盛岡山車の演題【風流 幡随院長兵衛】
 

幡随院長兵衛

 



一戸町小鳥谷に組平成25年

 町奴(まちやっこ)幡随院長兵衛(ばんずいの ちょうべえ)は、旗本奴(はたもとやっこ)の水野十郎左衛門(みずの じゅうろうざえもん)と配下のやくざ者が江戸の民に乱暴を働くのを相次いでとどめたために逆恨みされ、水野の屋敷の湯殿(ゆどの:風呂場のこと)に呼ばれて丸腰のところを刺し殺された。
 水野は今でいえば良家のボンボンで、苦労も知らず周りからちやほやされて育った。自分の器量を測りかね、名と実を伴う人気者の長兵衛を妬んで殺してしまった。特によく考えなくても、武士が町人を丸腰にして刺し殺すなんて、恥もいいところである。一方の長兵衛ははじめから自分は殺されるだろうとわかって、それでも水野の屋敷に行って風呂に入ったのだといわれている。客人を風呂に入れるというのは当時としては最も手厚い歓迎であり、義理堅い長兵衛は断れない。そこまで見越して暗殺を仕掛けた水野は、本当に意地が悪い。当時の庶民が武士をどのように見ていたかを物語る脚色であり、それが風流山車の根底に流れる気風の一流として今に残っているような気がする。いずれ長兵衛は、勝利と命とを失う代わりに、水野にそれより大事な武士の面目を失わせた。
 事件の直後、子分の唐犬権兵衛(とうけん ごんべえ)が長兵衛の遺言だと言って、棺おけを担いで水野屋敷を訪れた。水野はここではじめて長兵衛の覚悟を知り、「惜しい男を死なせたものだ」とつぶやく。潔い死に様の美しさから、幡隋院長兵衛は男の中の男として、庶民の味方として、長く江戸の民衆に崇敬された。

石鳥谷下組平成29年

 山車には浴衣姿に湯桶を持ち、襷掛けの旗本が槍を繰り出す様をかっとにらみ据えて「来るなら来い」と啖呵をきる、粋な長兵衛の最期が描かれる。碇知盛や安倍貞任にも共通する「ザンバラ髪」は、主人公に迫る死期を表現するもので、髷を切られていよいよ後がない長兵衛の悲壮感・緊迫感を演出する。鉢巻襷がけのつぶしの侍は水野本人でなく子分のつもりだろうから、装束や見せ方はあまり派手でないし、特に盛岡市外では省かれることも多かったらしい。背景は檜作りの湯殿の板場にする。風呂桶を足場に使う例もあった。昭和期の作品のいくつかでは、長兵衛が高く掲げる桶からざあっと水が舞台下まで流れ落ちている。山車が動き出すとキラキラ光り、揺れるのだろう。早川鮎之介といい長兵衛といい、裸人形には水の描写がよく似合うようだ。

 長兵衛の魅力は、おおまかに二つの要素で構成されている。ひとつは、まな板の上の鯉のように潔く死地に赴く心意気、そしてもうひとつ、庶民の意気の良さで旗本に立ち向かった小気味よさである。両方とも音頭の中で、長兵衛への賛辞として読み込まれている。特に後者については、江戸時代初期に多くいたという「かぶきもの」たちに共通する美学であり、権力に虐げられた庶民の憂さを晴らす粋な傾きもの・町奴たちの逸話こそ、「庶民の風流」といってはばかりのないものであった。


 ちなみに、長兵衛の子分の町奴たちも稀に山車の題材に採り上げられている。名前に犬や鐘が先行しているが、これは彼らがあげた武勇伝に因んでついているニックネームである。

