盛岡山車の演題【風流 川中島】
 

川中島

 



岩手町沼宮内ろ組平成10年

 『決戦川中島』『川中島の戦』とも。盛岡山車が誇る武者ものの最高級演題である。一方は白い毛並みをたっぷりと振りたてた諏訪宝生(すわほっしょう)の兜に地金を打った鬼の前立て、袈裟掛けの甲冑姿で床机(しょうぎ)に構える武田信玄(たけだ しんげん)。もう一方は星兜(ほしかぶと)の上を行人頭巾(ぎょうにんずきん)で覆い、馬に乗って太刀を振り上げ信玄に斬りつける上杉謙信(うえすぎ けんしん)。馬を1頭要する上に武者2人に豪華な陣羽織を着せるという、大変に費用と手間のかかる演題である。

 応仁の乱に端を発する戦国時代の群雄割拠、中でも最大の合戦といわれるのが川中島(かわなかじま)の戦いである。逸話は小説「風林火山」「天と地と」に紹介され、たびたび映像化されるなどして人気を博している。甲斐を拠点に関東東海に進出する武田晴信(信玄)、対する長尾景虎(上杉謙信)は関東管領の重責を果たすため、武田を倒して戦乱を収めようとする。両雄干戈を交えること5度に及ぶもついに決着せず、ただただ戦国最大の激戦として伝説化される川中島の戦い。中でも、互いに数万の軍勢を擁しながら謙信・信玄の両大将が一騎打ちに及ぶ名場面は、山車人形の好題としても全国的に採り上げられている。
 4度目の合戦、1ヶ月にわたって妻女山(さいじょざん)に篭る上杉軍は、信玄のいる海津城(かいづじょう)を一向に攻める気配がない。袋のネズミ状態にもかかわらず、呑気に能など催して宴に興じている。軍師山本勘助(やまもとかんすけ)の献策により、奇策きつつき戦法を発動する信玄、妻女山の上杉軍を急襲して八幡原(はちまんばら)に追い落とし、待ち構える本隊との挟み撃ちによってこれを殲滅しようと図る。軍神上杉謙信はこの奇策のさらに裏を書き、武田が動いたと知るや夜霧にまぎれて即座に全軍を山から下ろした。長い長い冷戦をやぶり、一夜の駆け引きが熱戦を引き起こす、これこそ川中島の醍醐味である。
 馬に轡を噛ませ鞭音粛々(べんせいしゅくしゅく)、濃い霧の中を上杉軍全軍が下山し、朝靄が晴れるや、信玄の布陣する八幡原には、妻女山にいるはずの上杉の大軍、毘沙門天(びしゃもんてん)の無数の旗指物が結集していた。大方の兵を妻女山に登らせた信玄の本陣は手薄なところを急に衝かれて大混乱に陥り、謙信は馬を蹴立てて先陣切って信玄の本陣に切り込む。信玄もさるもの、謙信の気迫に物怖じもせず床机を蹴り、刀の柄を握る間もなく手元の軍配団扇(ぐんばい うちわ)で謙信の太刀筋を受け、何とか難を逃れた。謙信は三度軍配を切りつけたが、戦が終わって改めて見てみると、軍配には七筋の傷が残っていたという。
 互いに大軍を擁しながらかくも劇的な大将同士の一騎討ち、この戦の激しさを語って余りあるエピソードである。

紫波町日詰下組昭和63年

 盛岡山車の川中島は、「国史画帖大和桜」に描かれる両雄対決の有様を忠実に再現したものである。背景の大立ち岩に武田菱の陣幕をかけてこれを乱し、乱入した謙信が片手に手綱を構えて白刃を振り上げ、信玄を襲う。旗指物を何種類も立てて武田本陣が華やかに演出されることも多く、上杉の「毘」の旗印、紺に金字でしたためた風林火山の旗指物などが場面をわかりやすく再現する。
 昭和63年には、NHK大河ドラマ「武田信玄」の衣装構成に完全準拠した川中島の山車が出た。信玄の兜の前立ては一見鬼に見えるが、これは獅噛(しがみ)といって、唐獅子が邪を払うために兜をかじっている姿だ。結構な彫り物なので、普通は武田四つ菱に差し替えるなど省略されることが多い。真っ白い毛並みは諏訪の使いの狐の毛である。謙信の被り物は定型では白頭巾(兜をかぶせた上から頭巾をかけることもある)だが、この作品では稲綱権現(いづな ごんげん)という戦の神を据えた黒兜としている。稲綱権現は狐に乗った怪鳥の姿で、この神に仕える者は「不犯(ふぼん)」、すなわち妻を持たない。謙信は女性説があるほどの女嫌いだったらしいが、これは戦の神に誓いを立てたゆえのことであったともいわれている。両手で刀を振りかぶる姿も、なかなかに変わっている。

