盛岡八幡宮例大祭2019
※同趣向最近作(沼宮内大町組 平成19年) 心躍る戦前期の番付再現、盛岡山車の最も元気だった一時期の趣向が戻った。葛城山(かつらぎやま)の土蜘蛛が正体を現し捕り手を蹴散らして暴れるところを、「大人になった金太郎」坂田金時が馬乗りになって仕留める三重構図。 昭和30年代に「夕顔瀬会」で出した表裏の再現、ただし表は前作の穏やかな童子から正体を現した鬼の姿に変え、盃をぶん投げて頼光に飛び掛かる二体の構図にした。 頼朝は当時の源氏の棟梁義朝の三男・義経は九男で、長男がこの「鎌倉悪源太」源義平である。隣県では死後に怨霊となって平家を祟る「布引の滝」の取材例が圧倒的に多いが、当山車は平治の乱での「侍賢門(たいけんもん)の戦い」・清盛の長男平重盛(しげもり)を追い立てて一騎打ちを挑む馬上の姿。 歌舞伎十八番のひとつ。演目自体が近年復活上演されたもので、その演出が多分に「押し戻し」と似ているため山車としての差別化が難しい。そこで本作は退治される蛇柳(弘法大師によって高野山の柳に変えられた大蛇)を描かず、退治する側を並べた構図にし、悪を二重にお祓いして縁起を担いだ(のか)。 平成元年の盛岡山車には大黒さんが上がり、当令和元年には恵比寿が上がって祝意が表された。 白い方が兄の十郎、肌色は弟の五郎で、兄弟で親の仇を討ちに雨の中、松明をかざしている姿である。見返しは兄弟を工藤の館に手引く虎御前、十郎の恋人である。
戦前以来の伝統構図と、平成になって作られ始めた「悪」どてら・鐘引き構図の折衷案。いずれ、平家の武将悪七兵衛景清の亡霊が取り憑いていた釣鐘から解き放たれる筋。見返しは「八幡太郎義家と荒法師」の題で青森のねぶたに何度か出ている趣向、荒法師から投げつけられた碁盤を跳んで除け、その一隅を一刀のもとに切り落とした若き日の義家。
歌舞伎の狐忠信にこの組独自の解釈で車鬢を加え、着物の柄を省き車紋のどてらを着せた。
逃げる物の怪 巌谷の古巣 坂田の金時 蜘蛛退治
秋の実りに 金時飾り 勇み山車引く 一番組
現代の盛岡山車では無理な構想を全く略さず再現、特にも潰し武者が蜘蛛の進む横に出ているのが白眉。主役に勇みがあり、蜘蛛の目が2段階に光り光り具合も良い強さで、藤の電飾・白牡丹のフルカラー化含め夜間の見栄えは圧巻であった。小岩と黒背景・わずかな草木で蜘蛛の棲家を見事に再現した舞台作りが凄い。
神に賜る 鬼毒(きどく)の酒を 汲む盃(さかずき)に 映る月
(見返し)南部盛岡 八幡の祭り 粋で鯔背(いなせ)な 鳶頭
従来に見ない派手な色味の山車で、街路に1台在る姿がベスト・ものすごい存在感と華やかさであった。一方で単純な退治ものとは異なる難解さがあり、新聞やパンフレットまでだとだいぶ説明不足である。見返しは極端な痩せ方で、あまり良くない。
品がありつつ派手で豪華な電飾で、背景の淡い色の部分にレーザーを使って不断に模様を描き出した。この工夫は街路からはほぼ見えなかったが、公園内の山車巡りの際、とびぬけて美しかった。
石切丸を ひらりと交わす 平家の家紋 あげは蝶
相討ち叶わず 義平無念 六条河原の 露と消え
ケレン味の無い「盛岡山車の武者もの」という出来栄え、なかなか飽きずに見られる山車であったが、工夫は乏しい。…馬の急角度の向き直りに反して武者は進行方向を見たままか…馬上でなくてもよいから急襲を受ける重盛がいたら…などと思うのだが、長い刀が綺麗に視界に入ってくるのがこの構図の美点。
