毛 剃
役者絵をめくればめくるほど「毛剃(けぞり)の着物はいくらでも派手になるな」と思う。作り手は大変だろうなぁと言いつつ、たまらなくわくわくさせる題材だ。
『毛剃九右衛門』は、近松門左衛門の浄瑠璃「博多小女郎浪枕(はかた こじょろう なみまくら)」に登場する海賊で、盛岡山車では、後に歌舞伎で同様の筋書を取り上げた際の、勇壮な序幕の一景を表現している。いかにも海賊らしい無国籍な衣装の毛剃が大鉞(おお まさかり)を背負うような格好に諸手で掲げ、舞台いっぱいに道具立てされた船の舳先から足を踏み出し大見得を切る姿である。昔の船乗りは時化で船が沈みそうになったとき、鉞で帆柱を切り落として難を逃れたという。毛剃の見得は、おそらくそういう船乗りならではの勇ましさ・荒々しさを全面に出したものなのだろう。 直見した毛剃の山車を振り返ると、鉞をただ真一文字に差し上げるのではなくはっきり方向付けていたのが効果的だった。このことが、左右いずれにも充分な見栄えを保証していたように思う。例えば沼宮内では、見得の形を変えても鉞の角度をしっかり付けた新町組のほうが、構図遵守で鉞を傾けずに作った大町組より良かった。高さの制限に縛られない明確な鉞の角度が毛剃の型の勢いの要なのだと思う。盛岡観光協会の作は角度こそ甘めだったが、鉞の刃を大きく厚くしたので重そうに見え、それが趣向全体を重厚に・豪勢にした。足を船端にしっかり踏み出す型は船ものの躍動表現の基本であり、毛剃についてはおおむね全ての例でこれを守っているため勇ましい。 古写真をいくつかめくってみると、人形を高く上げる趣向のハシリがこの毛剃の山車のようで、戦後に至ると松・桜・牡丹を思い切って外し、人形と船と波だけで飾った例が出てきた。歌舞伎ものではあるが歌舞伎山車の得意な組はあまり採らず、採った組にとって数少ない歌舞伎題材となっている例も多い(『松前鉄之助』もこれに近い)。盛岡のみならず石鳥谷・一戸…と広域にわたって戦前から採り上げられ現代まで写真が残っていることを考えると、当時相当な反響があったのだろう。一戸では昭和50年代に毛剃の構想をほぼそのまま活かした歴史物『藤原純友(ふじわらの すみとも)』が構想され、何度か山車に上がっている。 (ホームページ公開写真)
船を大道具に使う盛岡山車には、源平もので『義経八艘飛び』『碇知盛』『船弁慶』、裸人形なら『紀伊国屋文左衛門』、歌舞伎で『毛剃九右衛門(けぞり くえもん)』、変り種では、元軍の船に乗り込む『河野通有(こうの みちあり)』(盛岡・一戸)、『日蓮上人(にちれん しょうにん)』の荒波の船上に祈る姿(一戸)、鉄甲船で本願寺を攻める『九鬼水軍(くきすいぐん)』(日詰)、黒船に乗った『坂本龍馬』(盛岡)…と幅広い分野で様々なものがある。見返しであれば、縁起ものの七福神に『宝船』がつきものである。
従来、大道具の船は他の化け物と同様に張子で作られることが多かったが、石鳥谷まつりなどでベニヤを骨組みに打ちつけた質感の有る船が多く出てくるようになった。舳先に豪華な船飾りを付け、壁面の木目の塗装や鋲飾りで見栄えを出す。船を何で作るか・どういうものでより派手に演出するか・本物志向で良く見せるか、それとも究極の偽物を作るか…作り手の葛藤が、山車の上にいくつもの名船を登場させている。
不明を恥じず断言すれば、毛剃九右衛門は歌舞伎の登場人物数ある中でかなりマイナーな部類に入る。しかしながら山車人形に作ってみると、龍の刺繍など豪華で異彩を放つ着物・他に無い迫力満点の構図…と実に魅力が多く、昭和前期・中期の盛岡で頻繁に山車に上がった。しかしやはり芝居そのものが一般理解に欠ける為か、次第に製作例が減って昭和40年代初頭で姿を消す。昭和の末に沼宮内・平成に入ると川口で復活され、盛岡や石鳥谷でこれに続く例が出、現在再び盛作の気配が出ている。