 信玄が、手にした軍配で太刀筋を迎え撃つわけだが、互いの目線を意識するとどうしても観客に背を向けるような格好になってしまう。あまり背を向けるようでは、信玄の顔や折角の豪華な兜が観客に見えない。かといって目線対応を妥協して正面に据えてしまうと緊迫感が薄れ、まるで記念写真のような不自然な川中島になってしまう。『川中島』における信玄の立て方はこのように、この演題の難しさを物語る好例である。

岩手町沼宮内ろ組平成27年


 武者もののほとんどが、2つ人形を上げればひとつは「潰し人形」といって脇役に設定される。しかし川中島については信玄も謙信も両方主役であるから、いかに双方を引き立て他方を潰さないかという点に気が配られる。「横綱相撲」の名にふさわしい1:1の川中島は、なかなか実現しない高い目標といえる。

(ページ内公開:川中島)

ろ組(沼宮内祭)  め組(盛岡祭)  西法寺組(一戸祭)  大町組(沼宮内祭)  八戸流(普代祭)


『八重垣姫』岩手町沼宮内大町組平成12年

 歌舞伎の『八重垣姫(やえがきひめ)』を川中島の見返しとする伝統が、ここ数年で数例復活している。
 八重垣姫は上杉謙信の娘で、いいなづけは武田信玄の息子 四郎勝頼(かつより)である。上杉が武田と敵対したため勝頼と八重垣姫も敵同士となり、ある日八重垣姫は、父謙信が勝頼に討手を差し向けたことを知る。なんとか勝頼を助けたい八重垣姫が稲荷明神に願をかけると、諏訪法性の兜に狐が宿り狐火が灯り、姫は兜に導かれ氷に閉ざされた諏訪湖を渡って、勝頼に危急を告げることができた。山車の八重垣姫が白毛の垂れた武田の兜を掲げているのは、このような逸話を表現したためである。
 八重垣姫の物語は川中島合戦に取材した代表的な歌舞伎「本朝廿四孝(ほんちょう にじゅうしこう)」によるもので、史実では、実際に武田家から上杉家に嫁いだ女性がいたようである。

(ページ内公開:八重垣姫)

橋本組(日詰祭)  め組(盛岡祭)  南部火消し伝統保存会(盛岡祭)


 他に関連演題として、『風林火山』という題で信玄のみを1体飾りとした作品、謙信が赤装束の武田の足軽を踏み倒して本陣へ駆ける『上杉謙信』、片目を矢に射抜かれてなお敵軍を睨み据える『武田の軍師 山本勘助』などがある。

(ページ内公開:『川中島』派生演題各種)

山本勘助(一戸祭/見返し)  上杉謙信(沼宮内祭)  上杉謙信(川口祭)

  謙信と毘沙門天(軽米祭/見返し)  謙信の出陣(青森:野辺地祭)


 盛岡山車の武者演題には特色がある。戦国武者に取材した演題が、源平合戦の武者演題レパートリーに比べて非常に少ないのである。しかもほとんどの演題が一回きりの製作で終わってしまい、戦国ものの定番として生き残ったものは極めて少ない。源平ものと比較して仕掛けが大掛かりな場合が多く、甲冑類が各々個性的で使いまわしが利かないことなども要因であろうか。秋田県の角館や土崎など東北日本海側の著名な山車祭りでは、武者ものといえば近世の合戦物語を描くのが通例である。歴史物語をどのように取捨選択するか、地域によるフィルターの違いがあるようだ。

