青森県青森市 青森ねぶた祭り

 

 

北村春一さん作『景清の牢破り』、実は祭り翌日の解体時に撮影
日程整理(初見‐平成14年‐時)

●午後6時       各ねぶた、進軍コース上に入る
●午後6時半      各ねぶた、太鼓の打ち鳴らしを開始
●午後7時       進軍開始
●午後8時〜      進軍終了・小屋納めのため帰り囃子でアスパムねぶた団地まで運行
●午後9時       小屋納め完了

※2日から6日まで、ほぼ同じ日程で進行※
※7日は午後から「なぬかび」日中運行・夜は海上運行(一部)※

鹿嶋明神が鯰を退治する『地震鯰』、岩手の山車にも構想が移入された(竹浪比呂夫さん作)

 青森市のねぶた祭りは、数あるこの種の夏祭りの中で最も観光化・産業化の進んだものであり、初めて実見した際の感動の7割は祭りそのものよりも、徹底したねぶたの観光化にあった。
 青森駅に降り立つと、改札を抜けたあたりから土産屋が二重三重四重に軒を連ねている。駅を出たら大きな道の両側に30メートル刻みで並ぶ土産屋群…、縁日の的屋がすべて土産物売りになったような奇観であった。売っているものはさまざまだが、すべてにねぶたの写真や絵が刷ってある。ねぶたの絵柄がプリントしてあるものに片っ端から心をときめかせていた自分がばかばかしくなったほど、あらゆるものがねぶた化していた。…なんという自信だろう、盛岡さんさ・北上芸能まつりといった岩手の夏祭りとは比較にならない。ねぶたはまだ一台も動いていないのにねぶた囃子が街のあちこちから聞こえてきて、そもそも地元のお祭りのお囃子を街路放送で流していること自体、今までの自分の知るところではありえなかった。青森市民・いや青森県民全体にとってこの祭りは自慢なんだ、これは幾度か尋ねた今も変わらず抱く実感であり、感動である。

 青森の人形ねぶたは一般に「歌舞伎調」らしい。面には隈取りが入り、津軽凧絵のパキッとした描き味に幾分通じてもいる。趣向は日本史上の武者ものや歌舞伎の荒事、三国志・水滸伝を主とする中国もの、不動明王などの荒々しい仏達、また青森県内の非常に狭い範囲にしか知られていない地方伝説なども題に採られる。若干の変動はあるが毎年おおむね20数基の大型ねぶたが「出陣」し、そのうち上位5作品に賞が与えられる。ねぶたを専門に作る職人「ねぶた師」がいて、彼らの多くはねぶた製作のみで生計を立てているという。ねぶた師の名は表題脇に記され、観光パンフレットにも載る。構想・演目選びも含めてねぶた師の担うところは大きく、通は「どこのねぶたか」ではなく「誰が作ったねぶたか」に関心を寄せる。「名人」と語られるねぶた師が居て、作風や趣向を引き継いだ系譜があるような話を何度か見に行って、本も読んだりしておぼろげながら理解した。
 賞を争うため各製作者とも趣向を凝らし、常に斬新な型を求めている点が青森ねぶたの特色であり、最大・特有の魅力である。青森県内には20を越える規模様々のねぶた祭りがあるが、うち人形ねぶたについては青森市のねぶた師の卓抜した趣向を真似て作ったものが多く、黒石や大湊・五所川原はその数少ない例外である。昭和の終わり頃からフルカラーで丁寧に描かれるようになったというねぶたの下絵は、複製されてそこらじゅうの土産物に刷られ、団扇になったりチラシに載る。有名な作家の下絵はデパートの催事場などで展覧・即売される事もあり、話者は北村隆氏のそれを実見している。

小屋に入った『悪源太義平』のねぶた、大白我鴻さん作

 わかりきったことだろうが人出も莫大であり、ねぶたの通るルートに出来る人の層はゆうに10を越してみな爪先立ちでねぶたを待っている状況であった。午後6時半からの運行開始ということで、ねぶたは保管場所を出ておのおのの出発地点まで静かに運ばれる。この光景がねぶたを「山車の延長線上」と見ていた自分にはすごく意外だった。岩手の山車ではお囃子、さらには引き子さえ省略されての無音の運行など考えられないが、ねぶたではそのテのことが当たり前に行われていて、観客も音のないねぶたには「まるで見えないかのように」関心を示さない。ねぶたの運行開始まで、ねぶたの通るストリートには等間隔に17台(日によって出ないねぶたもあるため)のねぶたが並び、やがて空が群青に染まった頃に灯が入る。ねぶたはやはり「飾り灯篭」なのだ。もしかしたらこうやって一列に並んで四方をやさしく照らすような、そういう姿にこそ一番彩りがあるのかもしれない。そう感じてしまったほど、この光景は神々しく美しい。

ヤマタノオロチの送りねぶたで、姫を守る老いた両親(諏訪慎さん作)

 津軽人が「進軍」と呼ぶねぶたの運行が始まった。まず太鼓のみの乱れ打ち、最初はイメージに反した無機的なリズムだが、それがある瞬間を境におなじみのねぶた囃子に変わる。すぐさま介入してくる笛に手振り鉦、8つの旋律からなるこの囃子そのものが素晴らしいのは幾たびもの報道で確認済みだったものの、この演出はさらにそのキラキラ感、荒々しい節・音源の持つ力を何倍も引き出してくいる。

