盛岡山車の演題【風流 暫】
 

 



「大太刀」盛岡市八幡町い組平成7年

 『暫(しばらく)』は歌舞伎十八番の中でも最もポピュラーな荒事で、豪傑鎌倉権五郎景政(かまくら ごんごろう かげまさ)が悪徳公卿清原武衡(きよはらの たけひら)の横暴から民衆を救う「勧善懲悪」の物語である。権五郎が登場時に「しばらく、しばらく」と悪事をとどめるので、この題がついた。景気が悪かったり、世の中に嫌なことが多い年には、盛岡周辺では暫の山車を出して悪魔祓いをし、景気付けをする。

 暫は、戦後に入って最も多く採用されてきた歌舞伎山車である。ほとんどが一体飾りで、頭には御幣(「ちからがみ」)と冠をつけ、顔には二本筋隈取をとる。団十郎茶の素襖(すおう:昔の礼服)の袖を旗か凧のように大きく広げ、太刀も七尺に余る非常に長いものをつけている。なお実際の歌舞伎では刀身は漆の黒塗りだが、山車に再現された例は今のところ無い。市川家の紋「三枡(みます)」を白抜きにした素襖は山車の華やかさを決める重要な小道具であり、遠方からも素襖をのぞめるような暫が秀作である。
 いくつか場面採りのパターンがあるので、以下に簡単にまとめてみた。

 

@盛岡市八幡町い組平成7年の『暫』(大太刀型)

 舞台の一番の見所、大きな刀を抜き放って両手に支えた権五郎が敵を睨んでかっと目を見開く姿である。刀の長さを強調しやすく、三枡紋も綺麗に見せられる。同時に、素襖の張り方の上手い下手がはっきりわかる構図でもある。
 い組・さ組・の組など、盛岡市内で暫を作るときによく使われる。

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沼宮内愛宕組  盛岡の組  盛岡い組  軽米芙蓉団  二戸東組

本項掲載:盛岡市八幡町い組H7



A石鳥谷町上若連昭和63年の『暫』(花道下がり)
「花道掛」沼宮内愛宕組平成14年

 悪人を退治した景政が意気揚揚と花道を下がる、幕切れの場面である。長い太刀を豪快に肩にかけ、片手を前に突き出して見得を切りながらのしのしと幕に入っていく勇姿であり、上若連のほかに、盛岡の穀町・さ組、岩手町沼宮内の愛宕組などが製作している。
 盛岡観光協会で作ったときは、上半身をぐにゃりと前に倒して迫力を出した。


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盛岡観光協会   石鳥谷中組

本項掲載:沼宮内愛宕組H14



B岩手町沼宮内大町組平成元年の『暫』(元禄見得)


「元禄見得」川口下町山道組平成30年

 「元禄見得(げんろくみえ)」と呼ばれる踊りの型をかたどったもので、刀を抜かずに柄に手をかけ、もう一方の手で扇を高く構えた姿である。上がった扇を下に向けるか、上に向けるか、水平に構えるかでそれぞれ印象が変わる。
 近年は盛岡市内よりは、周辺域の石鳥谷・沼宮内・一戸・日詰などで多く使われている。

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盛岡さ組@  沼宮内愛宕組  石鳥谷上和町組
日詰橋本組  日詰一番組  盛岡さ組A

本項掲載:川口下町山道組H30



C盛岡市紺屋町よ組平成9年の『暫』(素手暫)


 両手を開いて見得を切っている姿で、盛岡紺屋町のよ組が暫を出す時の専売特許のような型である。初出の昭和50年代初頭に流行し、以降もよ組とつながりの深い沼宮内のの組、日詰の上組などが使った。上手下手が出易い難しい構図である。

「素手の見得」盛岡よ組平成30年


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日詰上組    沼宮内大町組

本項掲載:盛岡よ組H30



D石鳥谷町中組平成15年の『暫』

 石段に足をかけ大太刀を抜きかける暫を飾った山車。この例以外にこういう暫の作例は無いが、なかなか良く出来た構図であった。



「提灯を背に」紫波町日詰一番組平成24年
E紫波町日詰一番組平成24年の『暫』(出端)


 花道にかかる暫だが、こちらは退場時でなく入場時を作ったもので、体の大部分を素襖で隠した直立不動の人形である。背景は薄闇の花道に点る観客席の提灯で、夜は妖しい赤い光で団十郎を背後から照らし出した。

本項掲載:日詰一番組H24





F盛岡市神子田町さ組の『参会名護屋(さんかいなごや)
 
