岩手県の囃子屋台(非更新制山車)まつり

 

水沢地方の火防祭囃子屋台と花車

奥州市(岩手県) 囃子屋台

羽田町火防祭(三方荒神社 3/最終日曜)※旧水沢市

 

 その年の33歳厄年連により運行される囃子屋台で、地元名産の水沢鋳物を使って欄間や高覧を作った「鋳物屋台」である。音曲は「羽田町剣ばやし」で、気仙や宮城県北部の「献囃子」と同じメロディーをゆったりと奏でる。午前9時過ぎに荒神社脇の格納庫を出発し、羽田商店街を午前10時頃から1時間かけて通過、その後休憩を取り、昼過ぎに同じコースを逆進、午前午後1時間ずつの運行となる。出発時には「羽田木遣り」を引き子全員で唱和し、運行時は一歩一歩すり足でゆっくり進む。商店街を抜けると囃子をやめ、普通に歩くようになる。会場へは東北新幹線の水沢江刺駅が最寄で、荒神社も駅の隣にある。
 少子化や商店減・コロナ禍の断絶が重なり令和に入って廃絶、鋳物屋台は昭和57年から令和元年まで計37回の出場となった。(平成18年見物)

 

日高火防祭(日高神社 4/29) ※旧水沢市

 

 もとは旧正月の22日に開催されていたが、4月22日に改められ、平成に入って祝日の4月29日・コロナ禍後は同月最終土曜の開催となった。
 (以下、コロナ前の状況)祭典当日は町内9丁で囃子屋台を終日運行し、このうち6丁に日中のみ「丁印」と「打ちばやし」が付属する。午前10時半にすべての囃子屋台が日高小路に横並びになり「遙拝式」が行われ、丁印と打ちばやしが囃子屋台に合流する。午後は市内を9台連動して運行し、駅通り入り口にて丁印・打ちばやしが離れ、日中の内に駅通りをパレードしそのまま各町に帰る。その後駅前通りは厄年連の演舞フィナーレを迎え、夜7時から囃子屋台のみがライトアップし、水沢駅周辺で「揃い打ち」・駅通りで「相打ち」を行う(初見時は逆であった)。相打ちを終えると屋台は各町を一巡りして集会場所に帰り、夜8時半ころ解散、屋台の電飾はしばらく点けたままで置かれる。
 もともと祭礼の主体は打ちばやしであり、音曲も「とっとこめい」を6丁共通で奏でていた。囃子屋台は客分であったものがやがて主役となり、町内ごとに音曲を工夫し、欄間や雪洞など豪勢な装飾を備えて競い合うようになった。担ぎ山であった時代の名残で引き綱は付かず、四方に担ぎ棒を備えた屋台もある。屋台の上には振袖姿に真っ白な裃を着け化粧をした「お姫様」(少女たち)が雛壇状に並び、「捨て撥」など優雅な奏法で小太鼓を叩き、笛と「お人形様」が弾く三味線が和す。屋台の背面には紙で作った枝垂桜と牡丹を飾る。
 祭典前日に前夜祭と称し駅通りで2基の囃子屋台が運行する慣例があったが、平成19年を最後に行われなくなった。コロナ禍後は前夜祭なし・遙拝式は午後1時過ぎに行い屋台運行を午後いっぱいに縮小、厄年連の演舞は駅通りに限っている。(平成13・14・17〜年見物)



 

 

江刺甚句まつり(旧岩谷堂火防祭 5/3・4)

 

 5月4日開催。もとは秋葉神社の火防祭に大正期に25歳厄年連、戦後まもなく42歳厄年連が参画したもので、明治期には15メートルを超える100人担ぎの「大山」が岩谷堂町内から12基ほど出ていたという。現在は8町内から屋台が繰り出し、甚句祭りに花を添えている。朝8時から夕方4時半までは団体ごとに自由運行を行い、辻辻で屋台を止め、江刺甚句を初めとする手踊りを披露する。その後8基連動して町内をパレードし、夜は照明をともして甚句踊りパレードに合流する。甚句踊りパレードでは街路放送にあわせて太鼓を叩く。
 屋台が自由運行時に演奏する曲は以下のとおりである。伝統的な岩谷堂囃子は振袖姿の少女が小太鼓を叩き、飾り打ちも見られるが、水沢よりややリズムが早く、袴姿の少年による大太鼓を伴うのが特徴。創作太鼓や他地域の祭囃子を用いたものも見られ、山車の意匠もさまざまである。屋台の前に金棒引きを何人も伴う町内がいくつか見られ、また夜間のパレードでは完全にパレードカー化してしまうなど、さまざまな表情を見せてくれる。水沢の屋台と比較して、造花を飾る屋台が多い。
 写真は南大通組の屋台で、花巻・北上地方の「吉原ばやし」とよく似た旋律の「秋葉ばやし」を演奏する。(平成15・18・19年見物)

