沼宮内の山車

 

新町組『巴御前』

 毎年10月第1金・土・日曜日に岩手町沼宮内で運行される新町組・大町組・の組(野口町)・愛宕組・ろ組(苗代沢)による5台の山車。盛岡山車の行事としては、最も遅い時期に催されるものである。祭典期間中はこのほか、創作太鼓屋台「北上川清流太鼓」も運行されている。山車の奉納先となる城山の稲荷神社は、沼宮内の開町にゆかりが深い。

 沼宮内の山車は、低めに付いた牡丹、片側のみ縦3段に並ぶ松、松を突き抜けて咲く玉桜、岩肌に仕立てた立ち岩が古風な風貌を織り成し、平成に入って盛岡市内の山車が多く失ってしまった味わいをとどめている。大町組を除く4組では、盛岡では使わない紅葉の造花を、主に見返しに入れる。人形は昭和40年代までは借り物ないし外注であったが、次第に頭・手足だけ借りて自前の趣向を仕立てるようになった。近年は全ての組が自前の頭・手足を揃え完全自作を達成、過半の山車組がカケスではなく常設の山車小屋を持っている。おおむね大振りで躍動感に富む山車人形であり、製作技術は非常に高い。見返しには盛岡山車伝承諸地域に見られる女物・昔話のほか、『二見ヶ浦』『十五夜』など人物の無い吉祥・景勝を飾った独特の趣向も登場する。

 山車を動かすときのお囃子は、二番組など盛岡市内の多くの消防組が使っているものとほぼ同じだが、リズムは盛岡よりややゆったりしている(仙北町のお囃子が、昔はこういう早さだった)。山車を止める時にたたく「まっちゃ」には、盛岡には無い拍子や盛岡の拍子を崩したものがいくつか混じっている。飾り方もお囃子も、5つの組の間で大きな差は見られない。

 初日と最終日は神輿に附いて午後1時から山車の合同運行があり、中日には祭典の佳境といわれる夜間パレードが夜6時から8時過ぎまで行われる。合同運行の合間は各戸へ「花かけ」が大変盛んである。
【写真 秀作と名高い新町組の『巴御前』(昭和62年)】

 

 

 

新町

 沼宮内に古くからあった火消し組のひとつで、稲荷神社の宮元にあたる山車組である。新町自体が町内で最も早くに開かれた地域でもある。昭和50年代まで盛岡の八幡町仙北町から人形を借りて山車を作っていたが、昭和55年に仙北町は組『鵯越の逆落とし』を『一の谷弁慶』に改作し、この頃から自前製作へ徐々に移行した。この山車は東京の大銀座祭りにも出演して盛岡市内の山車を上回る喝采に迎えられたといい、このことが現在の祭典の目玉である夜間パレード発祥の一因ともいわれる。

岩手町町制施行60周年記念山車見返し『寄寿姫』

 昭和晩期から平成4年ころまでこの組の山車作りを手がけていた職人は、沼宮内のみならず町内川口や盛岡の本宮などにも出向いて製作した山車作りの「名人」で、盛岡山車の南限にあたる石鳥谷町にも、師事した山車組がある。岩肌に仕立てた立ち岩の向かって右側に3段に松を付けるが、このうち最下段は牡丹にかかるほど低い位置にする。藤の花は各段に8本ずつ、合計24本吊るす。もう一方・赤牡丹の上に桜を、松を突き抜く高さで飾り、牡丹は紅白ともひとつの球になるように詰めて付ける。

 人形は盛岡の二番組・は組などの古い絵紙を元に組むが、例年大振りで躍動感あふれる仕上がりとなり、評判が高い。近年は挑戦した事のない歌舞伎の演し物にも積極的に取り組んでいる。見返しは『鶴と亀』など吉祥ものが多かったが、近年は女人形も使うようになった。

 普通背面に2基が限度の大太鼓を、新町組では3つ並べて据え、一人に一つ割り振ってたたく。照明は牡丹・松・桜に入れた豆電球を交互に光るよう工夫し、正面を照らす投光機は人形が隠れないよう支えを湾曲させている。番付には昭和55年以降、その年の山車の姿に音頭を添えて染め上げた手拭を配っている(近年はリーフレットに載る絵は自前、手拭いは過去の絵柄)。音頭上げは祝い音頭が中心となるが、演題絡みのものは近年組独自の歌詞を使うようになった。
【写真 新町組作風による記念山車、松や桜がダイナミックに付いている(平成27年)】


