南部流風流山車行事データ

 


盛岡の山車

八幡下り(平成24年9月14日)

 毎年9月14日に盛岡八幡宮に奉納される趣向更新制の風流山車。山車行事の起源は藩政期にさかのぼるが、現在のスタイルが定着したのは市内に電線がめぐらされ高い山車が出せなくなった大正期と思われる(市内「もりおか歴史文化館」にて明治期と同じ高さ・飾り方の盛岡山車が復刻展示中)。北は一戸町、南は花巻市(旧石鳥谷町)に及ぶ中部内陸地域の山車行事の元祖である。

 14日の八幡下り等で見られる盛岡古式の山車行列は圧巻で、1台の山車につく人数としては東北地方最多例の一つ。高張り・金棒引き・手古舞・役員旦那衆・笛・引き綱と勢子・山車と強力・鉦…と皆同じ火消し半纏姿が揃い、格調ある見事なものである。すべての山車が連動して動くのは14日午後1時(八幡下り:八幡町)と15日午後6時(大絵巻パレード:大通り)で、この他に組ごとに経路を決めて祭典期間の朝から晩まで市内を練り歩く。

 盛岡山車伝承圏のうち、盛岡だけは年によって山車を出す団体が異なり、他の地域のように毎年山車を出す組は少ない。分団長の交代や番屋の立替・組の創立記念などお祝い事に結びつけての山車奉納や、3年1回・5年1回など出場周期を持つ山車組もある。
 【写真 平成24年の八幡下り、手前が厨川や組見返し「女暫」】

祭典奉納山車の歴代演題

 

 

 
八幡町い組『鏡獅子』:八幡下り出待ち

い組

 第4分団、盛岡八幡宮の門前町にあたる八幡町・山王町を拠点とする山車組。八幡宮例大祭には毎年山車を奉納する慣例があり、長らく盛岡山車の手本と云われ他の追随を許さぬ秀作を手がけてきた。14日の八幡下りでは、すべての山車の先頭を歩く慣例がある。

 小枝を複雑に組み合わせ天井に山盛りの松を繁茂させるのが、い組の山車の特徴である。近年は実の付いた藤の木も傍らに添えている。大粒の水玉をつけたしぶきは牡丹の花の間にも散らし、牡丹は見返しにかかる一・二列のところで紅白を変える飾り方が一時見られたが、現在境目は無く紅白分けはしていない。立ち岩は低く、上に紅白幕にくるんだ垂木で櫓を組んでいる。夜間は白色球照明で、松には紅白の豆電球を灯す。

 昭和50年代までは年毎に工夫を凝らしてさまざまな題を出していたが、以降は「雨の五郎/かむろ」「暫/鏡獅子」「碁盤忠信/吉野山の静」「鏡獅子/胡蝶の精」「夜討曽我/大磯の虎」の5演題を繰り返し製作するのみで新たな趣向が盛り込まれなくなった。平成27年に久々にローテーションを破って「紅葉狩/更科姫」を出したのは画期的な変兆である。平成10年代半ば以降は人形を松に及ぶような高さに設定することがなくなり、ずんぐりと小ぶりに仕上げるようになった。また牡丹がやや小ぶりになり、天候に関わらずビニールシートで覆ったまま飾られるようにもなった。(〜平成26年)

 絵紙は昭和63年以降色刷りに変わり、いずれも名人といわれた富沢茂画伯の絵を使っている。
 【写真 昭和63年「鏡獅子」、八幡下り待機時】

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雨の五郎  かむろ    碁盤忠信  胡蝶の精  夜討ち曽我  紅葉狩

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は組

 第1分団仙北町からの奉納組。青物町出身の七ツ滝という相撲取りが江戸土産に持ち帰った芥子枡纏(けしますまとい)が火消し組発祥の起源。もともと組み人形の題を多く採る組であったが、昭和の終わり頃から騎馬武者ものを得意とするようになり、平成7年以降は近世の当地支配大名「南部氏」に関わる題材を多く選んだ。見返し頭は能面の小表そっくりのものもあり、女形よりも男の見返しが多いようである。