『唐犬権兵衛』日詰橋本組昭和60年

●唐犬権兵衛
 幕府の権力を傘に着て威張り散らす意地の悪い旗本役人の屋敷には、唐渡りの大きな番犬がいた。旗本はしょっちゅう町に番犬を連れ出しては町人を脅かし、面白がっていた。傾き者(かぶきもの)の権兵衛は、虎の威を借る狐のように小ずるいこの旗本を懲らしめて町人の憂さを晴らしてやろうと、旗本の屋敷に乗り込んだ。そうして格闘の末、腕に傷を負いながらも見事に番犬を殴り殺したのである。面目をつぶされた旗本を尻目に、町人たちは権兵衛を英雄と褒め称え、「からいぬ殺しの唐犬権兵衛」、粋な江戸の町奴として慕った。のちに権兵衛は、幡隋院長兵衛の一の子分となったという。
 山車には、権兵衛が浴衣姿に握りこぶしを振り上げ、猛り狂う恐ろしい番犬をいざ殴りつけようという場面を描く。舞台には石灯籠を立て、旗本屋敷の庭を表現する。戦前期に盛岡に登場して以来久しく作られておらず、昭和60年ごろ紫波町の日詰や石鳥谷町でその貴重な姿をあらわした。


『釣鐘弥左衛門』一戸本組平成26年

●釣鐘弥左衛門(つりがね やざえもん)

 大きな釣鐘を諸手で差し上げる奇抜な構図の山車である。古くは大正期に、盛岡の当時の消防七部(現在の三番組)が作り、戦後一戸町の橋中組における製作を経て、同町本組における伝説的演題となった。他、石鳥谷でも製作歴があるようである。
 鳥居を背景に、頭上に釣鐘を高く掲げて石段を降りる裸人形の山車で、高さは5メートルを超える圧巻である。運行の際は線はりと、それを統率する手木打ちの腕前がものを言う。
 弥左衛門ら町奴が活躍していた江戸時代の初め頃は、巷に戦国の気風が残り人々は喧嘩っ早かった。弥左衛門が釣鐘を差し上げる姿は、このような時代ならではの喧嘩仲裁の場面なのだという。浪人同士がいまにも血の雨が降る大乱闘に及ぼうというとき、仲裁に入った弥左衛門は芸者衆が山車に飾って曳いていた大きな釣鐘を丸腰になって軽々と持ち上げた。気位の高い浪人衆に「引かぬとあらば、お相手申し上げる」と啖呵を切り、そのまま大鐘を諍いの渦中に放り込む。あまりの怪力に浪人たちは皆腰を抜かし、早々に引き上げたという。
 釣鐘尽くしという江戸時代の錦絵に、弁慶や道成寺の清姫らとともに二の腕に鐘の彫り物を入れた弥左衛門が描かれている。当時はそこそこ大衆に知られていた話だったのだろうが、今となっては山車好きの間でも弥左衛門の謂れを知る人は少ない。一戸の本組は平成26年に戦後5度目の弥左衛門を手掛けたが、見返しには水野十郎左衛門への裁きの甘さを訴え御前で割腹した町奴 緋鯉の藤兵衛(ひごいの とおべえ)を据え、「藤兵衛供養の鐘」と興趣を添えた。


●鈴ヶ森(すずがもり)
 江戸の外れの鈴ヶ森には追い剥ぎ・盗賊の類が多く、夜に森を抜けようとする者をたびたび襲っていた。親族殺しの罪で指名手配されていた白井権八(しらい ごんぱち)という侍がこの鈴ヶ森に差し掛かり、懸賞目当てに群がる盗賊たちに襲われる。優男に見える権八は、実に涼やかな刀さばきで次から次へと盗賊たちを斬り殺していく。その有様を見ていた幡隋院長兵衛が籠から提灯を出し「お若えの、お待ちなせえ」と声を掛け、その気骨をたたえ支援を申し出るという有名な芝居の一幕。
 私は小さい頃から、この場面を作った山車が出て大変良い出来栄えだったという話を幾度か聞かされているが、いまだその形跡を見つけられないでいる。



「長兵衛と水野十郎左衛門」秋田県角館町(購入写真)

(他の地域の「幡隋院長兵衛」の山車)
 九州の「祇園山笠」製作風景を見物したとき、髭を生やした浅黒い裸男が槍を持った鎧武者と睨みあっている場面の飾りがあって、これはなんだろうと見ていたら、なんと幡隋院長兵衛なのだという。九州でもめったに出てくることがない演題だそうなので、岩風呂、紫褌、金ぴかの鎧武者…という取り合わせは必ずしも「典型」とはいえないかもしれない。他に秋田の有名どころ2箇所で、一作品ずつ長兵衛の写真を見たことがある。長兵衛の持ち物が、偶然なのかどちらも柄杓だった。
 権兵衛や弥左衛門については、少なくとも現在はどこの地域でも作られていないようである。




