主なネブタ行事一覧(開催日順)
-北東北の諸灯篭祭りを含む-

 

 

木造のねぷた

7月最終木・金・土曜日 青森県つがる市

 ねぶたは3日間とも夜間の運行で、日中運行は無い。見物時は9団体中7団体が人形ねぶたであり、一体の趣向が多く背面は送り絵形式が主流、青森のような立体的なモチーフも若干は見られた。よく聞かれる囃子は4種類で、青森・弘前と同じ曲もあり、特定の団体だけが使う囃子もある。台車の左右に小太鼓を乗せ、これをたたきながらねぶたを運行する形が2例残る。合同運行を終えると辻でねぶた同士が向かい合い、「喧嘩ばやし」をはやして跳ね回る。掛け声は「やーれやれ、やれや」。
 写真は側面に太鼓の列を備えた『赤不動』のねぶた。
(平成17年見物)

 

※実際に行って見てみて



 「馬市まつり」に出る木造の馬ねぶたは昼だけ動くらしく、山車は小さめで丈も低く、台車の高さはほとんど無い。等身大に近い馬のねぶたを作り、色は割りと自由に塗って支えは紙花で隠す。パレードではぐるぐる回ったりサッと観客の間に入ったり、小回りの効く馬ねぶたならではの演出を見せる。先行する囃子は他の地方と違う独特のものだったが、戻りは木造ねぶたの「喧嘩ばやし」であった。
 祭り本番は8月最終週末で、パレード後夜を待って、ねぶたに火を点ける。
(平成25年見物、但し八戸市開催の「あおもり10市大祭典」にて)

 

 

 

 

黒石のねぷた

7/308/5 青森県黒石市

 扇ねぶたと組ねぶた(人形)が古くから並存してきたが、近年後者は数える程しか出なくなった。運行台数は一時90台に及び、出陣数津軽随一といわれた。
 絵柄には青森・弘前に無い独自の風合いが見られ、扇は斬新な採題・構図で色使いが激しく、背景や袖の柄も極彩色である。組ねぶたは古風な墨の書割が多用され、線に強弱もあり、衣装の揺れを象るなど表現が非常に細やかである。「津軽で一番上手な絵描きがいるのは黒石」との声も聞かれる。
 囃子は緩やかなペースで「やーれやれや」と掛け声をかける。ねぶたが止まると囃子が変わり、自町内に帰るときは「ねーぶたの、もんどりこ」と声をかけ激しいリズムの帰り囃子とする。ねぶたは主に町内会で出し、最終日の8月5日は朝7時から午前中いっぱい、不規則にねぶたが繰り出し門付けをする(正午終了)。ねぶた行事の古態を残すもののうちもっとも盛んであることから、青森県の無形民俗文化財に指定されている。
 写真は神話『海幸彦と山幸彦』の組ねぶたで、配色は当地独特の淡さ。
(平成14・16・28年見物 いずれもなぬかび)

 

 

 

 

大鰐のねぷた

8/1・3 青森県大鰐町

 大鰐サマーフェスティバル中の一行事として8月初旬の1週間開催され、うち合同運行は1日と3日、いずれも夜7時半に駅前(JR大鰐温泉駅・弘南鉄道大鰐駅)を発する。実際に訪ねた最終日の7日は午前中の自由運行で、6基(唐牛・蔵舘五町内・蔵舘愛好会・十町内・一町内・八町内)を駅前で見物できた。
 いずれも中国ものの中型扇ねぶたで、囃子は弘前に似ているが、町によって拍子を抜いたり早めたりの工夫がある。唐牛は特に早拍子で、「ヤーヤドー」以外に「唐牛のネプタはなァ」「雨にも負けない良いネプタ」「唐牛ネプタのお通りだ」「唐牛のネプタは日本一」「隅から隅まで見でケロじゃ」など様々な唱えことばが威勢良くかかる。他地域で前ねぶたとして出てくるような小さな扇を担いで運行する町もあった。
 写真は地元絵師による五町内のねぶた、なぬかび運行出発時。
※南隣の碇ヶ関村(平川市碇ケ関)でも同時期に子供ねぶたの運行があり、総合支所の倉庫に除雪車などとともに『鍾馗』の扇ねぶたが収納されているのを見た。

 

 

 