「2体の暫『参会名護屋』」盛岡さ組平成15年

 「参会名護屋」とは暫の原題で、江戸時代の役者絵に残る六代団十郎、七代団十郎の競演の様子を象った創作の題である。暫を二体で仕立てた盛岡山車としては初めての趣向で、敵役には現在のような公家悪でなく派手な刺繍の着物を着た「不破(ふわ)」を使い、暫も素襖を身体にまとった従来に無い姿で、敵を下方から睨み上げた。音頭には「親子二代の夢芝居」と歌った。
 盛岡の盛山会さ組が結成十五周年を記念して取り組んだ初の二体もので、記念の山車ということもあってか、暫の人形は平成2年に通常型で使ったものを再登場させている。

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盛岡さ組

本項掲載:盛岡さ組H15



G盛岡市神子田町さ組の『磐石太郎(ばんじゃくたろう)


 「参会名護屋」に続くさ組ならではの「創作暫」で、江戸時代に地震を鎮めるために描かれた鯰絵(なまずえ)に着想を得た大鯰を抑える暫である。人形に金の御幣を背負わせ、要石(かなめいし)に肘を付き鯰のひげを引っ張る非常に自由度の高い姿に作った。前年の東日本大震災に対する鎮魂・慰霊・復興祈願を込めた趣向である。題は鯰絵の端書から『磐石太郎いしづえ』と付け、新聞・パンフレットには『志ばらくのそと寝』と紹介した。

(ページ内公開)

盛岡さ組



 暫の場面は鶴岡八幡宮の境内なので、背景には神社を思わせる石柱や緑・赤・金に彩られた社殿の壁面などが作られる。立ち岩に神社を遠望した絵を描いた作品もあった。人形そのものが彩り豊かなので、特にこのような背景を添付しない暫もある。
 筆者の幼少期は、盛岡山車の世界で稀に見る「暫の少ない数年間」であった。ゆえに私自身は、山車よりも先に歌舞伎の本などで暫を学んだ。上若連の暫や、平成2年の両雄対決暫など、今考えるとあまりにもベタな作品群を不思議なくらいわくわくして眺めていた記憶がある。平成に入ってからは、おおむね「どの年にも」「どの地域でも」暫の山車が出るようになり、すっかりありふれた演題になってしまった。しかしながら、やはりそこは難しい演題だけあって、取り組む側でも非常に凝った見事な暫を作っているから、暫の駄作というのはほとんど出てこない。おめでたい感じがして、華やかさの出やすい演題である。

『女暫巴御前』石鳥谷上若連平成7年

 暫に見返しを対応させるような例ははほとんど皆無といっていいが、石鳥谷の中組が悪公卿に乱暴されそうになるヒロイン『桂の前(かつらのまえ)』・悪役側から正義の側へ寝返る女なまず『照葉(てるは)』を製作した。また、演題名を違えてしまったものの、表に暫・裏に女暫という取り合わせも実現されている。

(ページ内公開『見返し 女暫』)

盛岡さ組   一戸西法寺組   盛岡や組   

本項掲載:石鳥谷上若連H7(女暫)/秋田県角館町






「鎌倉景政後三年合戦」秋田県秋田市土崎
(他の地域の「暫」の山車)

 歌舞伎の山車人形を作る角館(秋田県)、新庄(山形県)などでも暫はよく作られているようで、バリエーションも盛岡山車とほぼ同じだが、悪役の清原武衡・なまず坊主や桂御前などを伴う複数体の趣向があるようである。角館では通常、公家武衡との2体で元禄見得をつくる。青森のねぶたでは、暫は唯一の「そのまま作る歌舞伎もの」で、人形灯篭であれば一体で元禄見得、また真一文字に刀を抜く姿など独特の構図もあった。扇ねぶたにも、曲線いっぱいに太刀を担いだ暫を描いたことがある。八戸山車では派手さを狙って飾りの一部に暫の人形を使うことがあり、野辺地山車でも一度、暫と道成寺を折衷したような作品が出たことがある。
 左は秋田の土崎で出た「鎌倉景政」つまり歌舞伎暫の主役を飾った山車で、彼は初陣(後三年合戦)で片目を射抜かれたがものともせず、矢を引き抜き流血しながら奮戦した。鎌倉の地名は彼の武勇を讃え、「あの景政の出身地」として名付けられたのだともいう。



文責:山屋 賢一/写真:山屋幸久・山屋賢一

山屋賢一 保管資料一覧
提供できる写真 閲覧できる写真 絵紙
大太刀 盛岡い組@(本項)ABCD
盛岡の組@AB
沼宮内愛宕組
盛岡さ組・日詰上組
軽米芙蓉団
堀野(二戸)東組

