秋田県角館町 角館祭りの山行事

 



山車『楼門五三桐』と若衆(平成24年)

 国指定無形民俗文化財「角館祭りのやま行事」は、毎年9月7日の夕刻から8、9日の3日間にかけ、昼夜通して行われます。夜明かしの習慣を持つ大変貴重な祭典であり、諸所に古い山車祭りの形態をとどめている点と、町自体の雰囲気がそれに和した風情を醸し出している点に惚れました。ほかの地域の山車祭りで、私がこれほど気に入ったものはありません。数ある東北の人形山車行事の中でも特に、盛岡山車ファンが気に入りそうなお祭りです。

『渡辺綱』(平成24年)
●山車の明かり

 9月9日夜7時過ぎ、角館駅に到着した私の耳にうっすらと聞こえてくる飾山囃子(おやまばやし)。山車の休憩時にも絶えず囃されるのは「道中囃子」というもので、心なしか江戸風の雰囲気のある粋で渋いお囃子です。山車の姿も、遠望するとうっすらとしか見えません。照明は山車の手前にともした2本のガスバーナーのみ、山車の各所・人形の腰元などにに釣り下がった提灯がそれに和す形でささやかな明かりを山車に与えています。これだけなのに、近くによると人形の姿が鮮やかに浮かび上がるから不思議。もちろん種はあって、表からは絶対見えない位置に電球照明がしつらえてあり、これがさもガスバーナーからくる灯りであるかのように山車を照らしているのですが、山車の照明を極力ないように演出するという発想自体が、岩手では考えられない逆転の発想。闇の中にぼおっと浮かび上がる山車人形の面持ちに、なるほど昔の山車はこんな風に照らされていたんだなあという説得力があります。

『菅原伝授手習鑑「天拝山」』

●角館の山車

 角館の山車は人形が表に2体、身の丈およそ180センチで、生身の人間よりちょっとだけ大きめに作ってありますが、直に見れば観光パンフレットで見るように小さい感じはせず、山車の主役として十分に作用しています。これも照明効果の一環でありましょう。人形は必ず2体と決まっていて、歌舞伎に取材したもの半分、武者・合戦もの半分ですが、合戦ものでは歴史上の名合戦を描くうえで代表的な武将を並べて配するという独特の構図が主流です。この形式を観客に浸透させるために、おのおのの人形が何であるか、きっちり立て札が立っています。たとえば室町時代の応仁の乱を飾ったもので、東陣の細川勝元と、西陣の山名宋全が睨み合っていたりといったような。このタイプで、主に戦国時代の合戦が描かれ、背景には旗指物や陣幕、かぶとなどを飾ります。川中島の合戦でもこういう描き方になり、謙信も馬に乗らずに信玄に斬りかかります。歌舞伎ものもこの形式でいっていますが、いずれ人形の塗りがすばらしく丁寧で、表情が活き活きしているのが魅力。平均的に出来がよい、というのもすばらしいと思います。

『島左近』(平成24年)

助六の送り『朝顔仙平』(平成15年)

 見返しには送り人形といって、道化の手作り人形が飾られますが、こちらはお粗末な物が多い。どうしてこんなにも表裏で出来が違うのかというと、表の人形は業者、職人に発注し、送り人形は自分たちで作るからなんだそうです。バランスが悪いながら、このことが角館に18台もの山を出させるひとつの要因になっている気もします。

角館山車の造り

 山車の装飾については、反古にした竹細工に暗幕をかぶせて山を作り、これに紅葉か桜を飾って彩りを添え、下には枯草(ねじこ)を敷くという単純なもので、夜に提灯を引っ掛けるための台を上にしつらえる場合があります。そういう飾り方だからこそ、ささやかな照明が似合う。人形の前の部分には踊り舞台があり、あでやかに着飾った秋田おばこが「挙げ囃子」を舞いますが、これは南部流の音頭挙げに通ずるもので、各町の関所(張り番)や大枠の寄付もとなどで踊られます。踊るおばこは極端な無表情、それでいて人間業とは思えないほどしなやかで優美・妖艶な舞姿…は、いつまでも見とれてしまいます。地車は木製で4輪、簡単に言うと巨大な滑車のような外見。前部に「○○若者」と山車の演題の表札を立てます。



