南部流風流山車行事データ

  

一戸の山車

山車と町並み(夜間運行:平成18年)

 8月の最終金・土・日曜日に、野田組、橋中組、上町組、本組、西法寺組の山車が二戸郡一戸町内を運行する。
 一戸の山車行事は明治時代の後期から行われていたらしく、盛岡の消防団に倣って更新制の人形山車を始めたものという。実際一戸の山車は、音頭上げ・太鼓の前後配置・装飾等が盛岡と非常によく似ている。反面、二戸以北の影響からか、当地ならではの以下のような特徴がある。

1、過半の組で、音頭の前の停止拍子(あげ太鼓・まっちゃ)が無い
1、音頭の合いの手で太鼓をたたく
1、音頭後、太鼓が鳴る前に山車が動く(2組)
1、運行時に「よーいさよいさ」と掛け声をかける(現在は2組)
1、山車が神輿に随行する時、供物をささげる「お供」が付く
1、過半の組で、趣向と車を区切る盆綱が無い
1、演題札は飾りの外に立てる
1、軒花の花芽の中に布や紙で作った玉を入れる
1、過半の組で、桜の枝に短冊を下げない
1、二戸以北から青森県にかけて見られるビニール製の桜が、紙製の玉桜と共存している(※平成27年で消滅)
1、過半の組で、盛岡では定型の外に置かれる花を飾っている(紅葉や梅など)
1、波しぶきが非常に長い・金の飛沫を入れる(本組以外、近年は野田組のみ)
1、酒樽を見返しに乗せない

 台車の奥行きが広く、盛岡では1列5〜6人の小太鼓を2列以上で編成している組がある。山車を止める時は、盛岡周辺のあげ太鼓・止め太鼓・休み太鼓とはまったく別の拍子を使う(寄席で聞かれる入れ替わりの太鼓に似ている)。音頭をこの拍子の後に上げる組と、単に進行囃子を止めただけにして上げる組とがある。音頭は祝儀先でなく山車の正面に向かって上げ、山車に宿している神々に協賛者を報告し神の言葉として豊年・商売繁盛などを寿ぐ。一戸では山車は天台寺を臨む松林山(茂谷岳)を模し、これに神を降ろして飾り立て、祭典に引き回す。台車の奥行きが広く、盛岡では1列5〜6人の小太鼓を2列以上で編成している組がある。

一戸山車元祖お迎え人形を模す

 神輿が動くのは盛岡の1回に対し 一戸では3回で、山車は神輿が動く間はお供に付き、門付けは鎮座の後に行う。ゆえに自由運行時も、各山車はおおむね同じ地点にいることが多い(最終日の夕方は例外)。酒や米などの供物を捧げた「お供」は山車が神輿に従う場面のみ伴い、先頭を歩く。かつては初婚の女性が勤めた役割で、山車に従って各神社に結婚の報告をし、次の年からは「まま炊き」として裏方に回る慣例であった。お供に前後して歩く浴衣姿の金棒引きは、未婚の男女が務めたという。
 山車人形を飾る台は、盛岡では「盆」と呼ばれるように卵型・円形であるが、一戸では四角い。人形の題目はかつては8月17日に決め、以降9日間で作り上げた。現在は7月末には各組の演題が出揃い、町の広報などで盆明けまでに発表される。祝儀返しには盛岡と同じ絵番付を配るが、どの組も白黒刷りで、絵紙の構想どおりに実物が作られないことも多い。昭和40年代には現在の半分のサイズの絵紙が作られていた。

 昭和40年代から50年代にかけて交通事情の変化に伴う行政の規制により山車行事が衰退しかけ、過半の組が大八車を廃した。バイパス開通後は往時のような大型の山車で町内を運行できるようになり、現在4組が大八車で山車を出している。もともと日中だけの 運行だったが、昭和63年に夜間合同運行(「パレード」とは呼ばない)が企画されて以降山車に照明設備が搭載された。他と比べると、電球を点滅させる例が少ない。
 一戸の祭りが終わると、山車は紫波町の日詰や二戸市の福岡・堀野・浄法寺、葛巻町、軽米町などに売られ、現地の山車として使われる。そのため古くから「南部の山車は盛岡・八戸・一戸を見れば事足りる」と云われていた。

