岩手県軽米町の秋祭り

 

 

新栄団 八戸山車の『里見八犬伝』

 九戸郡軽米町は、岩手県の最北部に位置する市町村のひとつである。なんでも軽米では、山車が7台(初見物当時:現在は6台)も出るらしい。二戸や久慈は「市」だから8台9台と出るといってもそう驚くことでもないが、軽米は「町」であるのに7台も出すなんて。初見当時、一戸二戸に出向くのがやっとという感覚であった私だが、この驚きにまったく押されてしまい、ほかのどの祭典にも優先して県北借り上げ山車祭り見物の先鞭を、軽米に向けることにした。
【写真1 本町新栄団 八戸山車の『里見八犬伝』】

大正団 平三山車の『船弁慶』

 まずもって行きづらいところではあった。鉄道は通っておらず、二戸からバスでさらに1時間ほど揺られて向かう。途中バスは斗米駅、金田一温泉駅…と二戸市内を北上するが、長嶺を抜けたあたりでまったく思いがけず「二戸祭りでない二戸の山車」を発見した。二戸市には観光客向けに広く告知されている「二戸まつり」のほかにいくつも山車の出るお祭りがあり、この時バスの窓越しに見られたのは「堀野祭り 武内神社祭典」の山車4台であった。また同じ日の夜、二戸駅前でバスを降りる際に駅前町内で太鼓練習を耳にしたが、これは「石切祭り 枋ノ木神社祭典」の準備に当たるものであった。こういったものの発見も、私にとってはまず軽米に踏み出してみることで初めて得られた収穫であった。
 堀野祭りの山車行列を見送ってからずいぶん長くバスに乗っていたように記憶している。2度目の見物は盛岡駅から軽米病院行きのバスを使ったが(現在は廃線となった)、便利さの反面、高速道路経由のため景色は単調で、いよいよ軽米町に入るときになってまださっぱり山しか見えず、非常に不安になる。数分後に不安をかっぱりと覆すようなにぎやかな町並みが現れ、余計に心が躍った。

 軽米の中心街は軽米八幡宮から八幡宮の御仮屋(祭典中日に御神輿が鎮座する場所)に向けて大きく5つの通りに展開されている。順に、八幡宮膝元の新町・大町・仲町・荒町、そして御仮屋のある蓮台野、これに通りに面していない本町を加えた7町内から山車が出る。
【写真2 下新町大正団 平三山車の『船弁慶』】

協誠団 盛岡山車の『畠山重忠』

 現在、軽米の山車はすべて他からの借り上げで成り立っている。なんとなくわかっていたが、現地で「こんなところから借りていたのか」と驚いたものもあった。最初に見物した年は、一戸野田組の碇知盛が唯一の出張先である軽米上新町の山車に飾られていた。飛び抜けた見栄えからか、以降新撰組とか畠山重忠とか何度か新聞に写真が載ったのを憶えている。松に仕込んだ豆電球など大部分において一戸での姿を引き継いでいるが、人形の角度は微妙に変わる。一戸より悪くなるときもあれば、良くなるときもある。下げ波は省かれ山車の側面下方に藤の花が下がり、見返しの下は石垣の板にシブキが添えられていた。このような不思議な差を認めつつも、なんといっても大太鼓小太鼓がまとめて人形の前にあるのが軽米風である。新聞広告によく写真が出た大町協誠団出張一戸本組の山車でも太鼓類は全部前に据えられているし、最近西法寺組から借りるようになった芙蓉団の山車も同様である。軽米の場合は二戸の平三山車も八戸山車も一戸経由の盛岡山車も太鼓は全部前、これが全体の統一感を生んでいる。県北のさまざまな様式の山車と一戸山車が混在していく上で、これは欠かせない条目なのかもしれない。協誠団では特に太鼓の花形性が演出されていて、太鼓を横向きに3つ(現在は2つ)並べて据え、窮屈でないようにたたき手が一人ずつ付いて大いに見得を切り助走をつけてたたいていた。たたき手が片肌を脱いだ着流し姿であるのも粋に見える。
【写真3 大町協誠団 盛岡山車(一戸)の『畠山重忠』】