 現在岩手町の山車に見られる三段松の飾り方はもともと仙北町が伝えたもので、一本物の松の枝を片側だけ全部落としてそのまま山車に据えるという。豪快で野衆味あふれる立体的な山車の作りは、盛岡市内では希少なものとなった。桜は基本飾りは縁を染めたものを使うが、見返しの天井を大きく覆う桜として、芯を染めたものを併用することがある。背景に、題材とは無関係に滝を飾ることがある。

 囃子のリズムが穏やかで、上げ太鼓・止め太鼓などは他の山車組と若干異なる。最近は平成28年に「一ノ谷鵯越の逆落し」と題し、馬上の義経と馬を背負った畠山を並べて飾った山車を出した。

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北天の魁安倍貞任  平敦盛青葉の笛


 

中野と組『木下藤吉郎初陣』:雨天時の運行

 と組

 第13分団。宮古街道の入り口である中野・上小路からおよそ3年に1回出る山車で、「上小路組」「東組」の名で出した時期がある。武者ものを得意とし、定番ではない珍しい演題を好む。具体的には、「藤吉郎初陣」や「源頼朝」を新作し、すでに定型のあった「村上義光」「新田義貞」も新解釈で作った。見返しは「りんご娘」が定番で、その都度新たな人形で作る。招き猫など張子作りの縁起物を飾った年もある。

 ふちを染めた片側桜など盛岡山車の簡素な飾りぶりをよく伝え、夜間は松に色とりどりの豆電球を灯す。半纏は、遅くとも昭和の末以降は紫色に統一している。最近は平成27年に、盛岡山車初登場となる「後藤又兵衛」馬上の勇姿を採題。
 【写真 平成3年「藤吉郎初陣」、雨除けをかけた姿】

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佐々木高綱  村上義光  真田幸村


 

 わ組

 第11分団、上厨川前潟町からの奉納組で、伝統的な八幡宮祭典エリアの外からの山車組としては最も早期に動いた例の一つ。掛け簾が八幡界隈から離れているため、14日以降市内に出る日は朝の5時から山車を動かす。

 昭和の末までは他の組とまったく似ない独自の笛を伝承していて、旋律は大迫の山車囃子に近かった(現在は盛岡市内の他の組と同じ一般的な旋律を使っている)。山車運営の全般にわたって城西組とかかわりが深く、特に製作に当たって多分にその助力を受けているため、演題や飾り方は城西組とほぼ同じである。

 最近は平成25年に「鵯越 畠山重忠」を製作、武蔵御岳神社所蔵の赤糸縅鎧を見事に再現した。

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清水一角  新田義貞


 

 

新田町か組『車引き』:紺屋町門付け
か組

 盛岡駅前を管轄に含む第9分団新田町(夕顔瀬町)からの奉納組。古くから歌舞伎ものをよく採り、「石橋」「連獅子」「三条小鍛冶」「鏡獅子(胡蝶を伴う2体もの)」など獅子の演題を得意としている。前九年合戦の英雄「安倍貞任」にこだわって演題選定をした時期もあった。見返しは「胡蝶」「娘道成寺」など舞踊ものが多く、人形を見やすいよう台に上げ、背景を精緻に描くのが恒例である。

 桜は芯を染めたものと花びらを染めたものを併用し、立ち岩の両側に飾る。牡丹は立ち岩を境に前後で紅白を分ける。酒樽は長らく飾らなかったが、平成27年には見返しに積んだ。松と桜に豆電球を点すほか、桜の下の見えにくい位置を選んで裸電球をつるす。照明に有色蛍光灯を使うのは盛岡市内では珍しい。人形、装飾ともに業者発注を一切行わずに自前で作るといい、近年は絵紙も自前で描くようになった。実物を見て驚くような、効果を吟味した趣向が多く工夫されている。

 最近は平成27年に、当年の市川海老蔵新作歌舞伎「石川五右衛門」を採題。
 【写真 平成14年「車引き」、紺屋町門付け時】

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石橋  安倍貞任  前九年の合戦


 