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助六  加藤清正  紅葉狩  松前鉄之助  鬼若丸  碇知盛

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大町組

大町組、二番組型片手六方の『児雷也』

 昭和60年に『ゆはずの泉』を自作するまでは盛岡からの借り入れ、特に昭和50年代は駒木頭の山車人形を飾っていた。自作開始後は歌舞伎一体ものを連続して作っていたが、平成10年ころから往時の駒木人形の名作の復刻や、ほかではあまり作られることの無い奇抜な演題に積極的に取り組むようになった。組保有の人形は二つで、いずれも盛岡の職人の名作といわれるものである。

 岩肌仕立ての立ち岩に片桜、三段松などは他の団体の作風に通ずるが、大町組の場合は、藤の花が少ないのが特色である。桜は必ず山車の右側、白牡丹の上に飾る。町内の多数の組が好んで使う紅葉の造花を大町組だけは使わず、町内では最も盛岡の作法に近い飾り方にしている。平成11年までは山車の演題を記す看板を白塗りにしていたが、現在はほかの組と同じ白木になった。見返しは「町内一の美人人形」(駒木頭)を使った女ものが多かったが、近年は登場しなくなった。

 照明は白色球が中心で、松に豆電球や彩色した裸電球を仕込み、盆波は青いライトで照らす。番付は沼宮内では唯一盛岡と同じ色刷りの絵紙を作っており、近年は大町組で描いた絵柄を使うことが多くなった。音頭も、平成16年以降は自前の歌詞のみで歌っている。
【写真 平成14年『児雷也』、駒木人形時代の復刻作】


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鳥居前  島の為朝  楼門五三の桐  新田義貞  松前鉄之助
恵比寿  羅生門  ゆはずの泉  平将門  源頼政鵺退治

 

 

の組『紅葉狩り』,武者絵をそのまま映したような新趣向

の組

 盛岡直伝の京人形製作技法により非常に完成度の高い山車をつくる「話題の組」である。昭和50年代の自作開始以前は、盛岡馬町・同油町・同紺屋町・同八幡町・一戸橋中組・同野田組と、多方面から人形を借り上げていた。自作に至ったの組は演題の幅が非常に広く、これは広域の山車組にさまざまに影響されたものと思われる。

 岩肌仕立ての立ち岩に片桜、三段松などは他の団体と同じだが、の組の場合白牡丹の水引は金色で、松を大胆に横に出す飾り方である。錦絵を参考にした独特の色の濃い横波は、配置場所によって細かく絵柄を使い分けるという。近年は町内外で、の組と似た波を見かけるようになった。彩色にはペンキ等でなく、顔料(粉絵具)など昔ながらのものを使う。

の組『十五夜』(沼宮内独特の無人見返し)

 得意演題は退治もの・武者もので、定番の演題も奇をてらった構図に変えてしまうことが多い。女の大人形・奉納組を限る演題・無人の趣向など、町内はもとより盛岡山車伝承域全体で見ても、珍しく意欲的な演題採りが多く見られる。見返しは新町組と同じく風景ものが多かったが、近年は『鬼若丸』『巴御前』など表の演題を調整した「越境見返し」が目立つようになった。

 半纏は大正ころからデザインを変えていないらしい。主に自由運行にて、大太鼓でなく小太鼓に鉦を合わせる作法が見られる。番付には一時貸出先の写真を入れた絵紙を使っていたが、現在は組印の菱模様を染めた手拭で、毎年色を変える。演題絡みの音頭は、盛岡の消防組に引き継がれる伝統的な歌詞を中心に上げている。
【写真 平成30年の『紅葉狩り』錦絵風の新趣向/沼宮内ならではの無人見返し『十五夜』(昭和62年)】


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勧進帳  児雷也  早川鮎之介  義経八艘飛び  源三位頼政鵺退治
幡隋院長兵衛    里見八犬伝  猩猩  地震加藤

