岩手県花巻市 大迫三社大祭
(三社大祭秋山車出場歴)
※川若組、盛岡から鉈屋町め組『義経八隻飛び』を借上 参考:広報おおはさま・個人資料
※盛岡から八幡町い組の『車引き』を借上
※昭和32年 見返しに児雷也?
※昭和39年:3台:下若組『松前鉄之助』(盛岡い組借上)・上若組『安倍宗任』(盛岡わ組借上)・川若組『森蘭丸』(盛岡仙組借上)
※昭和46年:上若組『勧進帳』(盛岡三番組借上、富樫を上に配置)
※昭和60年:2台:上若組『鏡獅子/手古舞』・下若組『四条畷/道成寺』(盛岡観光協会借上)
※平成01年:2台:下若組『舟弁慶/静御前』(盛岡城西組借上)・上若組『根元草摺引/滝夜叉』(盛岡三番組借上)
※平成02年:3台:川若組『暫/悪公卿』(土沢中下組借上)・下若組『清水一角/汐汲み』(盛岡わ組借上)・上若組『歌舞伎十八番 景清/瀧夜叉』(盛岡青山組借上)
※平成09年:1台:下若組『暫』(盛岡よ組借上)
※平成10年:1台:下若組『碇知盛/花咲爺』(盛岡一番組借上)
※平成17年:1台:川若組『助六/三浦屋揚巻』(石鳥谷上若連改作)
※平成18年:1台:下若組『勧進帳/狐の嫁入り』(日詰一番組改作)
※平成19年:2台:下若組『熊谷次郎直実/花咲爺』(盛岡一番組借上)・上若組『歌舞伎十八番 矢の根/花咲爺』(盛岡観光協会借上)
※平成27年:1台:下若組『鏡獅子/弥生』(盛岡の組借上)
※平成29年:3台:下若組『碇知盛/南部火消し』(盛岡の組借上)・上若組『釣鐘の景清 解脱/双鯉滝登り』(盛岡城西組借上・改作)・川若組『幡随院長兵衛/唐犬権兵衛』(石鳥谷下組借上)
※令和6年:1台:下若組『紅葉狩/更科姫』(盛岡の組改作)
三社大祭は、大迫(旧稗貫郡大迫町)の秋のお祭りです。町内の愛宕神社(上町)、金比羅神社(下町)、早池峰神社(川原町)の三社が合同で神輿渡御を行い郷土芸能の早池峰神楽などがお供をしますが、極稀にこの行列に風流山車が加わることがあります。 上若組はだいたい10年置きぐらいでアキダシを出します。平成19年は17年ぶりの奉納で、いろいろと準備に苦心の末、「立派な」かなり独特な形の盛岡山車に出来上がりました。人形は盛岡観光協会の矢の根五郎で、現地ではかなり貫禄のある大振り人形に見えたものが、大迫では足場を高く設定して上に上げないとバランスがとれないくらい小振りに見えました。大迫の山車は盛岡と比べて相当背が高いのです。大迫のアキダシ、特にも上若組のアキダシが面白いのは、この高さの違いを実にさまざまな飾りで是正しようとしているところ。桜(紙桜・真っ赤な桜に布造花まで)はもちろん、岩やら滝やらいろいろ突っ込んで空いたところを埋めています。どことなく花巻や東和町の山車の雰囲気、あるいは気仙の館山車の雰囲気すら感じる飾り方でした。他であえて抑えているような「わかりやすい派手さ」を前面に出した山車、ともいえそうです。 山車は大体11時ころに出庫して、夜は7時半ごろまで動くようです(警察からの許可は21時まで)。一本道の両端に寄ってしまうことはあっても、基本的に中心街にて山車の音頭が聞けるようでした。夜の照らし方も組により様々で、日詰のような有色蛍光灯が入ったこともあれば、時間ごとに桜をいろいろな色で照らす仕掛けにしたり、最低限の電飾で町の明かりに任せる、という趣向もありました。アンドン山車で音頭上げの時に点ける山車最上部の投光器2つも踏襲されています。貸出先の照明設備が一部・ないしかなりの割合で流用される例もありましたが、数年を経ての借り上げ・だいぶ付け足しをしての山車作りの場合、かなり現地独特の様相を呈するようです。