 よ組

 第5分団紺屋町を本拠とする藩政期以来の火消し組。「矢の根」「鏡獅子」など現在定番化された歌舞伎一体演題を創始したほか、田の字纏をかざす「日本銀次」も名物演題である。人形はどちらかというとずんぐりとした体躯で重量感のある仕立て方・見返しは「手古舞」が多い。

 飾り方は盛岡古来の簡潔な形を守り、牡丹は表裏の境で色分けする(〜平成19年)。音頭の合いの手にも独特の趣向がある。よ組とは別に、「紺屋町丁印」として小さな人形を乗せた屋根付きの山車を運行した年もあった。最近は平成25年に通算4度目の「矢の根」を奉納。

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勧進帳


 

た組

 浅岸の消防団が平成12年に第5分団よ組の助力を受けて「暫」を初奉納した。

 




 な組

本宮な組『ぶんぶく茶釜』:昔話の張子見返し

 第12分団。昭和59年に本宮から初めて山車を奉納した。

 初出場以来長らく岩手町の新町組(沼宮内)・の組(沼宮内)・下町山道組(川口)などの助力で山車を作り、現地で使われた人形を再構成した山車もあった。見返しには当地の郷土芸能「大宮神楽」を様々な趣向で採るのが定例化した。騎馬武者の演題を好み、は組と同様奔放な飾り方が魅力である。

 最近は平成25年に「那須与一」を奉納したが、これは市内仙北町の作風である。
 【写真 平成元年の見返し、昔話の「ぶんぶく茶釜」】

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畠山重忠  佐々木高綱  加藤清正  義経一の谷


 

の組、3度目の『四つ車大八』
の組

 平成6年からほぼ毎年山車奉納を行っている同好会で、本拠は中ノ橋通(一時加賀野)。初期は業者発注の古式ゆかしい作風だったが、平成9年ごろから自主製作となり、独自の色が出始めた。大量の牡丹・朱塗りの大八車・2種類の藤・2通りの染め方をした桜を同じ軸に交互に飾る・松に紅葉を絡める・酒樽に笹の葉を付ける…等独特な飾り方が数々編み出され、照明は昼夜を問わず全て点けて運行するのが慣例化した。

 表の人形を「四つ車大八」「暫」「碁盤忠信」「狐忠信」「雨の五郎」・見返しは「わんこ娘」「藤娘」に限った時期が長かったが、平成25年に新田町か組の作風を容れて以降は表裏とも演題幅を広げ、飾り方も片側桜の簡素な姿に戻った。絵紙は初奉納以来、組自前の絵で出している。
 【写真 平成17年、腕に隈取りの入った「四つ車大八」(3度目の採題)】

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四つ車大八  紀ノ国屋文左衛門  鏡獅子

 

太田お組『鎌津田甚六』:地元史の演題

 お組

 太田同好会として昭和53年に山車を奉納したのが始まりで、9月の祭典に先行して「四ツ車大八」の山車で新太田橋の渡り初めをした。お組の呼称は平成3年から使っている。

 は組・か組とかかわりが深く、山車作りは第9分団か組に師事し、現在も照明法はか組に近い。「3回目の奉納までに完全自作」という当初の目標から平成13年に完全自前の「坂上田村麻呂」を製作、これは非常に稚拙な出来映えで、以降数年は伝統的な盛岡山車人形とは違う手作りの素朴な人形の山車となった。地元の歴史に基づいた演題選びが多く、見返しは「大黒様」に固定されつつある。

 絵紙には人形を小さめに、その分背景を雄大に描き、演題立て札の側面にはその年の役員名などを記すのが恒例である。音頭上げは民謡調、半纏の色は初奉納以来茄子紺を使っている。

 最近は平成27年に「義経千本桜」の狐忠信を奉納、河北作風の美しい仕上がりであった。
 【写真 地元鹿妻穴堰を拓いた偉人「鎌津田甚六」の山車(平成8年、か組作風)】

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石橋  大黒天  熊谷陣屋


 

