盛岡山車の演題【風流 羅生門】
 

羅生門

 


め組の鬼を借り上げ(石鳥谷上若連平成2年)

 昔の日本人は、怨みを抱いて死んだ人間の魂が鬼や怨霊となり、現世に祟ると考えていた。このような考え方が広く浸透したのは平安時代のことといわれている。というのも奈良時代以来、皇族や貴族が権力を奪い合う中で仲間を陥れ、無実の罪を着せて獄死させるようなことが多かったからだ。政争の勝者は絶えず敗者への罪悪感を心の中で鬼に変え、怯えながら暮らしていたのである。
 平安京には、権力抗争に敗れ非業の死を遂げた多くの人々の怨みが夜な夜な渦巻き、権力者たちは恐怖のあまり夜もろくに眠れない。内裏を守る武家の棟梁「源頼光(みなもとの よりみつ:通称”らいこう”)は、部下の四天王「渡辺綱(わたなべの つな)に命じ、京の入り口の羅生門(らしょうもん)を警備させることにした。羅生門はもとは立派な門であったが、貴族政治の腐敗の元で放っておかれ、いつしか狐狸の棲む廃墟に成り下がっていたのである。

前段馬付(石鳥谷下組平成20年絵紙)

 綱は羅生門に立ち入り禁止の札を立て、妖魔は何処と辺りを睨んでいた。すると突如天雲が掻き曇り、どこからともなく荒々しい鬼の手が現れて、綱の兜に組み付いた。鬼の手は兜ごと、綱の首を捻じ切ろうとする。綱は恐れることもなく腰の名刀髭切り(ひげきり)を抜き放つや、兜にかかる鬼の腕を斬り落とした。ぎゃあっとこの世のものでない悲鳴が羅生門に響き、鬼は黒雲の中に消えた。薄闇の羅生門に鬼の残した毒々しい片腕がひとつ、妖気を放って転がっている。綱は武勲の証として、この鬼の腕を屋敷に持ち帰った。
 六日六晩の後、一人の老婆が綱の屋敷を訪れる。かつては綱の乳母であった老女である。自身の老いを嘆く老婆、心ならずも同情する綱。心の隙を見て取った老婆は、冥土の土産に鬼の手を見せろと綱に泣き縋った。はじめはかたくなに拒否した綱だったが、ついに根負けして鬼の腕の入った唐櫃(からびつ)を開く。とたん、辺りには俄かに黒雲が沸き立ち、老婆はわが身の生皮を剥いで鬼の正体をあらわした。腕を奪い返すや、綱の疾風の追跡も及ばず、鬼は深い暗闇の底に消えていったという。

 盛岡山車に登場する化け物・妖怪変化の類には、蝦蟇や虎のように張子で作るもののほかに、木彫りの人形で表すものもある。ここに紹介する『羅生門』の鬼「茨木童子(いばらき どうじ)」、紅葉狩の鬼女「更科姫」などに代表される夜叉(ヤシャ:鬼女)の人形は、人物と同じ木彫の京人形で表されることが多く、張子作りの化け物とは面白味や味わいがまったく異なる。
 盛岡市鉈屋町め組の山車『羅生門』に登場する鬼は、大変彫りの深い見事な般若の顔の頭で、盛岡に現存する数少ない「専用の鬼の頭」である。同じ夜叉でも、紅葉狩の更科姫や道成寺押し戻しの清姫などは鬼の頭を使わず、既存の人間用の頭に代赦(たいしゃ)と呼ばれる化け物の隈取を取り、塗り替えて作る。このような「塗り替え夜叉」は、頭の数が豊富で使い勝手のきく盛岡市内では気兼ねなく作れるが、頭を盛岡の山車組から借りてそっくり返すことの多かった周辺地域ではなかなか取り組めなかった。羅生門の山車を一戸、石鳥谷、沼宮内など周辺域で作るときはどうしたかというと、鬼は自前で作らず、め組から鬼の人形を借りて来て使うことが多かった。ゆえに「め組型羅生門」が広く盛岡山車伝承域に伝播し定型となったのではないかと思う。平成に入ってからは、一戸の西法寺組や橋中組、沼宮内の大町組・愛宕組が自前で鬼を作り、これに伴って構図のバリエーションも増えてきている。素材の変化だけでなく、作り手の創意・熱意が生み出した「盛岡山車の進化」といえよう。

後段(沼宮内大町組平成15年)

