二戸まつりと二戸市の山車行事

 

 

 

『信長木津川沖海戦』(福岡:川又)

 岩手県二戸市では8月下旬から9月下旬にかけて、実に一週間毎に山車祭りが行われている。このうち市内中心部「福岡町」の三社大祭が「二戸まつり」の名で知られ、9月の第一週末に3日間開催される。呑香(とんこう)稲荷神社・愛宕神社・秋葉神社の三社の祭礼を一気に行う形式は、三戸・八戸など青森県南の例に並ぶ。出場する山車は毎年9台で岩手県北部では最も多いから、台数で考えればこの二戸まつりこそ「岩手県北最大の山車まつり」といえる。

 初日は稲荷神社のお通り、中日は愛宕神社、最終日は秋葉神社のお通りがある。この神輿行列に随行しての山車運行が「本番」と呼ばれ、2時間程度の本番に前後を含めた午後いっぱいが二戸の山車の運行時間である。個別に動いたり夜間に動くようなことは現在は無く、お通り以外での運行(集合場所への移動、解散場所からの移動)はものすごく窮屈に行われている。本番パレードでも早太鼓がメインで披露されるなど、山車の足は早い。行列の先立ちは市内日吉神社の坂本七つ物が務め、古風・素朴ながら道具を回したり杵を放ったりと変化に富む。

『木村重成』(福岡:田町)

県北最高台数とは言ったものの、出場する山車の大半は業者発注ないし借り上げによって構成されている。福岡下町に端を発する「平三山車(平下信一氏製作の風流山車)」は二戸・九戸地方の各地に見られるが、福岡の秋祭りには最多の4台が出場している。発注先は田町・秋葉(下中町)・愛宕・市役所、これに初見時から長らく長嶺連中が加わっていて、平三山車の分布は福岡北部に綺麗に並んでいた。山車奉納地域中最南に位置する八幡下の「は組」は隣町の一戸から山車飾り一式を借り上げ、両者の中間に位置する五日町・在府小路八幡・川又が地元町内手作りの山車を出す。

 初日の稲荷神社のお通りでは、長嶺の手作り山車・後に平三人形が4台・続いて盛岡流の五日町、川又、在八、八幡下が続く。北から南の隊列である。2日目、3日目は逆順で、最北の長嶺が最後尾となる。早足ではあるが、9台の山車の競演は各系統の味わいをそれぞれ見比べながら楽しめ、とりわけ平三人形というものを最も系統的に理解できる。残念ながら山車を止めて音頭上げができないので、運行開始時に上げるところもあるにはあるが、ほとんどの山車組で運行中にお囃子と並行する形で上げている。夜間は山車運行はほとんど無く、流し踊りを主とした市民パレードが花を添えている。

 

 
『森蘭丸』(福岡:下仲町秋葉)提供写真

 二戸まつりで見られる郷土芸能の中では、初日に行われるなにゃどやら(南部領北部の代表的盆踊り)の流し踊りが圧巻である。毎年二戸市内の団体はもとより、九戸郡・二戸郡・青森県三八地方からも珠玉の顔ぶれが浴衣姿に太鼓をそろえる。太鼓を勇ましく片面打ちする二戸のなにゃどやらは、初心者でも気に入るような派手さがある。坂本七つ踊りはお通りのお供、合間あいまに市街の門打ちもする。
 私自身は確認していないが、
95日には「神代神楽」が稲荷神社に奉納されるらしい。この神楽は戦前に国指定文化財の候補に挙がったほど格式の高いもので、岩手県内の主流を占める山伏神楽とはまったく趣を異にする珍しいものである。
【写真 前夜祭にて電飾された山車(川又連合『風流 織田信長‐木津川沖の海戦‐』)/太鼓前後配置の平三山車『風流 木村重成』(田町町内会)/秋葉山車『風流 森蘭丸』雨除けポール装着時(提供品)】


(備考)私が二戸の山車を初めて見に行ったのは平成11年で、初日の各組が八幡下に集まる場面から見物した。山車の出来は五日町が圧倒的に良いように感じたが、なじみ深い盛岡山車作風であったこともあろう。鎮西八郎為朝やら北条時宗やら、馬に乗った武者が表でなく見返しに飾られていることに驚き、「当地は盛岡周辺よりきちんと見返しを作るのだな」と当時は思った。
 平三山車の「目を剥き、歯を剥き」という印象は、このときに見た市役所の山車『楠正行』によるところが大きい。兜をやや下に構え刀を振り抜いた格好・舞台から派手に飛び出ている組み付けに唸った。脇に二人も武者がいるのを見て「こういう表現もあるのだな」と思い、それが多くの系統の同じ題を見比べる現在の私の山車見物・整理のルーツともなった。当時は今以上に松の上に紅葉やら桜が出ていて、その印象がいまだに私にとっての二戸山車のイメージである。写真が非常に撮りづらく、盛岡山車と同じ手法ではほとんどいい画が得られなかった。
 若干電飾が灯った松上げの重太郎の山車が戻ってきた画を覚えている。夜まで見て、なにゃとやらの流し踊りを一戸の鹿踊りとか沼宮内の駒踊りと同じ「激しい郷土芸能」として自分の中に位置づけた。今は、当時と全く違う部分に魅了されている。