着物は龍や雲・炎などの刺繍が入った豪華な蝦夷錦(えぞにしき)に白絹の襟が付き、首回りにも光沢のある白布が巻かれる。地の色は黒か濃紺あるいは濃い紫、明るい青とか海老茶にして異彩を放った例もある。隈取りは無いが、わらわ髪と顎髭で海賊の風貌を出す。巻き髪に仕立てたり、暫のような車鬢を横に出したこともあるようである。私が実際見たもののうちでは、着物から体勢から川口のみ組の毛剃(1枚目の写真:平成13年)が白眉であった。
平成に入ってからは鉞の柄を胸元に構える形の他、鉞を掲げず腰に手を置き真っすぐ前を睨む「汐見の見得」が山車に作られている。後者では船の進行方向も正面に据え、舳先を前後に動かす仕掛けが伴われた(3枚目の写真)。背景には月が出て場面が夜更けであることが示され、それは以降・他地域の鉞を使う構図においても踏襲された。
船には筵で包んだ抜け荷を積む。史実では、博多の密貿易商人がその仕事を見咎められて一味ともども鼻を削がれて海に沈められた事件があり、これを近松が脚色し、鼻を「削り」から主人公の名を毛剃(けずり→けぞり)としたのだという。
(他の地域の「毛剃」の山車)
盛岡山車エリアの外では、山形の新庄と九州の博多祇園山笠で毛剃を見たが、鉞の構え方をはじめ体勢一般は割と自由に設定されており、盛岡山車並みに錦絵に準拠したものは少ないようだ。一方で、抜け荷を目撃して海に落とされる町人・恋物語の軸になる女郎など、歌舞伎のストーリーに即した舞台設定をされているのも、盛岡での作品と対照的である。角館飾山や青森ねぶたでは、いまのところ出てきていない。
文責・写真:山屋 賢一
本項掲載:川口み組H13・石鳥谷上若連H18・盛岡市三ツ割りみ組H29・一戸町本組昭和56年絵紙『天慶の乱 藤原純友』(提供品)
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川口み組(本項)
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(白黒写真)
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川口み組(国広:白黒)
盛岡み組(辰一:色刷)
沼宮内大町組(色刷)
沼宮内新町組(手拭)
志和町山車(手拭)
盛岡観光協会(圭:色刷)
一戸野田組
(写真)
盛岡十三日町
盛岡新東組
盛岡新盛組(煙山)
盛岡一番組
非定型
(鉞胸元)
沼宮内新町組
石鳥谷上若連
(汐見の見得)
盛岡み組
(現物)
石鳥谷上若連‐鉞胸元‐(手拭)@A
盛岡み組‐汐見の見得‐(辰一)
男一代 潮風ためし 猛(たけ)る斧振り 毛剃り(けぞり/けずり)船
月も隈(くま)無き 大海原(おおうなばら)に 斧の光の 恐ろしさ
毛剃九右衛門(くえもん) 舳(へさき)に立ちて 鉞(まさかり)高く 敵を討つ
躍(おど)る白波 千里の船路(ふなじ) 強く生き抜く 荒仕業(あらしごと)
船首首領(せんしゅ しゅりょう)の 見詰むる姿 かかげ見得きる 九右衛門
船首首領の 見詰むる姿 汐見の見得(しおみの みえ)の 九右衛門
かざす鉞 渦巻く西海(うみ)の その先見据え 綱を絶つ
荒波すさぶ 博多(はかた)の沖に 揺るがぬ毛剃の 元船(もとふね)よ
博多湊(みなと)に 九右衛門ありと その名削るも 名を残す
斧を振り上げ 大海原へ 博多湊の 毛剃り船
あらくれ海賊 頭(かしら)の毛剃 龍の衣(ころも)で 睨み差す
荒れる海原 波間を分けて 海賊毛剃の 勇ましさ
八幡祭りに 毛剃の九右衛門 招く景気は 宝船(たからぶね)
躍る高浪 しぶきに濡れて 一夜千里(いちや せんり)の 荒仕業
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