盛岡山車の演題【風流 石橋】
 

石橋(しゃっきょう)

 



「2体」盛岡市新田町か組昭和60年

 能では獅子の出る演目を「石橋(しゃっきょう)もの」という。豪華な裃を着け、頭にはヤクの毛で作った真っ白い長い鬣(たてがみ)を被り「獅子口」という怖い面を当てた獅子である。このかたちが歌舞伎にも導入され、『連獅子(れんじし)』を筆頭に、腰で長い白毛を美しく雄雄しく振るう「髪洗い(かみあらい)」の芸に昇華した。
 盛岡の山車にもこのような長い毛並みの役者を飾ったものが散見され、隈取の入った歌舞伎人形とはまた違ったイメージで観衆に歌舞伎を印象付ける。戦前の、まだ歌舞伎ものが山車の頻出演題にはなりきっていなかったころ、そのものずばり『石橋』という山車が一体ものの歌舞伎山車として頻繁に作られていた。

「2体連獅子風」二戸市堀野東組平成24年

 もともと『石橋』とは、もっぱら石橋に足をかけて両手に牡丹を持って踊っている歌舞伎獅子一人の山車人形趣向であった。川原町・新田町(現か組)・八幡町などに作例があり、中には素晴らしい躍動美で描いた絵番付もある。戦前には親獅子を『石橋獅子』としてよ組(盛岡市紺屋町)、子獅子を『牡丹獅子』としてい組(同 八幡町)が1体ずつ飾った年もあった。
 昭和40年代に、盛岡のか組が『二人石橋』と称して赤毛の子獅子と白毛の親獅子とをいっぺんに舞台に上げ、大変に華やかな豪勢な山車を出した。以降、石橋といえばこのような親子獅子の型が定型となり、名人富沢茂氏の手になる絵番付がその模範となって現在に至る(富沢氏の作品中とりわけ秀作といわれる一枚)。平成に入ってから「二人」でない石橋を山車に出したのは、盛岡市の外も含め1例のみである(盛岡厨川や組、平成13年)。
 “連獅子の中国版”ともいうべき二体の歌舞伎山車である。牡丹を付けた二枚扇の馬簾(ばれん)「扇獅子」を白毛赤毛の上にかぶる唐子装束の親子獅子が、天台山の石橋の向こうで牡丹を手に舞い踊る一抹の幻想を描いている。石橋は人の架けたのでなく天然の橋で、中国に渡った高名な僧侶 寂照(俗名:大江定基)が仏の悟りに近づいた時、この神秘的な有様を石橋の先の霧の彼方に見たのだという。連獅子の山車では松羽目や板目を背景とすることがあるが、石橋の場合背景はあくまでも岩と滝で、親獅子が足をかける石橋も目立つように立派に作る。なにより中国風の唐子姿であるのが連獅子との決定的な違いで、化粧も連獅子よりも若干こってりしており、親は青・子は緑と、衣装の色調もより明確に分断されている。
 二人石橋の作例はもっぱら盛岡市に集中し、か組の二度目の作例が私の初見例である(昭和60年:写真1)。この年は山車が3台しか出ず、うち2台が連獅子・石橋であったから、両者の違いに目を配らざるをえなかった。平成に入ってからはか組の指導のもと新しい山車組(青山組、お組など)が出したが、市外や市内同好山車組にはなかなか広がらなかった。平成の末にようやく、岩手町沼宮内にて採題されている(写真4)。
 平成20年代には、太田のお組が従来の形を活かしつつも、扇獅子の無い連獅子と同じような髪に仕立てた。この形は一戸に移入され、再作もされた(写真2)。

「英執着獅子」石鳥谷上和町組平成28年見返しhspace=30

 盛岡長田町の三番組は、石橋型の唐子の獅子に牡丹を手にした脇侍を加えた『英執着獅子の場(はなぶさ しゅうじゃくじしのば)』を山車に出した。恋に執着し想いが募って床に臥せった娘に獅子の魂が乗り移り、変身するという芝居である。舞台では獅子になっても終始女形で通すが、山車に出たのは石橋の親獅子とほぼ同じ雄々しい仕様であった。左右に垂れた白毛を手にして橋を踏み据えた獅子の姿は表情も素晴らしく華やかな出来栄えであったが、以降の作例は全く無い。
 石鳥谷の上和町組では獅子に変わる前の踊り子に扇獅子を持たせ、見返しに飾っている。扇獅子の紅白は、男女の恋を比喩したものという。初回は姫・再作時(写真3)は花魁の姿で作った。

岩手町沼宮内大町組平成30年

 現在獅子の山車の主流となっている『鏡獅子』は実は戦後昭和40年代に新たに作られたもので、それ以前は『石橋』が盛岡山車における獅子ものの代表格であった。中国風の『石橋』が日本風の『鏡獅子』に急速に摩り替わったのは、従来の中国趣味への傾倒が何らかの時期・要因において脱却されたことによるものではと私は考えている。


(他地域の『石橋』)

 石橋という題自体は山形の新庄祭りなどに頻繁に登場するが、その構想は連獅子と同じ和装の獅子である(稀に黒い雌獅子が加わることがある)。歌舞伎山車を好む秋田の角館でも、現時点で私が目に出来た作例は無い。下の写真は青森ねぶたの見送りだが、歌舞伎でなく能の石橋を作っている。
 石橋を連獅子と明確に区別して飾るのは、盛岡山車独特の作法といえそうだ。


青森ねぶたの見送りで、能の『石橋』

文責:山屋 賢一/写真:山屋幸久(1枚目)・山屋賢一

(ホームページ公開写真)

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(音頭)

大江定基(おおえさだもと) 天台山(てんだいさん)に 拝む奇特(きとく)の 舞の曲
花の王なる 牡丹
(ぼたん)の園(その)に 遊ぶは猛(たけ)き 獅子の精
文殊菩薩
(もんじゅぼさつ)が 遣(つか)わす獅子の 牡丹にたわむる 舞姿
虹か弓かと 見る石橋
(しゃっきょう)に 草木靡(なび)かす 獅子の曲
牡丹かざした 歌舞伎の見得は 石橋千尋
(せんじん) 獅子の精
知恵の大士
(だいし)が 住家(すみか)の前に かかる自然(じねん)の 石の橋
(いわお)がこゆる 浮世(うきよ)の橋を 渡る舞楽や 獅子の曲
獅子に牡丹と 清涼山
(せいりょうざん)を 飾る八幡の 秋祭り
神武
(じんむ)このかた 変わらぬものは 大和心(やまとごころ)と 石の橋
時は変われど 変わらぬものは 幾千代
(いくちよ)のこる 石の橋
音に聞こえし 千里の瀧よ かざす石橋 獅子の精
獅子は王位の 御稜威
(みいづ)を示す 盛(さか)る牡丹は 富貴草(ふうきそう)
花の王なる 牡丹の色に 狂う姿の 勇ましさ





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