文責・写真:山屋 賢一


(ホームページ公開写真)

盛岡祭   沼宮内祭   一戸祭
(唐犬)  石鳥谷祭     (弥左衛門) 一戸祭   川口祭

本項掲載:小鳥谷に組平成25年・石鳥谷下組平成29年・『唐犬権兵衛』日詰橋本組昭和60年・『釣鐘弥左衛門』一戸本組平成26年・秋田県角館町の飾山(購入写真)

山屋賢一 保管資料一覧
提供できる写真 閲覧できる写真 絵紙
幡随院 紫波町志和町山車
沼宮内の組
一戸本組
小鳥谷に組(本項1枚目)
石鳥谷下組(本項2枚目)

佐賀浜崎祇園山笠
盛岡二番組
秋田角館(本項5枚目)

盛岡め組
盛岡加賀野
盛岡穀町
盛岡本町通組
盛岡と組
葛巻新町組
石鳥谷下組
盛岡二番組(正雄:色刷)
一戸本組
小鳥谷に組

(二次資料)
盛岡一番組
盛岡め組
盛岡加賀野
盛岡穀町
盛岡本町通組
盛岡と組(富沢)
一戸野田組(香代子)
唐犬 日詰橋本組(本項3枚目)
石鳥谷下組
石鳥谷下組(見返し)

(二次資料)
盛岡め組
盛岡二番組
沼宮内新町組

青森八戸
日詰橋本組(富沢)

(二次資料)
盛岡め組
釣鐘 一戸本組(本項4枚目) 一戸本組
川口み組

(二次資料)
盛岡三番組
一戸本組@AB
一戸本組C
一戸橋中組
石鳥谷中組
一戸本組@A(富沢)

(二次資料)
盛岡三番組
ご希望の方は sutekinaomaturi@outlook.comへ

(音頭)

今も名高き 幡隋院長兵衛(ばんずいちょうべえ) 勇みそがれの 山車(やまぐるま)
強きをたしなめ 弱きを助く ところも芳(かんば)し 花川戸(はなかわど)
男長兵衛の 大博打
(ばくち) 水野の湯殿(ゆどの)に 花と散る
死地
(しち)に赴(おもむ)く 男の意地よ 俎上(そじょう)の鯉の そのままに
強き白柄組
(しらづか) 血をもて凌ぐ 幡隋院(ばんずいいん)の 心意気
男の中の 男と呼ばれ 敵の風呂場で 花と散る
庶民の意気なら 命を的に 侠気と度胸の 町奴
意地と張りとに 命をかけし 幡隋院は 世の鑑
(かがみ)
覚悟の長兵衛 命を的に 敵の湯殿で かざす桶
花とちりゆく 男の頬に 乱れかかるる 髪ぞよき
男の中の 男と呼ばれ 花と散ったる 幡隋院




※唐犬権兵衛

人は一代 名は末代に 残す男の 心意気
弱きものをば 助ける腕に 強い唐犬 ひとつぶし
殴る唐犬 そのいさおしを 今に伝える 男伊達
幡隋院兄貴
(ばんずい あにき)の 敵(かたき)をうって のちに六部で 供養する


※釣鐘弥左衛門

腕の力に 名を得し勇士 またも大鐘 差し上げる
強きを挫
(くじ)き 弱きを助(たす)く 男自慢の 弥左衛門
引かぬとあらば お相手申す 大鐘差し上げ 勇み立ち
釣鐘上げる 大力無双 剛勇ふるい 仲に立つ



※緋鯉の藤兵衛

義勇と任侠(にんきょう) 緋鯉の藤兵衛 本懐(ほんかい)遂げたる はなれ業
幡隋院の 無念を晴らす 緋鯉
(ひごい)の藤兵衛(とおべえ) 鐘響く




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