●やまぶつけ

やまぶつけ 左の山車は『日本振袖始』

 角館といえば、やまぶつけで有名ですが、これは主に9日の深夜、山車同士に道を譲る譲らないの争いであり、山車同士を突き合わせて前に部分をどんどん上にあげていきます。「よいさのやあ」という威勢のいい掛け声と笛の音、両者の引き手たちが山車を向こう側に引いて勝負しますが、これが長いの何の、約3時間ほど山車が組み付いたままなんてことはざらで、ぶつかったまま一時放置し休憩をとる不思議な光景も見られます。そもそもぶつかるまでが相当長い。明らかに一本の道のうえに2つの山車がいて、ぶつかるか道を譲るかという状況にあるにもかかわらず、睨み合ったまま1時間ということもしばしば。観客は巧みにかぎつけて、ぶつかるであろう位置に陣取って待っています。往時は人形の装飾具である槍や刀などを取り外して争ったりもしたようで、本気の喧嘩になってしまうこともたびたびだとか。観光客だからといってぼんやり間近で見ていたりすると、うっかり巻き込まれてしまいそうです。この件に限らず、角館の祭り人は観光客を受け入れはするものの、祭りの催行自体は毅然として「自分たちのもの」として行い、それがここまでの古風を残す原点なのかとも思います。
 角館の人々はなぜ道譲りにこれだけのこだわりを見せるか。角館の山車は一度小屋を出たら決して同じ道をたどってはならない、初めてとおる道だけで3日後無事に小屋へとたどり着く、そういう美学があるからなのだそうで、このルールのほかにも角館のお祭りには沢山の昔ながらの掟が残り、現在も厳格に守られています。岩手の山車の動かし方からするとかなり面倒な気もしますが、だからこそ夜明かしで・町内全面通行止めでお祭りをする、古風を守れているのでしょう。羨ましい限りです。



『景清』の山車と張り番所(平成24年)
●張番と町並み

 各町にはススキや樅の葉で飾った仰々しい関所があり、各山はここに神様をお移しして祭礼を行うため、ほかの町の山が町に入ってくるときには必ず関所に丁重な儀礼を尽くさねばなりません。また、関所前には必ず挙げ囃子を奉納します。関所は張り番とも呼ばれ、観光客がとりわけ目を惹かれる光景になります。

 そのほか、大変粋な塗り方をされた高張り提灯や、そもそもの武家屋敷の町並み、江戸時代の秋祭りを見るような不思議な雰囲気に包まれて、タイムスリップしたような得な気分を味わうことが出来ます。近年規制が出来て午後2時には山車は小屋へ帰らなければならなくなりましたが、これまで書いてきたようないくつもの古い格式の中で運行する山車が、そうそうやすやすと小屋入りできるわけはなく、結局白白と夜があける頃まで、山車は自分たちの本拠に戻ることが出来ません。各通りには山車が3台くらい連ねて止まっており、これが時間を追うごとに少しずつ代わっていくわけです。あせらずゆっくり、一つ一つの山車を吟味しながら楽しみましょう。



●10日の朝

 さて、白白と明け行く夜。やっと山車を囲む面々の表情に疲れの色が見え始め、戦意むきだしでにらみ合っていたぶつけ山もどちらからともなく引き始め、それにあわせて駅前から繰り出される山車も、駅へと向かってゆっくり進んでいきました。もっとも辻辻で祝儀先への挙げ囃子を挙げ、これは深夜早暁のことになるため、シャッターを閉め眠っている家庭も勿論あるわけですが、おばこたちは律儀に一つ一つ舞を納めていきます。夜のかすかな灯りに照らされた彼女たちの艶かしさは、今度は素晴らしく澄み切ったけなげさに映り、いずれもそのしなやかな指の乱れることなく、毎度毎度感心してしまいます。

街路横断型置き山と山車3台(平成24年)

 山納め、駅前通りは午前5時過ぎ。私は9日の夜に角館に入り翌朝までぶっ通しで祭り見物をするのが常ですが、山納めから1時間は町内の祭りの残り香を味わいながら、もっぱら置き山を眺めて過ごします。置き山は駅前と町内2ヶ所に設置され、高さは約20メートル、やはり素朴な飾り付けなものの、見上げる迫力には寝不足の私の目をかっちり開かせるものがあり、なかには通りと通りに橋を架ける形でパノラマを開いている例もありました。「なるほど、ここもまた山車の町…。」その感慨は、のぼり来る朝日と同じくらい神々しくて、飛び切り美しいものだったように、記憶しています。

明け方の山車『助六』(平成24年)

 

 

 


『五条の橋 牛若弁慶』(平成14年)
日程概要
●9月7日    全曳山が神明社前に並び午後4時から1台ずつ参拝開始、最後尾の奉納終了は翌日深夜
●9月8日    午前10時〜午後4時頃まで18台の曳山が佐竹北家上覧
●9月8・9日  18台の曳山が薬師堂参拝(各曳山によって時間が異なる)
●9月8日    観光用やまぶっつけ
●9月9日    夜更けから町内随所でやまぶっつけ本番
●9月10日   駅通り若者の納車時刻 午前5時

※飾山は初日夕刻から10日未明まで、昼夜問わず動きっぱなし※




アクセス
●JR田沢湖線角館駅下車 (盛岡駅発1800・角館駅着1930) ※以降は秋田新幹線 終便は21:20

 

 ※秋田・山形の人形山車まつり一覧

 

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