の為朝 勇者の誉れ 勇め武の国 神の国
弓矢の家に 生まれし人が 名をぞとどむる はなれ島
一箭
(ひとや)見事に 船をば沈め 剛弓無双と 世に称う
弓の勢い
(きおい)ぞ 為朝が 今に讃える 弦の音
弓は滋藤
(しげとう) 為朝しぼり 寄せ手に放す 伊豆の島
怒る為朝 髪逆立てて 弓の勢いぞ 弦の音
島の為朝 勇者の誉れ 弓の一矢
(いちや)で 船沈め

光る源氏の 威徳を今に 飾りて曳き出す 勇み肌



絵紙「為朝の弓勢」大正期盛岡(もりおか歴史文化館提供)

 まさに為朝は、裸人形最盛期に愛され裸人形の衰微とともに忘れられていった演題といえるだろう。人形の作風そのものが、一人の英雄を山車に上がる定番のスターとなしえたのであり、山車製作の技術論としても非常に面白い素材である。
 為朝の見返しとして一戸の本組は『舜天王(しゅんてんおう:琉球王舜天)』を飾ったが、これは為朝の末裔が琉球王国に渡って王族となったとの伝説によるものである。


【他地域の為朝の山車】
@千葉県佐原市の常置人形には為朝の人形があり、平安朝の大鎧を纏い弓を持って立っている。
A山形県新庄市では『椿説弓張月』という題名の山車が出たが、これは荒れる海を鰐鮫という怪獣が暴れまわる趣向のもので、船の舳先には弓を持ち、豪華な大鎧を纏った為朝がいた。
B青森県八戸市では『椿説弓張月』という題名の山車が近年たびたび出ているが、これは主に沖縄習俗を衣装や神獣などを上手に使いエキゾチックに表現したもので、為朝の陰は薄い。転じて沖縄ものの山車の背面に為朝を飾って関連させる定例が出来つつある。


縮小山車「為朝と痘鬼神」(岩手県花巻市

【コロナ禍と為朝】
 令和2年・翌3年と新型コロナウィルス感染拡大に伴い全国で夏祭り・秋祭りが中止される中、「疫病退散」をうたう趣向がミニ山車・縮小山車・置山などに盛んに採られるようになった。妖怪『アマビエ』の他、皇帝の夢の中で病鬼を退治した『鍾馗』・疫神を祀る京都八坂神社の祭神素戔嗚尊の『八岐大蛇』退治、そして源為朝の山車である。為朝の流刑先であった八丈島が日本本土で疫病流行の際唯一無事で済み、それは病をもたらす痘鬼神すら為朝の武威を恐れて寄り付かなかったからだと信じられた。この話をもとに、江戸では流行り病のたびに病魔退散の利益を願う為朝の錦絵が盛んに刷られたのだという。
 秋田の角館では令和3年の飾山題材に為朝の鎧姿を採ってこの逸話を添え、花巻では逸話そのものを縮小山車に作っている。



(ホームページ公開写真)

一戸本組   平成以降の新作為朝   大湊ねぶた




山屋賢一 保管資料一覧
提供できる写真 閲覧できる写真 絵紙
山犬大蛇 沼宮内大町組【本項掲載】

青森県八戸市
盛岡青物町
盛岡二番組
一戸上町組
盛岡仙北駒形会・日詰橋本組
盛岡仙北駒形会

集合番付(盛岡青物町含)
盛岡二番組
湯上がり 盛岡三番組
盛岡一番組
盛岡新穀町
盛岡青物町
盛岡仙組
沼宮内新町組
盛岡三番組【本項掲載:もりおか歴史文化館より】
盛岡青物町
沼宮内新町組
弓打ち 一戸町本組@A
志和町山車【本項掲載】
一戸上町組【本項掲載】

青森県八戸市
青森県むつ市大湊
盛岡米内組
盛岡二番組
志和町山車@A
盛岡み組
盛岡と組
盛岡は組・沼宮内新町組
石鳥谷下組【本項掲載】
一戸本組(富沢改)
志和町山車(手拭)
一戸上町組(富沢)

盛岡二番組
一戸本組
盛岡と組(国広)
一戸西法寺組(国広:鎧姿)
志和町山車
盛岡は組(富沢)
鬼と為朝 八戸市立博物館所蔵山車人形 盛岡か組 盛岡か組【本項掲載:もりおか歴史文化館より】
黒髪山大蛇 一戸上町組 一戸上町組(富沢)
猪退治 川口井組
疫病退散 青森ねぶた(ワラッセ展示時)
花巻山車(縮小)【本項掲載】
ご希望の方は sutekinaomaturi@outlook.comへ





文責・写真:山屋 賢一
(資料協力:もりおか歴史文化館-絵紙2点-)


※南部流風流山車(盛岡山車)行事全事例へ

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送