 福岡三社大祭のほかにも、二戸市内各地域の祭りで山車が出ている。二戸という町がいかに山車というものを愛しているか、山車を通して地域がいかに連携しているか、二戸を訪れて感動させられることは多い。



『見返し 国定忠治』(福岡:長嶺)
二戸まつりの山車組

[
長嶺町内会祭典実行委員会]二戸まつり復活当初は一戸から飾り一式を借り(本組のち野田組)、太鼓も一戸以南と同じように前後に分断していた。以降平成26年までは平三山車を上げ、その年に考案される趣向の中で最も話題性の高いものを選ぶ傾向があった。高さと躍動感を活かした飾り方で、趣向を表裏一体とする年が他より多かった。山車の夜間運行があった時代は、長嶺の電飾が格段に素晴らしかったともいう。
 平成27年に青森八戸の十六日町からの人形数体で『かぐや姫』を出し、翌年は自前の人形を混ぜて『本能寺の変』を作り、以降は左右と上に展開する八戸型短縮の自前山車を製作・運行している。借り先変更に伴い飾り物(松・桜・牡丹・岩・波など)が大幅に減り、山車の様相は大きく変化した。
【写真 長嶺山車(平三担当時)の見返し『国定忠治』前夜祭にて】

 

『見返し 丸橋忠弥』(福岡:田町)
[田町町内会]二戸まつり出場組では唯一、単独町内で山車を出している。一貫して平三山車を上げ、開閉式の軒花(馬簾)や白牡丹・黄牡丹を足し、松は明るい緑に着色・台車には手製の宮車を備え、大太鼓を後ろに配す形を続けている。
 「180戸の意地」で「10年の苦節」を乗り越え、昭和58年にギャロ町(「田」町だから、ゲロゲロ鳴くカエルの町)の象徴『自雷也』を出して以来、毎年地域一丸となって山車行事に励んでいる。
【写真 田町山車の見返し『丸橋忠弥』お通りにて】



[中町秋葉町内会]平三山車のもともとの本拠である。人形数を2体前後に絞った落ち着いた構想が多く、起き上がりなどの仕掛けをあまり好まない。人形をしっかり見せる盛岡的な美意識があり、中央に大太鼓を配してダイナミックに叩く「太鼓山車」の風貌も兼ね、良くも悪くも福岡町的な風流山車の典型を見ることが出来る。

 

『見返し 桃太郎』(福岡:愛宕)お通り時
[
愛宕山車]現在は平三山車組だが、二戸まつり復活当初は『村上義光錦旗を奪還す』等一戸借り上げの盛岡山車を出している。躍動的な茶馬に乗せた槍遣いの武者ものをよく出し、特に『山中鹿之介』は再三にわたって登場、壮大な構図とダイナミックな様式美を見せている。
 近年は『楠正成』『畠山重忠』など新趣向を所望して、平三山車の表現幅を広げている。雪洞や提灯・背景の蔵などに地元の酒蔵「南部美人」のロゴが入ることも多い。大太鼓をバットのような撥一本を両手で構えて叩く「一本打ち」が平成10年代にしばらく見られ、花形ともされた。
【写真 愛宕山車の見返し『桃太郎‐ヤラレ猿付‐』お通りにて】


 

二戸市役所お祭り同好会『風流 源義家』全景

[二戸市役所お祭り同好会]平三山車。自治体が山車を出すケースは、本県内では盛岡・花巻と当組の3例で、市内全域から引き子を募って山車文化の振興に努めている。演題は年によって様々だが、規模・人形数について平三山車全体の平均よりやや上にあたるような趣向が多い。発注先で準備する松や桜の枝についても、特に良いものがたくさんこの組に集まるという。
 コロナ禍以降は休止。
【写真 二戸市役所お祭り同好会『風流 八幡太郎義家』山車全景】