 や組

 第15分団厨川・上堂・みたけ地区からの山車で、昭和53年初奉納。第8分団三番組に師事・助力を得、味のある独特の風貌の人形を飾り、豊かで明るい色彩の山車を出す。見返しは松に及ぶような大人形に仕立てることが多く、見栄えがする。師匠の三番組が見返しに樽を上げないので、や組でも上げたことはほとんど無い。中日の夜間パレードは決まって先頭を行くが、その後本拠の青山駅付近に戻るのに3時間ほど要す(21時頃帰着)。このような立地の都合で、中日以外は早々市街中心部を離れることが多い。

 原則的に歌舞伎ものを採題し、最近は平成28年に「鏡獅子」を奉納した。

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連獅子  寿曽我対面  道成寺  和藤内


 

 さ組

さ組初作の『釣鐘景清』同好会らしい飾りを隠さない雨よけ

 盛山会。平成元年から毎年山車を奉納している同好会。演題はい組系統の一体歌舞伎とそれを拡張した趣向で、「碁盤忠信」「暫」「釣鐘景清」「矢の根」が3度以上作られている。歌舞伎演題に非常に強い思い入れがあり、余ってしばしば独自の解釈を交えることもある。

定形外の朝比奈と組ませた『寿曽我対面』:夜の八幡参り

 参加後5作程度は他の組と大差無い作法であったが、平成9年から盆を高い位置にして人形を上に配す独特の飾り方を定着させた。現在はこの時の盆の高さを保ったまま松の下に飾りを収めているため、人形はやや小ぶりである。特に2体の演し物では、極端に小さい仕上がりになりがちである。

 下げ波や桜・牡丹の演出、大八車のブレーキとなる「ズリ」の意匠など飾り方にも独自の美意識が入り、音頭も独特の作法・演出で上げている。絵紙は草創期以来すべて自前で描き、外注したことは一度も無い(再利用は一例)。北は滝沢・南は黒川まで山車を持ち込んだ年もあり、ファンの獲得に努めている。
 【写真 平成3年「釣鐘の景清」、飾りを隠さない雨よけ/平成27年「寿曽我対面」、夜の八幡参りにて】

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釣鐘景清A  助六  揚巻@  参会名護屋  碁盤忠信B  暫B  寿曽我対面@


 

鉈屋町め組『義経弓流し』:大通り入り

 め組

 第2分団鉈屋町。歌舞伎ものや裸人形を採った時期もあるようだが、いまは武者人形の山車が多い。細目で上に筋の入っため組の武者人形は、その表情に独特の哀感がある。「義経八艘飛び」「義経弓流し」「川中島」が定番演題で、他に「羅生門」用の見事な鬼の頭があり市外にもたびたび登場した。花は自作で、桜は芯染めで花びらのぎりぎりまで染め、枝の短冊は無い。他にも柔らかい軸の軒花・葡萄の蔓を絡ませた松などめ組独特の飾り作法があり、台車には心棒が無い。見返しは女ものが少なく、「牛若丸」や「石割桜」が定番である。

 一戸町・石鳥谷町・岩手町には、かつてめ組に山車づくりを教わった組がある。最近は平成27年に「義経八艘飛び」を奉納・町内に常設の山車小屋を建て年中展示している。
 【写真 平成2年「義経弓流し」、大通り運行】

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義経八艘飛び  羅生門  義経弓流し  牛若丸


 

愛宕町み組『若菜姫』の女大人形

 み組

 第10分団、もとは関口新盛組といい、戦後間もないころは毎年のように山車を出した。現在は化け物の山車を得意にしていた煙山という職人の遺作を元に演題を選定、特に「児雷也」については盛岡山車におけるひとつの定型を作っている。女の大人形を使う「若菜姫」、大猫の作り物を伴う「犬村大角」を近年復活、「和藤内」の紅流しも定番演題である。

 一時「火中某」という典籍の立て札を山車に立てていた(昭和40年代)。演題札を手書き墨書とする、今となっては希少な組でもある。最近は平成26年に「俵藤太百足退治」を奉納。
 【写真 平成6年「若菜姫」、珍しい女の大人形の頭】

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児雷也  俵藤太


 

