八坂神社稲荷神社例大祭一戸まつり2023


【武勇輝く…】
岩手県二戸郡一戸町八坂神社・稲荷神社祭典山車令和5年8月27日
 戦前の盛岡川原町『和藤内』の山車絵紙に見られる、音頭上げの歌詞である。戦後最初の一戸八坂神社祭典において、橋中組の山車演題札に全文が書き示された。
 「武勇輝く流れ」までがひと塊で、「武勇」とは主人公和藤内の異国の姉 錦祥女が弟のために命を絶ち、その血の紅で夫の翻意を促さんとする武勇である。その結果としての紅の流れ、すなわち河を流れる彼女の血潮は、輝くほどに尊い。それを照らす「灯」が、山車の上で和藤内が手にしている松明の火である。橋の下・真ん中あたりに見える赤い飛沫から、昼間も常にゆらゆらと点灯している松明に目線が移る。更にその目線は、「心沸き立つ」つまり怒っている和藤内の筋隈取、否、人物としての和藤内自身・その内面に向く。
 要はこれは、風流山車『和藤内の紅流し』をこんな風に見てほしい、という音頭であろう。その誘導に乗って山車を眺めると確かに心に迫るものがあり、それは回が重なるほどに増していく。節も大事で、歌いだしの「武勇輝く」に哀調が欲しい。そこは物理的でなく精神的な意味で、ゆったりと響いてほしい。
 上がり終わって山車を見た時、ああこれは和藤内でなくて、舞台に現れない彼の姉の山車なのだとしみじみ息を吐く。例えばそうした効果が、音頭上げにはあるのだと思う。

 



和藤内 / 火消し橋中組  橋 中 組

姉が覚悟の血潮の流れ 忠義を託す紅流し(岩手県二戸郡一戸町八坂神社・稲荷神社祭典山車令和5年8月27日)

武勇輝く 流れに灯す 心沸き立つ 水の色
紅の水面に 松明揺れる 怒る筋隈 和藤内

※南部流風流山車の『和藤内』



『火消し橋中組』岩手県二戸郡一戸町八坂神社・稲荷神社祭典山車(令和5年8月27日)岩手県岩手郡葛巻町八幡宮祭典山車(令和5年9月24日)浦子内組

(題紹介)
 橋中組にとって『和藤内』は、戦後一番早い年に出した記念すべき題材。ゆえに本作は復刻の意図を多分に含み、その一環で演題札の赤枠が外れたりもしているが、そのままの再現でなく「令和の今できること」はきちんと実践され、そのうえで橋の高さなど往時の大らかさが随所に現れている。笠には、場によって角度を変えられる手動の仕掛けがあった。
 表裏とも、題材としては5台中一番好みでない。赤枠・白札でなくなったのもすごく悲しい。しかしながら山車全体の整いぶりは非常に心地よく、松も桜も飛沫もみな活き活きして見えた。中腹部がぐっと絞られ、そこから上が大きく広がるような飾り方は実に美しい。

(貸出先)橋中組の山車人形は町内では最多の3件を回り、うち葛巻町では他と似ない当地当組らしい飾り方が貫かれた。







熊谷次郎直実 / 青葉の笛 本  組

岩手県二戸郡一戸町八坂神社・稲荷神社祭典山車(令和5年8月27日)本組正面

権太栗毛に うち跨りて 次郎直実 一の谷
(見返し)早暁ひびく 青葉の笛よ 奏でる敦盛 須磨の浦

※南部流風流山車の敦盛・熊谷(同組平成20年作例含む)


岩手県二戸郡一戸町八坂神社・稲荷神社祭典山車(令和5年8月27日)本組見返し

(題紹介)源平一ノ谷の戦いで若武者平敦盛を討った熊谷次郎直実の愛馬は、奥州一戸の産であった。本組が音頭の字数を「権太栗毛」に費やすのはそうしたことへの誇りであり、地域性である。前作の見返しは出家した熊谷・今回は平敦盛で、平家一門随一の笛の名手であったと伝わる。

 袰を背負った騎馬武者はまさに「晴れ姿」と称すにふさわしく、人形趣向が山車全体の豪華さに直結している(ここから悲劇の場面に繋がることを思えば尚更)。手についてだけ、逆ではだめなのかなと少し思った。
 見返しは存在感抜群で非常に形がよく、左右いずれから眺めても見応えがした。







本能寺の変 / ぶんぶく茶釜 野 田 組

天下を望むや信長不覚 燃ゆる炎に花と散る(岩手県二戸郡一戸町八坂神社・稲荷神社祭典山車令和5年8月27日)

安土の栄華 うつつぞ夢ぞ 怨み尽きせぬ 本能寺
東に鞭上げ 光秀謀反 不覚信長 炎に消える

※南部流風流山車の『森蘭丸』『本能寺の変』

 

岩手県二戸郡一戸町八坂神社・稲荷神社祭典山車(令和5年8月27日)野田組見返し


(合いそうな音頭)
 闇の黒さか 謀反の影か 妖雲漂う 明智勢
 奇しきさだめよ 信長公は 恨み尽くせぬ 本能寺(町内橋中組、葛巻町浦子内組)