[五日町若者連]玉眼入りの大人形を使い、人形が低い位置に付きがち・飾り方もやや派手だが、和紙製の玉桜が使われ布牡丹も紅白揃えた准盛岡型の山車である。桜に吊るす金銀の短冊は、矢羽根(あるいは花芽)の形をしている。
 地元九戸城の英雄九戸政實の勇姿については、馬上・船上・龍や天馬にも乗せたりしながら連作している。鐘の上の人形が上下するからくり式の『京鹿子娘道成寺』を始め『連獅子(髪洗い)』『車引』『和藤内』など歌舞伎の趣向を手がける、岩手県北では希少な存在でもある。見返しには表に飾っても通用するような題を大振りの人形で作ることが多く、近年は人形の顔を歌舞伎でも武者でも白塗りにする。
 神輿のお供・休憩を終え自町内に帰る場面が一つの見どころで、町内に入った段階で進行太鼓を止め、拍子を2種類打って山車を動かしながら音頭を上げ、その後早太鼓で盛り上がりながら格納庫に向かう。前夜祭では緑・紫など色とりどりのネオンで山車を彩る。
 JR東北新幹線二戸駅コンコースには五日町の山車人形を使ったお祭り展示が時々趣向を変えつつ常設されており、乗降客を楽しませている。
【写真 五日町山車の見返し『助六』】

『見返し 助六』(福岡:五日町)
(二戸まつり復活以降の歴代演題) R5:車引(松王梅王)/雨の五郎(黒,巻物)  R4:相馬大作(2体)/道成寺鐘入  R元:川中島/車引き梅王丸  H30:九戸政實/相馬大作  H29:矢の根(矢研)/助六  H28:龍将九戸政實/車引き松王丸  H27:九戸政實(船上)/弁慶(僧兵姿)  H26:九戸政實/車引き梅王丸  H25:暫(元禄見得)/勧進帳(六方)  H24:平清盛/鏡獅子  H23:伊達政宗と片倉小十郎/景清(柱上げ)  H22:連獅子/車引き松王丸  H21:直江兼続(2人騎馬武者)/助六  H20:碇知盛(2体)/滝窓志賀之助  H19:加藤清正/押戻し  H18:川中島(双方馬上)/車引き梅王丸  H17:義経八艘飛び/勧進帳(折檻)  H16:新撰組/相馬大作  H15:和藤内の虎退治/景清(S63表と同型)  H14:車引(松王梅王)/碇知盛(歌舞伎)  H13:衝天九戸政實(天馬乗り)/矢の根  H12:龍将九戸政實/娘道成寺(鐘)  H11:九戸政實/蜘蛛の拍子舞  H10:滝窓志賀之助/鏡獅子  H9:素戔嗚尊/景清(牢割り)  H8:連獅子/朝比奈三郎  H7:京鹿子娘道成寺(鐘入り・可動式)/化身娘道成寺(蛇体の清姫)  H6:石川五右衛門/熊谷陣屋  H5:安倍貞任(炎立つ仕様)/鳴神(柱巻き)  H4:連獅子(髪洗い)/碇知盛  H3:明智惟任光秀/歌舞伎「不動」  H2:義経八艘飛び/助六水入り  H元:木村又蔵/相馬大作  S63:景清/勧進帳  

 

 

盛岡流時代の在八の山車『風流 九戸政實』(提供品)
[在八若者連] 在府小路・八幡平の手作り山車で、市内の金田一・堀野の他、軽米町にも貸し出し歴がある。平成10年代に入って頻繁に山車の形態が変わり、現在は伸縮が入った准八戸式で作っている。
 平成元年(初自作)から平成11年ころまでは盛岡風の大人形の山車で、見返しにも人形を複数使うなど凝った趣向を多く作った。その後人形を小さく・平三山車程度まで数を増やし(平成15年『本能寺の変』など)、やがて八戸同様の菊人形風の頭を入れ、牡丹の下に彫刻を施すなど青森県南の山車の雰囲気に近づけた。平成24年から現在のようなせり上げ舞台の入った山車となり「もひとつおまけに」など掛け声も八戸風になりつつある。ただ演題札の「風流」「見返し」冠は残し、形は変わったが花類も残し、紙桜は玉にせず花弁のまま枝付けし、布牡丹は左右に6個、波しぶきは通例のものと白軸・水色の玉のものを併用する等独自の飾り方としている。
コロナ禍令和2年の「在八祭り」
 作風の変遷に加え演題開拓への貪欲な姿勢も特徴で、地域史を山車人形へと掘り起こす試みも一時期積極的に行われた。令和2年は全県的に山車行事の中止が相次ぐ中、「在八まつり」と称して本寸法の山車を仕上げ、公民館前広場に2日間展示した。制作自体は翌令和3年も継続している。
【写真 盛岡流時代の在八の山車『風流 九戸政實』(提供品)/コロナ禍令和2年の『風流 安倍晴明疫病払い』、八戸流のせり上げ山車】

