紅葉狩
平成5年の盛岡観光協会の『紅葉狩(もみじがり)』の山車は、八幡宮祭礼終了1ヵ月後の10月に岩手で開催された「国民文化祭」に出演して好評を博した(写真1はその借り上げ)。昭和50年代にもい組が作った同題が東京の銀座祭りに登場・盛岡の山車をアピールしている。このように、紅葉狩の山車は奇しくも節目節目で盛岡山車のPRに一役買うこととなった。
現在一般に見られる盛岡山車の紅葉狩は歌舞伎人形の2体仕立てで、維茂が紫の水干(すいかん)に襷掛け・夜叉の紅葉御前は黒雲模様の黄(または金)の衣を纏い、両者大変彩りがよい。夜叉に使う人形に転用の利かない塗りを施すため、長らく自前の頭を持つ盛岡市内の山車組に限定された演し物であったが、平成十年代後半に沼宮内や石鳥谷で作例が出て市外へ広がり始めた。紅葉の顔に代赦(たいしゃ)隈という茶色い化け物の隈取を取って夜叉にし、紅葉の一枝を天に掲げて維茂を睨み据える格好にする。背高にして威圧感たっぷりに見下ろすようであれば、怖い夜叉に見えて効果的である。夜叉を松の木の上に上げる趣向もあり(写真2)、これは歌舞伎の段切り(ラストの場面)を模している。高低差はつけられるが、背高な山車でないと単に夜叉が小振りになったり見えづらくなるだけで、なかなか難しい。 私の手元にある最も古い紅葉狩の山車の写真は石鳥谷のもので、これは維茂が居ない夜叉のみの山車である。下組で昭和20年代・昭和50年代にも復刻され非常に好評だったといい、「通常の人形に大きな般若(はんにゃ)の面をかぶせて飾った」と聞いたことがある。白黒写真を具に見ると夜叉は女の着物を着ており、角が生えた恐ろしい般若の顔とのギャップが面白い。直に見た分では、夜叉だけを作って『紅葉狩』と題した大迫のあんどん山車がこの系譜の趣向か。
沼宮内(岩手町)のの組が平成の最後に打ち出した紅葉狩の山車は、それ以前のどの趣向にも似ない独特のものであった。維茂と美女との酒宴の景で、維茂の手元の盃に中身に明かりが入り、般若の顔が見える。これは後ろで酌をする美女の顔で、水鏡にその本性が見えているという設定である(写真4)。 見返しに正体を現す前の『更科姫』を飾り表裏一体とする例が、平成に入って定番化した。舞姫姿の紅葉を飾った見返しに『紅葉狩』と題を付け、表の題とは無関係に飾る例もある。更科姫は「赤姫」と呼ばれる典型的な歌舞伎の女形だが、その実維茂を狙う夜叉であるので、美しさの中に鬼気迫る雰囲気が求められる。表裏一体の趣向には他に、戸隠山の『山神』が維茂を起こそうと杖を振っている姿もあった(写真5)。
(他の地域の「紅葉狩」の山車)
青森の八戸では巨大な鬼面をたくさん使う鬼ものの一環として紅葉狩が作られ、これは多作される「大江山」に対しての変化球的な扱いのようで、単に鬼でなく鬼女で表現するところが味であり、審査で最優秀賞に輝いたものもある。大半の山車で退治する維茂の印象が薄く、舞台四方に鬼をちりばめた鬼が主体の趣向であった。
(ホームページ公開写真)※上記写真リンク以外のもの
平安の昔、紅葉御前(歌舞伎では「更科姫(さらしなひめ)」と呼ぶ)という美女が或る貴人の寵愛を一身に集めたために周囲から妬まれ、とうとう無実の罪を着せられて信濃(しなの:現長野)の偏狭に押し込められてしまった。紅葉は世を怨んで妖術を蓄え、やがて鬼となり、たちまち一帯は悪鬼羅刹の住処となった。
紅葉狩は、赤や黄に色づいた楓や銀杏を眺めに山などを散策する秋の行楽をいう。芝居の『紅葉狩』はこの行楽に、「鬼女」紅葉が武勇の誉れ高い余吾将軍(よごしょうぐん)平維茂(たいらの これもち)によって狩られる(退治される)逸話を重ねたものである。
信州戸隠山(とがくしやま)は紅葉の名所。維茂は美しい秋の風景に酔いながら、どこからともなく現れた美女たちとの宴にすっかり時を忘れ、その膝枕で眠り込んでしまう。すると夢枕に山神(さんじん)が現れて、この美女たちこそ鬼女紅葉の眷属(けんぞく:手下たち)、人を食う夜叉であると告げる。はっと目を覚ますと夢のお告げの通り、美女たちは夜叉の正体を現していた。妖力を退ける「降魔の剣(こうまのつるぎ:別名”小烏丸”)」を振りかざし、維茂は紅葉御前と対決する。
昭和40年代の盛岡い組の紅葉狩は二人形だが、若面ではなく髭の生えた維茂で、夜叉は石鳥谷の例に通ずる女の着物姿・隈は無いように見える。歌舞伎の表現からは遠いが、逸話の描写はこちらの方が濃い。【絵紙】
