盛岡山車の演題【風流 熊谷次郎直実】
 

熊谷次郎直実

 



『青葉の笛』盛岡市仙北町は組平成4年
 平家物語の中でも特に有名な「敦盛最期(あつもり さいご)」の話を山車にしたものである。
 鵯越の逆落とし、源義経一ノ谷の奇襲で西海に逃れた平家一門、その中に逃げ遅れた公達(きんだち)が一人。波間に映える鎧兜があまりに華やかで、源氏の武将 熊谷直実(くまがい なおざね)に見咎められてしまう。「さても沖合いを行くは、平家の御大将と見受けたり。もののふとあらば敵に背を見せず、引き返してわれと勝負せよ。さあ、もどれもどれ。」と黒の軍扇をかざして直実が呼び止めると、公達は白馬を返して戻ってきた。
葛巻町新町組令和5年
 馬上では互角に戦い、組討ちのすえ組み伏せてみれば、兜の下の公達はまだ二十歳にも満たない美少年であった。直実は、我が子と同じ年とも見える公達を討ち取るのをためらった。そこへ「敵を組み伏せて討たぬとは、貴様裏切り者か」と同僚平山の恫喝が飛ぶ。止む無くついに討ち取ってしまったその首は、青葉の笛(小枝)の名手と名高い無官の太夫 平敦盛(むかんのたゆう たいらの あつもり)のものであった。武家の習いの無情を痛感した直実は、この一ノ谷の戦を最後に戦場を去り、浄土宗の開祖法然を訪ねて坊主になった。

 馬上の騎馬武者が黒の開扇を手にしている姿の山車である。馬は茶で、背に大きな袰(ほろ)を伴うことが多い。
 郷土玩具の花巻人形にも熊谷と敦盛の組み人形があって、双方兜は被っておらず、熊谷は頭上に軍扇を振り上げた格好である。歌舞伎に出てくる熊谷がこのような形といい、盛岡のは組がこの構図をほぼ写した山車を戦前期に作り、当時の評価制度で壱等賞をとった。これが盛岡山車における熊谷次郎直実の嚆矢と考えられる。同組の平成に入ってからの作例はその再作かもしれないが、この時は兜あり・軍扇は上げずに前に構えて敦盛を呼び戻す姿であった。馬は半身を波に沈め、見返しには公達姿の敦盛が岩の上で青葉の笛を吹く場面を作った。盛岡では他に一番組が手がけ、立ち岩を幌で隠し軍扇を松を突き抜ける高さで掲げ、山車全体を大きく見せた。
 一戸の本組では鎧の胸に鳩の紋をあしらい、見返しに出家した直実『蓮生坊(れんじょうぼう)』を飾っている。直実の愛馬が地元一戸産であったことにちなみ、音頭には「権太栗毛(ごんたくりげ)にうち跨りて」の文言を入れた。
 他、上記熊谷敦盛討ちの物語を題材とした歌舞伎『熊谷陣屋』が、稀に山車に作られることがある(本項掲載4枚目)。

盛岡市馬町一番組平成19年
【他流・他ジャンルでは】
 有名な逸話にしては全国的に見ても山車人形に仕立てられる例が少なく、人形数の多い趣向の山車にもほとんど登場していない珍しい題である。二戸の平三山車にも花巻の山車にも取材例は見当たらず、大船渡の盛町の式年大祭に出る「館山車」・源平ものを好む下町で敦盛・熊谷を作ったのをようやく写真で見つけた。
 八戸型の山車で源平ものを取り扱う時、よほど気の利いている場合に限って幌を背負って扇を翳す熊谷の姿を端に描く事がある(八戸の下組町, 久慈の巽町で実見)。青森ねぶたに出た際は月岡芳年の絵柄から取ったのか、趣向上部にカモメが列を作る印象的な一作が出て、好評価を得ている。

『熊谷陣屋』石鳥谷下組平成12年
 広くマツリの世界に熊谷を求めると、三陸海岸北部の普代村「鵜鳥神楽」や一関地方の「南部神楽」にこの物語を演じる題目がある。題はいずれも「一の谷」で、一の谷といえば逆落としより敦盛熊谷が先にイメージされてきた証であろう。鵜鳥神楽では両者の追いかけの演出が思いもよらない手法であり、また敦盛が単に逃げ遅れたのではなく、青葉の笛を置いて逃げた事を恥じて陣屋に戻ってくる、と語っている。首取りの場面では観衆から「殺さないで」「助けてやれ」と盛んに歓声が飛ぶ、面白い舞台であった。

文責:山屋 賢一/写真:山屋幸久・山屋賢一


 

(HP内公開)

盛岡一番組  一戸本組@  一戸本組A




山屋賢一 保管資料一覧
提供できる写真 閲覧できる写真 絵紙
風流 熊谷次郎直実 盛岡一番組(本項3枚目)
一戸本組@A・葛巻新町組(本項2枚目)
盛岡は組戦後
盛岡は組戦前(絵葉書)
盛岡は組
盛岡一番組(正雄)・大迫下若組
一戸本組
見返し 平敦盛 盛岡は組
一戸本組
盛岡は組(本項1枚目)
見返し 蓮生坊 一戸本組
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(音頭)

源氏平家の 戦い憐(あわ)れ 今に残るや 一の谷
次郎直実
(じろう なおざね) 敦盛(あつもり)討って 心残りし 屋島沖
千軍万馬
(せんぐん ばんば)の 直実公哉(や) 情け武士(もののふ) 一の谷
馬上豊かに 軍扇
(ぐんせん)かざし 呼ぶや直実 須磨(すま)の浦
権太栗毛
(ごんた くりげ)に うち跨(またが)りて 次郎直実 一の谷
若き敦盛 呼ぶ熊谷の 響き渡る哉 須磨の浦
武功
(ぶこう)立てんと 直実奮起 権太栗毛と 一の谷
かぶと押しのけ 若武者見れば 決死覚悟の 薄化粧
(うすげしょう)
(はかな)き命 情けをかける 悔いて閉じたる 黒扇(くろおうぎ)
花の蕾
(つぼみ)の 敦盛討って 直実苦境に 出る涙 

 以上『熊谷次郎直実』

早暁
(そうぎょう)響く 青葉の笛(あおばの ふえ)を 奏でる敦盛(あつもり) 須磨の浦
一の谷より 伝えしあわれ 青葉の笛の 音澄める
(すめる)
(かな)づ敦盛 名笛(めいてき)小枝(さえだ) 澄んだ響きが 風に舞う
青葉の笛の 流れて響く 屋島の沖に 散りし武者 

 以上『平敦盛(青葉の笛)』

戦といえど 儚い命 無常感じる 蓮生坊
(れんじょうぼう)
 『蓮生坊』




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