 

(各町内の屋台と曲目)

南栄会   :伝統300年岩谷堂囃子「一声」

男石会   :男石ばやし

大通組   :花輪ばやし伝承

一親会   :ふるさとばやし

六日町銭町組:祇園ばやし

南大通組  :風流秋葉ばやし

中町組   :江刺ばやし

川原町本町組:江刺ほうねん太鼓

 

 

前沢春祭り(旧熊野神社例大祭 4/第3日)

 

 もとは熊野神社の祭礼であり、風流山車と思われる担ぎ山が何十基も登場して当地有数の賑わいを見せた。戦後も厄年連や町内会が思い思いの山車を運行したという(7台出た)。昭和50年代に稚児行列を神社祭礼・山車の要素を「前沢春祭り」に移行し、流し踊りなども取り入れて町民総参加のお祭りとした。
 現在は厄年連による創作舞踊と町内のYOSAKOIチームによる現代的な催しが祭礼のほぼ全てを引き受け、踊りを披露する全ての団体がトラックに装飾板を取り付けた「山車」を伴い、自由にコースを決めて終日披露する形態となった。踊り手の列の前後に山車を止め、トラックの荷台にステージを設け演奏し、スポットライトで踊り手を照らす。
 年齢を限る25歳厄年連・42歳厄年連・49歳厄年連のほか、三日町など町内会による催しも登場する。新町の催しは水沢の柳町から伝承した「新町剣ばやし」で屋台上での手踊りも付いたそうだが、平成10年以降出ていない。コロナ禍後は行列が町に出ず、ふれあいセンター駐車場周辺にブースを複数設けて催す形に変化した。
 写真は祭礼を取り仕切る42歳厄年連の山車。 (平成18・19、令和5〜年見物)

 

※奥州市各地区春祭り見物記+いわてのYOSAKOI祭り 

 

 

金ヶ崎町(岩手県胆沢郡) 金ヶ崎神社春季火防祭囃子屋台

 

 金ヶ崎の火防祭は、桜祭りの一環として毎年4月第3日曜日の日中に開催されている。例年、諏訪小路自治会の稚児行列、町上自治会の手踊り(歌謡曲)、南町自治会の子供太鼓・樽神輿、栄町自治会の子供神輿などが町内を練り歩き、金ヶ崎駅前には縁日が立つ。他の胆江春祭りに比べると小規模なイベントではある。
 平成21年には、稚児を乗せた水沢流の囃子屋台が10年ぶりに復活運行し(街地区自治会、町下自治会)、以来2年に1度出す恒例となった。音曲は『祇園ばやし』で、真っ白な裃を纏うなど着飾り方も水沢とすっかり同じだが、撥使いがやや男っぽく、屋台に回転の仕掛けは無い。背面に紙牡丹の枝は無く、枝垂桜を二本あしらっている。前方に引き綱を渡し、何種類かの半被を纏った大人たちが交通整理をしながら屋台を引く。運行は午前中から昼下がりまで行われるが、目抜き通りに現れるのは午後1時半から2時半過ぎにかけて。
 屋台行事は昭和の初めに行われ始め、最盛期には5台が繰り出したという。(平成21年見物)

 

遠野郷の「南部ばやし」屋台

遠野市(岩手県) 南部ばやし屋台

遠野まつり(遠野八幡宮 9/第3土日)

 