石鳥谷の上和町組では維茂を白塗り・烏帽子に裃姿(貴族の普段着)とし、夜叉は真っ赤な髪にして鱗紋の白い着物を着せた。歌舞伎準拠だが、従来採用されてきたものとは別の舞台(「信濃路紅葉鬼揃」)を使った紅葉狩とのことである(写真3)。
紅葉狩の山車には舞台装飾として、盛岡山車には本来使われないはずの紅葉が使われる。その際、紅葉を桜の代わりとして桜は付けず、桜に伴う藤も付けないのが正式な作法との話を聞いた(戦後発進の演題にそこまでの拘束が存在しうるかについて若干の疑義はあるが…)。作例を見る限りは紅葉が伴われるものの桜・藤も付けた演出が多いようで、周辺域でも通常は見返し側にのみとどめるはずの紅葉を表側に派手に展開したりする。
同名の演題に沼宮内のろ組が何度か見返しに出した「行楽としての」『紅葉狩り』があるが、これは踊り装束の娘人形に大きな紅葉の一枝を持たせ背景に紅白幕を張った趣向である。
青森県弘前市で藩政期に作られた山車人形の一つに紅葉狩があり、これに因んで扇・人形双方のねぶたに紅葉狩が登場したことがあった。扇ねぶたの紅葉狩は送り絵が美女と維茂で、杯に映った女の顔が夜叉になっているという絵・鏡絵は紅葉の枝を咬んで夜叉を組み伏せる維茂であり、回転したときにストーリーがつながって見事であった。人形ねぶたでは、きつい目つきの女(鬼に変わる途中)が口から紅葉の葉をたくさん吐いて応戦する構図が採られたことがあり、以降の作も紅葉の舞い散る様子が様々な工夫で表現されている。
山形の新庄祭りには「茨木」「葵上」など鬼女を使う題材バリエーションの一つとして紅葉狩が登場し、変身途中の次女や維茂を起こしに来る山神などの飾り人形を添え、中には維茂の乗馬を伴った作品もあった(紅葉が火を吹き、馬がたじろぐ逸話の描写か)。松の幹に飛びあがった夜叉が落葉の舞い散る中で維茂を睨み据える構想は、歌舞伎「紅葉狩」のラストシーンをイメージさせる。
文責・写真:山屋 賢一
本項掲載:日詰一番組H6(盛岡観光協会H5)・大迫下若組R6(盛岡の組同年改)石鳥谷上和町組H20・沼宮内の組H30・『山神』盛岡観光協会H20
久慈市上組H25・青森ねぶた
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絵紙
紅葉狩
盛岡観光協会・日詰一番組(本項1)
沼宮内新町組
石鳥谷上和町組(本項3)
盛岡い組
秋田角館盛岡い組@A
青森八戸
山形新庄
青森ねぶた@A
弘前ねぷた盛岡観光協会@(富沢:色刷)
沼宮内新町組(手拭)
盛岡観光協会A(圭:色刷)
石鳥谷上和町組(真二:手拭)
盛岡い組B(富沢:色刷)
盛岡い組@(国広)
盛岡い組A(富沢)
紅葉狩(夜叉樹上)
盛岡観光協会
盛岡の組・大迫下若組(本項2)
盛岡観光協会
盛岡の組
大迫下若組
紅葉狩(鬼だけ)
大迫あんどん石鳥谷下組@A
紅葉狩(酒宴)
沼宮内の組(本項4)
沼宮内の組
更科姫
沼宮内新町組
石鳥谷上和町組
盛岡青山組
日詰上組
盛岡い組
沼宮内ろ組
盛岡の組・大迫下若組
山神
盛岡観光協会(本項5)
行楽の紅葉狩り
沼宮内ろ組
紅(くれない)燃ゆる 浮世の性(さが)を 描く名代の 名場面
錦(にしき)織り成す 戸隠山(とがくしやま)に 夜叉(やしゃ)を討ち取る 紅葉狩
赤く染めたる 戸隠山に 錦彩(いろど)る 夕紅葉(ゆうもみじ)
紅葉うつくし あやしき風に 仮寝(かりね)を醒ます 夢の告げ
夢のお告げで 戸隠夜叉を 維茂(これもち)退治の 紅葉狩
神のお告げで 妖怪退治 武勇伝えし 余吾将軍(よごしょうぐん)
鬼姫(おにひめ)誘う 信濃(しなの)の紅葉 維茂守る 烏丸(からすまる)
平家の名刀 小烏丸(こがらすまる)が 姿暴いた(あばいた) 女夜叉
鬼姫討たんと 維茂守る 小烏丸を 振りかざす
所持の名刀 小烏丸の 剣のちからで 鬼退治
鬼神(きじん)おそれぬ 維茂颯(さっ)と 夜叉切り払う 紅葉狩
疾く(とく)疾く起きよと 杖突き鳴らし 姿現す 山ノ神
錦織り成す 戸隠山に 立てし勲(いさお)は とこしなへ
平維茂 武勇の誉れ 妖怪退治の 紅葉狩
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