馬町一番組『宇治川の先陣争い』:八幡町門付け

一番組

 第3分団、肴町の旧馬町が本拠。藩政期の御用火消し組で山車奉納の歴史も古く、番屋付近には明治以来山車人形の製作・調整を手がける仏具屋、桜や牡丹を作る造花屋など山車作りに関わりの深い商店が並ぶ。現在盛岡市近郊の町村に見られる山車組は、一番組の影響下で成立したものが多い。

 「四条畷」「碇知盛」「朝比奈三郎」など武者1体の山車が多く、特注の頭を使う「釣鐘弁慶」や「巴御前」も製作のたびに話題を呼ぶ。「元寇」「新田義貞」「松前鉄之助」などで、人形のせり上げを導入したこともある。近年は馬町にちなんでか、騎馬武者の演題に積極的に取り組むようになった。

 見返しは昔話の「花咲爺」で固定、最近は平成28年に「朝比奈三郎」を奉納した。 【写真 平成25年、騎馬武者を2つ並べた「宇治川の先陣争い」】

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巴御前  熊谷次郎直実


 

油町二番組『幡隋院長兵衛』:大通りパレード出待ち

 二番組

 第6分団、本町通の旧油町が本拠。一番組と同じく御用火消しで、油町の丁印が恵比寿様だったので、もともとは一字をもらって「ゑ組」と名乗っていた。人形を複数用いる華やかな武者ものを得意とし、「川中島」「森蘭丸」が定番の演題である。裸人形の「早川鮎之介」「幡隋院長兵衛」、福神ものの「大黒さん」などは、現在の盛岡では二番組だけが作る演題である。見返しは火消し人形を飾った「南部火消し」「南部梯子乗り」が定番だったが、近年は優美な歌舞伎女形も飾るようになった。

油町二番組見返し『俄獅子』:清水町門付け

 平成12年から従来のふちを染めた桜を芯染めに改め、山車全体を淡い色彩にした。松が山車の上部を程よく覆い全体にバランスのよい飾り方である。最近は平成27年に、片手六方の「児雷也」を約40年ぶりに再作。
 【写真 平成4年「幡隋院長兵衛」、大通りパレード待機時/平成27年見返し「俄獅子」、清水町門付け時】

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仁田四郎忠常  森蘭丸  早川鮎之介


 

 三番組

 第8分団長町(長田町)が本拠。南部藩蝦夷警備に伴い新設された盛岡町方火消しの元祖で、平成11年に発足200周年の記念山車を出した。現在も、寝床の付いた旧式の大八車・大太鼓は一つしか乗せず男だけで叩くなど、古い作法を大事に守っている。

 山車人形は頭手足から衣装にいたるまですべて自前で仕立て、近年盛岡市内で主流となった新素材(FRP)による人形制作を先駆けて実践、技術水準を高めた。や組・城西組の他、近年は盛岡観光協会の山車製作にも大いに助力している。

 演題は歌舞伎2体ものが多い。桜は芯を染めたものを両脇に横に開くように付け、牡丹は立ち岩のかなり上まで飾る。無地の浅葱色を、主に歌舞伎演題の背景に採ることが多い。市内ほとんどの組が見返しに上げる酒の菰樽を、この組だけは頑として上げず現在に至っている。音頭の歌い出しが独特で、獅子音頭と呼ばれている。

 最近は平成25年に、独自の解釈を交えた「加藤清正」を奉納。

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里見八犬伝  瀧夜叉  根元草摺引  児雷也  矢の根  加藤清正


 

本組七友会『和藤内』 まさに正統歌舞伎

本組

 第7分団。もともと本町からの奉納組だったが、岩手公園下を経て現在は大沢川原を本拠としている。盛岡の老舗百貨店である川徳デパートも本組の管轄域にあり、絵紙の帯によく広告が出る。