 南部ばやしは、現在遠野郷のみに伝承される町方芸能で、青森県三八地域などに見られる「商宮律(さぎり)」に近いが、遠野独特の風貌を持つ。囃子屋台の上で裃を着た少年が締め太鼓をたたき、屋台の前では「元禄すがた」という独特の着付けをした少女たちが桜や紅葉の枝を手にして踊る。町内によって烏帽子をつけたり簪をつけたり特徴があるが、思い思いの刺繍を施した化粧回しを共通して着けている。(市内のショッピングセンターではこの化粧回しを店内に吊るしてお祭りの飾りとしていた。)踊り子を挟むようにして壮年男子が左右一列に並び、皮バンド様のもので鼓を打つ。曲風は優雅で、踊りには時折見得を切るような動きが入る。屋台の背面には絵柄を染めた幕や行灯を飾り、玉桜などを添える。
 写真はシダレ櫻と送り絵を飾った穀町屋台の背面。遠野祭りではこのほか、一日市(側面に櫻を吊る)、仲町(提灯・背面に簾)、上組町(前後に彫刻)の計4台が運行される。また、太神楽の屋台など郷土芸能に付属する山車がいくつか登場し、花巻と同じ形の紙牡丹がついたものもあった。昭和50年代には、花巻風の人形山車が運行されていた形跡がある。(平成17年見物)

 

 

宮守村の秋祭り(砥森神社 9/最終土日)

 

 下宮守の鎮守砥森神社の秋祭りで「新町(あらまち)南部ばやし」がトラックに竹垣を組んだ屋台を運行する。浴衣姿の少女が太鼓を叩き、晴れ着姿の少女が桜の枝を持って踊る。音曲は遠野祭りで見られるものとほぼ同じである。(平成17年見物)

※屋台車を伴う南部ばやしにはこのほかに小友南部ばやし(巌龍神社・8月最終日曜)、綾織南部ばやし(駒形神社・9月9日)がある。

 

気仙地方の「式年大祭」の山車

大船渡市(岩手県) 式年大祭道中屋台

 猪川町五年祭 (天照御祖神社式年大祭)

 

 中井組、前田下権現堂、長谷堂組、富岡組、久名畑(くなばたけ)組の5団体が参加、各団体とも権現様(獅子舞の一種)の太鼓を吊るすための細身の屋台と、手踊りの後ろに迫る大型の屋台の2台を出すので、全部で10台山車が出る。
 権現様用の屋台は紋付袴のたたき手が山車の側面を歩き、両側から曲打ちを行う。権現様は式年大祭のほか正月にも花回りを行うが、狭い路地などにお祝いに行くときは、屋台が入らないので担ぎ棒に太鼓をくくって左右からたたく。山車は式年大祭独特の風物である。
 手踊りはほとんどがカラオケ音源だが、伝統を感じさせる笛太鼓に乗せたものもあり、県境を越えると見られる「はねこ踊り」の活発さよりも、水沢・北上・遠野などに通じる優雅な踊りであった。屋台は水沢の囃子屋台を荒っぽく派手にしたような概観で、太鼓をたくさん乗せて男装の男子女子が乗り込むものもあれば、スピーカーのみを乗せて無人で動かす比較的小型のものもある。背面に「風流 華厳の滝」として温泉の素を混ぜた水を循環させたもの、椿の生木を垣根に作ったものなど町内ごとに工夫を凝らしている。色とりどりの玉桜や蝋で固めた紙の牡丹などは気仙独特の非常に派手な装飾。
 写真は富岡組の手踊り付属屋台で、猪川町五年祭に出場したうちでは最大の山車である。(平成17年見物:5月3日)


 盛町五年祭(天照御祖神社式年大祭)


 下町組と木町組で出す館山車(別に屋台も運行)をはじめ 吉野町組、上木町組、田茂山組、旭町組、本町組、櫻場組などの各まつり組が出す大型道中屋台、踊り子の花笠を乗せた小型の屋台、権現様の太鼓を吊るした屋台(田茂山)などさまざまな引き物が町内を運行する。盛の場合は特に菊・藤・桜(花紙製)・牡丹など紙花が派手で色彩豊かな屋台が多く、牡丹の傍には金紙で蝶を作って舞わせている。気仙地方では珍しい人形飾りを伴う屋台も、館山車をはじめ3例(下町・木町・吉野町)見られる。8月上旬の七夕アンドン山車を出す団体がまつり組の主体になっている。
 写真は背面に人形飾りを作る吉野町組の山車で、人形は時の大河ドラマに合わせた『山内一豊小田原出陣』、花巻祭りのように「風流」「躰」で題を挟んでいる。(平成18年見物:4月29〜30日開催) 

