盛岡山車の演題【風流 酒呑童子と頼光】
 

大江山鬼退治

 



日詰下組平成19年

 題は『大江山(おおえやま)の鬼退治』『源頼光(みなもとの らいこう)鬼退治』『頼光朝臣(よりみつ あそん)』など様々。
 源頼光は史実では武人というより貴族に近いようで、隆盛期の藤原摂関家を支えた一人である。頼朝が源平合戦を勝ち抜いて武士の世を築いた時、祖先の功績を過大に描いた数々の武勇伝を作って源氏を後々まで武士の頂点に立たせようとした。その際、頼義・義家あたりまでは史実に添って人間と戦うこととしたが、頼光については渡辺綱ら四天王とともに鬼や妖怪と戦う筋書きにした。「御伽草子(おとぎぞうし)」に見える大江山酒呑童子退治は、この種の頼光武勇伝の代表例である。
 京の町で美女がさらわれる事件が続発、丹波(たんば)の大江山に棲む鬼の仕業という。内裏は当初祈祷師や陰陽師に頼って鎮めようとしたが収まらず、武人による直接手段で収拾を図ることとなった。当時都随一の武人といわれた源頼光は鬼退治の勅命を受け、配下の四天王・丹後の国司平井保昌(ひらい やすまさ)を引き連れ大江山に向かう。鬼達を油断させるため旅の山伏(やまぶし)に身をやつし、途中で住吉・八幡・熊野の神々から兜と「神便鬼毒酒(じんべん きどくしゅ)」を授かる。これは人には美酒で、鬼には毒と働くという不思議な酒であった。
 山には鉄の柵や塀で固められた御所があり、中では鬼達が宴を開いていた。その上座に子供がその姿のまま大きくなったような奇怪な鬼人が座っていて、名を酒呑童子(しゅてんどうじ)といった。鬼達の飲む酒は人の生き血・肴は人の腕や足であったが、頼光一党がこれらを恐れることなく口にしたので童子は気を許し、やがて宴もたけなわとなり、鬼毒酒に酔った鬼達は次々と寝込んでしまう。童子の姿はみるみるうちに真っ赤な鬼に変わり、変装を解いて鎧姿になった四天王はその両手両足を鎖で縛って一斉に斬りかかり、首を落とした。勝負あったと思いきや、なんと童子の首が天に舞い上がり、目をらんらんと光らせ口からは火を吹いて頼光一党に襲いかかってきた。首は頼光の頭に噛み付いたが、神が授けた兜の威徳でその牙は頼光に及ばず、苦戦苦闘の末に一党は何とか酒呑童子を討ち取り、都に凱旋するのであった。

絵紙『大江山 酒天童子』盛岡市夕顔瀬会昭和35年

 盛岡型の山車に登場するのは以上の物語の最後 首だけになった酒呑童子が武者に襲いかかる場面である。少々残酷な気もするが、これであれば表現する部分が顔だけで済み、いくらでも大きく作ることが出来る。一戸の橋中組では特に鬼の首を大きく、舞台の半分程度を占めるほどに作って奇抜な山車を仕上げた。戦前には盛岡でも出た題材で、盛岡助力期の沼宮内や石鳥谷でも山車に上がっており、いずれも酒呑童子に胴体は無かったようである。趣向の肝は何といっても鬼の顔であるが、後述する八戸山車や青森ねぶたに好例があるため、なかなかこれらと差別化しづらく作りづらい。退治する側は兜を被った鎧姿であり、山伏姿で作られた例は無い。
 盛岡の山車に一度、鬼に変わる前の童子姿の酒呑童子が一体飾りで登場している。錦を纏い杯を高く掲げた長髪の美男子の、風格ある歌舞伎人形であったようだ。令和元年に同地区のか組が同題を復刻したが、その際は化粧隈で鬼にした酒呑童子とし、貴公子姿(貴族の普段着の着付けらしいが)の頼光を並べた2体の演出としている。



(他地域の状況)

頼光の凱旋(青森県八戸市)
 盛岡山車伝承地域から北に進むと、至るところで大江山鬼退治の山車が見られる。特にも八戸山車エリアでは迫力ある鬼の顔がいくつも作られ、色も赤だけでなく青や黒など様々に塗られ、多数山車の上に上がる。中には『頼光の凱旋』と題して荷車に乗せた酒呑童子の首・籠に山積みの鬼の首を担ぐ雑兵などを描いた秀作もあった。二戸地方の「平三山車」は盛岡と八戸の中間の作風だが、『頼光鬼退治』では武者と同じ等身で赤鬼と青鬼を飾り独特の景色を醸す。
 さらに北上すると、津軽半島のねぶた各種に大江山の趣向が見える。こちらは鬼の全身を描くのが主流で、その表情・演出の迫力は凄まじく、退治するのが大鉞を掲げた坂田金時であることが度々ある。
岩手県二戸市(二戸まつり代替企画展にて)
 日本海側の角館(秋田)などでも登場例はあるが、こちらは等身大の鬼を使いたがるので『羅生門』のほうを好む。半分が人・半分が鬼の化粧の童子(写真4)、盃や瓢箪を手にした童子など等身大に工夫を入れている他、鬼を大首にした一作では反対側に大きな手を添えたのが効果的であった。


山伏頼光と変化過程の童子(秋田県旧角館町)変化前の童子・送り人形(秋田県旧角館町)



文責・写真:山屋 賢一
(掲載資料:@『源頼光鬼退治』日詰下組平成19年 A絵紙『大江山 酒天童子』盛岡市夕顔瀬会昭和35年・富沢茂筆
B『頼光の凱旋』青森県八戸市三社大祭附祭 C二戸市の「平三山車」令和2年二戸まつり特別企画展にて DE秋田県仙北市角館 秋祭りの飾山・5は背面の「送り人形」
Aは、もりおか歴史文化館様提供)

山屋賢一 保管資料一覧
提供できる写真 閲覧できる写真 絵紙
大江山鬼退治 一戸橋中組・日詰下組(本項1枚目) 盛岡本町
一戸橋中組・葛巻浦子内組
石鳥谷上若連
沼宮内新町組(きわめて不鮮明)
一戸本組
一戸橋中組@A
一戸本組(正雄)

盛岡本町
酒呑童子 盛岡か組 盛岡夕顔瀬会 盛岡か組(篤廣)

盛岡夕顔瀬会(富沢: 本項2枚目)
ご希望の方は sutekinaomaturi@outlook.com へ

(音頭)

藤氏(とうし)倒して 世をたださんと 籠もる丹波(たんば)の 大江山(おおえやま)
鬼人
(きじん)倒して 世をたださんと 迫る頼光 大江山
天下無敵の 源頼光
(みなもと らいこう) 都を荒らす 鬼退治
禁裡
(きんり)守護する 頼光朝臣(よりみつ あそん) 下に保昌(やすまさ) 四天王
酒呑
(しゅてん)の館(やかた)は 大江の山か 声澄み渡る 鉄の御所(ごしょ)
山伏
(やまぶし)姿で 油断を誘う 酒呑童子の 酒の宴(えん)
道に迷いし 山伏姿 酒呑童子
(どうじ)も 気を許す
神に賜わる 鬼毒
(きどく)の酒を 酌む盃(さかずき)に 映る月
神酒
(しんしゅ)与えて 首級(しるし)をあげて 今に伝わる 語り草
清和源氏
(せいわ げんじ)の 誉れも高く 懲(こ)らす童子は 老(おい)の坂
清和源氏に とどめし勲
(いさお) 酒呑童子を 血祭りに







※南部流風流山車(盛岡山車)行事全事例へ

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送