 盛岡山車『羅生門』の見所は、まず第一に、盆板の上に立派に構えた門である。門といってもそのままは乗らないので、どの辺りまでどのように抽出して再現するか、作り手のセンスが見えるところである。門の内側から現れた鬼が、手前の鎧武者に絡みつく構図を作る。鬼の上半身だけが門からぬっと現れるので、門の奥にはなにやら未知の世界が広がっているようでわくわくする。さすがに羅生門の鬼、盛岡山車きっての異形、これほどの怪人振りを発揮する人形は他に無い。鎧姿の渡辺綱がある程度小さくなってしまうのが構図上の難しさであり、鬼の腕をつかんで切り落とすという態勢をいかなる工夫で見せるかも、技量の見せ所となる。一戸の橋中組では腕を切り落とす瞬間を模して綱が掴む方の腕を切り離したので、綱の体勢を幾分自由に設定できた。
 近年は、鎧姿の綱を馬に乗せて描く豪華な『羅生門』も試みられるようになった。むろん盛岡山車の場面スペースを考えれば、限界ぎりぎりの詰め込みを要するものである。大振りの山車人形を使う石鳥谷の下組が初挑戦で見事に成功させ、二戸の川又連合や沼宮内の愛宕組も、馬の迫力を保ちつつバランスよく完成させている。石鳥谷では綱に禁札を持たせたが、これも従来の盛岡型羅生門には無い小道具であった。

 盛岡山車の『羅生門』は、上述のような伝説の前半を描いたものがほとんどであるが、後半の、鬼が腕を奪い返しに来る場面もまれに山車に出たことがあった。背景には門に代えて、見事な瓦屋根を作る。甍の上での、綱と夜叉との追跡劇である。盛岡では、三戸町の玉組(現在は長田町三番組の一部)が歌舞伎山車の名手振りを遺憾なく発揮し、きらびやかな歌舞伎風羅生門として完成させている。このときの鬼は「塗り替え夜叉」であり、錦を纏い片手に干からびた腕を取って見得を切っていた。平成に入ってからは、沼宮内の大町組が「後段羅生門」を手がけている。思い切って鬼を小さく作り、勢い良く舞台の斜め上に跳ね上げた。鬼は足の指先まで力のこもる、見事な躍動振りであった。15年ほど経って、石鳥谷祭りや盛岡祭りにもこのタイプの羅生門が出ている。

『戻橋』青森県平川市の尾上ねぷた

 鉈屋町の鬼の初登場作品『風流 戻り橋(もどりばし)』は、着物姿の渡辺綱が片手に刀、もう一方に鬼の腕をつかみ、片腕のない鬼が空に飛びあがっていく場面を描いている。前半の舞台を羅生門ではなく京都一条戻橋に設定し、髻(もとどり:ちょんまげのこと)をつかんだ鬼の腕を綱が切り落とすというものだ。門が橋に代わっただけで筋書きがよく似ているので、盛岡山車では羅生門と同じものとして捉えられている。

 『羅生門』に対応する見返しとしては、石鳥谷の下組が着物をかぶった女を飾って『戻り橋』、一戸の橋中組は長じて綱とともに源頼光に仕える『金太郎』を飾っている。


【写真抄:定型作品について】
 盛岡のめ組・石鳥谷の上若連・浄法寺の上組(一戸西法寺組改作)、いずれも全く同じ絵番付を元に製作された羅生門である。ページ内別項に掲載した沼宮内ろ組の作品も加えた4点について、いくつかポイントを絞って比較してみたい。(羅生門)どの作品も門を立派に作り、見事に盛岡山車の場面取りに当てはめている。他が朱塗りの門であるのに対し、浄法寺の門は白木作りで厚みがある。写真からは伝わりにくいが、沼宮内の門は奥行きいっぱいに銅版で葺いた屋根をかけた豪華版である。完全に鬼の下半身を隠してしまう石鳥谷の門も、なかなか効果的だ。これらを凌いで光るのは、やはり本家め組の門。途中で終わってしまうような違和感が無いのは、朱塗りの柱の上の飾りによるものである。豪華さと連続性を兼ね備えた秀作といえる。(鬼)浄法寺以外はどれも同じ人形を使っている。め組の鬼には青い着物より、石鳥谷のような白の着物が似合うような気が個人的にはしている。兜をがっちり掴んでいるのは盛岡の鬼。沼宮内の鬼は敢えて綱に絡まず門に取り付いているが、並べてみると各々どのような効果をかもし出すかよくわかる。鬼の手と綱の手の絡み具合は、難関といわれる「三本通し」よりさらに難しい組み方なのではないだろうか。浄法寺の自作鬼は決して上出来とはいえないが、近年は少しずつ自作鬼のレベルも上がりつつある。

岩手県二戸市

(渡辺綱)鬼の手首をがっちり掴んだ石鳥谷の綱が上手だ。大鎧もしっかりと作られていて、居並ぶ名作の中でもとりわけ武者に存在感がある。『羅生門』は鬼と武者とが完全には睨み合えない構図なので、目線の交差具合がどのようになっていればよいのか、作品を見比べながら検討してみたい。沼宮内では綱から鬼へ、石鳥谷では鬼から綱へと目線が送られている。盛岡の両者はなんとも趣き深い交差具合で、一言にはいえないが説得力はある。浄法寺の綱は、貸出先の一戸では鬼の腕をつかむ絵紙通りの体勢であったが、高さ調整のため組み替えてみたところ、通常の退治ものと同じような退治のさせ方に落ち着いた。結果、他の退治ものと『羅生門』との違いを明確に見て取れる一作となった。(総括)いろいろ視点を変えてみていくと、羅生門というのがいかに難しい、センスを問われる演題なのかがよくわかる。このページには文面に触れた以外にいくつか、各地の秀作を掲載した。思い返せば『羅生門』は、慣れていない時期であればあるほど輝いて見える演題であった。