弘前のねぷた

8/18/7 青森県弘前市

 「火扇」とよばれる扇形のねぶたが主流で、現在は大小約70〜80基が登場している。大型のものは高覧や扇の上部に伸縮の仕掛けを備え、全開するとかなり大きく背高になり、電線除けでなく、盛り上げ演出として開閉することも多い(一方で、大きいねぶたは地元町内を正面向きで運行出来ない)。人形灯籠の組ねぶたは5基程度・背面は絵で高覧に乗り、こちらにも伸縮する背高なものがあるが、絵柄・作風はおおむね青森より素朴である。
 1日から4日は風情ある繁華街「土手町」を合同運行(うち2・3日は審査)、5・6日は駅前通を合同運行、ともに午後7時出発で9時過ぎまで(出陣数によっては10時頃までかかる)。7日は土手町を午前中いっぱい動き(10団体くらい、先頭から最後尾通過まで見て30分強)、夜は川端で点火される。緩やかなリズムの進軍ばやしと激しいリズムの帰りばやしがあり、進軍の際は「やーやどー」と掛け声をかけながら運行する。ねぷたには引き綱が付き、後続する囃子方との距離も近い。青森と異なり、企業よりも町内会・同好会で出すねぶたが圧倒的に多い。
 扇ねぶたは「修復しやすいスタイル」としてねぶた喧嘩を通して普及したという。中には壊されることを前提に最前線に繰り出されるねぶたがあり、敵方が震え上がるような奇怪残酷な絵柄をわざと選んだ。写真は太平記から『北畠顕家』の戦死の場面を描いた「怖い」ねぶた。水滸伝・三国志など中国ものが7割を占める扇ねぶたの絵柄の中では珍しい日本史の絵柄でもある。
(平成14・16・28・29〜年見物)

 

※実際に行って見てみて

 

 

 

青森のねぶた

8/28/7 青森県青森市

 俗に「東ねぶたに西阿波踊り」といわれ、ねぶた行事各種のうち格段に観光化が進んだ例である。2日から6日までは夕方5時半から移動が始まり(移送時は無音・無灯)、夜7時頃から環状の合同運行が始まる。必ずしもすべてのねぶたが毎晩出てくるわけではなく、日程の前半では各町内からのねぶたも参加する。最終日7日は午後1時から日中運行があり、夜は船の上に賞を取ったねぶたを乗せて海上運行を行う。
 大型の人形ねぶた23基は専門の「ねぶた師」が手がけたもので、題材も構想も毎年新鮮なものを模索し賞を争う。小屋は観光施設付近に集中させ、5月頃から作り始める。高さはさほどではないが横幅・奥行を大胆に仕上げており、自ずと人物は前のめりに表現され迫力に溢れる。背面に送り絵は無く、表の演題に合わせてさまざまに立体的な趣向を組む。ねぶたに引き綱は付かず「扇子持ち」の誘導で梶棒達が動かし、時に回したり、傾けて観客に迫ったりする。行列の前方を「はねと」と呼ばれる踊り子が跳ね回るのが特徴で、観光客も衣装を借りるなどして参加できる。掛け声は、門廻りのろうそく集めで「蝋燭出せや出せや」と唱えていたものが「らっせえら、らっせえら」と変化したという。
 現在大型ねぶたのほとんどは企業名で出ているが、業者の冠でねぶたを出すのは古来からの青森の習慣で、観光化に伴って企業ねぶたになったのではないと聞いた。写真は北村隆さん作『白浪五人男』で、歌舞伎の題材は青森ねぶたの本流ともされる。
(平成14・16・17・25・28・29〜年見物)

 

※実際に行って見てみて

 

 

 

平賀のねぷた

8/18/7 青森県平川市(旧平賀町)

 2日・3日に行われるねぶたの合同運行をメインとした、平賀夏まつり(現 平川夏祭り)中の一行事。町村合併後は尾上・碇ケ関などからも団体が加わり、参加台数は20数台から30台余に増えた。引き綱の付いた扇ねぶたが主流であり、創作の手踊りをねぶたに先行させるのが特色であるが、全ての参加団体が付けるわけではない。半数超のねぶたが弘前の拍子・掛け声をリズムアップした独特の威勢の良い囃子を使っており、尾上や大鰐にも同様の例が見られる。最後尾に、肌の他はモノトーンで仕上げた「世界最大の扇ねぶた」が出る。
 「なぬかび」の7日は午前中のみの運行で、数人でねぶたを動かし町内を回る。写真はなぬかび運行時の『羅生門』のねぶた、電線を除けるため台座を開いて横向きで運行している。(平成17年・令和元年見物)