【写真 平成18年の夜間運行、山車は上町組の『児雷也』/西法寺組見返し『恵比寿』平成14年、一戸山車元祖の御迎え人形を模す】

 

 

 
 

上町組

流行のアニメ映画から『見返し もののけ姫』

 上町、袋町の山車。本組と同じ本町通りの消防組なので、「上本組」と名乗った時期があるという。
 動物が入る題をよく選び、竹枠に紙を張った張子造りのほか、木彫りの動物を使うこともある。鎧武者もよく採り、特に戦国武将の鎧を上手に作る。映画やテレビアニメの山車を作ったこともある。歌舞伎ものはほとんど採らず、『和藤内の虎退治』は隈取りを入れずに裸人形風に作った。動物ものや騎馬武者には小ぶりの頭、一体ものには大ぶりの頭を使い分け、見返しにも若者頭・女頭など多彩な人形を使う。演題札の他、表の題の由来を記す「舌代」の札を伴う。
 波しぶきは藤や松に及ぶほど長く作り、使う花の種類が多い。表に2通りの染め方の桜・見返しには紅葉を各々二山に飾る。紅白の梅や蔦を伴った時期もあったが、大八車新調以来種類が絞られ、牡丹を表裏の境で紅白を分け揺れるように付けるなど古風が戻り、「上町組」の札が立つようにもなった。
 運行時の笛は盛岡八幡町の旋律と似ていて、音頭上げの合いの手(「よいさあえ」)にあわせて大太鼓を一打ちし、歩み太鼓に移行する。音頭を上げている間は手平鉦を囃す。
 祭典後の貸出先は二戸の八幡下(は組)・浄法寺の仲の組・葛巻の茶屋場組で、『釣鐘弁慶』『藤原純友』などを貸出先のために改めて新作したこともある。
【写真 『見返し もののけ姫』、映画が公開された平成9年の趣向】

作法変遷・以前の状況
時 期 概 要
平成9年より前
(山屋未見物)
正面脇に酒樽を飾った(昭和58年)
平成20年まで
(非大八期)
台車はトラックで、車を据えたり等の隠す工夫はほぼ無く、牡丹を横に10個以上連ねたり表裏の境に桜・紅葉を多数立てたりして奥行きを調整した
表は桜と紅梅・見返しは紅葉と白梅を飾り、短冊は梅に下げた
伸縮・折り曲げの仕掛けで高さや幅を増す工夫をした:平成9年『紀伊国屋文左衛門』の伸びる帆、平成12年『碇知盛』の折れる碇など
木彫りの馬や虎が山車に上がった
見返しにたびたび漫画やテレビアニメのキャラクターを登場させた(もののけ姫、おじゃる丸など)
台車の無い墨書風の絵紙(平成14・15・17年/8・13年は台車ありで盛岡の原画に近い)
平成19年頃から、盛岡風のあげ太鼓を音頭に先行させ始める(笛は無し)
平成21年以降 平成21年に大八車を新調し、正面脇に「上町組」の小さな立て札を立てた
→運行時の掛け声を「やれやれ」に限った(「よーいさ、よいさ」は廃止)
→梅が飾られなくなり、牡丹の付け方が変わった
平成24年から、盆波の真ん中の位置に盆綱を巻くようになった
小鳥谷の野中若者連に台車(非大八)込みの貸し出し(平成21・22年)

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八幡太郎義家  碇知盛  義経八艘飛び  島の為朝  桜井の別れ

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野田組

盛岡山車初取材演題『池田屋騒動』(平成16年)

 高善寺野田地区の山車。一戸に一番初めに成立した消防組が「向組(むかいぐみ)」で、現在の野田組の原型といわれている。
 野田組の山車は人形を大きく見せる作風で、色遣いは非常に派手である。りりしい京人形で盛岡以南では出ないような目新しい題をたびたび手がけているが、皆奇抜でありながら誰もが一目でわかる題材であった。桜吹雪の入れ墨をはだける『遠山金四郎』は戦後間もない頃に盛岡で出た題だが、平成に入ってからは野田組が専用の大人形を仕立てて数度舞台に上げている。他に『碇知盛』『児雷也』『畠山重忠』などが数度登場の得意題である。見返しには『一寸法師』や『一休さん』等、子供の喜ぶ昔話の場面を飾ることが多い。盆の上に女性を上げるのを伝統的に避けているため、女形の見返しはほとんど上げない。