なぬかび運行、題材はねぶたでは頻出の虎もの『水滸伝

 ねぶたが動き出す。上下にその体を揺らしながら、”這うように”進んできた。パンフレットの写真よりか小さい感じがするのは、どのねぶたも横に大きく、高さは4メートルをやや超したくらいの平べったい形をしているからか。ゆえにねぶたの上の人物は皆体をかがめ、手足を思い切り横に伸ばして躍動的な構えとなる。行列はまず台車に乗った大締め太鼓など囃子方、ハネト、そしてねぶたの順で、ねぶたに引き綱は無い。ゆえに縦横無尽に回ったり観衆に迫ったり出来、梶棒を支える20人くらいが「扇子持ち」の指揮の通りに動かす。いろいろなものが張り付いた笠をかぶって跳ね回るハネトがねぶたと囃子を遠ざけるため、ねぶたが目の前にきたときにはほとんど囃子は聞こえない。むしろ後続団体の囃子に乗って蠢いている感じさえする。これも山車には遠く、前述の飾り灯篭のイメージに沿う。
 カメラを構えてもなかなかいい画に恵まれない。写真は二の次に、まずはねぶたの見せる一瞬一瞬を肉眼で楽しむべきと気づいたのは、だいぶ大人になってからだ。

江戸時代の義民・代表越訴型一揆を採り上げた内山龍生さんのねぶた

 情報収集時には一時間半の運行時間を短いのではと感じたが、見切ってみてこれが適量と納得した。ねぶたの運行コースは輪のようになっていて、50分ほどで列の頭が再び戻ってくる。2時間繰り返したら同じねぶたがまた来てしまうので、大方の観光客は飽きてしまう。よく見ればパンフレットには「一巡したら終わり」と書いてあった。そういう点でも、青森ねぶたはしっかりと観光化されていた。
 パレードが終わるとわっと観客は掃けるが、私にとってはここからが本当の見所だ。激しい進行囃子と対照的な帰りの囃子に乗って、ハネトのいないねぶたが今度こそ自軍の囃子に密着して運ばれ、小屋へ戻ってくる。大通りではなく比較的道幅の少ないところを通り、観客のまばらなところをゆっくり動くねぶたの姿は漸く私の中で「山車」と一体化した。初見物の時は、細部をじっくりと見られたのはこの時であった。
 ねぶたの”見返し”にあたる部分(送りねぶたという)はさまざまで、波をひたすら描いたもの、演目と関係する趣向を散らしたもの、単に企業名を大きく作ったものなど特に定型は無いようで、蝶の細かい造りが評価されて大賞を取った『陰陽師』の見返しは平安官女を立体的に作ったものであった。表とつながる題もあれば、無関係な題もある。表同様勇ましい趣向もあれば、背面として、徐々に遠ざかっていくことを意識した構図もある。ねぶたは集合的に作られた小屋「ねぶた団地」に静かに納まり、すぐに灯は消されて一日の運行が終わる。これが大体夜9時半ごろで、青森駅近くの三角形のビル付近(アスパム)がねぶた小屋の集合地点である。

 平成14年は親戚の助けも借りながら2日間津軽半島を巡り、再び8月7日の昼頃に青森駅に帰った。この日は大雨、しかしながら観光課は何があってもねぶたを動かすようで、多くのねぶたはビニールをかぶったまま、7日の昼運行に向けて待機していた。さすがに雨のなか・昼の運行ということもあってか、4日の夜と比べると観客は減っており、ハネトを伴うねぶたも少ない。『七日(なぬか)び』という最終日特有の囃子を打って(おいおい聞きなれた8旋律に戻るが…)次々と進軍していく。
 大方のねぶたがビニールでよく見えない中、私が一番気に入っていた『朝比奈三郎地獄の屈服』が雨よけなしでバンバン雨粒に打たれ、ぼろぼろになりながらこちらに向かってきた。その恐ろしい形相が雨でズタズタになりながらさらに輝きを増し、ギラギラと迫ってくるあの姿は忘れられない。ほかの多くのねぶたの表情はみな似通っており、迫力は十分すぎるほどあるが飽きてはきていた。その中を鮮烈に走った朝比奈三郎・実は黒石流の奇作だったのだが、2重3重に私の心をぎっちり捉えて離さなかった。

北村隆さん作の送りねぶた『三条小鍛冶』、表は古今の名刀で敵襲に立ち向かった将軍足利義輝

 以降しばらく出向かなくなったが、常に情報収集は続けた。社会人になってからは度々見に出かけ、見なくても毎年発刊されるあおもり草紙を買い揃えて青森ねぶたの動向を追っている。無いものねだりだろうが、手に入らない平成初年度とか昭和の末ごろの作品に一番わくわくする。6月ともなれば青森ねぶた祭りの公式サイトから当年の下絵を探し、ああでもないこうでもないといろいろ想像する。「今年は不作だなあ」と思っても、たいてい実物のほうが絵に勝っていて楽しめる。
 当時と違って、写真や動画はずいぶん手に入りやすくなった。それでも現地で、実物を前に学べる事・感動できることは数多い。(平成14・17年他見物)

※写真は広告にあまり上がらなそうな昼のねぶたや背面趣向・解体時のものなどを中心に選びました

北村隆さん作『車引』の夜景、三兄弟は歌舞伎から遠ざけた表現

※私が見に行ったねぶた祭り一覧


 

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文責・写真:山屋 賢一