(二戸まつり復活以降の歴代演題) R5:日本昔話/ねずみ小僧  R4:大江山/ヤガミヒメ  R3:紅葉狩(室内展示趣向)  R2:安倍晴明疫病払い/かぐや姫‐「在八まつり」特別山車‐  R元:船弁慶(怨霊メイン)/鶴と亀  H30:神々の国産み/狐の嫁入り  H29:義経八艘飛び/鶴の恩返し  H28:安倍晴明/浦島太郎  H27:かぐや姫/一休さん  H26:頼光四天王の土蜘蛛退治/一寸法師  H25:船弁慶/乙姫様  H24:九戸政實/かぐや姫《ここから八戸風》  H23:義経東下り/碇知盛  H22:赤穂浪士討ち入り牛若弁慶  H21:仁田四郎忠常/蛇沼政恒  H20:竜神観音  H19:武田信玄出陣/国分謙吉  《ここまで盛岡風》H18:愛橘のなまず退治/福岡との別れ  H17:孫悟空/常盤御前  H16:加藤清正/汐汲み  H15:本能寺の変/田中館愛橘夫妻  H14:七福神宝船/花咲爺  H13:九戸政實  H12:酒呑童子/金太郎  H11:鞍馬山/北条時宗笠懸  H10:阿仁のマタギ/渡辺綱と鬼婆  H9:石川五右衛門釜茹で/宮本武蔵と狐  H8:工藤祐経(富士の巻狩)/力持ちの和唐内  H7:児雷也/たつのこたろう  H6:龍虎の戦い/畠山重忠  H5:和藤内虎退治  H4:岩見重太郎/夜討ち曽我  H3:九戸政實(騎馬武者倒し)/九戸城の守り  H2:九戸政實  H元:相馬大作(2体)/南部火消し(2体)  S63:児雷也/弁慶

 

『見返し 後藤新平』(福岡:川又)
[
川又連合]福岡の秋祭りが中断していた時期も「川又まつり」として山車の製作・運行を絶やさず、復活当初の引き子は9組中最多で、浄法寺など他町への人形の貸し出しも行っていた。
 手作り風合いの独特の人形を使った、奇抜な採題の飾りの派手な自作山車である。藤の花は蛍光色の桜や紅葉から下がっており、白の演題表札の縁をカラーモールが巡っていた時期もある。平成20年代中盤からは、隣県青森南部の起き上がりや左右の引き出しが恒例として伴われるようになった。
 十八番の演題に、小玉虫の乗る船を備えた『那須与一』、息子重盛の諫言を交わすため鎧の上に袈裟を着た『平清盛』、信長の前に名馬を伴い参上する『山内一豊』、豊臣秀吉の華麗な鎧姿を飾る『小牧山合戦』などがあり、背面には見返し用に縮めた『忠臣蔵』や『加藤清正』がたびたび出てきた。これら数件の題材が繰り返し出た時期もあるが、近年はおおむね目新しい題が採られており、『太田道灌』『上総介広常の狐退治』『木津川合戦』『北畠顕家』『袴垂保輔』など岩手を広く見てもこの組しか作っていない珍しい趣向がある。
【写真 川又山車の見返し『災害復興の先達 後藤新平』】

(二戸まつり復活以降の歴代演題) R5:里見八犬伝芳流閣の場/酒呑童子(胸まで)  R4:武蔵の武者修行(蝙蝠退治など)/龍の子太郎  R元:五右衛門と太閤/一寸法師の鬼退治  H30:九尾の狐退治(馬上)/川又のお祭りおじさん  H29:頼光金時土蜘蛛退治/熊手と大黒様  H28:北畠顕家と蘭陵王/国体キャラクター(絵)  H27:袴垂と保昌/多聞天  H26:九戸政実(雑兵入り)/鯉の滝登りと童子  H25:洋装の信長(木津川合戦)/弁財天  H24:関羽と夏候惇/観音様  H23:船弁慶(怨霊知盛と)/後藤新平  H22:加藤清正/恵比寿様  H21:羅生門(馬上)/鯉金時  H20:九尾の狐(上総介広常)/水滸伝の張順  H19:義経八艘飛び(1体)/鬼若丸  H18:佐々木高綱/里見八犬伝(現八芳流閣)  H17:山内一豊/加藤清正  H16:小牧山の秀吉/花咲か爺さん  H15:巌流島の決闘/加藤清正  H14:那須与一/大石蔵之助  H13:山内一豊  H12:富士川の功名(騎馬武者のみ)/大岡越前守  H11:平清盛入道浄海(清盛1体)/大石蔵之助  H10:小牧山の秀吉/かぐや姫(誕生)  H9:那須与一/花咲か爺さん  H8:山内一豊/め組  H7:平清盛入道浄海(鎧櫃を挟んだ清盛と重盛)/加藤清正  H6:富士川の功名(木下藤吉郎の初陣)/大岡越前守  H4:明智光秀/め組  H3:那須与一/花咲か爺さん  H2:太田道灌(馬上の道灌と娘)  H元:宮本武蔵(巌流島、小次郎と船頭)  S63:山内一豊/大石蔵之助  S60:吉良上野介  S59:曽我兄弟