 富沢茂氏の山車絵を早くから絵紙に使い、歌舞伎2体ものをよく出した。中でも「和藤内の虎退治」「車引き」「鬼童丸(市原野)」は評判が高い。ふち染め桜の片側飾りなど盛岡山車の基本的な作法を伝える団体のひとつで、大太鼓は向かい合った二人で上げ手を揃える「鏡打ち」をし、回し打ちなど厳格かつ美しい古態を残す。最近は平成26年に、伝説の演題ともいわれる「鬼童丸」を奉納。
 【写真 昭和62年本組七友会「和藤内(虎退治)」、八幡下り待機時】

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車引き


 

青山組

 第17分団青山町の山車。初期は河南作風の駒木人形を使ったが、平成に入って河北作風に変わり、現在は第9分団か組に師事して製作・運行等大部分をか組と共同で行っている。そのため飾り方や作風はか組とほぼ同じである。市内中心部では、主に中日の15日にじっくり門付け・音頭上げをする。

 近年はか組が歌舞伎もの・青山組はか組が出さない武者の演題を主力に採り上げる傾向にある。最近は平成26年に歌舞伎2体の「奥州安達原」を奉納。

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後三年の役


 

中屋敷町城西組『矢の根』:大通り門付け

城西組

 昭和50年代の末に山車の奉納台数減少を憂慮して創設された、河北5地区からなる同好団体である(同名の奉納組が昭和40年代にも見られるが、全く別の組織)。はじめはわ組に師事、昭和60年代の映像には風変わりな笛を聞かせる姿が見える。現在はわ組に助力して山車を製作し、盛岡市内の山車組の中心的存在のひとつとなっている。

紫波町日詰橋本組貸し出し時(平成12年)

 平成3年までは職人による山車であり、木彫りの頭・片側桜で武者ものを中心に出していた。平成4年頃から組員の自作に至り、目立って不出来な顔の頭が今でも混じる。歌舞伎の「安倍貞任」や「不動明王」「矢の根五郎花道下がり」など独自の視点で演題開拓に努め、「景清」と「和藤内」・見返しの「道成寺」は何度も手がけた得意演題である。自作化以降両側に桜を下げる飾り方をしていたが、平成15年以降片側飾りに戻し、濃い青や緑を際立たせた独特の色彩に仕上げている。牡丹は葉を強調し、飾る際は表裏で境を作って花と花の間に波しぶきを入れる。大八車の横に下がる滝波の淵を豆電球で電飾する一方で、近年は松や桜に電飾を入れなくなった。

 八幡宮祭典に使った山車人形は紫波町の日詰(平成21年まで)、北上市黒沢尻(平成24年まで)、旧東和町土沢などに貸し出され、再利用されている。
 【写真 平成17年、初採題の馬に乗った「矢の根五郎」、大通り門付け/紫波町日詰橋本組平成12年「釣鐘の景清」、前年趣向の貸し出し】

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安倍貞任  紀ノ国屋文左衛門


 

南大通二丁目町内会

 昭和60年初奉納、盛岡市に現存する唯一の町内会山車組。平成3年の「矢の根」以外は一度盛岡のほかの組が使った人形を再利用したもので、初作は盛岡観光協会・第3作と第4作は城西組の旧人形を使った。音頭は仙北町は組と同じ流れである。最近は平成24年に「四条畷」を奉納したが、これは「矢の根」以来の新作人形となった。

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矢の根


 

盛岡観光協会『暫』:紺屋町門付け

盛岡観光協会

 平成15年に盛岡観光コンベンション協会と改称。八幡宮境内に山車記念館が作られた昭和53年以来毎年山車を製作・運行しており、祭典終了後1年間は記念館に当年の作品を保管・展示する。山車小屋は平成23年から、もりおか歴史文化館前に置かれるようになった。曳き子の多くは公募で集められ、他の組よりだいぶ安い金額で参加できるようである。
 平成8年までは二番組など河南型の作風であったが、近年は城西・三番組など河北作風による歌舞伎演題が主流となった。定番よりも出づらい演題・珍しい演し物を積極的に採る傾向がある。