 八戸山車でも平三山車でも盛岡山車でも、同じような囃子で同じような掛け声で、同じように音頭上げをする。年によって借り上げ先が変わる山車組も多く、例えば大正団では初めて行った時は平三山車の船弁慶だったが、久しぶりに見に行ったら八戸山車になっていた。それでも囃子は変わらず太鼓は変わらず、半纏も変わらない。軽米山車のこの独特の一体感の中で、おのおのの作法の持つ見所が際立つようである。
 八戸山車であれば仕掛け舞台により山車が華やかに膨らむ。観客の多いところを見計らって仕掛けが開かれ、観衆が大いに喜ぶその温度差が良い。大きくなければ「八戸山車の原型が壊れている」と評すのが現地の感覚のようである。平三山車ならおのおのの表情の独特なところがよく見えて、鎧兜や刀の硬質な感じが他と比べてよりよく実感できる。躍動美も、他系統と並ぶと頭一つ出ている感がある。一戸の山車はやっぱり人形が大きくて落ち着いていて、花飾りも落ち着いた位置に配され山車として一番よくまとまっている。写真を並べてもわからないところが、実物が現に並んでいることでよくわかる。このような意味で、軽米秋祭りは「岩手県北の山車博物館」と呼べるかもしれない。岩手県内に借り上げ山車行事は数あるが、このような効果が見られる例はなかなか無い。軽米ならではの魅力といえるだろう。
※平成25年時点では野田組や本組からは貸し出しが無くなって二戸の山車も来なくなり、何となく全体的に八戸風へ移行しているようである。地元人からは「八戸山車の大型化や道路事情により致し方なく一戸・二戸・三戸など雑多な自作地から招いたのであり、バイパス開通に伴って再び八戸から借りられるようになったから戻したのだ」との話も聞いた。「各地の祭り日程の変更で開催日が重なり、八戸から借りたくても借りられない山車組がある」ともいう。八戸山車に馴染み・魅力を感じる町民が多いらしいことは、八戸人形切り売りで小型化・簡略化(主に花飾りの省略)していく山車を甘受している現況を見るに、それなりに説得力があるような気もする。

光栄団 八戸山車『毘沙門天に祈る謙信』

 実地を訪ねてみて、町が大きいと思ったし、お祭りだからなのか普段からそうなのか、活気があった。
 さまざまな食べ物が観客向けに売られている。目に付いたのは、生寿司の折り詰めであった。値段も2000円位で、お祭りの露店で買うには結構な値段である。9月中旬だからまだ暑気は残っているし、そんなに山積みにして大丈夫だろうかと危うく見ていた。…勿論、そんな心配は部外者の無知ゆえのことであって、晴れの良きお祭りの日の大盤振る舞いで来る客来る客折り詰めを買い込み、瞬く間に消化されてしまった。現代の我々は日ごろ贅沢を日常に薄め溶かして飲んでいるようなもので、このように年に一度、贅沢の原液を飲むような喜びを味わわない。無論それは軽米においてもその通りなのだろうが、高価な折り詰めを買い求める人の群れに「お祭りだけを楽しみに」日々の苦渋を晴れの日に晴らす生活の幻想が見えるような気がした。
【写真4 荒町光栄団 八戸山車『毘沙門天に祈る謙信』(『川中島』見返し)】

