令和六年沼宮内稲荷神社祭典山車


《ヌマクナイへの期待度》
 沼宮内山車への期待は、年々高まるばかりである。
 配置的にトリであることが、要因としてはもちろん大きい。だが、そうした位置にあるだけでなく、祭日の沼宮内に在ってきた各山車・各組歴代の各山車はそういう期待を毎回負って、それに確かな成果で応じてきたのだと思う。
 今回であれば、『暫』も『勧進帳』もそのまま作ったのでは通用しないのだなと思った。見る側に通用しないのでなく、出す側が通用させないのだ。見る側がそのように受け取るかどうかは、そんなに重要でない。勿論「そんなに」であって、各山車の伝えようとする熱量は今回も凄まじかった。
 そうした意味で、やはり盛岡山車のトリは沼宮内なのである。

 



松前鉄之助 / 山月記 ろ 組

昔懐かし先代萩に 勇名轟く鉄之助(岩手県岩手郡岩手町沼宮内稲荷神社祭典山車 令和六年十月)

歩み太鼓に 轆轤の軋む 祭りの音の 心地良さ
花もこぼるる 先代萩に 男松前 鉄之助

※南部流風流山車の『松前鉄之助』


【勢い抜群・復古調色濃く】

汝水の畔で姿を変えて 李徴葛藤 人虎伝(岩手県岩手郡岩手町沼宮内稲荷神社祭典山車 令和六年十月)

 うんと子供の頃、父に手を引かれて夜の沼宮内で見た”ネズミとカブキの山車”…大人になって見た中では一番アレに近い。アレが上半身だけナナメに折れて手前に迫った感じである。「昔懐かし先代萩」とはこのことなのだと思った。
 いずれ、沼宮内感が一番した山車だ。ネズミの向きはいつもと逆・つまり実際の舞台の画と逆なのだが、その方がネズミの手配りがよく見えた。眉間に鉄槌を食らう寸前ともわかる(よく見ると、ネズミの額に傷がまだない)。ひょっとすると、山車人形としてはこの方が余程正解なのかと思った。
 見返しは、この題を付けたアイディアが秀逸である。まず実物を見て「コレは何だ?」と思ってから演題札を見たかった。今回の私のように題を聞いて音頭歌詞まで見てしまってから対面すると、期待が消し飛ぶキケンを孕む題ではあった。

 鉄扇の柄がほんの少しだけ、握る指と揃っていない。不思議だが、わずかなその一点が勢いを削いだ感じがした。夜景は点滅させるより、ずっと点いているほうが良いような、そんな明るさだった。

裃姿で鉄扇かざし 豪気荒げる鉄之助(岩手県岩手郡岩手町沼宮内稲荷神社祭典山車 令和六年十月)岩手県岩手郡岩手町沼宮内稲荷神社祭典山車 令和六年十月










勧進帳 / 外郎売 大 町 組

岩手県岩手郡岩手町沼宮内稲荷神社祭典山車 令和六年十月

はやる弁慶 追い飛び六方 留めぬ富樫ぞ 男伊達
(見返し)歌舞伎十八番の 外郎売が 振るう弁舌 あだの為

※南部流風流山車の『勧進帳』
※『外郎売』同構図先行作例

岩手県岩手郡岩手町沼宮内稲荷神社祭典山車 令和六年十月岩手県岩手郡岩手町沼宮内稲荷神社祭典山車 令和六年十月


【似合いの顔に、奇想余さず】


 盛岡・沼宮内間は、昼間だったらバスで出かけることにしている。「岩手町大町」で降りて、微かな太鼓の音をたどって歩くうちに一番初めに差し掛かるのが大町組の山車小屋だ。前を、小さな子が走っていった。
「うわー!山車だあ、でっけえぇ、すげえ」
 大喜びの子供と自分の感想が、ほぼ同じだったのが嬉しい。
 勧進帳は、隣のの組の名物の題だが、大町組の顔は誂えたように勧進帳の弁慶向きである。飛び六方の前に向かう躍動は、小屋中にしてすでに出ている。そこにこの髪の表現、束ねて後ろに垂れる部分を盛り上げて、ぶわっと前へ。これは見たことの無い工夫だ。野暮なようだが、印象深い。
 松が美しく三段に流れ、桜の淡さも題を引き立てた。外郎売も良い顔で、良い着物である。






暫 / 園井恵子 新 町 組

紅の隈取睨みをきかせ 大太刀構え悪を断つ(岩手県岩手郡岩手町沼宮内稲荷神社祭典山車令和六年十月)岩手の名優園井の恵子 想い半ばに桜散る(岩手県岩手郡岩手町沼宮内稲荷神社祭典山車令和六年十月)

七尺余りの 大太刀佩いて 素襖の袖に 三枡紋
悪を挫いて 弱きを救う 名妓暫 福を呼ぶ

※南部流風流山車の『暫』

 