山形新庄
盛岡い組
日詰橋本組

盛岡い組@A
盛岡穀町
一戸西法寺組
盛岡さ組(色刷り)
盛岡い組(色刷り)
盛岡の組(色刷り)

盛岡い組(富沢)
盛岡穀町(富沢)
花道掛 石鳥谷上若連
盛岡さ組
沼宮内愛宕組(本項)
盛岡観光協会
石鳥谷中組

青森野辺地
盛岡さ組
盛岡観光協会(圭)
石鳥谷中組(手拭)

盛岡穀町
元禄見得 沼宮内新町組
石鳥谷中組
一戸西法寺組
石鳥谷上和町組@A
盛岡さ組@A
沼宮内愛宕組
滝沢山車まつり@A
日詰橋本組
日詰一番組
川口下町山道組(本項)

花巻豊沢町
五所川原ねぶた
青森ねぶた
山形新庄
沼宮内大町組

盛岡い組

秋田角館@(本項)
秋田角館A
黒石ねぶた
青森八戸
宮城登米
一戸西法寺組(香代子)
石鳥谷上和町組@A(真二)
盛岡さ組@A
滝沢山車まつり

沼宮内新町組

盛岡い組(国広)
よ組型 盛岡よ組・盛岡た組
日詰上組
沼宮内大町組
盛岡よ組(本項)
十日市山車
盛岡よ組
大更山車
盛岡よ組(富沢:色刷)
盛岡た組(富沢:色刷)
沼宮内大町組(色刷)
新発想 石鳥谷中組
盛岡さ組(参会)@(本項)A
日詰一番組(本項)
盛岡さ組(なまず)
石鳥谷中組
盛岡さ組(参会)@A
日詰一番組
盛岡さ組(なまず)
女暫 石鳥谷上若連@A
盛岡さ組「襲名披露」
一戸西法寺組
盛岡や組
一戸橋中組

花巻末広町
盛岡さ組
桂の前 石鳥谷中組
女なまず照葉 石鳥谷中組
ご希望の方は sutekinaomaturi@outlook.comへ

(音頭)

江戸の霜月(しもつき) 顔見世(かおみせ)歌舞伎 市川ゆかりの 見得のよさ
江戸の顔見世 素襖
(すおう)の袖に 市川ゆかりの 三枡紋(みますもん)
まとう素襖に 雄心
(おごころ)宿し いざや向かわん 活舞台(かつぶたい)
名代歌舞伎の お家の芸に 止まぬ掛け声 大向こう
音に聞こえし 歌舞伎の華よ 八百八町
(はっぴゃくやちょう) ひとにらみ
伝え残せし 名伎
(めいぎ)のすがた 秋の祭りの 語り草
見得は元禄
(げんろく) 筋隈取り(すじ くまどり)も 江戸の霜月 縁起伊達(えんぎ だて)
見得は元禄 歌舞伎の神が 化粧
(けわい)志ばらく(しばらく) ひとにらみ
天下無双の 景政
(かげまさ)参上 公家悪武衡(くげあく たけひら) 許すまじ
成田屋十八番
(なりたや おはこ)の 元禄見得(げんろくみえ)で 睨む景政 悪を討つ
神の力の 白紙
(しらがみ)着けて 邪気を祓いて 福を呼び
弱きをたすけ 強きを懲
(こ)らし 歌舞伎の暫 名を残す
(とどろ)き渡るは しばらくの声音(こわね) 花の役者の 晴れ姿
七尺余りの 大太刀佩
(は)いて 素襖の袖に 三枡紋
開く三枡に 呼び声高く 見得は暫 家の芸
紋は名題の 白抜き三枡 見得は元禄 家の芸
柿色
(かきいろ)素襖の 大袖張りて 襷(たすき)は仁王の 蝶結び
ほまれ景政 悪行
(あくぎょう)(こ)らし 義綱(よしつな)救う 鶴ヶ岡
これぞ吉例
(きちれい) 太刀風なびく 中組自慢の 暫よ
吉例暫 福呼ぶ歌舞伎 市川十八番の ひとにらみ


(※ 参会名護屋)
雲に稲妻(いなずま) 抜き身の不破(ふわ)に 勝る三枡の 見得の佳さ
野暮
(やぼ)な喧嘩(さわぎ)を 暫く止めて 粋(すい)と通(つう)との 花が咲く
見るも勇まし 名伎のすがた 親子二代の 夢芝居


(※ 磐石太郎いしづえ)
仁王襷(におうだすき)の 歌舞伎の神が 鯰(なまず)(こ)らして ひとにらみ
歌舞伎志ばらく 鯰を鎮め 復興促す 秋祭り

※南部流風流山車(盛岡山車)行事全事例へ

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