巻物を広げた『児雷也』(平成11年)

 笛は野田組独自の旋律で、停止拍子の後で音頭を上げ、盛岡流の上げ太鼓に近いリズムは山車を一時停止する時に使っている。音頭の合いの手に太鼓をたたくが、音頭上げ中の拍子はない。音頭後は、太鼓が鳴る前に山車が動き出す。引き子の装束は他と異なり、夏祭り風の白いつなぎの上に袢纏を着る。二戸以北に多い晒し姿の大太鼓が登場した年もあった。大団扇・露払のひょっとこ・おかめが登場するのが恒例である。
 台車は奥行きの広い大八車で、金板細工できらびやかに飾られている。桜は金短冊がないものを両側に、縁染め・芯染め併用で飾り、軒花は各々の上にある桜の染め方と合わせるため、左右で染め分けをしている。金短冊は松に吊り、牡丹は金網に花房を括って飾る。波しぶきに金色を入れる作法はかつては町内の他の組にも見られたが、現在は野田組のみが続けている。電飾も明るく、松に入れた豆電球は点滅させる。
 祭典後の貸出先はかつてさまざまあったが、現在は町内小鳥谷の野中若者連のみとなった。
【写真 平成16年『新撰組 池田屋騒動』、昭和期の題材を大河ドラマに合わせ再作/新構図の巻物を広げた『児雷也』平成11年】

作法変遷・以前の状況
時 期 概 要
平成9年より前
(山屋未見物)
八戸から芸者衆を呼び寄せて踊り屋台を運行したことがある(戦前:一戸・二戸では、このような山車を「大八車」と呼ぶ)
かつての山車の貸し出し先:日詰の上組(昭和40年代)・二戸の長嶺連中(昭和50年代末)・浄法寺の仲の組(昭和の末まで)
平成20年頃まで 軽米の上新町団(旧商工青年部山車組)へ貸し出し、遅くとも平成2年頃から・平成19年が最後
小太鼓は2列で、台車の内部にもたたき手が入った
平成21年以降 平成20年頃から、おおむね最近10年の題が繰り返し登場(平成26年は例外)
平成21年から、松に金短冊を吊し始める
平成22年の夏に台車を分解修理。舞台幅が変わり、太鼓が一列になる
平成25・26・29年は自前の絵柄の絵紙

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伊達正宗  釣鐘弁慶  遠山金四郎  藤原秀衡  畠山重忠

 

 

 

 
 

橋中組

一戸独特の講談もの『曲垣平九郎』(提供写真)

 橋場、中田、樋ノ口地区の山車で、昭和21年から現在まで一度も山車奉納を休むことが無かった。とりわけ昭和40年代から50年代にかけては、行政の規制で大八車の使用が禁止される等山車文化断絶の危機に瀕しながらも、橋中組は志を曲げずに製作を続けてきた。このことが、一戸とそれ以北の山車文化が混じり合わず盛岡流最北端の正統を維持するのに役立ったと考えられる。二戸以北の掛け声「よーいさよいさ」を採り入れたり、人形の一部を動かしたり、雨に強い布製の玉桜を使ったり、大太鼓に合わせた掛け声で騒ぎながら山車を運行したりと、既存の作法にあらたな試みを次々加えてきた組でもある。
 『曲垣平九郎』『一心太助』など他に無い題を多くあげ、特に馬をはじめ動物の入る題が得意である。鎧武者もよく採り、兜類は史実に沿った本格的な造りである。見返しには昔話をからくりつきで飾ることも多い。片側桜・大振りの藤・紅葉飾りの忌避など盛岡山車の古態を町内ではもっともよく残す一方、上記の事情から大八車の台車を使っていない(平成21年以降は町内唯一)。梶棒が無く、下げ波も数が少なく軒花と連動しない。山車全体の色使いに独特のやわらかさがあり、演題立て札は白地に赤枠をつけた独特の色彩にしている。

『源頼光蜘蛛退治』日詰貸し出し時

 運行時の笛は盛岡八幡町のものとよく似ている。音頭上げにまっちゃの先行は無く、歩み太鼓を拍子木の合図で止め、音頭上げが始まると太鼓のカドを打って拍子を取り「やれこのせ」の合いの手にあわせて太鼓をたたく。
 祭典後は日詰の下組、浄法寺の下組、葛巻の浦子内組に飾り一式を貸し出す。
【写真 昭和58年『曲垣平九郎』(提供品)/日詰下組平成5年『源頼光蜘蛛退治』(橋中組の貸出)】

