南部流風流山車行事データ

  

一戸の山車

山車と町並み(平成18年)
 8月最終金・土・日曜日に二戸郡一戸町内を運行する野田組、橋中組、上町組、本組、西法寺組の山車。山車行事は明治後期から行われていたらしく、盛岡の消防団に倣って更新制の人形山車を始めたと伝える。音頭上げ・太鼓の前後配置・装飾等が盛岡と非常によく似ている反面、音頭の合いの手に太鼓拍子を入れたり、運行時に「よーいさよいさ」と掛け声をかけたり、手古舞がお供え物をささげていたり、軒花の花芽の中に布や紙で作った玉を入れたり、波しぶきを金銀2色で非常に長く作ったり、…と、独自の工夫や二戸以北の影響による一戸ならではの特徴がある。山車を止めるときの拍子は、盛岡周辺のあげ太鼓・止め太鼓・休み太鼓とはまったく別のものである。台車の奥行きが広く、盛岡では1列5〜6人の小太鼓を、一戸では2列以上で編成している組が多い。昭和40年代から50年代にかけて、行政の規制により一時山車行事が衰退したが、バイパス開通後は往時の如き大型の山車で町内を運行できるようになった。昭和63年にはじめて夜間合同運行が行われ、以来山車に照明設備を搭載している。祭礼終了後は紫波町の日詰、二戸市の福岡・堀野・浄法寺、葛巻町、軽米町などに人形を売る慣例がある。

 

 

 
 

上町組

流行のアニメ映画から『見返し もののけ姫』

 上町、袋町。本組と同じ本町通りの消防組なので、本組の呼称をめぐって当初「上本組」と名乗っていた。
 退治ものが得意で、竹枠に紙を張った張子造りのほか、木彫りの動物も作っている。退治ものや騎馬武者には小ぶりの頭、一体ものには大ぶりの頭を使い分け、見返しにも若者頭・女頭など多彩な人形を使う。歌舞伎など本来裸人形でない演題を裸人形風に作ることもある。伸縮や折り曲げの仕掛けで高さや幅を増すなど、様々に工夫を凝らした作品が多い。見返しにはたびたび漫画やテレビアニメのキャラクターを登場させて大衆化をはかり、表にも映画の一場面を作ったことがあった。

 五角形の立て札に演題の由来を示して山車に立てる(「舌代わり」)。以前の台車はトラックを改造したもので、特に大八台車に見せかけるなどして隠すふうでもなく、牡丹を横にたくさん連ねたり、人形と立ち岩の隙間に桜や紅葉を詰め込んだりして台車の奥行きを調整していた。花の種類が多く、紅葉、2通りの染め方をした桜に加え、金短冊をつるした紅梅白梅を飾っていた。平成21年に大八車の台車を新調し、梅は飾らなくなり、牡丹は支えの枝にくくって揺れるようにつけるなど作法に変化が見られた。「上町組」と書かれた立て札が新たに立つようになった。波しぶきは藤や松に及ぶほど長く作る。

 運行時の笛は盛岡八幡町の旋律と似ていて、音頭上げの合いの手(「よいさあえ」)にあわせて大太鼓を一打ちし、そのまま歩み太鼓に移行する。音頭を上げている間は手平鉦を囃す。祭礼後の貸出先は二戸市福岡町の八幡下(は組)、浄法寺町の仲の組、葛巻町の茶屋場組で、『釣鐘弁慶』『藤原純友』などを貸出先のために新調した年もあった。

