釣鐘弁慶
伝教大師最澄が開いた延暦寺天台宗は、大師の死後、山門派(さんもんは)と寺門派(じもんは)に分かれて抗争した。後に五条の橋で源義経と出会う武蔵坊弁慶が比叡山延暦寺(ひえいざん えんりゃくじ)で修行していたのは、まさにこの頃のことである。延暦寺と敵対していた山門派の三井寺(みいでら:正式には「園城寺」)には、俵藤太秀郷が寄進したと伝わる大きな釣鐘があった。寺の変事にはひとりでに汗をかくという霊験あらたかな鐘である。弁慶は山門派の鼻をあかそうと「提灯も釣鐘も同じようなものだ」と放言し、この大鐘に荒縄をかけ、単身独力で比叡山の頂に引き摺り上げたという。京の北嶺(ほくれい)と呼ばれた比叡山の下から上まで、たった一人で釣鐘を移動させたというのだから、弁慶というのは人並み外れた怪力の持ち主であった。 同じ盛岡市でも、仙北町のは組では構図や装束を様々に工夫し、常に変化を入れた釣鐘弁慶を構想している。弁慶に仕立てる人形も様々で、特に大型のものを使うわけではない。丸太を天秤棒のように抱えて釣鐘を下げた構図など、鐘を横に抱えたものが多いようである。法衣の下に鎧を着せ、顔は髭の無いものを使う。昭和晩期以降この動きは岩手郡岩手町に継承され、沼宮内・川口で「は組型」の変化のある釣鐘弁慶が出た。特に下町山道組の釣鐘弁慶は五条の橋と同じ僧兵姿にし、片手の長刀をまっすぐ石段に立てて、切っ先は山車のてっぺんに突き抜けた。川口ならではの高さが充分に生きた威風あふれる傑作として、この山車は今も町内に語られている。 (他地域) 私が直に見ている他地域の釣鐘弁慶は、右の一件だけである。写真では青森ねぶた、山形の新庄・同系統の宮城栗駒、福岡県の祇園山笠などを確認した。平三人形の釣鐘弁慶は五条の橋や船弁慶などにも兼用される弁慶人形を使ったものだが、目線の配り方など場面に上手く合っていて1体でも映える。表に上がった時期もあるようだが、平成に入ってからはもっぱら見返しに飾っているようだ。祇園山笠の弁慶は大鐘を下段、弁慶を中断に配し両手で鐘を引き摺る格好に作った珍しい構図で、宮城の栗駒にも同様のものが出ている。新庄では弁慶の仁王襷や鉢巻を強調し、派手に面白く作った例がある。 (掲載写真について) (1枚目)盛岡市一番組の釣鐘弁慶人形一式を借り上げ、紫波町上平沢で組み直した山車である。上平沢の山車は盛岡より丈が低く、弁慶人形の体勢もやや崩れ、釣鐘は小さく作り直されている。平成12年。(2枚目)一戸町野田組平成12年。組の持つ一番大きな人形を使っている。遠山金四郎や紀伊国屋文左衛門にも使われる人形だが、私はこのように弁慶に使うのがもっとも適していると感じる。体勢も上出来であるし、髭がきっちり植わっているのがいい。鐘に虎の模様をあしらい、見返しは一休さんと屏風の虎であった。(3枚目)石鳥谷西組平成26年、沼宮内で出た頭巾をかぶる構想を真似たもので、下に鎧を着ている体で作ったもの。由来は、島根の松江(弁慶の故郷?)にある「鰐淵寺」に弁慶が一夜にして釣鐘を運び込む場面、としている。(4枚目)平三山車、野田村上組平成25年の見返し。人形の体勢は他演題の弁慶と同じだが、釣鐘弁慶としての説得力はある。石段の配置が盛岡山車と異なる。
盛岡山車で弁慶といえば、古くはこの引き摺り鐘の場面を指した。故に演題名は『弁慶』『武蔵坊弁慶』が一般的であり、『釣鐘弁慶』と題がつくようになったのは戦後のことである。足下に延暦寺の石段を踏み据え、ネジリ鉢巻に法衣の袖をたくし上げて襷を掛け、大男の身の丈に余る大鐘を背負う。弁慶を大きく見せ、同時に釣鐘を大きく見せねばならぬというのがこの演し物の難しさである。
大津絵など一般に知られる釣鐘弁慶の装束は鎧を着た上に法衣をまとっているが、盛岡山車では道着姿の裸人形に仕立てて弁慶の筋肉隆々たる有様を強調するのが通例である。顔も太い眉毛に無精ひげを生やし、決してきらびやかではないが、盛岡山車人形ならではの大人形ダイナミズムにあふれた魅力的な演し物である。
勧進帳は勿論、五条の橋の弁慶でさえ釣鐘弁慶の人形の大きさには及ばない。盛岡市馬町の一番組では釣鐘弁慶専用の大人形(注:初登場時は『朝比奈』に使用)を保管しており、節目節目で登場させては観衆をアッと言わせている。人形の軸になる柱はまっすぐ立てると高さに収まらないので斜めに立て、このことで人形に躍動感が出る。大人形は市内の二番組や一戸の橋中組に貸されたこともあるが、釣鐘弁慶以外の用途には使われたことはない。あまりに大きい人形でスペースが決まってしまうためか、どこが作っても、いつ作っても、ほぼ同じ外観の釣鐘弁慶である。一戸の野田組は自前の大人形を使って、一番組型の釣鐘弁慶を作った。
一戸では上町組が釣鐘弁慶の名手であり、途方もない大釣鐘を弁慶に背負わせる。あまりに鐘が大きく、山車の屋根になるはずの松が釣鐘の脇に追いやられてしまうような作品もあった。弁慶の法衣は黒とか紺とか渋い色が多く、襷に派手な色を合わせて変化を付けるのが定例であるが、上町組の場合は法衣を真っ赤にして非常に派手な色遣いで弁慶を作る。
文責・写真:山屋 賢一
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盛岡山車
『釣鐘弁慶』一戸上町組・日詰上組
盛岡一番組
一戸野田組@(本項)・A
志和町山車@(本項)・A
沼宮内ろ組
沼宮内大町組
石鳥谷西組(本項)
川口下町山道組(見返し)盛岡一番組@
盛岡一番組A
盛岡二番組
盛岡は組@A
一戸橋中組
一戸本組
一戸上町組@A
沼宮内の組
川口下町山道組盛岡一番組・一戸野田組@A(富沢)
川口下町山道組(部分彩色)
沼宮内大町組(色刷り)
盛岡は組
日詰消防一部(国広)
比叡のお山に 釣鐘引いて 怪力弁慶 荒法師(あらほうし)
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明けも暮れ撞(つ)く 三井寺鐘に 由緒(ゆいしょ)秘めたる 戦鐘(いくさがね)
八幡(やわた)祭りに 引き出す三井の 鐘に景気も 大直利(おおなおり)
比叡の山々 琵琶湖に燃えて 弁慶勝負の 鐘を取る
三井の釣鐘 引き上ぐ弁慶 末(すえ)は岩手の 衣川(ころもがわ)
三井より比叡に 鐘引き上げて 怪力弁慶 勝ち名乗り(かちなのり)
戦の収めを 比叡の山に 証(あか)す弁慶 勝ち名乗り
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