作法変遷・以前の状況
時 期 概 要
平成9年より前
(山屋未見物)
小鳥谷の駅前の他、石鳥谷の下組・沼宮内のの組・川口の下町組・九戸村伊保内・花巻市東和町土沢に山車の貸し出し歴がある
昭和39年、一戸で初めて行列に手古舞を付ける
黄色地に赤枠を付けた演題札(昭和40年まで)
昭和42年、趣向にからくりを導入(児雷也の蝦蟇の口)
昭和43年以降、断続的に紅葉が登場(昭和の末まで)
見返し飾りの中に大太鼓が置かれる(昭和58年の大型化に伴い解消)
昭和62年、他の組に先駆けて牡丹のみに電飾
平成15年頃まで 平成7年以降、1体の定番演題が多くなった
雨に濡れても落ちない布製の玉桜を使用、染めは蛍光塗料で糸を軸とした枝垂れ桜にする(平成9〜19年)
盛岡の最新の絵紙を参考に、当地では珍しい一体歌舞伎演題に挑戦
平成25年頃まで 平成17年、大河ドラマ「義経」のテーマの一部を笛で吹き、音頭に先行させる
早太鼓に掛け声を足して盛り上げ用に使う「橋中やんちゃ」を、お通りやパレードで使用(平成18年頃〜平成24年頃)
平成18年以降は、専ら自前で絵紙を作画
八戸風の大きい小道具が使われる:『碇知盛』(平成18年)の薙刀や『岩見重太郎』(平成21年)の刀など
平成20年、桜が紙製に戻り枝垂れでなくなる
平成25年から、見返しを詠んだ音頭が復活(昭和60・62・63年以来)
平成25年頃から、運行時の掛け声を「やれやれ」に限った(「よーいさ、よいさ」は廃止)

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扇の的  釣鐘の景清  義経一の谷  平将門

 

 

 

 

本組

本組『磐梯山四郎次』の絵紙(由来不明)

 本町通り下町。盛岡の仙北町から山車作りを伝えられたといわれ共通の趣向が上がった時期もあるようだが、現在両者の共通点は少ない。
 定番の題に関口流柔術の始祖『関口弥太郎』が老いた師匠宮本武蔵を籠で担ぐ場面、平家物語序盤に登場する北面の武士『遠藤盛遠』が横恋慕した人妻の袈裟を誤って闇討ちにする場面などがあり、これらは町外はもとより一戸町内でも本組しか採り上げていない大変珍しい演題である。見返しは必ず表と関係する題材にし、絵紙に平家物語や吾妻鏡など演題の出典を明記する慣例がある。珍しい坊主の頭があり、表裏にたびたび使って『厳島の戦(琵琶法師と毛利元就)』や『熊谷蓮生』など他に類例の無い場面を作った。

地元姉帯城の戦国史を採った『姉帯兼興』

 牡丹は茎を長く作って葉をたくさん付け、花を密集させずに葉や茎の間に不連続に配する古態を伝えている。表裏とも右に赤牡丹が来るよう前後で色分けされるが、紅白の境目が大きく空いて四隅に牡丹が寄っている。桜は金短冊が無く、花びらの小ぶりな芯染め・縁染めの桜を両側に付ける。岩には金色を吹付け、四隅に付く波頭や縦に伸びる波の絵が珍しい。注連縄は横波の真ん中からやや上に細く張るので、横波に幣束がかかる。演題札の他に「本組」と書いた札を飾りの外に立てる。台車は補助タイヤつきの大八車だが、町内では正統な盛岡流の大八車に最も近い。盛岡山車広域で見られるズリ(ブレーキ)が欠損している。

 運行時の笛は盛岡八幡町風で、リズムは町内でもっとも緩い。大太鼓は造り・大きさの異なる2基を並べ、叩き手の数も異なる。音頭は絵紙に記す2歌詞のみを使い、祝い音頭は上げない。
 祭典後は町内小鳥谷のに組、葛巻の新町組に飾りを売る。借り上げ先では、一戸での姿に地元なりの工夫が入ることもある。
【写真 平成11年『磐梯山四郎次』絵紙・香代子筆、由来は不明/平成17年『姉帯大学兼興』、地元戦国史からの採題】

