歌舞伎十八番の内 暫
D石鳥谷町中組平成15年の『暫』 (※昭和53年い組の写真は熊谷聖悟氏提供)

暫は、戦後に入って最も多く山車とされてきた歌舞伎狂言である。山車の暫はほとんどが一体飾りで、頭には御幣(「ちからがみ」)と冠をつけ、顔には二本隈取、団十郎茶という特別な色の着物に素襖(すおう)の袖を旗か凧のように大きく広げ、太刀も七尺に余る長いものをつけている(太刀を着けることを「佩く」という)。市川家の紋「三枡(みます)」を白抜きにした素襖は山車の華やかさを決定付ける重要な小道具で、遠方からも素襖をのぞめるような暫が秀作といえる。作品によりいくつか作り方のパターンがあるので、以下に簡単にまとめてみた。

この歌舞伎の一番の見所で、大きな刀を抜き放って両手に支え、かっと目を見開く見得を描いたものである。い組、さ組、の組など、盛岡市内で暫を作るときによく用いられる。
A石鳥谷町上若連昭和63年の『暫』(花道下がり)
悪人を退治して意気揚揚と花道を下がる権五郎の姿を描いたもの。豪快に長い太刀を肩にかけて、片手を前に突き出して見得を切りながらのしのしと幕に入っていく勇姿である。盛岡の穀町、さ組、岩手町沼宮内の愛宕組などが製作している。
B岩手町沼宮内大町組平成元年の『暫』(元禄見得)
「元禄見得(げんろくみえ)」と呼ばれる見得をかたどったもので、刀は抜かずに柄に手をかけて、もう一方の手で扇を高く構えた、非常にバランスのよい見得である。盛岡市よりは周辺域、石鳥谷、沼宮内、一戸などで多く使われている。
C盛岡市紺屋町よ組平成9年の『暫』
素手で見得を切っている珍しい形のもので、盛岡紺屋町のよ組が暫を出す時の専売特許。よ組のほかには、よ組とつながりの深かった岩手町沼宮内のの組、紫波町日詰の上組などが製作している。

石段に足をかけて太刀を抜こうとしている場面を描いた作品で、平成19年現在この例以外にこういう暫の製作例はない。
E盛岡市神子田町さ組の『参会名護屋(さんかいなごや)』
「参会名護屋」は暫の原題で、役者絵に描かれた六代団十郎、七代団十郎の競演の様子を象った山車。さ組結成十五周年を記念して、組にとって初の二体ものに取り組んだ。暫を二体で描いているのも初めての趣向である。敵役には現在のような公家悪ではなく、派手な着物を着た「不破(ふわ)」を用いている。また、暫についても今までにない、素襖を身体にまとった登場時の姿で、敵役を下から睨み上げる構図である。
暫は山車にかかわらず著名な歌舞伎であるが、このように歌舞伎そのものが著名であって、且つ山車にも多く取り上げられるものには『勧進帳』『矢の根』『鳴神』『源九郎狐』などがある。逆に『助六』『熊谷陣屋』『弁天小僧』『楼門五三の桐』など、歌舞伎そのものは著名であっても、山車に取り上げられることが極めて少ない演題もある。荒事歌舞伎十八番の中では『暫』『勧進帳』『矢の根』『助六』『景清』『解脱』『鳴神』『不動』『毛抜』『押戻し』『象引』が、今までに山車にされている。
暫に対応する見返しはほとんど皆無といっていいが、石鳥谷の中組が悪公卿に乱暴されそうになるヒロイン『桂の前(かつらのまえ)』を製作した。
(他の地域の「暫」の山車)
歌舞伎の山車人形を作る角館(秋田県)、新庄(山形県)などでも暫はよく作られているようで、バリエーションも盛岡山車とほぼ同じだが、悪役の清原武衡・なまず坊主や桂御前などを伴う複数体の趣向があるようである。角館では通常、公家との2体で元禄見得をつくる。青森のねぶたでは、暫は唯一の「そのまま作る歌舞伎もの」で、人形灯篭であれば一体で元禄見得、また真一文字に刀を抜く姿など独特の構図もあった。扇ねぶたにも、曲線いっぱいに太刀を担いだ暫を描いた作品があった。八戸山車では飾りの一部に暫の人形を使って派手さを狙うことがあり、野辺地山車でも一度、暫と道成寺を折衷したような作品が出たことがある。
写真・文責:山屋 賢一