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八幡太郎義家  碇知盛  九戸政實

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野田組

盛岡山車初取材演題『池田屋騒動』

 高善寺野田地区。一戸に一番初めに成立した消防組が「向組(むかいぐみ)」であり、現在の野田組の原型といわれている。戦前には八戸から芸者衆を呼び寄せて踊り屋台を運行したこともあった(一戸・二戸では、このような山車を「大八車」と呼ぶ)。
 野田組の山車は人形を大きく見せる作風であり、りりしい表情の京人形を使って、盛岡以南では出ないような目新しい演題に数多く取り組んでいる。奇抜でありながら誰もが一目でわかるものを採り上げたところに、観客への心遣いが伺われる。忠臣蔵の『大高源吾』は大正期に盛岡で出て以降、もっぱら野田組が改変を繰り返しながら作ってきた。見返しには『一寸法師』や『一休さん』が何度か上がっているが、子供の喜ぶ昔話の場面を飾ったものが多い。
 台車は奥行きの広い大八車で、金板細工できらびやかに飾られている。小太鼓は2列備え、台車の内部にもたたき手が入る。
笛は野田組独自の旋律で、盛岡流の上げ太鼓に近いリズムを山車を一時停止する時の拍子に使っている。音頭の合いの手に太鼓をたたくが、上町組や橋中組のような音頭上げ最中の拍子はない。桜は金短冊がないものを両側に、牡丹は金網に花房を括って飾る。
 祭礼後は軽米の上新町団(旧商工青年部山車組)に飾り一式を貸す。以前は、日詰の上組や浄法寺の仲の組にも貸し出しを行っていた。

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伊達正宗  釣鐘弁慶

 

 

 

 
 

橋中組

一戸独特の講談もの『曲垣平九郎』(提供写真)
 橋場、中田、樋ノ口地区。昭和21年から現在まで、一度も奉納を休むことが無かった組である。とりわけ、昭和40年代から50年代にかけて行政の規制で大八車の使用が禁止される等山車文化断絶の危機に瀕しながらも、橋中組は志を曲げずに制作を続けてきた。このことが、一戸町とそれ以北の山車文化が混じり合わず、盛岡流最北端の正統を維持するのに役立った。
 演題には『曲垣平九郎』『一心太助』など、以南では見られない独特のものがあり、馬をはじめとして動物を使う演題が得意である。また近年は盛岡祭りの絵紙を参考に、当地では珍しい一体歌舞伎演題に積極的に挑戦している。見返しには、昔話の場面をからくりつきで飾ることが多い。
 片側桜・大振りの藤など、盛岡山車の古態を町内ではもっとも好く残す一方、梶棒が無く、下げ波も数が少なく軒花と連動しない。演題を示す立て札は白地に赤枠をつけた珍しい色彩である。

紫波町日詰貸し出し時
 音頭の作法が変わっていて、あげる前にまっちゃをたたかず、歩み太鼓を拍子木の合図で止める。音頭上げの最中は、太鼓のカドを打って拍子を取り、「やれこのせ」の合いの手にあわせて太鼓をたたく。運行時の笛の旋律は盛岡八幡町のものとよく似ている。

 二戸以北の運行時の掛け声「よいさよいさ」を採り入れたり、人形の一部を電動で動かしたり、雨に強い布製の玉桜を考案したり、大太鼓のリズムに合わせた掛け声で賑やかに騒ぎながら山車を運行したり、既存の山車行事にあらたな試みを次々と採り入れてきた組でもある。祭礼後は日詰の下組、浄法寺町の下組、葛巻町の浦子内組に飾り一式を貸し出す。

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那須与一  釣鐘の景清  義経一の谷  平将門

 

 

 

 

本組

鎧武者を持ち上げた『蒲生氏郷』

 本町通り下町。盛岡仙北町の作風を伝えるとされるが、現在その面影は無い。
 珍しい坊主の頭が残っていて、表裏に坊主ものがたびたび登場する。表裏の演題関連を徹底し、凝った見返しを作る。昭和晩期から平成にかけては毎年のように化け物を作ったが、その後は極めて稀有な裸人形の復活に傾倒した。定番の演題には、関口流柔術の始祖『関口弥太郎』が、老いた師匠宮本武蔵を籠で担ぐ場面、平家物語序盤の逸話、北面の武士『遠藤盛遠』が人妻の袈裟を誤って闇討ちにする場面などがあり、これらは町外はもとより、一戸町内でも本組しか採り上げていない。平成14年ころからは、源平合戦や地元史など、武者人形に多く取り組んでいる。
 牡丹は茎を長く作って葉をたくさんつけ、花を密集させずに葉や茎の間に不連続に配置する古態を伝えている。立ち岩を境に表裏2つずつ、合計4つの牡丹の塊を作る。桜は金短冊は無い花びらの小ぶりなものを両側に飾る。一方はビニール製、もう一方は芯を染めた枝垂桜…という時期が長かった。岩は金の吹付けが特に強く、縦に伸びる波の描写も珍しい。台車は補助タイヤつきの大八車だが、町内では正統な盛岡流の大八車にもっとも近い。運行時の笛は盛岡八幡町の流派であり、リズムは町内でもっとも緩やかである。