 野田組では昭和20年代にも同題を出しているが、この時は盛岡流の定例に倣って欄干の上の人物を森蘭丸にした。今回は一戸で生まれた変化型・白絹の寝間着姿の織田信長を明智勢に向かわせている。見返し『文福茶釜』は前作(平成2年)の続きの場面、狸の綱渡りに囃子方の古道具屋を添えた。背景が幕らしく見えると尚良い。
 題としては一番好きで、ノスタルジーを感じる。下の武者が見やすく、他と違うやり方だがちゃんと高低差が出ている。小屋中では槍の構え方・顔つきなど信長に迫力に欠けるように思えたが、山車が動き出すとちゃんと勇みが宿ってきた。
 白の上に黄色を羽織らせた創意が、この組・この作ならではの色味を生んでいる。







鍋島の化け猫騒動 / 陽泰院 上 町 組

岩手県二戸郡一戸町八坂神社・稲荷神社祭典山車(令和5年8月27日)上町組正面

肥前鍋島 御家の騒動 今に伝わる 怪談記
静まる夜更け 化け猫退治 槍で仕留めし 半左エ門

※盛岡地方の化け猫の山車

 

岩手県二戸郡一戸町八坂神社・稲荷神社祭典山車(令和5年8月27日)上町組岩手県岩手郡葛巻町八幡宮祭典山車(令和5年9月24日)茶屋場組


(合いそうな音頭)
 槍の穂先に 剥きだす牙よ 屏風乗り越す 狂い猫
 迫る大猫 息をもつかず 刃取る手の 勇ましさ(町内橋中組「有馬の猫騒動」の歌詞を一部改)

 趣向は県北地方を発して盛岡山車圏内に共有されたもの、やはり大猫が上からぬっと顔を出す少々おかしく不気味な感じが面白い。見返しは「葉隠れ」にも記載のある鍋島藩二代藩主の妻・「佐賀の国母」の話で、一度にたくさん鰯を焼いて兵たちに出したその機転で殿さまに見染められ、長く慈しまれて暮らしたという。
 一番ワクワクさせる採題!猫の凄みは口の中が見えているゆえだろうか。ただ夜の姿を見ると、目に灯は欲しかったと思う。特筆すべき佐賀つながりの見返し、こうした逸話を探してきて上手く山車にするセンスはすごい。

(葛巻町では)付き方が変わったからか、あるいは山車自体が路面の片側に寄って動いたからか、猫が町に溶けてゆく感じが非常に面白かった。







歌舞伎 碇知盛 / 静御前 西法寺組

岩手県二戸郡一戸町八坂神社・稲荷神社祭典山車(令和5年8月25日)西法寺組正面

碇知盛 平家の最期 怨みは深き 壇ノ浦
碇知盛 波間に沈む 平家最期の 壇ノ浦

※南部流風流山車の『碇知盛』
※二戸まつりの『碇知盛』

岩手県二戸郡一戸町八坂神社・稲荷神社祭典山車(令和5年8月27日)西法寺組正面岩手県二戸郡一戸町八坂神社・稲荷神社祭典山車(令和5年8月27日)西法寺組見返し

(合いそうな音頭)
 見るも勇まし 大物浦に 最後を飾る 大碇
 あだに思うな 帝の言葉 恨み捨て去り 碇綱(盛岡の戦前の歌詞、町内小鳥谷に組の歌詞)

 歌舞伎において青い隈取は疲弊を表し、『義経千本桜』ではその青を真っ白な装束と合わせるため、碇知盛のいでたちは他に無い清新な色彩となる。知盛は壇の浦では死なず、船頭に身をやつして義経一党へ復讐の機会を伺っていた。この山車は、その末路の一景。
 今回新調という知盛の頭は、大きくて塗りもはっきりしている。他の4組がやらない歌舞伎仕立て・モノトーンになりすぎない鎧の色彩など十分に奏功したが、構図として上半分が単調になったのが惜しい。






※各組歴代作例



◎祭典時の山屋の動き
【初 日】小屋中の山車の撮影・下見 10:17一戸駅⇒野田組⇒上町組⇒本組⇒橋中組⇒西法寺組 いずれも写真撮影のみ・チラシ収集・絵紙収集未了 ⇒一戸駅発11:18〜野田村へ
【最終日】12:28一戸駅⇒本宮様⇒橋中組出庫13:00〜絵紙収集・音頭一本(野田組へ)〜他4組集合・絵紙収集⇒14:10お還り行列〜絵紙収集・撮影〜⇒(徒歩移動:上町〜関屋)16:15〜16:40西法寺組@関屋⇒16:45〜17:05野田組@野田⇒17:10〜17:30根反鹿踊り@八坂神社⇒橋中組・上町組@上町⇒〜18:30本組@下町⇒〜19:00橋中組@中心街⇒〜19:30上町組小屋入り⇒19:30〜19:50野田組@野田・絵紙収集、小屋入り⇒一戸駅発20:03
  ※おおむね毎年このように走り回りつつ、各方面へいろいろと不義理をいたしております。申し訳ございません。

写真・文責:山屋賢一(やまや けんいち)/連絡先:sutekinaomaturi@outlook.com
岩手県二戸郡一戸町 令和5年8月25日(金)・同27日(日)

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