土蜘蛛の山車
水木しげる氏は土蜘蛛(つちぐも)を、変幻自在の「日本最強の妖怪」と書いている。神武天皇の昔、大和国葛城(やまとのくに かつらぎ)の狩人の村が虐殺に遭い、その怨念が長く葛城山に篭もり時を経て、妖怪となったのだという。平安天禄(てんろく)の御世、帝を守る武家の棟梁「源朝臣頼光(みなもとのあそん よりみつ)」の許へ、土蜘蛛は数百年越しの復讐に訪れた。身の丈二メートルの僧に化けて病に臥せっている頼光を襲ったが、逆に片足を切られてしまい、血の跡をたどって古墳(古塚:ふるづか)にやってきた頼光の家臣独武者(ひとりむしゃ:千人力の武将)を相手に本性をあらわして暴れまわる。 武者もの・退治ものとして土蜘蛛を作った山車もあり、盛岡地方ではこちらの方が歴史が古く、製作例も多い。 戦前に盛岡の一番組で頼光四天王の一人「坂田金時(さかたの きんとき:「公時」とも、大人になった金太郎)」を退治役にした蜘蛛退治の山車が出た。盛岡ではこの回切りの大変珍しい題で、やられ兵卒・土蜘蛛・金時の三段重ねにて表現された様子が絵番付に遺り、令和元年に復刻された際も蜘蛛の下の雑兵を略さず飾った。沼宮内の大町組はこれとは違ったスタイルで同題を手がけ、後日江戸の山車絵図にこの作と全く同じ構想を見つけた。赤ら顔に金の字の柄の着物、冠を着け縄を両手に蜘蛛にまたがる金時で、夜には蜘蛛の手足や顔をばたばたと動かし、眼玉のライトを頻繁に点滅させて暴れる姿を奇怪に表現した。 他、蜘蛛の出てくる題材として、陰陽師の安倍晴明(あべのせいめい)を退治役にした蜘蛛退治の山車が、やはり一戸の橋中組にて構想されている。上記頼光の蜘蛛退治の際一時検討された「蜘蛛が上に居る構図」を使い、巣糸はその下に架け、夜間は煙を吐き、眼玉は赤・青の2段階に点るようにした。 歌舞伎山車が盛んで扱う人形が複数であるような定型を持つ地域では、土蜘蛛がたびたび山車に出る。秋田の角館では力紙・仁王襷に隈取を取った荒事姿の坂田金時を退治役とした2体ものの『蜘蛛の拍子舞』を比較的よく作る。この題の土蜘蛛の装束は金襴や褐色でなく、白を基調とした比較的あっさりしたものである。 文責・写真:山屋 賢一 (音頭 土蜘蛛の精)
皇朝(こうちょう)仇(あだ)なす 土蜘蛛の精が 頼光(らいこう)襲う 千筋糸(ちすじいと)
畿内(きない)治まる 天禄(てんろく)の御世(みよ) 不思議現る 大化け(おばけ)蜘蛛 蜘蛛を退治の 金時公(きんときこう)が 残す武勇は 幾世迄(いくよまで)
蜘蛛のすが糸 露さむざむと 光る野末(のずえ)の 仇し草
安倍晴明 五芒(ごぼう)の護り 散らす土蜘蛛 あざやかに
歌舞伎「土蜘(つちぐも)」はこの物語を演じた能を下敷きにした“松羽目もの”で、尾上菊五郎の当たり芸「新古演劇十種(しんこ えんげきじっしゅ)」の一つである。能の「独武者」は歌舞伎では平井保昌(ひらい やすまさ)と頼光四天王に置き換わってより華やかに展開され、彼らが踏み込んだ古塚で土蜘蛛の精が暴れまわる場面がそのクライマックスである。土蜘蛛の精が巣糸を表す紙テープ(「千筋の糸:ちすじの いと」)を舞台の四方にたくさん散らす演出が特に有名で、代赦(たいしゃ)という茶と黒のおどろおどろしい隈取、茶と金の豪勢な着物…と見所が多い。
盛岡観光コンベンション協会が、盛岡流の山車として初めて歌舞伎の土蜘蛛を採り上げた(平成15年・写真1)。退治に来た雑兵(軍卒)を一人踏みつけて足場にし、口を開けて凄む花道の姿を採り上げている。軍卒の着物は黄色と黒の格子柄で、実際の舞台ではこれを8人踏みつけて蜘蛛の足を表現する。妖怪が従来のように退治される側でなく主役として山車の舞台に上がったのは大変珍しい。石鳥谷の下組も同様の土蜘蛛を風流に採ったが、歌舞伎からだいぶ離して創作を入れ、実際の蜘蛛に乗っていたり顔に牙を生やして舌を出したりした。足下の大蜘蛛が骸骨を一つ咥えているのは、退治された土蜘蛛の体内から無数のしゃれこうべが出てきたとの逸話からであろう。