 祭礼後は軽米町の大町協誠団、葛巻町の新町組に飾りを売る。葛巻では、一戸での姿に地元なりの工夫がくわえられることもある。

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佐々木高綱  早川鮎之助

 

 

 

 

西法寺組

歌舞伎山車『景清』

 西法寺組には昭和晩期まで盛岡の山車職人の来訪があり、おのずと演題も盛岡周辺のものと似通い、一戸独特の雰囲気に欠ける作風となった。反面、『鏡獅子』『勧進帳』『雨の五郎』『暫』など、他の町内があこがれて已まない華美な衣装の一体歌舞伎人形の作法を伝え、県北部の山車組の中では異彩を放つ存在となった。見返しに歌舞伎舞踊を作るのも、一戸ではこの組のみである。
 飾り方は松を強調した渋い仕立て方で、桜は両側に飾るが古風に見える配置をしている。演題表札は平成11年までは白塗り、以降文字を浮き彫りにしたような独特のものを使っていたが、現在は白木の札に戻している。演題立て札のほかに、山車の前後に2枚ずつ金属製の紋章を打った立て札を立てる。台車は補助輪の付いた大八車で奥行きが広く、小太鼓は2列並ぶ。大太鼓を斜めに据えて一人打ちをしたり、小太鼓を挟むように手平鉦を打つ若者を左右に配置したこともあった。人形が横波を踏み破っていたり、両足を横波の前に出してしまう飾り方が頻繁に見られる。笛のメロディーは町内で唯一の正調盛岡囃子であるが、やや拍子が少ない。夜間は松に電球を入れ、町内では野田組と並ぶ明るい電飾である。

一戸山車元祖お迎え人形を模す
 祭礼後の貸出先は二戸(堀野)の東組、また浄法寺の上組にはその年使っていない人形にかなり手を加えて貸し出している。

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矢の根  車引き

 


 

(参考)各組の格式等
山車組 組 印 発祥年 別称等
上町組 違い角 明治14年 上本組
一戸消防組第三部
上町青年会
野田組 輪違い 嘉永6年 向組
一戸消防組第二部
野田子供育成会
橋中組 源氏車三面体 明治36年
本組 中蔭松皮菱 藩政末期 一戸消防組第一部
本組陣
本町青年クラブ
西法寺組 昭和期 一戸町消防団西法寺分団




 

《詳細日程》

8/最終木曜
・地元の学校グラウンド等を借りて、5つの山車組が音頭、囃子を競演する前夜祭が開催される。
※当初囃子のみの参加だったが、平成17年からは山車も参加するようになった。会場への行き来は一切囃子を行わず、無音で輸送し、本来後ろに配置するはずの大太鼓を山車の前に設置して囃子競演を行う。


8/最終金曜
 pm 2:30 神輿・山車合同運行
※5台の山車と鹿踊り・七つ物(来田)などの「かぐら」が町内を北上する。終着地点に最後尾の西法寺組が3時30分到着、休憩後パレード順とすっかり逆の順序で音頭を上げながらゆっくり町内を南下する。だいたい夜7時ころまでにどの山車も小屋入りする。
※神輿が下天王(終着地点付近の社)に到着すると、境内で七ツ物踊り、鹿踊りが上演される(午後3時ころ)。

※午後3時半から5時過ぎまで、主に上町周辺で郷土芸能(来田七つ物踊・
楢山神楽権現舞・女鹿神楽権現舞)の門付け廻りが行われる。

 pm 6:30 郷土芸能 根反鹿踊・来田七つ物踊の奉納(八坂神社境内:最終日の予行演習)