※人形山車の記載はこちら




 大船渡町五年祭(加茂神社式年大祭)

 永井沢組、茶屋前組、須崎組、台町組、赤澤組、上山中央町組、富沢組、明神前組、南町組、北笹崎組、川原町組、平組、下宮下船渡組、地ノ森組、平七福神、明土組、田中権現(賀茂神社)、八坂権現、永井沢権現、月山権現、地ノ森権現、屋敷組など全部で20台くらい屋台・山車が出る気仙地方最大規模の式年大祭。権現様の太鼓を吊るした小型の屋台、道中踊り随行の大型屋台、平七福神踊りの宝船型山車「蓬莱丸」などが出て大船渡町のあらゆる街路にひしめき、終日賑わう。
 第1日目は大船渡湾を舞台に三社の神輿渡御が大漁旗満艦飾りの船に乗って行われ(海上渡御)、権現様の屋台が大船渡港に結集しお供をする。海上渡御の間は道中踊りの屋台が市内を賑わし、午後1時過ぎに茶屋前の寄港場に神輿とお先祓いの郷土芸能(数団体の権現様と仰山流笹崎鹿踊り、赤澤鎧剣舞)が到着すると、赤澤曲録と大名行列を交えて行列に混じり、盛り上がりは最高潮に達する。
 道中屋台のうち川原町の屋台は「定紋車」と呼ばれ、極彩色の彫刻に彩られた古風な屋台である(写真)。茶屋前組は御所車4輪を備えたキラキラと雅やかな屋台、南町組は中新田の虎舞山車のような花馬簾をたくさん吊るした屋台、台町組は神輿のように屋根に鳳凰を戴いた屋台…と各組で特色があり、軒にはピンクや黄緑の造花を吊るし、背面に曲録の花や桜の造花を飾って華やかに演出したものが多かった。(平成19年見物:5月3〜4日開催) 
 

 

陸前高田市(岩手県) 式年大祭道中屋台

 竹駒稲荷神社式年大祭

梯子虎舞と屋台

 竹駒の式年大祭は5年に1回。新田祭組・壷澤祭組・矢崎祭組などがトラックに様々な装飾を施し、楽器を中心に機材を積み込んで屋台として運行している。神社名に駒の字が入るのにちなみ、馬の作り物をトラックの正面上部に飾ったり、大きな馬の張子を飾ったりした物もある。簡単なトラック装飾ではあるが、どの団体も屋根つき囃子屋台の体をとっていた。玉桜は半球の状態で竿に張り、先端部分にだけ球状にした桜をを紐吊るしにしたもので、山車の屋根のほか民家・商店の祭り化粧にも使われていた。神輿行列が朝神社を出発し、昼ごろに竹駒小学校に到着して演芸大会(はしごの上で曲芸をする「梯子虎舞」など)を行う。
 写真は梯子虎舞と屋台。(平成14年見物:3月最終土日)


 高田町五年祭(氷上神社・天照御祖神社合同式年大祭)

 高田町五年祭に登場する道中踊りの屋台は、手前にスピーカーを乗せた中型屋台(トラック装飾)、踊り手の後方に太鼓をたくさん乗せた大型屋台の2台を備える団体が多く、中型のスピーカーから流れる音源を頼りに大型屋台の太鼓を飾り打ちする。祭典期間土日2日間のうち土曜は神社行列に随行、日曜は午前中に駅前通を合同運行するが、合間を縫って各団体バラバラに路上演舞を行う。まつり組は上長砂組、中央祭組、鳴石組など8月7日に毎年行う「七夕祭り」山車行事実行母体が主体。
(平成17年見物:10月第3週末)

※人形山車の記載はこちら


住田町(岩手県) 天照御祖神社

 

 世田米(せたまい)の天照御祖神社式年大祭は3年に1回、5月の連休に合わせて開催される。お通りを行う日がメインだが、その前日も中心街では山車・屋台が自由に運行し町内各所で余興を披露する。権現様や太鼓鹿踊りが参加するほか、各町内で「娘手踊り」を工夫し祭典に奉仕する。手踊り附属の屋台は黒屋根を掛け提灯を吊るし、背面に紙の牡丹を飾った華やかなもので、東峰組・上組・下組・中沢組が繰り出す。中には盛岡山車に使うものと同じ布牡丹(赤・白・黄)を飾っている屋台もあり、飾り方も吟味されよく統制が取れている。
 写真は下組屋台の背面と、踊り手の花笠を乗せる後続車。(平成19年見物)

