青森県五所川原市 五所川原立佞武多

 



忠孝太鼓の上に飾られた『本能寺の変』

 津軽のねぶた行事を一通り回ってみて思ったのだが、五所川原の立ちねぶたが一番「山車に近いイメージで」運行されているような気がする。初めて見に行った頃はまだ「えっ、そんなマイナーなものを見に行くの??」と言われるような塩梅だったが、現在ではすっかり青森を代表する山車のお祭りとして定着し、全国に知られるようになった。呼び物の立佞武多は高さ最大22メートル、じかに見てはじめてわかる恐ろしいまでに大きいねぶたである。やはり背の高い山車というのは、万人が共有できる魅力なのだろう。町の雰囲気もちょうどよく古びていて、22メートルのねぶたの雄大さを引き立たせる。出店で売られる食べ物にもここならではの珍しいものが多い。観光行事と田舎びた素朴な火祭りの余情とが、しっかりと共存している。

立佞武多『大石蔵之助』

 青森や弘前と同じく、五所川原でもねぶたの運行は夜間のみだ。午後4時半頃に、合同運行の出発場所である駅前に続々とねぶたが集まってくる。高さ4.5メートルの人形ねぶたが5、6台と、有志の手になる11メートルの立佞武多が5台前後、これは現地では小型ねぶたに見えるが、11メートルというと盛岡あたりの山車を2つ重ねてまだあまるほどの高さだから、十分に大きい。とにかく見上げる快感をいやというほど味わえるイベントである。津軽では「大きいねぶたは後に出る」というのが慣例なようで、一年がかりで作り上げる巨大立佞武多3台は、パレードの最後の方に現れる。ポスターなどで目にすることの多いあのねぶたである。ねぶたが大きくなるにつれ、お囃子のテンポはゆっくりになっていく。

 五所川原のねぶた囃子は、あらゆるねぶた囃子の中で一番激しくて聴き応えがあり、十分に起伏を備えていていつまで聞いても飽きない。ほかの地域でのねぶた囃子はどれも同じリズムの繰り返しだが、五所川原の場合は、メインの「ダダスコダン」というリズムの間に「ダダン、ダダン、ダダダンダダン」という後ろに行くほど撥音の多くなる切り返しがつき、これが出てくるたびごとに囃子の激しさがいっそう増して、「それそれ」の掛け声で観客をいやがおうにも祭りのエネルギーの渦へ掻き込んでいく。血が躍動する音が聞こえてくるような、見る者の心まで溶け込ませてくれるような絶妙のリズムである。この感情の昂ぶりを見越したように、有名なあの掛け声がかかる。「やってまあれ、やってまれ」 互いに喧嘩を吹っかけあう挑発的なこの掛け声には「もつけ魂」といわれる五所川原商人の負けん気があふれ、なるほど、こういう人たちならば、ここまでねぶたが大きくなるまで張り合いつづけるであろうと妙な納得をして微笑んだ。

 復活間もないねぶた行事にして、よくここまで個性的に、弘前とも青森とも違う独自の発展の仕方で完成したものだ。このように冷静な見方ができたのは祭りを訪れてから一週間くらい後のことで、祭りの当夜、翌朝まで、ただただこのお囃子が自分の脈となり脳波となって全身を駆け巡るばかりで、ほとんど本能的にしか楽しむことを許してもらえなかった。はねとの跳ね方、それ以前に衣装もさまざまで、よさこいソーランまじりのいかにも新作といった振りも多々見られたが、それがいったいなんだというのか。とにかく五所川原という町全体が「祭り」として完成されており、ほぼ全裸に近いような刺激的な水着のお姉さんであっても、道化役が盛んに鳴らすシンバルの音であっても、みなこのエネルギッシュな流れの中にすっぽりと溶け込み、それら全体を何の疑いもなしに、観客は受け入れてしまえる。ただそこに、生粋の祭りの姿があるだけである。