(平成18・19・27・29年見物)
大迫の山車といえば盆のアンドン山車のほうがよく知られているので、三社大祭の山車のほうを現地では特に「アキダシ」と呼んでいるようです。別項記載の通りアンドン山車も盛岡山車の異伝ではありますが、アキダシのほうがより直接的に盛岡人形山車の形態を伝えています。年2回の山車祭りというのはなかなか大変で毎年奉納というわけにはいかず、アキダシにはなかなか出会えません。私は幸運にも、4度見物の機会に恵まれました。
平成29年には、実に10年ぶりにアキダシが複数台出ました。町外への宣伝はほぼ無くたくさんの観客でわいわい賑わうようなことはないものの、町内の観衆に山車は大変喜ばれ、みな軒先に出てきて山車をじっくりと楽しんでいました。
お囃子や音頭の作法はアンドン祭りのときとまったく同じで、「小栗判官」(扇子踊りがつく民謡のような長い音頭上げ)や各種余興が出てくる点もアンドン山車と同様です。金棒引き(手古舞)が加わるのはアキダシならではで、山車行列に一味厳粛さが加わります。神輿のお供を終えると各組一斉に音頭上げが行われ、山車はなかなか進みません。どこの家も相応の協力をして、みんなで山車行事を支えているということでしょう。
絵紙も町によって、年によってまちまちです。比較的奉納頻度の高い下若組は、平成10年代は山車の絵柄を染めた手拭を出し(3件保管)、石鳥谷の手拭のような紙番付に似せた帯を付けました。同じ絵柄を紙に刷り出してポスターとして辻に張り出した。平成20年代に盛岡のの組と外交を得てからは盛岡と同じ仕様のカラーの絵紙を出しています。上若組は、17年前はどうだったかわかりませんが、当年はカラーの山車絵、盛岡絵紙の半分のサイズの厚紙に刷り込んだものを折らずに配っていました。川若組は石鳥谷の手拭いの柄を、同様に折らずの厚紙に白黒で刷って配っています。平成29年は3件とも、貸出先とは違う音頭歌詞が山車絵に添えられていました。
アンドン山車を出す組にはほかに若衆組がありますが、今のところ秋山車は出していないようです。
下若組については、日詰の一番組で初めて自作した『勧進帳』を借り上げたことがあります。この時は表裏に背景を足し、着物や道具も工夫し、顔にも自前で眉を足すなどかなりな改変が加わりました(写真参照)。盛岡の消防分団とつながりがあるようで、一番組の熊谷次郎を上げた年もあります。人形の設置位置は変えず角度を変え、盛岡で一番てっぺんに上がった軍扇がかなり普通の位置になりました。馬に角度をつけたので、敦盛を呼び戻す静かな雰囲気が、合戦場を疾駆する勇壮な雰囲気に変わりました。定番見返しの花咲爺も併せて借り上げ、上若組も花咲爺が見返しであったため2つの山車で同じ見返しという珍現象となりました(平成19年)。下若の花咲爺の場合、背景に滝を作ったり桜の樹もかなり大きくしたため見栄えが変わり、「翁と滝」等の題がふさわしいような外観になりました。
川若組は盛岡よりも、東和町や石鳥谷など近隣の借り上げ先をよく選ぶようです。上若も下若も表裏に組の名を示す立て札を立てるのが特徴で、演題札は飾りの中に立てるのではなく太鼓設置位置に近づけて飾っています。川若組では表にだけ、組の札を立てます。
文責・写真:山屋 賢一
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