山車の夜間運行(西法寺組平成15年)
8/最終土曜
 pm 2:00 神輿・山車合同運行
※一戸まつりの山車運行が最も長距離にわたって行われる機会であり(北端の下天王から南端の関谷大日天まで)、一戸町内に伝わる小友、楢山、中山、高屋敷、女鹿、岩清水、田中新山社の7つの山伏神楽が「権現様」と呼ばれる獅子頭を一堂に会し、いっせいにくねりや歯打ちを演じる。(権現様パレード)
※終着地点付近の神社で、各山伏神楽が下舞・権現舞を上演する。
※パレード解散後、各山車が音頭をたくさん上げながら自分の町内に帰る。
※夕方から、流し踊りの開始までの1時間くらいの間に、昼間のパレードに加わった神楽座のいくつかが権現舞で駅前商店を門付けする。
 pm 6:30 一戸音頭流し踊り

 pm 7:00 ライトアップした山車の夜間合同運行
※スタート地点は一戸駅前で、5台の山車が再びズラリと並ぶ(午後6時30分)、1台1台がかなり間隔を空けてスタートし、実行委員会本部前で音頭を2つあげる。最後尾の西法寺組が夜間運行を終えて小屋入りするのが午後9時ごろ。


8/最終日曜
 pm 1:00 各山車組出発。結果的に1列になって商店街を南下する。約1時間後に5台全ての山車が一戸駅前に並ぶ。
 pm 2:30 神輿・山車合同運行
※郷土芸能(小鳥谷七つ物踊・女鹿神楽打ち鳴らし・楢山神楽舞い込み・来田七つ物踊・根反鹿踊)をともなう神輿行列と5台の山車、「一乃会」の練神輿によるパレードで、一戸駅を出発し、野田、上町、本町まで巡行。途中八坂神社付近で鳥海稲荷神社神輿行列が折り返し、小鳥谷七つ物踊と西法寺組山車がこれに随行して折り返す。

 pm 3:30 野田組・橋中組・上町組・本組が農協前広場で休憩⇒以降「地元廻り」
※野田組がpm4:00ごろ商店街へむけて出発し、大体30分後に町内に到着する。橋中組はpm5:00すぎに地元橋中地区へ到着し、たくさん音頭を上げながらゆっくりと巡行。上町組・本組はpm5:30すぎに出発して本町通りを門付けする。


 pm 4:30 八坂神社奥の小野寺内科医院駐車場において、一戸まつりの意気のいいところが競演。

・pm4:30 根反鹿踊(たくさん踊ると評判)
・pm5:00 野田組山車到着
(⇒以降野田商店街に出て夜7時ころまで門付け)
・pm5:15 練り神輿「一乃会」の宮納め
・pm5:30 来田七つ物踊


 pm 6:00 郷土芸能 根反鹿踊・来田七つ物踊の奉納(八坂神社境内)
※県内外で絶大な人気を得ている勇壮活発な根反鹿踊りは、本拠八坂神社での奉納舞を毎年格別のものに仕上げている。とくに役舞の後、輪から隊形を変えて本殿前に列を作る場面は圧巻。祝儀を返礼する花舞は、一戸まつり以外ではなかなか見られない。
 pm 6:00〜7:30 5台の山車が各々の自町内で門付け、最後の時を惜しむ。メインストリートの野田組の小屋入りがpm 7:30すぎ。

 

 



一戸町内の各山車行事について
〜八坂神社・稲荷神社祭典(通称「一戸まつり」)のほかにも、一戸町内には何例か山車行事が伝承しています〜


●太子堂祭り(中山)
 奥中山地区、8月初旬。夜間照明を備えた山車1台が運行、現在は盛岡山車の様式をほとんど備えていないが、表裏に更新制の装飾を施す。平成18年は表に天狗の大きな面を飾り、背面にケロロ軍曹のレリーフを吊るした山車を出した。