 

 

常設掛け簾内の愛宕組『鏡獅子』

愛宕組

 沼宮内の山車組としては古参のうちに入り、もともと「愛宕下」「愛宕下組」として出していた。見返し人形の自作は平成7年から、表裏とも自作したのは平成10年が最初である。判明している最古の山車奉納は愛宕下同窓組合御神鏡奉納の大正2年で、以来盛岡や一戸からの借り上げ、盛岡の職人による新作などさまざまに発注先が変わり、そのたびに飾り方の作法も変わった。昭和50年代は盛岡馬町などから「改めて作ってもらった」山車人形を飾っていたが、晩期にいたって盛岡観光協会からの借り上げが慣例化、これも他地域と比べ改作される頻度が高かった。現在は岩手町内で唯一、木彫りでない人形で山車を作っているが、これは最後の借り上げ先であった盛岡三番組の影響が大きい。

 得意演題は『暫』『景清』など1体の歌舞伎ものだが、『上杉謙信』など従来山車になってこなかった新規の武者演題の開拓にも努力し、おおむね歌舞伎と武者を一年交代で作っている。また近年は、戦前借り上げ時代の山車写真を元にした希少な型の復刻も試みており、これに伴って一戸町などから木彫りの頭を借りて使うようにもなった。見返しは自作後しばらく昔話だったが、現在は女ものが多くなった。現在の飾り方は片桜・三段松など町内他の4組に近く、背景は場面に合わせて作る年が多い。盛岡以南の同様の作風の山車組(いわゆる河北組)からはほとんど影響されていない。

 借り上げ当時から照明が派手なのが自慢で、近年は松に青色発光ダイオードを入れ、牡丹垣は中から色の入った蛍光灯で照らしている。目玉の中日夜間パレードでは、その年の山車人形の仮装をした引き子が出るのが恒例となっている。番付は毎年同じ染め方の手拭で、演題に絡む音頭は自前の歌詞を作って歌っている。山車絵を載せたリーフレットが出るようになってからは、専らオリジナル新出しの絵を載せている。
【写真 平成22年『鏡獅子』、常設小屋中】


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  悪七兵衛景清  四ツ車大八

 

 

ろ組『安倍貞任・宗任』

ろ組

 昭和40年代から奉納を始めた、沼宮内では最も新しい山車組である(それ以前も同地区からの山車奉納は2、3度ある)。ろ組は「六組」で、沼宮内六区にちなんだ組名である。

 平成11年に完全自前を達成。初奉納以来長らく盛岡消防第二分団(め組)に委託して山車を作っていたため、騎馬武者・鎧武者といっため組得意の演題が自作に至った今も多く作られている。一方で、『畠山重忠』『釣鐘弁慶』『加藤清正』など、め組の手がけていない演題にも挑戦し、町内の過去の秀作を真似た山車も多い。例年必ず山車のどこか1箇所にめ組の人形を上げる慣例があるようだ。

 現在、ろ組の山車とめ組の山車には相違点も多い。め組特有の葡萄の蔓はろ組の山車には付かなくなり、桜はめ組の中染めに対し、ろ組では全体を真っ赤に染めたものを使っている。牡丹を表裏で紅白分けする点は共通するが、ろ組は花を上向きに付けている。見返しは、一昔前新町組・の組に見られたような風景ものが主で、地元伝承を意識したものも多い。照明は白色球を前後に2つずつ備えるだけで、牡丹など花類には一切明りを入れない。ゆえに夜間のろ組の山車を写真に撮ると、青味がかった独特の色彩を見せる。

 沼宮内では唯一、「よーいよーい」(音頭の合いの手)の部分で太鼓の端をたたく。奏法について「半円を描くような撥の下ろし方は沼宮内の古態」と書き残した資料がある。番付はその年の音頭上げを染めた手拭だが、平成14年までは新町組と同じく山車の絵も染めていた。音頭は平成21年頃から自前の歌詞に主力を置いて歌うようになった。
【写真 平成12年『安倍貞任・宗任』、め組の頭で作った山車】


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川中島@A

 

 

 

 