 

大原水掛祭りの山車

旧大東町(岩手県一関市) 出陣太鼓・獅山清流ばやし

 

 地元最大のイベントである大原水掛祭り(毎年2月11日)で、大原商店街の目抜き通りを練り歩く。地元小中学生を祭りに参加させる創作太鼓の舞台として活用され、運行も彼らを中心に行っている。赤半纏姿の小学生による「清流ばやし」の屋台は、2棟をつないだ豪華な外見で、背面には軒花がちらりとのぞく粋なあしらいである。中学生の創作太鼓「出陣太鼓」を乗せる山車は、小ぶりだが風格ある造りであり、青の九曜紋の入った提灯もよく映え、同じ色調の『出陣太鼓』の幟が勇ましい。裏面には、大原の殿様の奮戦するさまを描く人形飾りがついている。山車の周囲には、若武者姿の笛吹きがつく。2台とも、水掛祭の盛り上げ役として朝10時から午後2時まで、大原の通りを行ったり来たり巡行している。

(平成1416年見物)

※【郷土芸能】水掛祭りで見られる鞨鼓田植え踊り

 

 

釜石地方の虎舞などに付属する屋台

釜石市(岩手県) 虎舞・太神楽の屋台

釜石まつり(尾崎神社 10/第2土日)

 

 神輿行列に随行する虎舞・太神楽には必ず大太鼓・小太鼓を載せるための屋台がつき、意匠はほぼ統一されている。立派な屋根を備えた屋台で、天頂部に染めを施していない白い玉桜をつける。緑や朱で鮮やかに彩られた屋台もあれば、豪華な彫刻で飾られた白木のものもある。尾崎神社祭礼に限らず、虎舞・太神楽の登場する祭りにはおおむねこのような屋台が伴われるようだ(筆者の見聞では平田三年祭、北上みちのく芸能祭りなど)。
 このほか、手踊りや創作YOSAKOIのパレードカーとして、船山車や提灯山車なども行列に付属する。写真は只越虎舞の屋台で、漁港での演舞のひとコマ。(平成17年見物)

 

※隣町の上閉伊郡大槌町の秋祭りにも、同様に郷土芸能(虎舞・太神楽・七福神)に付随する囃子屋台が登場する。

(平成14年見物)

 

 

 

岩手県外の屋台山車について雑記
●宮城県

加美町(宮城県) 火防せ虎舞花車

中新田火伏せの虎舞(多川稲荷神社初午祭 4/29)

 

 4月29日に開催される防火祈願の祭りで、屋根に上って踊る「火伏せの虎舞」が有名。中新田消防団1部・2部・3部が花車を運行し、虎舞を演じて廻る。花馬簾をいっぱいに吊るした囃子屋台で、虎の作り物や絵、刺繍入りの布などが飾られている。子供たちが囃子言葉をかけながら綱を引き、沿道の人は縁起物としてビニール製の花馬簾を山車から引きちぎる。民家の門付け用にトラックに花馬簾をつるして装飾する屋台も見られた。(平成14年見物)

 会場アクセス:JR陸羽東線「古川」よりバス接続

※実際に見に行ってみて

 

●秋田県

八郎潟町(秋田県) 秋田音頭屋台

一日市願人踊り(諏訪神社 5/5)

 

 

 八郎潟の諏訪神社のお祭りは毎年5月5日に行われ、「願人踊り」が町中を門付けに回る。一日市郷土芸能研究会は、少女による秋田音頭の手踊りを屋台に乗せて町内を披露して回る。踊りは必ず屋台の上で踊られるが、最後に商店街で踊る時には人数の多い踊りは路上で、少ない踊りは屋台の上で踊る。端に囃子に用いる太鼓がつく。会場へはJR奥羽本線八郎潟駅が最寄。
 (
平成14年見物)


※平成14年の見物記

 

鹿角市(秋田県) 腰抜け屋台

花輪ばやし(幸稲荷神社 8/1920

 