悪を挫いて弱きを救う 名妓しばらく祝い芸(岩手県岩手郡岩手町沼宮内稲荷神社祭典山車令和六年十月)

【なんと東京版とは別物】


 昨年の暮れに特注の山車を東京で運行した新町組である。その表裏の題がそのまま当年の題となったから、当然同じものを付けて町内披露、と思っていた。
…いや、変わった。大変わりである。顔すら、東京版と別ではあるまいか。姿勢に「さあ斬るぞ」という勢いがあって、切っ先は着脱式・松を大胆に突き抜けている。振り返ってみても、この形の暫にこれほど奥行きを感じたことはあまり無い。見返しは人形は同じなのだろうが、配置が変わって背景が付いた。東京用に作ったはずの音頭があまり上がらなかったのが残念ではあった。
 照明が明るくて、良心的で、昔ながらである。一番効果的な在り方はすでに見つかっていたのだなあと思った。






助 六 / 鬼若丸 愛 宕 組

追手逃れて天水桶に 潜む助六水入り場(岩手県岩手郡岩手町沼宮内稲荷神社祭典山車 令和六年十月)岩手県岩手郡岩手町沼宮内稲荷神社祭典山車 令和六年十月

天水桶の 本水浴びて 水もしたたる 江戸の華
桶を掲げて 見得切る姿 水入り場面の 花川戸

※南部流風流山車の『助 六』 同構図先行作例
※南部流風流山車の『鬼若丸』

 

【勇みの目ヂカラ、桜と白と】


 表用の音頭の歌詞はオリジナルのものが少なくとも4本あり、なかなか良い文句もあった。盛岡版より桶のかざし方がはっきりし、顔には一瞬、凄い眼力を放つ角度があった。大桶自体が単調であり色彩に乏しい趣向ではあるが、背景に縁染めの赤い桜が在るのはだいぶ良い。夜は全体をきっちり照らすのでなく、助六の顔をスポットで狙うような灯りであった。
 見返しは、実は錦絵の構図をそのまま作っている。しかしながら顔・手足が白いのと着物の色味が良くなく、他系統の山車人形に見えてしまった。この構図だと、鯉にももっと動きが欲しい。






畠山重忠 / 藤 娘 の 組

馬も恐れる鵯峠 めざすは平家一の谷(岩手県岩手郡岩手町沼宮内稲荷神社祭典山車 令和六年十月)

鹿もたじろぐ 切り立つ崖を 愛馬肩にし 降りんとす
平家の守り ひよどり坂を 逆さに降る 奇襲ぜめ

※南部流風流山車の『畠山重忠』(の組平成13年作掲載)

藤の連なり色香も深く 艶な姿や藤娘(岩手県岩手郡岩手町沼宮内稲荷神社祭典山車 令和六年十月)岩手県岩手郡岩手町沼宮内稲荷神社祭典山車 令和六年十月

【3時間で見切れぬ難作】


(御願)まずはこの題材に対し当組がいかに貢献してきたか、上の演題記事できちんと知ってください

 …こんなに見づらい畠山の山車は初めて見た。
 午後3時に地元を出てから1時間くらい、音頭かけつつの運行を見た。人物の位置がおかしく、提灯列が無意味に上がっていることがおかしさに環をかけている。顔が見えない。特に効果のある向きでないのに、右から見ても左から見ても一瞬しか見えない。小太鼓の位置に人形の足が無理やり突っ込んであって、ひどく叩きづらそうで、動きづらそうだ。馬の目の目隠しも、なんだかグロテスクに見える。
 駅前に山車が止まって、提灯列が下がった。ここでようやく、飾り部分が丸ごと前に出ている山車なのだとわかった。どうしてそうなったのだろうと眺めたら、上に馬の体が丸ごと付いていた。つまり、馬に合わせて飾りの位置が決まっていたのだ。で、その馬は、半身は畠山が預かっているが、もう半分が崖の只中に置き去りになっている。このまま降ると後ろ脚が折れそうだ、だから目隠しがグロテスクなのだ。残酷な一景だからだ。畠山は馬を繋ぐための何かを帯びているのだろうかと探すと、赤い帯が足元に垂れている。それは赤い羽織の裾であった。陣羽織は戦国武者のアイテムのはずだが…。
 夜になった。3番目に来た畠山の山車はそれなりの威容で、照明下で照らされる部分とそうでない部分が出来たために違和感が軽減されたと思われる。藤娘は初回登場時がピークで、どんどん悪くなって今作についてはどういう体勢なのかも判然としなかった。
…ここまでこの組の山車が腑に落ちず満足できなかったのは、たぶん初めてだ。ショックだったし、淋しかった。絵紙だけは、変化があって一番良かったと思う。




※各組歴代作例



写真・文責:山屋賢一(やまや けんいち)/連絡先:sutekinaomaturi@outlook.com
岩手県岩手郡岩手町沼宮内 令和6年10月5日(土)

ホームへ

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送