盛岡山車の演題【風流 松前鉄之助】
 

先代萩(松前鉄之助・仁木弾正)

 



『松前鉄之助』沼宮内大町組平成13年

 歌舞伎の「伽羅先代萩(めいぼく せんだいはぎ)」は、江戸前期に実在する仙台藩の御家騒動を取材した人気脚本である。裃(かみしも)姿で大鼠(ねずみ)を踏み倒す『松前鉄之助(まつまえ てつのすけ)』はこの先代萩に題を求めた山車で、その謂れはやや複雑だがなかなか面白い。

 時の藩主を遊郭へ連れ回して放蕩の挙句失脚に追い込み、伊達家乗っ取りを図る仁木弾正(にき だんじょう)一味。さらに後釜に据わった幼い若君をも手にかけようとするが、乳人の政岡(まさおか)が常に若君のそばで飯炊きをして、一味の悪事を水際に抑えている。仁木一味は毒の入った菓子を勧めて、若君を暗殺しようとした。警戒する政岡を無礼と罵って強引に菓子を勧めていたさなか、日頃若君の遊び相手をしていた政岡の実子は、若君より先に菓子を口に入れてしまう。毒に当たってたちまち苦しみ出す政岡の子。悪事の露見を恐れた仁木の妹八汐(やしお)は「無礼者」と一喝、政岡の目の前で実子を刺し殺し証拠隠滅を図った。
 この様子を見た政岡、目の前で我が子が殺されたというのに眉の一つも動かさず、若君を小脇に抱いていた。子供を殺されて、このように平然としていられる母親がいるはずもない。殺された子は、実は政岡の子供ではないのではないか。悪党一味の栄御前は「政岡は自分の子供と若君を予め摩り替えていて、わが一味に若君を殺させたに違いない。」と早合点、政岡を一味の協力者と思い込んだ。すっかり気をよくした栄御前は政岡に謀反の陰謀を明かし、正式に加担させるべく一味の名を記した連判状を預けて帰っていった。
 一味を送り帰して一人になったとたん、政岡はさんざんに泣き崩れる。やはり刺し殺されたのは政岡の実の子であった。弾正一味を欺くために、政岡は敢えて苦しむ我が子に声すらかけず、若君を守っていたのである。忠義のために親子の情愛を犠牲にした自分をやはり悔やまずにはおれず、泣きじゃくりながら我が子の屍を抱く政岡。

『松前鉄之助(女房伴)』沼宮内新町組平成19年

 これを見た仁木弾正は大慌て、このままでは政岡を通して一味の悪事がばれてしまう。妖術で大きなドブネズミに化けた弾正は、悪事の証拠となる連判状を取り戻そうと、夜もとっぷり更けたのを見計らって政岡の寝所へ忍び込む。見事連判の巻物を奪い返し戻ろうとしたところ、床下には宿番(とのい:寝ずの番)をする豪傑、松前鉄之助が待ち構えていた。巻物を咥えた怪しい鼠を見咎めた鉄之助は、兜割りの鉄扇(てっせん:骨が鉄で出来ている扇)で打ち据える。弾正鼠は半死半生になって何とか逃れたが、いざ妖術を解いて元に戻ってみると、額に鉄槌を喰らった真っ赤な傷跡が残ってしまっていた。翌日この額の傷が元で、仁木一派の悪事が露見することとなる。

 山車は、鉄扇を振りかざして大鼠を踏みつける鉄之助である。裃姿に丁髷頭までは普通なのだが、顔や手足に入った荒事の筋隈取があまりに印象的で、原典・逸話を知らずとも広い観客層が面白いと感じるであろう様相である。歌舞伎では肌色に隈を取るが、最近の製作例では白塗りにして隈取を施したものも多い。歌舞伎の中では「荒獅子男之助(あらじし おとこのすけ)」が正式な役名だが、盛岡山車では史実の松前鉄之助の名を使うのが慣例である(平成に入って1例のみ、歌舞伎通りの題での作例がある)。

『荒獅子男之助』盛岡観光コンベンション協会平成30年

 演題の最大の魅力は、大鼠の躍動感・存在感である。ひっくり返った鼠の口は、きちんと連判状の巻物を銜えている。背景には欄干を飾って場面が床下であると暗示する。草創期の作例では、鼠がやせネズミでひげを長くしているのが面白い。

 戦前の昭和一ケタ台に盛岡の油町・紺屋町・新田町などで連作の形跡があり、戦後はい組、新東組、一番組、二番組といった定番の奉納組が手がけた。あまり歌舞伎を採り上げない組も松前だけは作っているようである。平成に入ってからは、化け物演題が得意な十分団み組が作った。周辺域では、後述する『樅の木は残った』がテレビドラマ化された昭和45年周辺に一戸町・紫波町日詰に登場、平成に入ってからは岩手町沼宮内での採題が多い。長く定番の絵紙を基に作られてきたが、盛岡の一番組は欄干の上に白装束襷掛けの女房(政岡カ)が灯明をかざす姿を配した。この作にはまた、鉄之助と鼠が上下し鼠の首が小刻みに振れる趣向もあった。女房を伴っている部分は、平成に入って沼宮内の新町組が再現している。