岩手県大船渡市盛町

 盛岡山車で戦国武者演題の定番と見なし得るのは『川中島』『森蘭丸』『清正虎退治』のわずか3例である。華麗な陣羽織(じんばおり)と変わり兜が魅力の個性色濃い演題群がそれに続く。この時代の取材の軸となりそうな物語として、豊臣秀吉の一代記「太閤記(たいこうき)」があげられるが、秀吉自身の出世物語は、たとえば義経のそれと比べてかなり大雑把にしか追われておらず、とりわけ九戸政実(くのへ まさざね)とゆかりの深い地域では豊臣秀吉を山車にするのを避けるとの話も聞く。結局戦国大名が山車にされるのは、大方大河ドラマなど一時の流行に触発されるケースがほとんどといってよい。このような例については、別頁で述べる。
 音頭に着目すると、清正も川中島も蘭丸も、文言の中にその出来事があった時期(元号など)が読み込まれている。盛岡馬町、同じく油町などで作られた音頭がのちに定番の文句とされたこともあろうが、なにか意味深である。

 最難関演題に取り組む組には類稀な意欲と情熱があり、それは山車に対する愛情である。川中島に取り組む全ての山車組の、溢れんばかりの山車への思いを称えたい。

 
(他の地域の「川中島」の山車)
 川中島の山車は日本全国で作られていることと思うが、盛岡山車のような錦絵の構図をほぼそのまま切った作品は、東北以外では静岡の三熊野神社の山車、福岡の博多祇園山笠などで見られる。八戸(青森)や新庄(山形)、岩手県内では花巻など比較的自由度の高い作法の山車では、竜虎の争いを具現化して謙信を竜に乗せ、信玄を虎に乗せる(逆もアリ)様なことがしばしばある。角館(秋田)は原則立ち姿の大将2人を並べて合戦を表現するので、謙信が馬に乗らないような作品もあった。弘前ねぶたで目にする川中島の絵は、なぜか皆信玄の軍配を極端に小さく描いている。両将とも騎馬に乗せるような作品は青森ねぶたに見られたほか、二戸の五日町山車組も取り組んだ。
 盛岡山車を含んでの話になるが、単体で信玄を描く作品はあっても、謙信を描く作品は極めて少ない。代わりに片方に比重をかけて作る際には、謙信が信玄をやっつけたように作る例が多い。

文責・写真:山屋 賢一

山屋賢一 保管資料一覧
提供できる写真 閲覧できる写真 絵紙
川中島 一戸橋中組・日詰下組(本項)
沼宮内ろ組@(本項)AB(本項)
一戸野田組
沼宮内新町組
盛岡二番組
二戸福岡五日町
盛岡め組
一戸西法寺組
沼宮内大町組

大迫下若組@A
二戸平三山車数例
花巻祭り山車各種
大船渡市盛町(本項)
盛岡二番組@A
盛岡み組
盛岡め組
一戸橋中組@AB
一戸上町組
石鳥谷上若連
沼宮内愛宕組
沼宮内ろ組@A
川口下町山道組
沼宮内ろ組(手拭)
一戸野田組(富沢)
盛岡二番組(正雄:色刷)
盛岡め組(富沢加工)
一戸西法寺組・浄法寺上組
沼宮内大町組
一戸上町組(国広)
川口下町山道組(正雄)

盛岡二番組@
盛岡二番組A
盛岡め組(国広)
盛岡み組
武田信玄 石鳥谷上若連
上杉謙信 沼宮内愛宕組
川口下町山道組
川口下町山道組(山屋)
山本勘助 一戸町野田組(見返し) 一戸町野田組・日詰上組・沼宮内の組 一戸町野田組
八重垣姫 沼宮内大町組(本項)
沼宮内新町組
盛岡み組
沼宮内愛宕組
日詰橋本組
盛岡め組
南部火消し伝統保存会

大迫下若組
住田町仲町
ご希望の方は sutekinaomaturi@outlook.comへ

(音頭)