 鹿角の「花輪ばやし」は幸稲荷神社の祭礼に繰り出される山車であるが、風流山車・山鉾などと連動していた「底抜け屋台」のみが形を変えて残ったものである。天井部分は前後金張りの豪華な彫刻に飾られているが、屋台の前の部分は底が抜けていて、太鼓は歩きながらたたく。時に踊りを伴っての運行も行うが、深夜から翌朝にかけての「夜明かし」運行が最佳境となる祭りである。
(平成17年見物)

※平成17年の見物記

 

●青森県

むつ市(青森県) 田名部まつり山車

田名部まつり(田名部神社 8/18〜20)

 

 

 下北半島各地に伝承する「祇園系」山車行事の代表格で、4輪で屋根のある更新制を伴わない山車である。人形を神体に祀った稲荷山・猩々山・大黒山・恵比須山・香炉峰の5台が祭日の朝に田名部神社前に並び(参社)、夜遅くの退社の時間まで若衆が絶え間無くさまざまな囃子を演奏する。これは江戸時代の記録に見える盛岡藩の山車の役割を、現代まで引き継いでいるものである。音曲は太鼓・鼓・笛・鉦で囃し、おおむね典雅な曲だが、中に1曲だけアップテンポなものがある(山遣:やまやれ)。運行の際、轟音を立てながら山車が辻を回る時などに、急に囃子が山遣に切り替わり、引き子は「やンまやれ、やまやれ」と声をかけて一気に盛り上がる。退社時間はおおむね午後9時を過ぎ、辻辻で儀礼を行ったりもするため、山車が本拠に帰り着くのは祭日いずれの日もすっかり夜が更けてからとなる。
 昼間は額や刺繍幕で山車を飾るが、夕方になるとこれらに似せて作った絵灯籠に付け替え、背面には武者絵を描いた縦長の行灯を吊るす(趣向は毎年更新)。引き子の半纏は黒や紺の火消し姿で丈が長く重みがあり、引き綱も異常に長い。祝儀が出ると、組印をついた祭典御礼の札と手拭いをお返しに配る。写真は方向転換寸前の猩々山。
 (
平成18・24年見物)

※平成18年の見物記

 

 

 

●人形山車などに混じって運行される囃子屋台雑記


【盛岡八幡宮例大祭の「八わ多連」】
 八わ多(やわた、と読む)連は岩手各地の練り神輿行列に伴われることの多いお囃子団体。曲は江戸ばやしの『四丁目』を華やかにアレンジしたもので、チャンチキと笛、太鼓でにぎやかに奏でる。団体名が示す通り、この団体の本来の活動の機会は盛岡八幡宮例大祭であり、ほかのイベントでは薄い木板に楽器を皆備えて進む簡素な屋台だが、八幡宮祭典の時だけは、大きくて豪華な屋根つきの船のような屋台を運行し、「夜の八幡参り」に随行する。八幡参りパレード(14日)と翌日の昼2時過ぎからの八幡宮境内奉納が、「本拠」での八わ多連の主な活動。

【沼宮内秋祭りの「北上川清流太鼓」】
 秋祭りの5台の山車とともに運行される大型囃子屋台(創作太鼓屋台)である。進行時には盛岡山車風の囃子を演奏し、創作モノを中心に日中は花掛けを行っている。夜間パレードでは大変勇壮な駒踊り崩しを奏でて場を盛り上げる。

【二戸石切祭りの「3区川原町内会」】
 枋ノ木神社(石切所 9月第3週末)の祭礼は、戦後に他地域の秋祭りを意識して山車行列を組むようになった。人形山車などが運行するの中に、創作太鼓を打ちながら運行する囃子屋台一基も含まれている。

 

 



※筆者が実際に見ている創作太鼓団体の主なもの※
・獅山清流囃子(一関市大東町)
・め組太鼓(一関市大東町)
・摺糠太鼓(一戸町)
・なもみ太鼓(野田村)
・浄法寺太鼓(浄法寺町)
・政実太鼓(九戸村)
・桜舞太鼓(釜石市)
・都南太鼓(盛岡市)
・御諏訪太鼓(北上市)
・佐比内金山太鼓(紫波町)
・大農太鼓(大船渡市)
・出陣太鼓(一関市大東町)
・北上川清流太鼓(岩手町)
・徳丹太鼓(矢巾町)
・民族歌舞団ほうねん座(宮城県塩釜市)
・長安寺太鼓(大船渡市)


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文責・写真:山屋 賢一

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