 

 

 

田舎館のねぷた

8/4 青森県田舎館村

 合同運行は4日の夜7時15分からで、ねぶた運行期間自体はこの前後に3日ずつ設けられている。
 扇ねぶたが主で、絵は川部・日の出会などが黒石風、畑中・十二川原などは弘前風、境松のみ組ねぶたであった。囃子・掛け声はおおむね黒石流である。見物時の参加数は14台であったが、ねぶた間の距離が十分に取られて各々をじっくり見られ、比較もできた。不動明王と武田信玄の目を交互に点滅させる等、他の町であまり見ない工夫もあった。
 発着とも弘南鉄道の田舎館駅からかなり隔たった場所であり(中学校発・役場着)、外部の人間には少々出向きづらい祭りである。前田屋敷・垂柳・境松など参加するねぶたの3分の1弱は、同期間開催の黒石ねぷた・藤崎ねぷたにも出る。
 写真は大根子のねぶた『武田信玄と守護神』、田舎館中学校集合時に撮影。(平成30年見物)

 

 

 

尾上のねぷた

8/5 青森県平川市尾上(旧尾上町・猿賀村)

 毎年8月5日の18:45からの合同運行には、町内会を主として9組が参加する。うち人形ねぶたは2基で、常に左右に振りながら引く金谷・一部を点滅させる鵬友会…と個性がある。扇ねぶたには猿賀や南田中・鵬友会など9メートルに及ぶ大型のものも入る。組印や前ねぶた・太鼓車に至るまで各々に工夫があり、たとえばメインの扇ねぶたの趣向を頭だけ・手だけの人形ねぶたにし、これを前ねぶたにしてそれぞれで動いて再現などしていた(写真)。囃子・掛け声はおおむね弘前流だが、ヤーレヤレヤとかける組もある。合同運行では、本部前の演技を終えると囃子がリズムアップし「平賀流」に変える町がいくつかある。行列先頭で法螺貝を吹く町もいくつか見られる。
 弘南鉄道「津軽尾上」が最寄、中学校前出発から主会場のJA倉庫前を一通り通り終えるのに50分程度、これを2度繰り返し21時前に終焉。
 写真は南田中育成会の前ねぶた『花和尚』。(平成29年見物)

 

 

 

藤崎のねぷた

8/3・5 青森県藤崎町

 3日は常磐(JR北常盤駅最寄)・5日は藤崎(JR藤崎駅最寄)で合同運行がある。いずれも夜7時半発、前者が審査・後者が表彰。私は後者について8時半過ぎから1時間程度、10基程を見た。型は弘前と同じ扇ねぶたで囃子も同様、掛け声だけラーシラシ、ラーシラと独特である(ラーセラセかも、節は黒石・鶴田風)。他の日は個別で動く。
 同町の夏祭りではこの他、盆過ぎに登山囃子の大会・7日午後には「ながしこ」という一種の山車行事がある。合同運行には、台車に四角い簡素な舞台を設け仮装した何人かが乗る「生き人形」の山車が、例年4台程出る。
 写真は表町のねぶた『花和尚』、転回場面。(平成28年見物)

 

 

 

 大湊のねぶた

8月第一金・土・日曜日 青森県むつ市

 トラック台車の上に回転式の人形ねぶたを乗せたもので、作品ごとにねぶたの表情に著しい個性があり、大平町であれば歌舞伎、といったように得意演目を持つ町内も多い。背面に送り絵を描く風習は定着しておらず団体ごとにさまざまな工夫を凝らしているが、青森のように人物を背面に組むケースは少ない。囃子も津軽とは雰囲気の違う素朴なもので、掛け声も見られない。運行時には録音源による手踊りが先行し、小型の前ねぶたがスピーカーの役割を兼ねる。合同運行は土曜日曜の夜で、相互でコースは異なる。
 下北半島は津軽領内ではないが、ねぶた行事は近年発生したものではなく、一部には江戸後期から行われたと思われるものもある。大湊の場合は平成17年で120周年を迎えた。
 写真は平成17年に登場した『釈迦涅槃』。いわゆる寝大仏は背面に描かれていた。(平成17年見物)

 

実際に行って見てみて

 

 

 