 山車は、午前中は小屋に入ったままである。交通規制が敷かれる午後2時が近づくと、各組路面のぎりぎりまで山車を引き出して太鼓を鳴らす。そうして規制が敷かれたと同時に、各町の山車がいっせいに道路に繰り出して集合場所へと向かうのである。この移動の部分は、実は外からの観客の目にほとんど止まらない。地元の人たちだけが楽しみに眺めている、隠れた見所である。
 観衆は、茣蓙を路面に敷いてお祭りの行列を待つ。県北の秋祭りに割と共通して見られる風物だが、観客みんなの待ちわびている思いが祭りをどんどん輝かせていくようで良い。
 日本中のお祭りで露払いの天狗(猿田彦)が行列の先頭を歩くが、軽米の場合は生身の天狗ではなく人形の天狗である。木彫りの大変見事な天狗であり、榊を四方に立てた車の上で、人形山車と言えなくもない姿で町を歩く。八幡宮境内にこの天狗が納まりそうな細長い格納庫があり、ポスターにもたいてい毎年写真が載る。江戸期の作という格式から町の文化財にも指定され、軽米祭りのシンボルとなっている。
 郷土芸能がたくさん出てくるのも楽しみである。辻辻でじっくり演舞を見せてくれるのがいい。特にも軽米の太神楽は北東北で一・二を争う厳かさであり、駒踊りはたくさんの太鼓を繰り出して威勢良く囃すから楽しくなる。神楽の権現様はアップテンポな囃しに合わせて一斉に右を向いては歯を鳴らし、左を向いてまた歯を鳴らす。鬣を振り乱してかつかつかつかつ威勢がよい。山内神楽は特に首の振りにひねりのようなものがあって、軽米から八戸にかけて広く見られる「一斉歯打ち」の中でも飛び切りの迫力だ。辻辻で「盆舞」「鳥舞」「番楽」など幕物も代わる代わる披露してくれる。

光栄団 三戸山車の『鯉の滝登り』

 続く山車、山車、山車…。八幡宮の参道に一堂に会していた山車が一台ずつ、高台を降りて町へ繰り出してくる。お花もらいが先行し、返礼札を置いて回る。本当に簡単な、謝辞のみを記した色紙である。見ればほぼすべての軒先に7種類の返礼札が揃っていた。たくさんの団体に相応の祝儀を出すのであるから、ここでも大盤振る舞いなのだろう。祭りを通して地域がひとつになる、代えがたい喜びである。
【写真5 荒町光栄団 三戸山車の『鯉の滝登り』(見返し)】
 特に最終日のお還りでは、山車が頻繁に止まって音頭上げをする。二戸風の「よーいとこ、よいとこな」と合いの手が入る沖上げ音頭で、戦前江差(北海道)のニシン漁に出稼ぎに出た県北の人々が祭りに取り入れものだという。軽米の山車囃子は基本線は八戸、ないし青森県南の色彩なのだが、掛け声や音頭に二戸の色が濃いめに入っているのが面白い(沖上げ音頭は八戸や久慈では歌われていない)。一方で、沖上げ音頭エリアでは珍しく、演題を読み上げる部分が入る。一戸の山車組が持ち込んだ工夫では、との話を聞いたが、いずれ軽米の山車作法は山車そのものと同じく、周辺域のさまざまなものを包摂して成り立っているのがわかる。

 参加するとか、体験するとかいうだけではなくて、空気に呑まれ、自分もまた周りを呑んでいくことが祭りなのだと思った。参加する者も、見る者も支える者もみんな大事で、みんないるからお祭りなのだ。遠路バスを乗り継いできた余所者の私は少々気恥ずかしい思いで、でもせっかく来た軽米で少々の御裾分けをいただくことにした。
 少なくとも祭りを見た限りにおいては、軽米はとりわけ元気な町であった。
【写真6 芙蓉団 盛岡山車の『暫』(一戸西法寺組新作)】(平成13・18・21・23・24年見物) 

芙蓉団 盛岡山車の『暫』(一戸西法寺組新作)



軽米の山車組 行列参加順
山車組名 平成13年 平成18年 平成21年 平成23年 平成24年

 

新町大正団

(八戸山車)

船弁慶
/那須与一
大津絵道成寺
/清姫鐘入り
前田慶次と直江山城守
/一夢庵最後の大カブキ
七夕伝説
/織姫と彦星
大津絵道成寺
/紅葉狩
平三山車から八戸山車へ(売市山車組)。
平成18年に「山車自作」と報道されたが、台車のみの話で
人形は表裏とも当年の売市の趣向を上げる。規模は八戸並みである。
組印は伝統の雷紋(ラーメンの丼の模様)、提灯が赤地であるのも珍しい。

 

上新町

(盛岡山車)