龍虎相搏(あいう)つ 川中島に 恨み尽くせぬ 十数年
遺恨
(いこん)対決 龍戦虎争 川中島の 一騎討ち
智勇優れし 武将が此処
(ここ)に 駒を進めし 太刀あらし
智勇備わる 上杉武田 今にたたえる 川中島
(こせんじょう)
智勇名将 上杉武田 戦陣競い たび重ね
龍虎相搏つ 川中島の 川霧切って 太刀白し
龍虎相搏つ あらしの中に 思いは遥か 古戦場
暁天
(ぎょうてん)雲呼ぶ 川中島に 龍虎相搏つ はなれ業
動く両雄 雌雄を懸けて 川中島の 夜が明ける
越後
(えちご)の龍の 一騎の寄せを 返す軍配(ぐんばい) 甲斐(かい)の虎
晴るる星空 いななき高く 団扇
(うちわ)ひらめく 太刀の下
三太刀七太刀
(みたち ななたち) 軍配かざし 虎口逃れし 甲斐の龍
遺恨十年 朝霧ついて 知将武田の 本陣
(たて)に飛ぶ


※八重垣姫

(かぶと)あらため する目をはふり 落つる泪(なみだ)は 露時雨(つゆ しぐれ)
無事を祈りて 兜を手にす 狐精導く 諏訪
(すわ)の湖(うみ)
恋の一念 諏訪湖をわたる 不思議ちからの 狐火(きつねび)
武田家ゆかりの 兜を手にし 願いかなえや 八重垣姫
兜を護る 奇瑞
(きずい)か諏訪の 狐火野辺(のべ)に もえてたつ


※山本勘助

曇る天日(てんじつ) 轡(くつわ)の響き 風林火山の 旗嵐(はた あらし)
風林火山の 御旗(みはた)のもとで 知恵者(ちえしゃ)勘助 策を練る
攻める敵軍 軍師の一期
(いちご) 流れ乱るる 千曲川(ちくまがわ)


※上杉謙信

鞭声粛々(べんせい しゅくしゅく) 夜河を渡る 一剣磨き 敵の陣
勝機占う 夜霧をやぶり 八幡原
(はちまんばら)を 衝(つ)かんとす
赤の備えを 崩して迫る 武田信玄 陣屋前
敵の本陣 一騎で寄せる 姿まばゆき 軍神
(いくさがみ)


青森県東北町上北



青森県弘前市

【写真抄】
(1枚目)沼宮内ろ組平成10年。盛岡め組製作の最後で、馬はろ組で作ったという。定型遵守の川中島で、バランスがよく動きも感じられる。惜しむらくは信玄が完全に横向きになってしまって、顔が見えないこと。自分が直に見た川中島では秀作の内に入る。(2枚目)日詰下組昭和63年、一戸橋中組戦後の第3作。私が幼稚園児だったころの日詰の山車で、幼馴染と祭りの話をするとよく話題に上る。いろいろと既成概念を破っている作品だが、それでも盛岡山車らしい「渋さ」が感じられる。大河ドラマ準拠の信玄の甲冑がすごく派手で印象的だが、正面正視に近い据え方なのでいかんせん緊迫感に乏しい。なお、謙信が両手で刀を振りかぶる構図は、橋中組が昭和30年代の同演題で編み出した。(3枚目)沼宮内ろ組平成27年、完全自作の川中島。謙信が中央線を越えて大胆に切り込んでいる迫力満点の人形配置であり、近づく度に両者の距離感が変わり、まさに動いているように見えた。盛岡山車の川中島としては目下最高峰と呼びうる出来である。(4枚目)沼宮内大町組平成12年、私が初めて実物を見た『八重垣姫』、沼宮内ではこの作品だけ、表と無関係に飾られている(表は『新田義貞』)。兜を持たせることで個性が出るので、新世紀になってからは定番の見返しとなった。(5枚目)他系統の川中島として、沿岸南部大船渡市の山車を掲載した。高さが大体10mくらいある「館山車」と呼ばれるものである。人形の工夫に触れると、信玄の傍らにかがり火があり、これは炎をスズランテープで作り、風になびかせて燃える様子を表現している。隙間の多い形式の山車だからこそなしえる工夫であろう。(6枚目)青森の上北町というところで出た川中島の山車。八戸の十一日町と提携している上野組の作品で、謙信・信玄とも乗馬は無く、竜虎が舞台に上がっている。(7枚目)青森県、弘前ねぷたの川中島。扇ねぷたの構図には当事者以外に雑兵ややられ役が足されることが多く、川中島では軍配を小さめに描く通例がある。


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