町内のねぶた組による『八岐大蛇』

 ねぶたの形状に触れると、まずは高覧の話になる。青森ねぶたが破毀してしまった勾覧(ねぶたの台座の部分)を、五所川原では何層も重ねて高さを稼いでいる。と同時に、この勾覧こそが五所川原ねぶたの最大の彩りとなっている。現在でも勾覧の見られる弘前や黒石のねぶたであっても、描かれる花は牡丹一種類である。実は往古、杜若、朝顔などさまざまな花の図柄があったらしい。五所川原では、何重にも積み上げた勾覧にこれら変わり図柄をふんだんに盛り込み、復活させている。優美な色彩の連続が、人形部分をより幻想的に引き立てている。22メートルの立ちねぶた3体の勾覧にはおのおのの演題に沿った趣向の図柄が描かれ、これら気配りの緻密さはいつまで見ても飽きないねぶたを実現するのに実に大きく貢献しているようであった。

 立ちねぶたの人形は、ほかの地域のように伝説や歌舞伎、武者などを取材するのではなく、五所川原の気風をあらわすであろう象徴的なデザインが多く選ばれてきた。復活第一作は『武者』で、これは往時の作品の完全復刻版である。初めて五所川原市内を練り歩いた復活立ちねぶた『親子の旅立ち』は、錦絵に描かれる笠をかぶって子を抱く斎藤道三の図柄から起こしたもので、現在も土産物の図柄などにその姿が残る。『鬼が来た』は、真っ赤な体の鬼の立ち姿。単純明快で恐ろしく迫力のある作品、まさに立ちねぶたの真骨頂とも言える作品であった。『軍配』郷土力士の栄誉をたたえる行事姿の一体飾りで、青森にもほかの地域にもない素朴で且つ格好のよい表情を実現している。よく吟味すると足の近くには土俵の張り縄もきちんと作ってあった。『北の守護神』は多聞天、毘沙門を描く一体飾りで、仏像の厳かな雰囲気にしっかりと生命のエネルギーを感じる色遣い、鬼を踏みつけて地上、五所川原を見守る雄姿を描いた。『白神』自然を虐げてきた人間に怒りをあらわにする山の神が、切り株を抱いて大音声を轟かす渾身の一作、背面にはねぶた技術の粋を集めた水の表現の美しさが荒々しいねぶたに躍る観客の心を和ませてくれる。いずれの作品も、角度によって雰囲気をがらりと変えてしまう。平成14年のこの頃までは、毎年毎年なるほどと思う五所川原ならではの構図が多かったように思う。

 11メートルの立ちねぶたについては、水産高校であれば『恵比寿様』とか、農業高校であれば『農業神』とか、やはり自分たちの生業に対する信仰の象徴を作っているようで、4・5メートルの一般的な形のねぶたについては、歌舞伎や神話などほかの地域のねぶたに近い演題が取り上げられているようであった。大蛇の首が動く『ヤマタノオロチ』や、見事なデザイン化と印象的な表情が魅力の三振り会『元禄の見得』(暫)などが印象深い。立ちねぶたの中にひとつだけ、古い形の担ぎねぶたがあり、これは中の明かりを全て蝋燭としていてすばらしい風情であった。蝋燭立ちの担ぎねぶたは弘前にも登場しているが、ねぶたにかける心意気の、ひとつの形のように思われる。

立佞武多の送り絵『しのだ妻』(安倍晴明の裏)

 いつのまにか無意識に立ちねぶたに拍手している自分に気づく。周囲を見渡せばなるほど拍手の渦だ。今自分がここにいることが本当に喜ばしい、その思いに体が震えた。駅を出て初めて立ちねぶたとはじめて向かい合ったときの「なんだろうこれは」という突拍子もない感慨と、それが確実に動き出していくゾクゾクするような雰囲気の躍動、帰り拍子のどかさびしげな響きに後ろ髪引かれながら、「絶対また来ます」と一礼し、五所川原を後にした。

(平成14・16・25年見物)





日程整理
※4日から8日まで、ほぼ同じ日程で進行していきます※

      ●午後7時       五所川原駅前にて出発式
      ●午後7時過ぎ     ねぷた行列町内進軍開始
      ●午後9時       進軍終了・小屋納め(2巡目で駅通りに差し掛かると囃子を止め、そこからは無音で移動)


写真・文責:山屋 賢一

※筆者が訪ねたねぶた祭り

※五所川原の蟲送りと火祭り

 

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