北上市黒沢尻十二区『雨の五郎』:観光協会見返しの先行披露

 祭典終了後は葛巻町北上市、旧西根町に人形を貸し出すほか、県外のイベントにもたびたび派遣されている。ポスターやリーフレットなど各種PR写真も、ほぼこの組の山車のみが使われている。
 【写真 平成26年、2度目の採題となる「森蘭丸」/北上市黒沢尻十二区平成27年「雨の五郎」、当年見返し趣向の先行披露】

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四条畷  碁盤忠信  仁木弾正  相馬大作
助六  紅葉狩  八岐大蛇  義経八艘飛び


 

 

※山車組整理※

 

消防山車組

1分団:は組(仙北町

2分団:め組(鉈屋町)

3分団:一番組(肴町:旧馬町)

4分団:い組(八幡町

5分団:よ組(紺屋町)

6分団:二番組(本町:旧油町)/小屋は内丸病院向かい

7分団:本組(大沢川原)

8分団:三番組(長田町)

9分団:か組(新田町

10分団:み組(愛宕町)

11分団:わ組(前潟町)

12分団:な組(本宮)

13分団:と組(中野)

14分団:た組(浅岸)

15分団:や組(厨川)

17分団:青山組(青山町

19分団:お組(太田)/小屋は太田東小学校付近(上太田)

南部火消し伝統保存会

 

消防団以外

城西組・盛岡観光協会・南大通り丁目・さ組・の組

 

企業山車(昭和50年以降)

建設業組合・橘産業・造園組合・酒組合・左官業組合・テレビ岩手・樋下建設・東日本ハウス  【写真:東日本ハウス山車「風雲児 坂本龍馬」(よ組作風/平成元年)】

『坂本竜馬』盛岡市制100周年記念に出た企業山車


※戦前以来の火消し山車組み10団体は、南端の仙北町を一分団とし、北に行くほど数が多くなって北端の愛宕町が十分団となる。祭礼への参加は消防団の本務とは切り離されるため、山車の出場に際しては分団名でなく旧来の組名称を使う慣例がある。 

 

 

《詳細日程》

(山車の構想は早い例では祭典一年前に決定し、春先から準備が進められる)


9/12


 ◎盛岡八幡宮にて山車奉納神事(音頭奉納祭)

 午前中に社殿内で各組1本ずつ音頭上げ+山車推進会:以前は当年使う歌詞を全て上げていたという(奉納していない歌詞は上げられなかった)




13日午前、太田お組「義経千本桜」の出庫:太田東小学校付近
9/13 【写真 13日午前9時、太田お組地元お披露目出発(平成27年)】


 ◎岩手日報朝刊にて山車紙上パレード

(その年登場する山車の絵紙が新聞広告として掲載される。前倒しする年もある。)


 ◎山車、町内試運転

(の組は早朝8時からの運行、さ組は夜6時より2時間程度神子田地区を運行、…この他各組で独自の予行運行日程があり、例年い組・三番組・本組・盛岡観光協会は予行運行を行わない)


 pm 6:00 夜神楽 宮崎神楽講中 盛岡八幡宮神楽殿or特設舞台




9月14日午前11時ころの盛岡八幡宮前
9/14 【写真 八幡下り出発時、先頭が本組「吉例寿曽我」(昭和59年)】

 am 9:00 各山車出発

(太鼓を鳴らして動くのはこの時刻から)

 am10:30 盛岡バスセンター周辺から八幡宮にむけて続々山車集結

 am11:00 全山車、八幡宮前参集


 pm 1:00 八幡下り 八幡町
(全山車の昼の合同運行。さんさ子供太鼓、宮崎神楽、山岸獅子踊りなどが随行)


 pm 6:00 夜の八幡参り
(い組・さ組・の組の3つの山車と八わ多連の屋台などが八幡町巡行後、八幡宮境内に結集、境内に山車を並べて「太鼓競演」)


 pm 6:00 材木町パレード(ない年もある)
(城西組と三番組がともに山車を出している年は、例年14日の夜に材木町界隈に山車を留め置き、夜間運行が行われる)