 

[は組]初日の行列出発場所である八幡下の山車、2・3日目の先頭の山車である。
 二戸まつり復活以降しばらくは一戸の本組からの借り上げ山車で、最後の借り上げとなる平成5年まで一戸と同じく太鼓を前後に配していた。以降2年は平三人形(人形の数・趣向は盛岡型に近い)・その後は一戸の上町組からの借上げとなり、太鼓類をすべて人形の前に集めるようになった。一戸まつりが隣町での一週前の開催であることに配慮してか『釣鐘弁慶』『藤原純友』など新作趣向(過去の再作)が上がった年も多く、前年の表に当年の見返しという年もあったが、次第にその年の上町組の表裏がそのまま上がるようになった。中岩や小岩の地の色は一戸一般の黒に対し、は組では明るい青とした(〜平成29年)。
 平成30年に隣の在八町内会の技術協力で『羅城門/大黒様』を出し、以来人形こそ八戸風ながら、上に生木の松がある盛岡型の山車に仕上げている。
 太鼓の奏法や掛け声が際立って荒々しく、悪く言えば「ガラがよくない」。

(二戸まつり復活以降の歴代演題) R5:加藤清正虎退治(馬上)/一休さん(屏風)  R4:碇知盛(3体)/狐の嫁入り  R元:畠山重忠/牛若丸  H30:羅生門/大黒様  《ここまで上町組借上げ》H29:安宅の関杖折檻/藤原秀衡  (H28:台風で山車全壊)  H27:四条畷/楠公桜井の宿  H26:為朝弓打ち軍師官兵衛  H25:鵯越/常盤御前  H24:早川鮎乃介/尼子勝久  H23:黒髪山の大蛇退治/万寿姫  H22:義経八艘飛び/静御前  H21:加藤清正/豊臣秀頼  H20:真田幸村/由利鎌之助  H19:弁慶立ち往生/鞍馬山  H18:児雷也/藤娘  H17:瓶割り柴田/お市さま  H16:九戸政實/豊臣秀吉  H15:藤原純友/一寸法師(新趣向)  H14:桂川力蔵/前田まつ  H13:八幡太郎義家  H12:釣鐘弁慶(新趣向)/おじゃる丸  H11:松上げ重太郎(新趣向)/鶴の恩返し  H10:紀伊国屋文左衛門/もののけ姫(アシタカ)  H9:和藤内/もののけ姫  H8:滝間戸の志賀之助/孫悟空  《ここまで平三山車》H7:里見八犬伝/宮本武蔵  H6:四ツ車大八/つり恵比寿  《ここまで本組借上げ》H5:朝比奈三郎義秀  H4:西塔鬼若丸/弁慶山伏姿  H3:勇姿九戸政実(『楠木正成』の改作)/亀千代(新趣向)  H2:幡隋院長兵衛/大口屋暁雨  H元:碇知盛  S63:加藤清正  S62:畠山重忠  S60:仁田四郎忠常  S59:新門の辰五郎



 

<詳細日程>
9/第1木曜 pm7:00 前夜祭:山車総揃い、各組太鼓披露、共演太鼓・花火

『見返し 番場の忠太郎』(二戸市役所)前夜祭にて
9/
1金曜 
【写真 市役所お祭り同好会山車の見返し『番場の忠太郎』、前夜祭にて】

pm1:30
 各組山車 八幡下集結(主に町の北部から巡行、八幡下駐車場にて1時間待機)
pm2:30
 呑香稲荷神社神輿渡御行列八幡下出発し北上
・坂本七つ物
<>長嶺山車
<>田町山車
<>秋葉(下町)山車
<>愛宕山車
(・<>市役所お祭り同好会山車 )
<>五日町山車
<>川又山車
<>在八山車
<>は組(八幡下)山車
pm4:30
神輿行列解散、は組山車Uターン
pm6:00ころ
坂本七つ物、稲荷神社付近門打ち
pm7:30
なにゃどやら流し踊り商店街南下