作法変遷・以前の状況
時 期 概 要
平成9年より前
(山屋未見物)
軒花を側面に加え正面下にも付けた(〜昭和60年)
昭和晩期から平成にかけては毎年のように化け物の題材を選んだ
平成15年頃まで 一方はビニール製、もう一方は芯を染めた枝垂れ桜を使用(〜平成15年)
平成8年頃から、過去の非常に珍しい演題の復活に傾倒、「他が出さない演し物」がたくさん登場した
平成16・17年は地元の戦国史を表裏に採題
演題札・組札は白木と白塗りを一年交替で繰り返した
平成20年頃まで 軽米町(大町協誠団)に貸し出し、太鼓類は全て前にし高さは圧縮、平成23年が最後
平成17年に白色灯を使い始め、若干明るくなる
運行時の掛け声は「やれやれ」と「よーいさよいさ」(平成24年まで)

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佐々木高綱  釣鐘弥左衛門  那須与一宗

熊谷直実
(葛巻貸出時)  幡隋院長兵衛(小鳥谷貸出時)

 

 

 

 

西法寺組

歌舞伎と動物のスキルが併存する『象引』

 町内では最も新しい山車組で、町南部の西法寺・関屋から出る。昭和晩期まで盛岡の山車職人の来訪があり、おのずと演題も盛岡周辺のものと似通い一戸独特の雰囲気に欠ける作風となった。当時の題はおおむね武者ものであったが、自作後に『鏡獅子』『勧進帳』『雨の五郎』『暫』など他の町内があこがれて已まない華美な衣装の一体歌舞伎山車を多く作るようになったのは、上記のような当組独特の素地によるものかもしれない。県北では異彩を放つ歌舞伎山車組で、見返しにもよく歌舞伎の女形を飾る。人形が横波を踏み破っていたり、両足を横波の前に出してしまう飾り方が頻繁に見られる。
 飾り方は松を強調した渋い演出で、桜を両側に飾った時期も古風に見えるような配置にしていた。毎年ではないが、まれに見返しに酒樽を上げることがある(町内唯一)。白木の演題札のほかに、山車の前後に2枚ずつ金属製の紋章を打った札を立てる。台車は補助輪の付いた大八車で奥行きが広く、小太鼓は2列並べる。笛は町内で唯一の正調盛岡囃子であるが、やや拍子が少ない。音頭前のまっちゃは無く、合いの手に太鼓拍子を合わせ、音頭後は太鼓が鳴る前に山車が動く。夜間は松に豆電球を入れ、町内では野田組と並ぶ明るい電飾である。

西法寺組製作の武内神社祭典山車『景清』(二戸市)

 祭典後の貸出先は二戸(堀野)の東組と軽米の蓮台野芙蓉団、また浄法寺の上組にはその年使っていない人形に手を加えて貸し出している。絵紙は平成15年以降は組自前の絵で作っており、音頭は片側にひとつだけ添えることが多い。
【写真 平成27年『象引』、以南でも稀な歌舞伎演題/二戸市堀野武内神社祭典に貸し出した新作『景清』】

作法変遷・以前の状況
時 期 概 要
平成9年より前
(山屋未見物)
盛岡で出た趣向の再構成の山車(平成元年まで、おおむね頭は変わっている)
平成2年、自主製作開始
平成15年頃まで 演題表札は平成11年までは白塗り、以降は文字を浮き彫りにしたような独特のものを使った
大太鼓を斜めに据えて一人で打ち、小太鼓を挟むように鉦摺りを左右に配した(平成9年頃)
平成15年『加藤清正』以降は自前で絵紙を準備、描き手は石鳥谷など他町でも活躍
平成20年頃まで 平成27年、ビニール桜を飾らなくなり片桜となる(浄法寺など貸出先では継続)
平成28年、見返しに酒の菰樽を飾る

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矢の根  景清  車引き  助六 (見返し)

 


 

(参考)各組の格式等
山車組 組 印 発祥年 別称等
上町組 違い角 明治14年 上本組
一戸消防組第三部
上町青年会
野田組 輪違い 嘉永6年 向組
一戸消防組第二部
野田子供育成会
橋中組 源氏車三面体 明治36年
本組 中蔭松皮菱 藩政末期 一戸消防組第一部
本組陣
本町青年クラブ
西法寺組 昭和期 一戸町消防団西法寺分団




