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少し、自慢話をします。
私が胸中に温めている山車の構想の一つを、今回実際に作っていただくことになりました。
一般の方より少しだけ多く山車の資料を手にしている私の目には今まで当たったことの無い「初奉納」と思しき演し物ですので、ここではこの演し物に込めている構想者の思いをお話ししたいと思います。
※注)以下は構想段階・絵紙の意図説明であり、実際の山車と異なる部分があります。構想・絵紙・実物を対比しつつ魅力をご堪能下さい。

風流 中国大返し
言わずと知れた戦国時代の出世頭、豊臣秀吉の山車であります。
京都で本能寺の変が起こり、当時天下掌握に最も近いといわれた織田信長が急死しました。信長指揮下の将軍のうち、この報に最も早く接したのが羽柴秀吉、後の豊臣秀吉だといわれています。秀吉はこの時、中国地方の戦国大名 毛利氏と対峙しているさなかで、名将清水宗治の守る備中高松城を水攻めにしていました。機転を利かせた秀吉はすぐさま和議をまとめ水攻めを撤収、一路京都へ進軍します。実に当時の常識の二倍の速さで畿内に戻り、迎え撃つ準備なかばの明智光秀を討って、信長後継者として高らかに名乗りを上げるのです。
中国大返しは、織田家の一将軍に過ぎなかった秀吉が、天下人への階段を一気にかけ上がる日本史の大転換点、天運を切り拓く非常に縁起の良い、お目出度い趣向といえるでしょう。秀吉を山車に採るにあたって、『日吉丸』に匹敵する好題と自負しています。

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もう一人の騎馬武者は、大河ドラマで活躍中の軍師黒田官兵衛です。山車に華を足すために有名な合子形兜をかぶせ、戦国特有の派手な甲冑姿にしました。秀吉は先を急ぐための軽装、官兵衛はしんがりを務めた意味も含めて重装備、といえば若干辻褄は合うでしょうか。手にするのは松明、場面が夜であることを表すとともに、秀吉を天下へ導く案内役のイメージも込めました。

見返しは水上の割腹
官兵衛秘策の水攻めにも決して屈せず抵抗を続けていた高松城主 清水宗治が、城主の切腹と引き換えに城兵を救うという秀吉の申し出を受け入れ、城の四方を囲む水原のただ中に船を浮かべ、敵味方の目の前で堂々と散る姿です。日本史上、これほど潔く美しい自決は他に無く、天下掌握ののち秀吉が毛利家を厚遇した一因に、この宗治の立派な死に様への感謝があったのではないか、と私は感じています。いずれ宗治が身を捨てて城兵を救ったことで中国大返しが成り、天下は大きく動いたのです。
波間に一艘の船、舳先には割腹の短刀を乗せる台、宗治の真っ白な死に装束に覚悟と悲壮が漂います。大返しの華やかな一場を受けるにあたり、最高の余韻を感じさせる見返しです。

この構想を使おうと決めた要因の一つは、先行する山車祭りに『森蘭丸』が登場するという情報でした。石鳥谷・盛岡での秀作の余韻を受ける形で、無念の最期を遂げた信長主従の遺恨を晴らす趣向に存分に浸っていただけることでしょう。これは、複数地域の山車祭りを並べて見るようになった現代ならではの楽しみ方になるかもしれません。
構想外郭・絵紙・音頭の一部(風流4本、見返し2本)を山屋賢一、製作を川口下町山道組にて9月21日より、川口地内を運行しております。絵紙には、大正時代の盛岡で見られた横置きの車を採用しました。見物にはぜひこの文面をお持ちいただき、勇ましい中国大返しの山車をじっくりとお楽しみください。


※祭典当日

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