福岡八幡下は組『岩見重太郎』

9/1土曜 
【写真 は組山車『風流 岩見重太郎』半夜景(一戸上町組借り上げ)】

pm2:30
愛宕神社神輿渡御行列長嶺出発

9/1日曜
pm1:00 奉納呑香稲荷神社神代神楽 呑香稲荷神社神楽殿
pm2:10
二戸市郷土芸能披露(愛宕 本部前/市内4団体程度が場所を変えながら数回披露)
※平成26年実績:下斗米山伏神楽『三坊荒神』・金田一神楽『七つ物』『しし踊り』・深山神社神楽『番楽』・金田一太神楽 各10分で4回披露
※近年は「二戸市ナニャトヤラ」「金田一神楽の七つ物・しし踊り」「深山神社神楽の三番叟」に固定傾向

pm2:30
秋葉神社神輿渡御行列町内南下開始(
この日のみ上米沢しし踊り随行)
pm4:30
二戸まつり閉会式・喧嘩太鼓  八幡下ユニバース駐車場にて


 

二戸市内の山車行事悉皆調査

 

薬師堂米沢 5/3・4

薬師堂祭典山車『一寸法師』電飾時

 

 IGR斗米駅から西へ道なりに徒歩15分程度で、米沢(まいさわ)の薬師堂に着く。本尊の薬師瑠璃光如来へ無病息災・五穀豊穣を祈願する祭典が毎年GWの5月3・4日に行われ、地元では「やくしっこ」の名で知られる。
 平三人形の山車が1台出る。3日は夜7時過ぎから宵宮の試運転(1時間程度)、翌4日が本祭で午後2時から4時にかけて薬師堂周辺の通りを巡行する。趣向は前年に二戸広域を回った題の縮小版が多いが、最近はこの祭典のみに登場する趣向も出てきた。
 照明は山車の前後に投光機、囃子の乗る山車の前側上方に綱を渡して提灯を並べて吊るす(昼運行の4日は外れる)。出発時に沖上げ音頭が上がり、囃子は出発時はゆったり・次第にリズムアップする。大太鼓に合わせた手平鉦が入り、二戸中心部の例と比べ曲はやや短く、掛け声は「やれやれヤレヤレ」のみのようであった。
(平成15・16・30・令和元年見物)
【写真 薬師お祭り同好会山車の見返し『一寸法師』、3日試運転時】


 

 

高清水稲荷神社福田 8/16) ※

 

 「福田人形まつり」はもとは旧の7月中旬の行事だが、近年は盆の16日に行われるようになって久しい。祭日の朝に付近の住民が神社に集まって男女の藁人形を作り、完成するとこれを抱えて踊り、神社の柱に固定する。午後になるとリヤカーに人形を乗せて、部落一帯を引いて歩く。実地見物時は午後1時半ごろ、町内を歩いているのを見た。
 人形は男像が約2メートルで、主に麦藁を使って作り、細部は稲藁で作るという。頭に男女の顔を紙に描いて貼り、進行方向に男神・背面に女神を据える。女神の足元に締め太鼓が2つ据えられている。運行に伴われるお囃子はこの太鼓と鉦ではやすが、二戸地方の七ツ踊りや鹿踊りと似たリズムであった。権現舞が付いて歩き、所望に応じて祈祷していた時期もあったらしい。神社の社旗と南部煎餅(胡麻煎餅)をたくさんぶら下げた梶棒が先行しているが、この煎餅で体の痛いところをこすり、人形に吊るして厄を払うのだという。
 部落を回りきると村はずれで人形を抱えた踊りが再び行われ、最後は煎餅とともに川に流されるという。

(平成25年見物)

 

 

金田一上町若連山車『九戸政実』
八坂神社金田一 8/盆明けの金・土・日

 

