秋田県能代市 能代ねぶながし

 

 青森と秋田の境、海岸線を追うように走る風光明媚な五能線の先に、秋田県能代市がある。能代の夏祭りは「ねぶた」ではないが、ねぶたと非常によく似ている。恐ろしい顔の大きなしゃちほこがにらみ合う天守閣のような灯篭を各町内で引き回し、太鼓は襷で片手に吊り下げて諸肌脱ぎの若衆が威勢よく打ち鳴らす。子供たちは「天の川」と書かれた赤い長灯篭を頭に載せて、灯篭を先導する。現地ではこの夏祭りを「役七夕(やく たなばた)」と呼ぶ。

 役七夕の灯篭を運行するのは、「柳若」(柳町)とか「本若」(本町)と呼ばれる、各町内の若衆である。周囲の会話を聞くと、「○○君は何若に出るの?」などと使われていた。「若」はさしずめ、盛岡でいう「組」に相当するのだろう。赤灯篭や半纏にも「○若」とだけ書かれてあり、すっきりしていて粋である。

 どの団体も大まかには同じ形の城郭を作っているようだが、最上部のシャチの尾びれの部分に雲を描いたり町名を書いたり、若干色を出す余地も残っている。灯篭の側面上部に松を作ったり、軒を作ったり、お宮を描いたり…細かに見ていけばいろいろ違ったように見えるものの、ねぶたのイメージから考えれば、ひとつひとつのねぶながしに変わり栄えは感じられない。ねぶながしはそういうものであるから仕方がない。

昼間の役七夕

 役七夕を、まだ日が落ちない時間帯に見ておいてよかった。実に色鮮やかな灯篭であった。黄色・空色・緑などは、火を燈すと消えてしまう色彩である。逆に日光を浴びた状態であれば、これらの色味は美しく映える。火を燈したときに目立つ赤系統の色は、昼間は役七夕全体に華やかさを増すのアクセントとなり、必ずしも主力の色彩ではなかった。絵柄は細かく、大変に手が込んでいる。

 8月6日の夕方は、能代のメインストリートに全町内の役七夕がずらりと並ぶ。西日を浴びて続々と集まってくる七夕の囃子、それを歓迎するように止まった七夕の前ではやされている囃子、メロディーは同じだが、完成した囃子の音色は違う。

 よく見てみると、七夕の車の上には浴衣姿の役員が乗ってはいるものの、囃子方や楽器はまったく積まれていない。下帯だけを纏った若衆が3人1組、締め太鼓に襷を引っ掛けて片手に吊り下げ、もう一方の手で「どん、どん」と叩いている。山車と太鼓が乖離しているのも珍しいが、乖離した上台車にも何も乗らず手で運ばれている太鼓というのがすごく珍しい。 一方で、止まっている七夕の周りでは若衆は両手を使って太鼓を叩くことができるので、笛の旋律は同じでも刻みの細かい、よりリズム感のあるお囃子を作ることができる。止まっている七夕の周りの人たち、休んでいるかと思えば急に誰かが太鼓を叩き、一気に盛り上がる。やっと静かになったと思えば、向こうの七夕が騒がしくなる。じっと見ているとすごく長いような、短いような、不思議な時間である。やがて観客がたくさん集まってきて、あたりが暗くなって、何を契機にしたか、音頭上げが始まる…。

 能代で歌われている音頭上げは、秋田市土崎の曳山の音頭とよく似ている。格好だけでなく、マイクを使わないこと、引き子の唱和する雰囲気なども非常に似ている。逐一音頭を合図に山車を動かす点がとりわけよく似ていて、囃子だけがまったく違うのは面白い。能代七夕の囃子は、どこかで聞いたことがある気もするし、でも他には絶対無い気もする、なんとも不思議なものであった。とくに叙情的な旋律でもないし、リズムやメロディーに「わかりやすく飛びつけるポイント」は決して無い。概して単純なものだが、なぜだか耳によく残る。きっとこのお囃子を2倍も3倍も楽しそうに見せている、掛け声からくるのではなかろうか。

 「ちょろれろれ」を連呼する掛け声。なぜ太鼓のリズムを追ってるのに「ちょろちょろ」なのか、すごくとっつきにくい。遠路祭り見物に出かければ、こういう場面に多く出くわすものだが、こういう一時的な不適応を粉々に壊してくれるのが、地元の人々のまったく疑いの無い「これでいいのだ」という「風」である。その場にいる誰もが疑いなく「ちょーれーちょーれー、ちょろれろれ」で盛り上がっている雰囲気に1時間、2時間と身を置いていれば、いつのまにか「あ、そうか、ちょろれろれだ」と納得してしまう。

 なんとか囃子を耳に残して帰ろうと、路地裏を行くねぶながしを丹念に追った。1時間くらい経って、スーパーの前の道路にたどり着いたあたりでやっと、自分の中にねぶながしのリズムが入ってきた。それは心地よい、異郷での共感であった。

 夜7時に七夕の列が崩れ、一つ一つが路地に入っていく。見せ場は路地に入るとき、しゃちほこを倒してぐるりとカーブするところ。曲がり終わるとまたシャチが立ち上がる。合同運行とはいえ、間隔も開いて特に合図もなく各々出発する。自由運行さながらの雰囲気である。路地に入って商店のない住宅街の狭い道を、途中何度も休憩をとりながら進んでいく。何度も「これで帰るのかな」と思ってしまう。クライマックスの8燈篭揃いへ向けて動いているような印象は、微塵も無かった。だから先頭の七夕を追いかけて明るい通りに出、そこに全部灯篭が集まって騒ぐ、というような夜9時ころからの雰囲気がたまらなく神々しく、華々しく見えた。

 地味は地味、田舎くさいことは田舎くさい、でもそれがこの行事の美しさ、賑わしさを作っている。きっとこの雰囲気の「よさ」は、昔からここに住んで毎年必ずこのお囃子を聞き、時には飛び跳ねながら喧騒の只中に身を置いて、時には向こうからやってくるねぶながしの音を待ちつつ猛暑の夜を過ごし、そういう生き方をしてきた人達だけにわかるものなのだろう。はなから観光客に与えられている桟敷は狭い。それが本来の祭りのあり方である。

 最佳境は夜10時ころ、太鼓の周りを跳ね回りながら「ちょーれーちょーれー」と騒いで回る子供たち、若者たちの姿。ひとしきり騒いだあと、また一つ一つ、ねぶながしは帰っていく。6日の運行を終え、すぐ灯篭は崩されて大幅に丈を縮め、翌日のしゃち流しのために大きいしゃちほこのみを残すという。

 深夜ふらりと町に出たら、解体された小さいシャチの灯篭がトラックの背に揺られ、真夜中の能代の町をいくつもいくつも運ばれていくのを見た。


(平成17年見物)



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写真・文責:山屋 賢一

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