 

《詳細日程》

8/最終木曜 

前夜祭山車集合時

・旧県立病院跡(橋中組エリア)で、5つの山車組が音頭上げと囃子を競演する前夜祭が午後7時より開催される。(〜平成27年)
※当初囃子のみの参加だったが、平成17年からは山車も参加するようになり、会場への移動も囃子をかけ祭り装束を着て行っている(遠方2組は午後6時出発)。主催者あいさつの後、各組から @構成町内会 A演題の説明(製作部長等による わかりやすい) B太鼓披露(創作太鼓風) C音頭2本 D3日間よろしくお願いしますの挨拶 がある。囃子競演は各組20分程度、本来後ろに配置する大太鼓を山車の前に設置して行う。電飾はパフォーマンス中の組だけ灯す。午後9時終了、帰りも囃子をかけて帰る。


8/最終金曜
 pm 2:00 神輿・山車合同運行
※5台の山車と鹿踊り・七つ物(来田)などの「かぐら」が町内を北上する。八坂神社付属:来田七つ物踊り・楢山神楽・根反鹿踊り/鳥海稲荷神社付属:小鳥谷七ツ踊り・女鹿神楽

 終着地点に最後尾の西法寺組が3時30分ころ到着し、休憩後はパレード順とすっかり逆の順序で音頭を上げながらゆっくり町内を南下する。駅前付近で引き返し、夕闇が迫る頃に小屋に入る。特に西法寺組については、中心街での門付け音頭が見られるのは金曜日のみである。だいたい夜7時ころまでにどの山車も小屋入りする。

※神輿が下天王(終着地点付近の社)に到着すると、境内で七ツ物踊り、鹿踊りが上演される(午後3時ころ)。

※午後3時半から5時過ぎまで、主に上町周辺で郷土芸能(来田七つ物踊・楢山神楽権現舞・女鹿神楽権現舞)の門付け廻りが行われる。
 pm 6:30 郷土芸能 根反鹿踊・来田七つ物踊の奉納(八坂神社境内:最終日の予行演習)


中日のお通り、上町に山車が並んだところ

8/最終土曜
 pm 2:00 神輿・山車合同運行
※一戸まつりの山車運行が最も長距離にわたって行われる機会であり、北端の下天王から南端の関谷大日天まで行く。順番は他の日と逆で、西法寺組から始まり本組が殿。一戸町内に伝わる小友、楢山、中山、高屋敷、女鹿、岩清水、田中新山社の7つの山伏神楽が「権現様」と呼ばれる獅子頭を一堂に会し、いっせいにくねりや歯打ちを演じる。(権現様パレード)

※終着地点付近の神社で、各山伏神楽が下舞・権現舞を上演する。

※合同運行解散後、消防署での休憩を経て各山車が音頭をたくさん上げながら一戸駅前まで戻る(町南部関谷地区:午後4時半〜6時ころ:地元の西法寺組だけは門付けをしない)。

※夕方から、流し踊りの開始までの1時間くらいの間に、昼間のパレードに加わった神楽座のいくつかが権現舞で駅前商店を門付けする。
 pm 6:30 一戸音頭流し踊り

山車の夜間運行(西法寺組平成15年)

 pm 7:00 ライトアップした山車の夜間合同運行
※スタート地点は一戸駅前で、5台の山車が再びズラリと並ぶ(午後6時30分)。午後7時ののろしで1台1台がかなり間隔を空けてスタートし、実行委員会本部前で音頭を2つあげる。

 パレード後の折り返しは各組早太鼓で足早に行い、門付けはしない。最後尾の西法寺組が夜間運行を終えて折り返し、小屋入りするのが午後9時ごろ。


8/最終日曜
 pm 1:00 各山車組出発。結果的に1列になって商店街を南下する。約1時間後に5台全ての山車が一戸駅前に並ぶ。
 pm 2:00 神輿・山車合同運行
※郷土芸能(小鳥谷七つ物踊・女鹿神楽打ち鳴らし・楢山神楽舞い込み・来田七つ物踊・根反鹿踊)をともなう神輿行列と5台の山車、「一乃会」の練神輿によるパレードで、一戸駅を出発し、野田、上町、本町まで巡行。途中八坂神社付近で鳥海稲荷神社神輿行列が折り返し、小鳥谷七つ物踊と西法寺組山車がこれに随行して折り返す。

 pm 3:30 野田組・橋中組・上町組・本組が農協前広場で休憩⇒以降「地元廻り」
※野田組がpm4:00ごろ商店街へむけて出発し、大体30分後に町内に到着・裏通りを回って夜は表通りへ。橋中組はpm5:00すぎに地元橋中地区へ到着し、たくさん音頭を上げながらゆっくりと巡行。上町組・本組はpm5:30すぎに出発して本町通りを門付けする。


 pm 6:00 郷土芸能 根反鹿踊・来田七つ物踊の奉納(八坂神社境内)