 金田一八坂神社祭典の山車は平成14年を最後に暫らく中断していたが、現在は上町若連が出して10年ほどになる。復活当初は市内福岡在八町内会の飾り一式借り上げであったが、現在は自前の人形や在八の過去の趣向を交えたオリジナルの縮小版を作っている。最上部には藤を絡めた松が飾られ、閉じた姿でも人形・花はほぼ見える。太鼓類は全て前に集められ、笛・鉦はつかず、大太鼓と小太鼓が同じ拍子を叩く場面が多い。見返しには小さな御所車が連結されている。
 実見時はIGR金田一温泉駅から南へ徒歩15分ほどの所が出発地点で、午後1時に八坂神社の神輿行列とともに発し、祝儀返礼の沖上げ音頭を1軒1軒上げていた。音頭上げの時に、山車をせり上げて見せるようである。山車の先導は一対の旗で、桜の造花・唐竹引き・金棒が続く。踏切横断時は引き綱・御所車を外し、太鼓が早拍子に変わって強力のみで動かす。電飾もあり、夜の7時頃に納車する(夜間運行のメインは金曜日の前夜祭)。
 初めて見に行った年は山車は中断中で、金田一太神楽・金田一七つ物などが町内を踊って回っていた。山車復活後は、これら芸能の影が無くなったようである。
 以前は平三人形や自作の人形で飾った山車2台が出ていた。八戸風の、比較的自由な作法の山車が出た時期もある。昭和30年代に青年部が競って4〜5台出した年があり、当時出た絵紙も残っている。(平成30年見物)

【写真 金田一上町の山車『風流 九戸政實 』(貸出趣向そのまま)/金田一上町の山車『風流 義経八艘飛び』(貸出趣向改変)】



岩手県二戸市金田一八坂神社祭典2018.8.19


 


 

 

天満宮(上米沢 8最終土日)

 

 平三山車のうち最小のものが1台運行されていた(写真確認)が、平成29年に人形無しの太鼓だけの山車となった。

 

 

武内神社 堀野 9/第2土日)

『恵比須大黒』(堀野:馬渕組)

 IGR斗米駅から北に展開する堀野商店街と街路に面した武内神社の境内で2日間行われる祭典である。神輿と山車が大型店の並ぶ都会風の街並みを巡行する様子から、二戸市が市であることを二戸まつり以上に実感できる。
 山車は4台で土曜は正午に出庫・市外を北上し午後2時から太鼓競演(音頭上げが先行して各組約10分間)・午後4時納車、日曜は午前11時半出庫で午後1時前に太鼓競演・市外を南下し午後3時半納車、門掛けは日曜の午前中に行う(形態は不明)。付属の山伏神楽(武内神社神楽)は金曜の午後3時40分から奉納されるらしい。
 平三山車が馬渕組から出るが、人形のすぐ下に垂木を渡して提灯を並べて掛ける。大太鼓は後ろに据え、笛吹きは山車の後方に列を作り、囃子は福岡の田町に似ている。三区連合も長く平三山車であったが、平成21年から26年までは福岡川又の前年以前の人形を飾った。趣向の一部が省かれ、人形部分は他より著しく高い位置から始まり、松や桜は川又の山車よりもあっさりと、きちんと分けて飾られた。平成27年以降は表裏の人形を自作しており、等身大に近い人形2〜3体で場面を作っている。

『暫』(堀野:東組)

 東組(東側若連)は一戸の西法寺組から表裏の人形を買い上げ、桜・藤・波などは自前で足して牡丹の絵が入った台車に飾る。牡丹は花だけで葉は見えず、桜は玉桜でなく「お花紙の花」に近い。囃子は二戸市内では際立って盛岡色が強く、一戸を飛び越えて盛岡・沼宮内などとほぼ同じであるが、停止拍子(3つまっちゃ・4つまっちゃなど)は山車を動かしたまま叩き、掛け声・音頭は二戸市内の他の山車組と大差無い。
 馬場・大畑は、堀野近隣公園内に山車小屋を設ける。長らく市内在八町内会の趣向買い上げで雪洞の字体が演題立て札と合わせてあり、若干細身の台車で太鼓類も前に来るため在八の山車とは印象の違う趣となった。平成24年に自主製作の『前田慶次郎/風魔小太郎』を出し、以来従前の風流人形に似ない劇画調の趣向(武者の上半身のみ大きく作るなど)で山車を作っている。笛は東組に近い盛岡風だが太鼓や囃子言葉は二戸風で、諸肌脱ぎの姿で叩く。
【写真 堀野馬渕組の山車『風流 恵比須大黒』/堀野東組『風流 暫』と大型店の並ぶ街路/堀野三区連合『風流 船弁慶』囃子競演にて】


(平成13・16・23・24・27・30年見物)
囃子競演での『船弁慶』(堀野:三区連合)


 


 

神明社(浄法寺 9/週末)

 