→八戸山車部分借用

碇知盛
/一休さん
遠山金四郎
/藤原秀衡
佐々木高綱宇治川先陣
/義経弓流し
義経一の谷
/源平合戦
壇ノ浦の戦い
/鞍馬山
一戸野田組借上(遅くとも平成元年には) 、返礼札に山車絵が入る。
前後に組の名を書いた雪洞を燈す。
平成21年以降は八戸の下組町から部分借上し、おおむね当年の八戸とは別の趣向を作る(平成26年頃から同化傾向)。
せり上げはなく、趣向は波山車が多い。

 

大町協誠団

(盛岡山車)

→八戸人形による自作

関口弥太郎
/山中常全入道
蒲生氏郷
/東の十郎左衛門
畠山重忠
/静御前
南部信直
/田子九郎
岩手縁起
/三ツ石
平成7年ごろまでは二戸在八の山車を借上。
以降長らく一戸の本組から借りた。
小鳥谷まつり復活以降は、前年以前の人形をアレンジして上げていたが、
平成24年以降は八戸朔日町山車組による新作趣向を上げている。
現状では町内最小規模の山車である。

 

本町新栄団

(二戸山車)

→八戸山車部分借用

武田信玄
/竜虎の戦い
巴御前
/鞍馬山
歌舞伎十八番 不動
/鳴神柱巻き
えんぶり
/八戸騎馬打毬
里見八犬伝
/玉梓
音頭上げに太鼓の早打ちを並行する。
平成13年は自作山車か?
二戸平三山車を経て、現在は八戸十六日町山車組から部分借上・再構成。
演題札には祝紋を朱書きした紙を貼って、改めて「風流」「見返し」を冠して題を墨書する。
趣向は当年の八戸と同じ、八戸の飾り物が手動一段せり上げにどう短縮されるかが見所。

 

仲町義組

(八戸山車)

休止 休止 休止 休止 一時途絶えていた音頭を円子経由で復活させ、町内に伝播。
平成13年時点では八戸新荒町山車組からの借上。
平三山車を上げた年もある。
近年は長らく奉納を休んでおり、
仲町に祭典本部を置いて義組の提灯を飾っている。

 

荒町光栄団

(八戸山車)

→三戸山車

川中島
/毘沙門天に祈る謙信
西遊記
/三蔵法師悟空と出会う
西遊記
/桃太郎
復興祈願太神楽
/鯉の滝登り
真田幸村と女忍者
/真田十勇士
借上先が八戸上組町山車組から三戸六日町山車組に変わった。
三戸山車独特の屋根や軒花は飾らない。
趣向もやや縮小され、折り曲げ等の仕掛けは伴わないことが多い。

 

蓮台野芙蓉団

(二戸山車)

→盛岡山車

真田大助
/相馬大作
義経八艘飛び
/鍵屋の辻
和藤内虎退治
/大黒様
暁天雲呼ぶ川中島
/松尾芭蕉

/竜の子太郎
レンダイノと八幡宮門前の山車。
戦後間もない時期の山車は盛岡風(かちかち山のうさぎの山車)。
もとは三戸・八戸風の山車、
町内に人形師がおり、八戸にも人形を貸していたという
(8月に八戸で使った趣向を、9月に芙蓉団で使った)。

平成以降、台車を自前にし、二戸の川又・平三山車を借り始める。
平成21年に一戸の西法寺組から借り始め現在に至る。
以来「伝統南部山車」を表明し盛岡流の音頭の歌詞を使うなど、歓迎ムード。
平成24年は貸出先の日程が重なったため、芙蓉団用の新作趣向が飾られた。
山車の様相が頭の変更などで一戸と変わる場合も多い。
※組の名が「団」で終わるのは、現状では旧大野村と軽米町のみ



上新町 八戸人形切り売り『源平合戦』夜景
 

・山車の運行:初日の午後3時から、最終日の午後3時30分から

・随行する芸能
     :太神楽、中野神楽(青森県八戸市南郷)、虎舞、澤田神楽、山内神楽、軽米南部駒踊り、高家えんぶり、(山田鹿踊り)、(民田山鹿踊り)、軽米ソーラン

【写真7 上新町 八戸人形で組んだ『源平合戦』(見返し)の夜景】


文責・写真:山屋 賢一

※町内に貸し出されている(た)各流派の紹介

盛岡山車(一戸山車)  平三山車(二戸山車)  八戸山車  三戸山車

 

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