立ちねぷた

8/48/8 青森県五所川原市

 期間中は夜7時から15基程度のねぶたが市街を運行する。扇ねぶたは無く、全て高覧を持つ人形ねぶたで引き綱が付き、囃子はねぶたの先を歩く。高覧を多用し縦長の構図に作った当地ならではの「立ちねぶた」が半数を占め、地元の高校なども出している。市製作の立ちねぶたは高さ22メートルの威容、題材はメッセージ性を考慮した独特の決め方をされ、1年がかりで作って3年間若干の手直しを加えながら祭りに出す。
 当地独特の「やってまれ」の掛け声は、石を投げたり堰に落とし合ったりといった往時のねぶた喧嘩を偲ばせる。一時衰退し虫送りや花火大会と併催の形を取っていたが、独特のかけ声や折り返しのある囃子は長く好事家らに注目され、立ちねぶたの復活とともに活気が戻った。今では青森・弘前に並ぶ知名度を得、市内に展示施設「立ちねぶたの館」が建って観光の目玉となっている(中小のねぶた小屋はこの周囲に集中)。なお電線が張られる前(明治時代)は五所川原に限らず背の高いねぶたが作られていたらしく、背中が大きくくりぬかれていてそこから蝋燭を立てたという。
 写真は市内の人形ねぶたで、歌舞伎の『暫』。このような普通サイズのねぶたもあり、主にパレード前半を盛り上げる。(平成14・16・25・28・29〜年見物)

 

※実際に行って見てみて

※奥津軽虫と火祭り(6月最終日曜日開催)

 

 

 

 

鶴田のねぶた

8/148/16 青森県鶴田町

 お盆の8月14日から16日にかけて開催される「つるたまつり」の呼び物として、ねぶた合同運行が行われている。もっとも開催時期の遅いねぶた行事のひとつで、出場は役場・子ども会・鶴田高校・仲町など4〜5基、いずれも人形ねぶたである。お囃子は仲町を除いて青森ねぶたの囃子、仲町だけ弘前風の囃子をリズムアップしたもので、合同運行後は鯵ヶ沢や木造・五所川原など周辺地域のお囃子をランダムに上演していた。「ガガシコガン」は五所川原の囃子に似ているが、少し単純になっている。14日は夜の運行、15日は午前中の運行。
 写真は仲町『忠臣蔵』のねぶた、木造からの「嫁入り」つまり貸し出し。(平成21年見物)

 


 

 

板柳のねぷた

8/88/10 青森県板柳町

 8日から3日間行われる「りんご灯まつり」でねぶたを出す。扇ねぶたも人形ねぶたも出て数台の規模(私自身は電車の窓から、駅前を進む扇ねぶた数基を見た)。日中は津軽獅子踊りなどが出る。(平成25年確認)

 

 

 

能代の七夕(ネブナガシ)

8/6 秋田県能代市

 人物ではなく建物を模したねぶたで、当地では灯篭と呼ぶ。大まかには各団体とも同じ形で、近世城郭の天守閣を思わせる意匠である。最上部には極端に強調されたしゃちほこが上がり、電線の下を通るときにはこれを折り曲げて高さを調整する。しゃちほこの周辺に小型の城郭をいくつも作り、下部にはさまざまな模様で高覧を何段も重ねている。側面背面の3段のスペースに横長の武者絵を描いたものもある。曳き子や囃子方がみな諸肌脱ぎのさらし姿で、太鼓は締め太鼓の綱に襷を通し、3人一組で吊り下げながら片手でたたく。下部に編み笠のついた赤いアンドンを持った子供たち、太鼓、さらし姿の上に腹掛けや半纏を着た女の子の笛吹き、曳き子はそのさらに後に続く。ネブナガシが動くときには「よーいとこ、よーいどっこいな」という音頭上げがあり、運行中は「ちょーれー、ちょーれー、ちょろれろれ」と掛け声をかける。メインストリートの運行は夜7時から10時半ごろまで。
 写真は新柳若の灯篭ほか各地区の灯篭が集結したところ、夕方6時頃。平成25年からは電線を埋設して20メートルを越す「天空の不夜城」を運行している(通常のねぶながしとは別日程)。

(平成17年見物)

 

※実際に行って見てみて

 

 

 

大迫のあんどん山車                 

 8/14・16 岩手県花巻市(旧稗貫郡大迫町)