浄法寺上組の音頭あげ

 平成18年から二戸市に編入された旧浄法寺町の秋祭りで、昭和50年代に10年ほどの中断を経て復活した。当初はトラックに装飾を施したパレードカーのようなものも出ていたようだが、一戸町からの借り上げ体制が整って以降は周辺と同じ人形山車の祭りとなった。上組・仲の組・下組の3台(音頭ではダシではなくヤタイと呼んでいる)はいずれも人形・装飾を一戸の山車組に委託して作っている。具体的には、上組は西法寺組(前年の人形)、仲の組は上町組(その年の人形)、下組は橋中組(その年の人形)が担当し、サイドミラーの付いたトラック台車に飾る。ちなみに仲の組を野田組・二戸の川又が、上組を上町組・本組がそれぞれ担当していた時期がある。丈、幅ともに一戸の山車よりもやや小ぶりで人形配置もそれに合わせて改変されているが、とりわけ上組の人形は一戸まつりでの様相とかなり異なる。

 各組とも白黒の絵紙を祝儀札とする習慣が残り、音頭は沖上げでなく盛岡音頭で、合いの手に太鼓の乱打が入る。歌詞は祝い音頭が多く、更新性の趣向は歌詞の最後に演題名を読み込む程度である。音律は七・七・七・七を想定しているように聞こえ、歌い方は久慈地方とよく似ていた。金棒引きが音頭に和す場面があり、音頭上げの際には上げる家の前に整列する。また山車を伴わず音頭上げで家々を回る際は、あげ手・金棒に加え太鼓が伴われる。笛は仲の組のみに残るが、音頭を終えた歩み出しの部分に吹くだけで、運行中は付けない。
 初日と最終日の神輿渡御・還御(いずれも午後1時から)に付いて合同運行を行う他、祭典期間中は朝9時から出庫し門付け運行も頻繁に行うようである。合同運行後に各々音頭を披露しながら帰るなど、山車の動かし方は二戸より一戸に近い。
 コロナ禍後の令和5年、3つの山車組が統合して「浄法寺山車」1台(橋中組借り上げ)を出す形に変化。
【写真 浄法寺上組の音頭上げ風景/浄法寺上組『風流 川中島』と下組『見返し 金太郎』のすれ違い】

(平成14・16・2427年見物) 

『金太郎』(浄法寺:下組)

 

 

 

『碇知盛』(石切所:中央)
枋ノ木神社 石切所 9/第3土日) 


 二戸駅前地区の秋祭りで、もとは仮装行列の祭りだったらしいが、高度成長期に山車を出すようになった。各山車は午前11時半には出庫し、合同運行は全酪工場を12時過ぎに出発、地区内を回って午後1時過ぎに二戸駅前に至る。駅前の坂を上るのがなかなかきつく、太鼓は早拍子となり掛け声もひときわ大きくなる。駅前では囃子競演などを催し、解散後は各山車自由に区域内を回って夕方納車(午後3時から4時頃か)、音頭上げによる門付けはそれ以降も行う。

 川原橋通りが平三人形山車、枋ノ木中央(二戸駅前)と前田組は盛岡流(福岡の五日町から人形を1体ずつ分割して借りる)・六区町内会(初見は駅前一区)は青森県南型高覧山車(三戸町二日町の当年趣向縮小)・川原町三区は非更新の太鼓屋台を出す。台数は多いがいずれも市内の他の祭典と比べて小規模な山車ではあり、前田組・中央町内会は正面には人形を上げるが、背面はご神体の男根を祀る不変の趣向である。六区の山車では三戸で脇に飾る程度の松が上部全体を覆う規模に強調され、稀に前後の趣向が逆転することがある。

『武田信玄』(石切所:前田)

 金勢様のお祭りなので、直接的なセックスアピール・下ネタが神社境内の雪洞など諸所に見られ、山車趣向自体にそのテのアレンジが加わることもある。そのため「子供のころは喜んで参加するが、自意識が芽生える中学生ころになると恥ずかしがって参加しなくなる」のだそうだ。二戸駅に物産館「なにゃーと」が併設されてからは、前田・中央・六区の3台がなにゃーと内に納められるようになった。
 コロナ禍後、山車は人形の無い非更新型の2台に減った。
【写真 石切所中央一区の山車『風流 平知盛』/前田組の山車『風流 武田信玄』(五日町『川中島』の謙信の衣装替え)/なにゃーと内に納まった『五条の橋』の山車(青森三戸借上げ)】

(平成14・27〜年見物)

二戸駅隣接「なにゃーと」で製作される石切所の山車

 

 

(日吉神社)坂本 10/第2土日)

 

 手作り山車が1台出たことがあった。写真確認。

 

 

※平三風流人形の山車 紹介ページ

※盛岡流の風流山車行事全事例(市内一部山車組該当)

 

 

文責・写真:山屋 賢一

(掲載写真の一部をページ利用者に提供いただきました。御礼申し上げます。)

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