青森県下北郡東通村大利能舞『渡辺源吾綱』

(他地域の山車・祭りの中の羅生門)
 上記に検討してきたとおり、羅生門には@鎧姿で門を使う「羅生門」 A着物姿で橋を使い、綱が腕を掴んでいる「戻り橋」 B着物姿で屋根の上、鬼が腕を掴んでいる「茨木」…の3タイプがあり、津軽地方のねぶた、山形の新庄山車、秋田の角館飾山などでは、3者をきちんと使い分けた羅生門の山車が作られている。なかには『渡辺綱』を演題名とした作品もある。@の羅生門タイプでは、馬上の綱が鬼に追われる構図もあり、盛岡山車では使用例の少ない「禁札」が必須の小道具となっている。岩手県内では、二戸の平三山車でたびたび「羅生門」「渡辺綱鬼退治」が出る。
 民俗芸能の世界でも、羅生門の物語は格好の素材となっている。青森県下北半島の大利という集落で「能舞」を見物したとき、番組の終盤で羅生門(番組名は『渡辺源吾綱』)が演じられた。鬼の手が熊の手の干物であったり、鬼の変装を2重の面かぶりで表現するなど、思いも寄らない工夫で楽しませてくれた。綱と老婆との腕を見せる見せないという問答も楽しい。岩手県内では、普代村の鵜鳥神楽が座興の「仕組み」の一つとして羅生門を演じている。

(ページ内公開)

沼宮内ろ組  沼宮内愛宕組  一戸橋中組  石鳥谷上若連  盛岡三番組

青森平賀  秋田平鹿

本項掲載:石鳥谷上若連H2・沼宮内愛宕組H21・沼宮内大町組H15

・『戻り橋』青森県平川市尾上の扇ねぷた・平三山車(二戸市田町町内会H25)・青森県東通村大利の能舞『渡辺源吾綱』




文責・写真:山屋 賢一



山屋賢一 保管資料一覧
提供できる写真 閲覧できる写真 絵紙
前段(羅生門) 盛岡め組(本項1枚目)
一戸西法寺組
浄法寺上組
沼宮内ろ組
一戸橋中組

二戸市米沢
青森県青森市
青森県旧平賀町
石鳥谷上若連(本項1枚目)

盛岡め組
一戸西法寺組・日詰消防一部
沼宮内ろ組@A

平下信一さん作品数例
青森県八戸市数例
秋田県秋田市
盛岡め組
一戸西法寺組(国広)
一戸橋中組

石鳥谷上若連
前段馬付 石鳥谷下組
沼宮内愛宕組

青森県五所川原市
青森県津軽半島数例
山形県新庄市
石鳥谷下組(本項2枚目)
後段(茨木) 沼宮内大町組(本項3枚目)
石鳥谷上若連
盛岡三番組

秋田県旧角館町
盛岡玉組

山形県新庄市数例
沼宮内大町組
石鳥谷上若連(手拭)
盛岡三番組

盛岡市玉組(富沢)
戻り橋 石鳥谷下組(見返し) 盛岡め組

秋田県旧角館町
ご希望の方は sutekinaomaturi@outlook.comへ

(音頭)

朱雀大路(すざくおおじ)の 羅生の門に 綱と夜叉(やしゃ)との 大舞台
国を治めよ 上意の沙汰
(さた)に 綱は武勇を 羅生門
鬼と見
(まみ)えし 渡辺綱(わたなべ つな)
の 冴(さ)ゆる白刃(はくじん) 髭切丸(ひげきり)
(しころ)を掴む 鬼神の腕を 一閃(いっせん)
綱の 羅生門
綱のやかたに 茨木童子
(いばらきどうじ)
 奪い抱えた 己(おの)が腕
頼光
(らいこう)一の 郎党(ろうとう)綱が 鬼討つ雄姿(ゆうし) 羅生門
乳母
(はは)
の姿で 片腕奪い 綱を欺(あざむ)く 化ける夜叉
綱を欺く 変化
(へんげ)の姿 腕先奪いて 破風(はふ)の上
綱の大太刀 ひと振りかざし 夜叉を退治の 羅生門
雲は渦
(うず)巻き 雷鳴(らいめい)響く 逃るる物の怪(もののけ) 睨(にら)む綱
夜叉は化身
(けしん)の 茨木童子 綱に討たるる 羅生門
(すさ)む都の 鬼討ち倒し 朱雀大路に 光射す
綱の武勇に 片腕取られ 鬼は逃れる 羅生門
摂津
(せっつ)渡辺 党祖(とうそ)
と伝(つた)う 武門誉れに 名を残す
清和源氏
(せいわげんじ)に 仕(つか)いし綱が 武勇とどめし 羅生門

※南部流風流山車(盛岡山車)行事全事例へ

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