●中里まつり(鳥海)
 盆明けごろに開催。平成18年で17回目を迎える祭典。ひょっこりひょうたん島、ブラックジャック、ルパン三世など漫画のキャラクターを飾った山車を出す。装飾様式は盛岡山車に近似し、松・玉桜・牡丹・横波等を備える。

●中山の園の祭典(中山)
 昭和50年代ころに標記施設を中心に行われていた山車祭りで、一戸山車に近い武者人形を飾った山車が出ていた。

●小鳥谷八幡神社祭典(小鳥谷)
 不定期、平成21年は9月26・27日開催。かつては仁昌寺、中屋敷、野里の3台の山車が出ており、一戸まつりの本組、橋中組などから飾り一式を借り上げた本格的な大型人形山車であった。平成3年ごろ一時復活、平成20年に仁昌寺「に組」が本組の支援の下で復活、翌21年は「野中若者連」と2台で山車を運行した。第一日目は郷土芸能と山車の合同運行、夜間パレードと駅前イベント、第二日目に神社神輿渡御を催行している。山車の作法は一戸とほぼ同じで、山車を止めての音頭上げや絵番付、夜間照明も備えている。

平成21年の記録

ミニ山車『碇知盛』(平成9年)
※一戸まつりには @昭和58年から63年まで「関屋子供会」から山車が出演している。「機動戦士ガンダム」「ゲゲゲの鬼太郎」など漫画・アニメのキャラクターを作った山車で、絵紙も出していた。祭典終了後は浄法寺町に貸し出しも行っていたようだ。A平成に入ってからは交通安全PRのためのミニ山車が登場し、中日の流し踊りパレードに参加している。高さは約1メートルで、盛岡山車の絵紙をもとに啓発チラシを作り、「碇知盛」「藤原純友」「四条畷」など精巧なつくりで歴代の一戸山車をユーモラスに再現している。



 

一戸ならではの山車の演題

 

 一戸の山車の演題には、盛岡など他の地域では出ないような珍しいものがあり、奇抜で一目見ただけであっと観客を驚かせるような演題が多い。これらは制作時ないし運行時において格別の技術を要するものであり、単に奇をてらうだけではない職人技である。


 野田組は特にこういった演題が得意で、船に乗った日蓮上人を出したり、片目に矢が刺さった山本勘助、荷車を丸ごと差し上げた四つ車大八などで話題を呼んだ。盥に大久保彦左衛門を乗せて江戸城へ行く「一心太助」は橋中組、同じく籠かきの場面を作った本組の「関口弥太郎」など、両者とも思いもよらない大道具を使い観衆を驚かせる。「曲垣平九郎」は、徳川家光の所望で石段を馬で駆け上がった馬術の名人の姿、下り馬を石段に乗せるということで、馬をしっかり作れないと取り組めない演題だ。
 等身大の釣鐘を高く頭上にかざした「釣鐘弥左衛門」は、戦後はおおむね一戸のみで作られており、特に本組は3度にわたって取り組み定番の演題とした。

大鯉が山車全体を貫く上町組の『鬼若丸』
 西法寺組には、古くは盛岡の職人がお忍びでやってきて、盛岡の型を崩した「夜討曽我」「鏡獅子」、「義経八艘飛び」の応用と考えられる「吉野山の義経」などを作っていた。
 近年では上町組が大きな動物を使うなどして既存の演題の「見せ方」を変えている。鯉や蝦蟇に限らず、盛岡で取り組まれた珍しい演題をすぐ次の年に甕を拡大して取り組んだことなど記憶に新しい。


 このような独特の趣向は大変目を引く魅力的なものであり、今後もこのような作品が復活制作されるのみならず、新たな奇抜さでもって開拓されていくようであればと願っている。

 近年、一戸の演題が盛岡と似通うようになりつつある。一つは、奇抜な演題の由来が一般に通じなくなってしまったこと、また、長年この地域の憧れであった歌舞伎演題について、近年の技術開発によって取り組める環境が整ったこと、などが要因であり、一概に文化の後退とはいえない面もある。

 


※一戸の山車 各組歴代演題の調査※

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文責・写真:山屋 賢一

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