 pm 7:00 宮崎神楽 盛岡八幡宮神楽殿or特設舞台 演目:『鞍馬山』ほか



9月15日午後4時過ぎの中津川原

9/15 【写真 大絵巻パレード参集時、中津川原に並ぶ山車(平成19年)】

 pm 2:30 奉納三社囃子(八わ多連) 盛岡八幡宮境内特設舞台


 pm 2:00 各山車、岩手公園へむけて大通り商店街周辺運行
(大通り商店街は11:00〜20:00歩行者天国で、昼過ぎから各組が順番に運行・音頭をたくさん上げる→近年は行政の規制がかかり、昼の大通り自由運行ができなくなった

 pm 4:00 全山車岩手公園内待機


 pm 6:00 盛岡秋祭り大絵巻パレード 大通り商店街 


 pm 7:00 宮崎神楽 盛岡八幡宮神楽殿or特設舞台 演目:『山田の大蛇』ほか



山車の小屋入り(油町二番組)

9/16 【写真 二番組の小屋納め(平成18年)】

 am10:30 宮崎神楽 盛岡八幡宮神楽殿or特設舞台(途中流鏑馬で中断) 演目:『船弁慶』ほか


 pm 8:30 い組山車納め ※過半の山車は夕方には小屋納めを済ませる



※山車は基本的に14日から16日まで運行。時間は午前9時から午後8時ころまで。

 

 

 

 

 

 

(備考)盛岡城下の七夕行事「万灯(まんとう)

馬町馬頭観音万灯『佐々木高綱』

 昭和30年代頃までは旧市内で盛んに見られたという、盛岡の七夕行事。四角形を何段も積み重ねたピラミッド状の行灯を高竿の上にかざし、繁華を子供達が門付けした。現在は、町内会規模で行われる夏祭りの一部に、小型の万灯を装飾として辻辻に点す例が見られる(松尾町の十六羅漢、四谷の地蔵尊夏祭りなど)。

 馬町馬頭観音の夏祭りで引かれる万灯は盛岡最大のものといわれ、大型なので山車のような大八車に乗せ、引き子は普段着のまま綱に付き、前後に囃し方を乗せて引き回す。絵柄は正面に騎馬武者、裏面は馬の墨絵で、装飾に杜若と牡丹の造花を使う。行列は夕方にホットライン肴町をにぎやかに経由し、馬町周辺を巡行する。
 同様の山車は南大通寺町でも出るが、こちらは万灯とは呼ばず「大行灯」と呼んでいる。外形は青森県津軽地方の扇ねぶたに近く、現在使われている絵柄は津軽のねぷた絵師によるものである。こちらも秋祭りの山車と同じような囃子をはやして運行する。町内を回って長松院に行灯が戻ってくるころ、ちょうど灯りが行灯を綺麗に映し出して優美である。
 神子田町の「万灯まつり」は、7月中旬の土曜日に行われ、夕方6時に地区内さくら公園を出発する。ピラミッド型の大万灯と角型の大万灯2基が運行し、間に提灯や手で掲げるサイズの武者絵の万灯が数多く連なる。大きな万灯にも綱は付かない。子供たちが太鼓をさんさ踊りのように体にくくりつけて、「よーいよーいよーいとせ、七夕まーつり祭りよ」とはやし言葉をかけながら巡行する。上記2例とは異なり、山車のお囃子とはまったく違う。子ども会のささやかな行事だが、地域にも歓迎され、やる側も一生懸命やっているようであった。

 万灯の絵柄は数年間引き継がれる例が多いようで、馬町では『佐々木高綱』、南大通では『桃太郎』、神子田町では『上杉謙信』が使われている。秋祭りの人形山車のように、表裏で抑揚が付く例は少ない。
 【写真 馬町馬頭観音万灯「佐々木高綱」/南大通子安地蔵大行灯「桃太郎」】



主な万灯行事の日程

   ●馬町馬頭観音 7月18日夕刻(毎年)

   ●寺の下長松院子安地蔵尊大行灯(南大通) 7月22日夕刻(毎年)

   ●神子田町万灯 7月18日夕刻(平成21年)



寺町子安地蔵尊大行灯『桃太郎』

 

 



 


☆南部流風流山車全事例整理☆

文責・写真:山屋 賢一

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