蜘蛛が出てくる歌舞伎には他に『若菜姫(白縫譚:しらぬいものがたり)』や『蜘蛛の拍子舞(くもの ひょうしまい)』があり、うち前者は蜘蛛を眷属として使う姫であり、盛岡のみ組が2度、大蜘蛛に乗った姿で表に使っている(見返しにも蜘蛛なしで飾った)。後者は蜘蛛が姫の姿で登場する芝居だといい、二戸山車の見返しに娘が片手をかざして巣糸を散らす姿で上がったことがある。
紫波町日詰の秋祭りに、鎧姿の頼光が大きな女郎蜘蛛の糸を太刀で切り払いながら奮戦する趣向の山車が出たことがある(平成5年・一戸町橋中組借上)。難しい両者のバランスが見事に調整され、蜘蛛のディフォルメや色使い・武者の掌を支点に巣糸を蜘蛛の真上に架ける等細部まで凝った秀作であった。大蜘蛛の足が長く四方に伸び、うちいくつかは途中で切れている。眼は大きな二つの他に複数並び、夜は口が閉じると点り、開くと消える仕掛けになっていた。 後日、橋中組の製作資料に触れる機会があり「今までに無い新しい演し物」として試行錯誤の末に作られたと知った。先達として盛岡山車『坂田金時』及び『白縫譚』の白黒絵紙を参照したとあるが、いずれも単色刷りであるので、蜘蛛の意匠や配色については完全に橋中組の創案であったと考えられる。白縫譚についてはこの翌年に、『若菜姫』の題で復刻され、蜘蛛の配色は茶と金であった。
この2作の蜘蛛の色は黒ないし焦げ茶で、タランチュラのように全身に毛が生えている。怖さとか異様さ、迫力・気味悪さが前面に出た演出といえる。
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本項掲載:盛岡観光協会H15・沼宮内大町組H19・盛岡一番組R1・『安倍晴明土蜘蛛退治』一戸橋中組H25
(他地域)
蜘蛛退治は頼光武勇譚の一環であるため、大江山に類する演題が多い地域では、必然的に土蜘蛛の山車も多く出てくる。青森の八戸山車やねぶたなどがこれに該当し、ねぶたの場合は巣糸が蜘蛛の掌から出て自在に設定される。
前述した新庄や、岩手で言えば花巻のような自由な作風の山車での土蜘蛛は、歌舞伎の表現と実際の昆虫の姿とを並立させることが多い。たとえば張子作りの大蜘蛛の上に歌舞伎風の蜘蛛の精が乗っている構想であったり、蜘蛛と武者の戦いを歌舞伎風に描いた中に黄色い蜘蛛を挿入する等である。土蜘蛛と戦う頼光は着物姿で金の烏帽子を被っており、鎧姿である例は少ない。巣糸を舞台いっぱいに派手に展開させ、それが山車場面において区切りや強調線など様々に作用する。
※他系統の作品は分類が困難なので割愛
提供できる写真
閲覧できる写真
絵紙
歌舞伎の土蜘蛛
盛岡観光協会・日詰一番組(本項)
石鳥谷下組
盛岡観光協会(圭)
石鳥谷下組
源頼光と土蜘蛛
一戸橋中組・日詰下組(本項)
一戸橋中組(香代子)
坂田金時
沼宮内大町組
盛岡一番組
沼宮内大町組
盛岡一番組
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妖(あや)しき僧の 正体見せて 六十余州(ろくじゅうよしゅう)に 巣を架ける
剣の光を 恐るる莫れ(なかれ) 蜘蛛の魔術で 頼光(よりみつ)を
我を知らずや 葛城山(かつらぎやま)に 日ノ本照らす 風吹かす
頼光相手に 巣糸を散らし 暴れまわるや 土の蜘蛛
松羽目(まつばめ)舞台に 土蜘蛛鬼神(きしん) 軍卒踏みつつ 仁王(におう)立ち
王城警固(おうじょう けいご)の 頼光怪(あや)し 名刀膝丸(ひざまる) 蜘蛛を斬る
千筋の糸を 吹き架け寄せて うなる太刀風 一騎討ち
病(やまい)に伏せる 頼光(らいこう)狙い 怪しの僧が 忍び寄る
頼光めがけて 吐き出す糸を 払いて一太刀(ひとたち) 浴びせたり
都隔(へだ)つる 葛城山に 頼光誉れの 蜘蛛退治
化ける妖怪 金時退治 かざす荒縄 蜘蛛を捕る
葛城山は 静かなれど 蜘蛛の古巣(ふるす)は 浪高し
手負いの土蜘蛛 葛城山の 古巣に踏み込む 金時公
逃げる物の怪(もののけ) 岩屋の古巣 坂田の金時 蜘蛛退治
妖し物の怪 土蜘蛛変化(へんげ) 挑む金時 綱で捕る
高らに掲ぐる 真白き札に 晴明桔梗(せいめいぎきょう)の 花が咲く
いざや晴明 陰陽術(おんみょうじゅつ)で 討てや土蜘蛛 戻り橋
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