沼宮内まつりの詳細日程と見どころ

沼宮内七ツ踊りの花かけ(花かけ)

〜山車組・踊り組が祭典にかかる諸々の経費を家々から少しずつ集めて廻る風習で、「かどつけ」「かどかけ」などと称す地域が多い。祭日の沼宮内では昔ながらの盛んな花かけが今も続いており、観光客も気軽に目にすることが出来る。
 各山車は祝儀(花)が上がった先で音頭上げ・番付にて返礼する他、山車の小太鼓の位置に細長い板を設置して祝儀の目録を貼り出す(この作法は、戦前は盛岡でも見られた)。踊り組は、街中を一軒一軒踊組がたずねて歩いて祝儀を集め、その場でひと踊りして見せる。
 沼宮内の場合、祭りの熱量の多くは、実は花かけに尽くされている。見物客にとって、見る者が比較的少ない昼間の花かけは、各々の見所・魅力をじっくり楽しめる絶好の機会ともなる。
※お願い:見物にあたっては地元の方々の邪魔にならないようご配慮を〜【写真 沼宮内七つ踊りの花かけ】


(初日)
10/第一金曜

 

<正午、神輿お通り出発(〜いわて沼宮内駅)/山車運行は夜8時前まで>

 山車は午前中に各本拠を発し稲荷神社まで直進、初お目見えとなる各組の山車が大町メインストリートに並ぶ様は心を躍らせる。神社に山車が揃い、横並びの奇観を見せた後で新町組から順に出発。

沼宮内稲荷神社神輿渡御(稲荷神社→駅)
〜お通りは稲荷神社のある新町(町北側)から沼宮内駅方面(町南側)へ向かい、芸能演舞・音頭上げは一切行わずノンストップで進行する。終着地点(プラザあい:いわて沼宮内駅)にて芸能の演舞があり、以降は自由運行。〜

初日の自由運行:午後3時〜
・ろ組は早太鼓で再び新町付近まで戻り、大町商店街をゆっくり南下して花かけ(日暮れまで)
・愛宕組は野口町・大町を北上しながら花かけ
・新町組は駅前を門付け→午後6時ころに愛宕下
・の組・大町組は夜まで駅前に山車を止めたまま
・五日市獅子踊りは野口町から新町までを踊りながらパレード
・南部駒踊りは大町・新町を踊りながらパレード

〜午後5時ころは、ろ組・愛宕組・獅子踊り・駒踊りで大町が賑わう〜

・の組は夜6時ころから愛宕下を花かけ
・大町組は夜6時ころから愛宕下・野口町を花かけ〜夜7時半ごろ納車





(中日)
10/第一土曜

 【写真 愛宕組『暫』(平成10年)、かつてのパレード待機風景/の組『宇治川の先陣争い』夜間パレード(平成11年)、荒天だが雨除けは外している】

<山車は正午過ぎから運行/夜間パレード夜6時駅前発>

 午前中は山車を伴わない花かけが行われ、半纏姿の若者が街中に多数繰り出している。

愛宕組『暫』(初自作)

中日午後の自由運行
・新町組は町北側から駅方面に南下〜午後2時ごろ大町商店街・野口町を音頭を上げながらゆっくり運行 〜午後3時半ごろ、塚谷医院付近(愛宕町)で休憩〜愛宕神社付近を通過して陸橋を渡り、午後5時過ぎに駅前到着(〜平成22年)
⇒ここ数年は経路が変わり、上記の日程を時刻を前倒しして午後2時ころまでに済ませ、再び裏通りを通って新町に戻り、大番食堂(新町)に山車を止める。このため新町組だけは、中日も午前中から山車を動かしている。
・大町組は小屋を出発して新町方面を門付け、一旦本拠へ帰って小屋入りし、午後4時過ぎに出発する。野口町までは音頭上げは行わず早足で通過、愛宕下に入って花かけを始め、駅到着は例年一番最後になる
・の組は町北側ヤンマー付近で休憩をとった後、午後3時ころに大町へ向けて南下、沼宮内小学校前までを音頭を上げながら運行後、大町を直進し2時間近くかけて駅まで運行する
・愛宕組は昼過ぎにローソン前から南へ向けて発し、主に駅前とその南側を門付けする。2日目は終始町南側での運行となる
・ろ組は町南側を回った後、愛宕下(商店の並ぶ裏通り)を花かけに歩く