※県内外で絶大な人気を得ている県無形文化財の根反鹿踊りは、きわめて勇壮活発。一戸まつり最終日夜八坂神社奉納を毎年格別のものに仕上げている。特にも役舞の後、輪から隊形を変えて本殿前に列を作る場面は圧巻で、祝儀を返礼する花舞はこの場以外ではなかなか見られない。

鹿踊りの奉納(祭典最終日、八坂神社)

 pm 6:00〜7:30 5台の山車が各々の自町内で門付け、最後の時を惜しむ。メインストリートの野田組の小屋入りがpm 7:30すぎ。

【写真 平成26年の前夜祭・山車は上町組『島の為朝』/平成22年、中日のお通り風景(上町万代館付近)/平成15年の夜間運行・山車は西法寺組『加藤清正』/根反鹿踊り八坂神社奉納】

 

 



〜一戸町内では八坂神社・稲荷神社祭典(通称「一戸まつり」)のほかにも何件か、山車の出るお祭りが催されています〜

太子堂まつりの天狗子供山車
●聖徳太子堂祭り(中山)

 中山地区、IGR奥中山高原駅から駅前通り・聖徳太子堂を主会場に、毎年8月7日に開催される。軽トラックの台車に紅葉や藤の造花を飾り屋根枠をかけた「天狗子供山車」が出る。屋根の真ん中に大きな天狗の面が吊られ、四方にアニメキャラクターのレリーフを飾った山車である。午後1時に駅を出発し、日中いっぱい町内を回った後、夕方5時から中山神楽・ブラスバンド・神輿2基とともにパレード運行をする。駅と太子堂を休憩を入れながら2往復し、運行終了は夜の9時ころである。
 太鼓2基と鉦のお囃子で、前に小太鼓・後ろに大太鼓を据えているが、音頭は二戸流の沖上げ音頭で、太子堂の由来などがうたわれる。音頭の最中、小太鼓は撥で皮を摺って音を鳴らす。音頭は出発時に上げるのみで、休憩明けや祝儀返礼として上げるわけではない。小太鼓がリズムを乱すと大太鼓が修正し、停止拍子は一戸と共通する2種である。夜間は照明を付け、運行も終盤に差し掛かると早太鼓で運行する。
 他に昭和50年代ころには「中山の園まつり」に、一戸山車に近い武者人形を飾った山車が出ていた。

●中里まつり(鳥海)

 盆明けごろに開催。平成18年で17回目を迎える祭典。ひょっこりひょうたん島、ブラックジャック、ルパン三世など漫画のキャラクターを飾った山車を出す。装飾様式は盛岡山車に近似し、松・玉桜・牡丹・横波等を備える。

●小鳥谷八幡神社祭典(小鳥谷)

 不定期、平成21年は9月26・27日開催。かつては仁昌寺、中屋敷、野里の3台の山車が出ており、一戸まつりの本組、橋中組などから飾り一式を借り上げた本格的な大型人形山車であった。平成3年ごろ一時復活、平成20年に仁昌寺「に組」が本組の支援の下で復活、翌21年は「野中若者連」と2台で山車を運行した。第一日目は郷土芸能と山車の合同運行、夜間パレードと駅前イベント、第二日目に神社神輿渡御を催行している。山車の作法は一戸とほぼ同じで、山車を止めての音頭上げや絵番付、夜間照明も備えている。

詳細

関屋子供会の山車絵紙(提供品)

※一戸まつりには
@昭和58年から63年まで「関屋子供会」から山車が出ている。伝統題ではなく『機動戦士ガンダム』『ゲゲゲの鬼太郎』など漫画・アニメのキャラクターを作った山車で、絵紙も出していた。祭典終了後は浄法寺町に貸し出しも行っていたようだ。