『仁木弾正』(昭和型)盛岡観光協会平成8年

 敵役の仁木弾正もたびたび山車に上がっている。「実悪」とよばれる仁木弾正は歌舞伎の敵役数ある中でも特に難役といわれ、松本幸四郎家代々のお家芸である。山車は一味の陰謀が露見し忠臣たちに問い詰められた弾正が刃傷の狂気に及ぶ場面で、盛岡地方の採題歴としては @短刀を片手に掲げて龍の墨絵の屏風の前で見得を切る昭和型(昭和46年〜)、A捕り方を踏みつけ武器を奪った姿の平成型(平成27年〜)がある。額の赤い傷は鼠に化けた際に松前鉄之助から喰らった鉄槌の名残であり、白装束の下に見える鎖帷子は忍者・妖術使いのイメージを醸している。

『仁木弾正』(平成型)紫波町日詰上組平成29年

 有名な役どころとはいえ、仁木弾正は悪役であったから長らく山車の演題に取り上げられなかった。しかし、仁木のモデルとなった史実の「原田甲斐」について詳細な考証を経て「実はその身を犠牲にして伊達家取り潰しを防いだ忠臣であった」という逆説的筋書きを展開した歴史小説『樅の木は残った』がテレビドラマ化されるなど話題を呼ぶと、昭和46年の盛岡八幡町での製作を皮切りとして1体歌舞伎山車の演題に上がるようになった。
 盛岡では三和会・観光協会、石鳥谷では中組・下組が手がけており、顔の塗りは白と肌色と半々くらいである。音頭には、小説に基づいた弾正に同情するような歌詞もいくつか見られる。平成に入って石鳥谷の下組が採り上げた型は、従来と異なり短刀を逆手に構えた凄味のある構えであった。日詰の上組が足場に捕り方を加え、この型を完成させている。大迫のあんどん祭りでは、巻物を銜えて鼠に変身する「床下」の弾正が出た。



(他地域の状況)

 東北では秋田の角館、山形の新庄、宮城の登米で先代萩の山車が出ているが、ほとんどが鉄之助の荒事を描いたものである。鼠を出さず鉄之助・弾正の2体で飾ったものもあり、弾正は黒い裃姿としている。刃傷の場は、角館では弾正と追われる老臣との2人形で作っている。
 青森県では、南部山車にもねぶたにも先代萩のネタは登場していない。全国に視野を広げると、神奈川・石川・福岡などで先代萩の山車がたびたび見られるようだ。




文責・写真:山屋 賢一

(写真公開)

松前鉄之助(石鳥谷下組)   仁木弾正(昭和型:志和町山車)  仁木弾正(平成型:石鳥谷下組)



山屋賢一 保管資料一覧
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盛岡い組
石鳥谷中組
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石鳥谷下組(手拭)
志和町山車(手拭)

盛岡い組
盛岡三和会
政岡 盛岡み組
石鳥谷下組@A
志和町山車
ご希望の方は sutekinaomaturi@outlook.comへ

本項掲載:沼宮内大町組H13・沼宮内新町組H19・盛岡観光協会H30・盛岡観光協会H8(仁木弾正)・日詰上組平成29年(仁木弾正)

(音頭)

昔なつかし 先代萩(せんだいはぎ)に 勇名轟(とどろ)く 鉄之助
(はぎ)の大藩(たいはん) かき乱れたる 御家(おいえ)あらそい 伊達騒動
薫る伽羅
(めいぼく) 幾年(いくとせ)かけて 残る忠義の 千代(ちよ)の萩
奥に政岡
(まさおか) 竹に雀 大和桜の 鉄之助
仁木
(にき)の妖術 鼠(ねずみ)に化けて 屋敷しのんで 巻物を
忍び寄りたる あやしき鼠 実は曲者
(くせもの) からめとる
かざす鉄扇 長裃
(なが かみしも)に 豪気荒げる 鉄之助
裃すがたで 化身の鼠 かざす鉄扇 男之助
(だんのすけ)
伊達家を守る 男之助
(おとこのすけ)が 正義のちから 不義をうつ
尽くす忠義は 大和の華よ 仰ぐ亀鑑
(てほん)の 鉄之助
不義に与
(くみ)せし 化身(けしん)の甲斐も 正義の勢い(きおい)に 見やぶらる
花もこぼるる 先代萩に 男松前 鉄之助

※政岡

悲し政岡 我が子の死にも 心揺るがぬ 乳母(めのと)意地

※仁木弾正

伊達家世継ぎで 世紀の騒ぎ 逆臣汚名(おめい)着る 仁木弾正
御家
(おいえ)乗っ取り たくらむ弾正 額(ひたい)の傷が 命取り
打ちし鼠の 幻ならず 見よ弾正の 眉間
(みけん)の血
伊達家揺るがす 大事の極み 命をかける 仁木弾正
萩の乱れの 真実
(まこと)はいかに 揺れて鎮まる 青葉城




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