りんご娘は近年に無く、端正に仕上がった。
定賢(じょうけん)敵わぬ 大蛇(だいじゃ)の柳 照忠(てるただ)退治の へび柳
(見返し)稲穂にさえずる 黄金の風は 今年も豊作 大黒天
(系譜1 口開けの山車人形)
昭和53年盛岡い組「暫」・同54年「夜討曽我」の五郎など、
平成15年盛岡観光協会「土蜘蛛の精」・同17年「鳴神」、
平成27年紫波町日詰一番組「勧進帳」、平成29年花巻市石鳥谷西組「勧進帳」
盛岡の山車人形では、一般的には舞台上で開口している場面であっても閉じた口で表現することが多い
(系譜2 歌舞伎十八番の取材)
常用題として「暫」「矢の根」「勧進帳」「景清」「解脱(釣鐘の景清)」「鳴神」「助六」「押戻」
「毛抜」花巻市石鳥谷中組、岩手町沼宮内大町組
「不動」盛岡市城西組
「象引」花巻市石鳥谷中組、一戸町西法寺組
「外郎売」(見返し)盛岡市さ組、紫波町日詰橋本組、紫波町日詰一番組
「蛇柳」本作
未採用「鎌髭」「不破」「関羽」「うわなり」「七ツ面」
※「七ツ面」は久慈秋祭りに登場歴あり
新演題の開拓、蛇柳として個性が出るような構図の工夫が素晴らしい。ただ二者の温度差、たとえば配置のメリハリがあればもっともっと良くなりそう。口開けについては、迫力よりも違和感が勝った気がする。音頭歌詞の過半で蛇柳を「ヘビヤナギ」と読んでしまったのは粋でなかった。
大鯛抱えて 笑顔の恵比寿 福を呼び込む 祭り山車
(見返し)怪童金時 足柄山で 熊を友とし 腕磨く
見返しは歌舞伎風の桃太郎・絵紙再現の浦島太郎に続いて、物語色の濃い金太郎、平成6年以来の登場である。
昭和中期のような大鯛が舞台半分に躍り、時に大きな恵比寿を隠すほどの楽しい趣向であった。迫力・満足感の一方、鈍い丸みがいつもの山車でない感・違和感を生んでもいる。
見返しは品がありつつ躍動的で、紅葉も含めて背景が秀逸であった。
富士野の狩場 五月雨(さみだれ)ついて 父の無念と やかた踏む
工藤のやかた 富士野は深し 河津の遺児が しのぶ夜半
十郎の演出は前回よりだいぶ良く、五郎は若干低下。総体として見ごたえのする出来となり、例年より長く見た。
平家供養の 鐘の音あわれ 景清うつつ 清水寺(しみずでら)
(見返し)平安後期 かさねる戦 八幡太郎 馳せ参じ
良い顔・迫力ある体勢だが、何をしている場面なのかいまいちよくわからない。綱を手にしているので、鐘を引いているのだろうか…体が大きく傾いているのは、何かに負けたからだろうか。悪のどてらは初出では効果があったが、ここまで見慣れるとかえって華の無い色味に感じる。
見返しは通り過ぎる一瞬の迫力(斬られた!感)が素晴らしく、また夜景に非常に良く溶け込む趣向であった。背景色が絶妙なのだ。
燃ゆる狐火 焦がるる思い 初音(はつね)響きて 弾む春
谷の鶯 初音の鼓 調べ綾(あや)なす 吉野山
単体で向こうから迫ってきた際「何と大きくて派手で境目の無い山車だろう」と驚く。見返しのなんだかよくわからないが派手な感じもこの組らしい。
であるが、かつての熱量を思うと寂しくはある。既成の絵紙・既成の構図に既成の着物・既成の演出、やはりアリモノ造りのように感じざるをえない。
写真・文責:山屋賢一(やまや けんいち)/連絡先:sutekinaomaturi@outlook.com
岩手県盛岡市 令和元年9月14・15日
SEO
[PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送