・駒踊りは愛宕下から駅前にかけて花かけ
・七つ踊りは商店街南部の東側の山手を回り、午後3時過ぎに山を降りて駅前から農協へいたる街道筋と、その周辺の住宅地を花かけ
・獅子踊りは午後3時半過ぎに駅前、農協通りの街道を花かけ
・北上川清流太鼓の囃子屋台は大町商店街を下って午後3時から4時半にかけて駅前周辺の裏通りを運行


※以上はあくまでも例年の動きをもとにした目安。郷土芸能も山車も、音を頼りに探すと面白い。沼宮内のいたるところから聞こえてくるお祭りの音、特にも町の東側に広がる小高い丘の上の家々から聞こえる門付けの囃子は、音はするのに姿が見えず不思議。


岩手町秋祭り連合パレード(いわて沼宮内駅〜大町北)

夜間パレード(の組『宇治川の先陣争い』)

〜当祭典を盛り上げるために地元の若者がねぶた祭りや花輪ばやしを現地調査し、沼宮内駅開業90周年を記念して始められた(該当の昭和56年より前の催行形跡がある)。現在は祭典一番の見所と地元住民が声を揃えて誇る、非常に完成度の高いものに仕上がっている。
 出発前には全ての山車が電飾をまとい、東北新幹線いわて沼宮内駅前に横並びの壮観を呈しつつ、盛大な出発式を挙行する(H22〜)。同時刻、パレード到着を待つ大町商店街では、町内の様々な郷土芸能が年変わりで披露される。
 沼宮内パレードの演出が特段に上手いのは、山車の前に芸能の群舞を先立たせる点にある。七つ踊り、駒踊り、獅子踊りともパレードでは囃子を大幅に増員し、門付けのときより拍子を早め、動きを極端に大きくして踊る。各団体このときほど情熱的に踊る機会はなく、一年に一回、この瞬間が最高の仕上がりとなる。
 続く山車には一台あたり200〜300人の引き子が集い、約1時間かけて大町商店街に辿り着く。軒花は下げ波を離れ街路に開く往事の奇観を見せる(H26〜)。引く側も見る側もここが佳境と心得ているゆえに、山車の進む一歩一歩に盛り上がりがある。音頭は3回上がり、午後8時過ぎに最後の山車が通り抜けて解散となる。
 肌寒い初秋の沼宮内だが、パレードが通過すると気温が5度くらい上がる感覚がある。〜


・パレード終了後は各山車とも早太鼓で小屋へと帰っていく。



(最終日)
10/第一日曜


 【写真(ともに平成24年) 大町組『釣鐘弁慶』最終日午前中の花かけ、手木打ちが着ているのが当地名物の刺し子衣装/愛宕組『碇知盛』最終日夜、地元廻り終盤】

<午前中自由運行/正午よりお還り/地元回り夜8時過ぎまで>
最終日午前中(大町組『釣鐘弁慶』)

 午前中は自由運行(10時ころから運行開始:充分に花かけをする)

沼宮内稲荷神社神輿還御(駅→稲荷神社)

各組地元廻り(午後4時ころから稲荷神社→車庫もしくは休憩→地元)

〜本拠の一軒一軒に音頭を上げながら、じっくりと進む/佳境は午後6時半から7時半〜


最終日夜の地元廻り(愛宕組『碇知盛』)

・ろ組は新町を門付け後、本拠の駅前西側へ
・愛宕組は愛宕下の東側に日中入り、夜は愛宕下通りをじっくり門付け
・大町組は大町の裏手を門付け後、メインストリートへ
・新町組は城山以北を日中に回り、夜は新町・神社前までを門付け
・の組は大町通りから野口町まで門付け、野口町に入ると刺し子半纏の裏を返して錦絵の絵柄を出す
※小屋入りは夜8時が目処か




 

 

祭典山車の歴代演題

南部流風流山車行事全事例

文責・写真:山屋賢一(見物は昭和60年〜)

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