ミニ山車『碇知盛』(平成9年)

A平成に入ってからは交通安全PRのためのミニ山車が登場し、中日の流し踊りパレードに参加している。高さは約1メートルで、盛岡山車の絵紙をもとに啓発チラシを作り、『碇知盛』『藤原純友』『四条畷』など精巧なつくりで歴代の一戸山車をユーモラスに再現している。

【写真1 太子堂まつりの天狗子供山車(平成26年)/小鳥谷八幡神社祭典の仁昌寺の山車『冨田勢源』(昭和40年代 提供品)/関屋子供会山車絵紙『ゲゲゲの鬼太郎』(提供品)/平成9年のミニ山車『碇知盛』】


 

一戸ならではの山車の演題

 

 一戸まつりの楽しみは、盛岡をはじめ他では滅多に見ることの無い珍しい山車が出ることである。単に珍しいだけでなく、一目見ただけであっと驚かされるような奇抜な外観の題材が多い。これらは製作時、そして運行時に格別の技術を要する職人技でもある。

 野田組は特にこういった題を好み、船に乗った『日蓮上人』や、片目に矢が刺さった『山本勘助』を山車に上げた他、『四つ車大八』も定型をなぞらず荷車を丸ごと差し上げる構図で作った。
 盥に大久保彦左衛門を乗せて江戸城へ行く『一心太助』は橋中組、同じく籠かき姿の本組『関口弥太郎』、…このような何かに乗って浮かんでいる人物の描写は盛岡山車ではほぼ無い。『曲垣平九郎』は徳川家光の所望で馬で急な石段を駆け上がった馬術の名人で、下り馬を石段に乗せるのは馬をしっかり作れる組でなければ無理である。『源頼光鬼退治』では酒呑童子の大首を山車の約半分を覆う程に大胆に据え、圧倒的な迫力を演出した。等身大の釣鐘を頭上に持ち上げた『釣鐘弥左衛門』はもともと戦前の盛岡で出た演し物だが、戦後はおおむね一戸のみで作られており、特に本組が何度も作って得意の題とした。鐘を使う趣向自体は他でも出るが、ここまでダイナミックに構図に入れている例は他に無い。
 西法寺組には、古くは「名人」と名高い盛岡の職人が人知れずやってきて、盛岡での型を崩して仁田四郎を入れた『夜討曽我』を作ったり、八艘飛びの応用と考えられる『吉野千本桜』・佐藤忠信と悪僧の斬り合いを作ったりもしている。自作に至った後は、従来に無い構図で『鏡獅子』や『車引き』『鳥居前』と歌舞伎演題を開拓した。

背面まで貫く大きな鯉を飾った上町組『鬼若丸』

 上町組は動物を大きく大胆に使って既存の演題の「見せ方」を変えている。鯉(『瀧間戸の志賀之助』『鬼若丸』)や蝦蟇(『児雷也』)に限らず、盛岡で出た『甕割り柴田』をすぐ次の年に大道具を拡大して出したり、「一戸ならでは」に仕立て直した山車が多い。

 このような一戸特有の数々の趣向は、大多数の観客の目を引き楽しませることの出来る、大変魅力的なものである。そこに娯楽の第一線上に立つ山車の姿がはっきりと見える。これからはかつての奇想が復活制作されるのみならず、さらに新たな発想が開拓されるようであれば嬉しい。町外にもそのような多彩な発想が広がっていけば、盛岡山車はさらに豊かになるであろう。
 近年、一戸の山車演題は盛岡と似通いつつある。いくつか要因が考えられるが、奇抜な伝統題の由来が一般に通じなくなってしまったこと、また、長年この地域の憧れであった歌舞伎演題に取り組める環境が情報面・物資面等で整ったことなどがあげられるだろう。私のような町外のファンにとっては少々淋しい「一戸らしさの喪失」ではあるが、町内の愛好家にとっては長年目指してきたことが達成されたとも思え、一概に文化の後退・断絶とはいえない。
 その辺りが、年々姿を変える風流山車の難しさであり、楽しさでもある。【写真 上町組『鬼若丸』平成17年、鯉を上に配し立ち岩を貫いた斬新な演出】

 


※一戸の山車 各組歴代演題の調査※

※南部流風流山車行事全事例へ※

文責・写真:山屋 賢一

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