(盆祭り「通称あんどんまつり」)
 8月14日と16日、いずれも夕方から夜10時にかけて4台が運行される。中日の15日に模様替えをして、14日と16日で別の趣向を乗せる。台車は当地の秋祭りによく使われる木造2輪の大八車で、あんどんが乗って約6メートルの高さ、運行時は最上部に電線払いが乗る。大迫のあんどんは骨組みを針金を使わずに垂木と竹で作るので、平面と立体を混ぜ合わせた独特の作風となる。部材ごとに組み上げ・紙貼りをし、台車上で支柱に組み付ける。光源は電球で無く蛍光管が主である。画題は武者もの(ほとんど日本史)・歌舞伎ものが主だが、仏画をはじめ独自の絵柄も多い。
 写真は仏画を採ったあんどん山車2台のすれ違いで、奥側が若衆組の見返し『千手観音』・手前が川若組の『弥勒菩薩』。

 

     詳細

 

 

上桧木内の紙風船                 

 2/10 秋田県仙北市(旧西木村)


(西木の冬祭り「上桧木内紙風船上げ」)
 田沢湖畔・旧西木村の上桧木内(かみひのきない)で、長らく2月10日の恒例として行われてきた。江戸時代に平賀源内が考案した行事ともいわれ、絵を描いた高さ10メートルほどの紙風船の中を火を焚いて熱し、外気温との差を利用して夜空に飛ばす。使う風船は100ほどで、暗くなる前にもいくつか飛ばすが、夜6時を過ぎてから本格的に飛ばす(8時半まで)。
 会場は町中でなく大きな広場で、巨大な風船がそのあちこちから不連続に起き上がる様相は独特である(おそらく各地区で出店を出し、その周辺を本拠として上げている)。竹で作った丸い枠をゆっくり回して暖気をまんべんなく満たし、飛ばす直前に下端にくくった布玉に火が点くと風船全体がポッと明るくなって、あとは割と早く上がる。絵は美人画の一部に独特な柄が見られるが、多くは凧や役者の錦絵・漫画のキャラクターをそのまま模写したもので、蝋引きなど明かりの入る絵にありがちな工夫は無い。芸能は付随せず、上げる際の囃子や儀礼も無い。会場には小さな紙風船を吊った枝飴も飾られ、幻想的な祭りの様子には「冬蛍(ふゆほたる)」の異名がある。

(平成30年見物)

 

  



津軽藩領の山車

青森県弘前市・鯵ヶ沢町ほか

 旧津軽藩領の人形山車行事は、ねぶたに意匠を引き継いだこともあってほとんど衰退した。
 弘前城近くに山車展示館があり、猩々や紅葉狩・道成寺・七福神の相撲・曽我の五郎・楠公櫻井の別れなど弘前八幡宮祭の「山車」「練り物」に乗る人形飾りが保管・展示されている。街路に出たのは平成元年が最後で、同じ人形を配置を換えながら使ってきたようだ。米俵を積んだ山車や、大きな大根の山車もある。
 かつて津軽藩では1年おきに山車祭りを行い、弘前と鯵ヶ沢で交互に担ってきた。現在は鯵ヶ沢だけが残ったため、4年に1回の山車行事である(8月14・15日 白八幡宮祭典)。ゴムタイヤの台車だが人形は大きく、神功皇后・川中島・恵比寿など作り変えない人形もあれば、加藤清正など祭礼のつど骨組みをして作り変えるものもあるようだ。囃子は「ちゃんちゃれんこ」と呼ばれる京風のもので、かつては木造町など周辺地域にも伝わっていたという。鯵ヶ沢では台車の下段が囃し方スペースになっている。弘前も鯵ヶ沢も背面を飾る人形は無く、正面人形の背中が見える飾り方である。
 写真は鯵ヶ沢町田中町の『神功皇后』の人形。作製期間に訪問し撮影させてもらった。山車祭りの年は、鯵ヶ沢ねぶたは行われないと聞いた。

 


 

 

 

(概要)
送り絵『唐美人』青森県平川市尾上

 ねぶた(佞武多)は青森県津軽・下北地方の夏祭りに伴われる、中国史や武者絵・仏画などを採り上げた大灯籠の総称。場所によって「ねぶた」と呼んだり「ねぷた」と呼んだりする(人形がねぶた・扇がねぷたというのは間違い/当項ではいずれも「ねぶた」とし表題のみ当地の呼び方を反映した)。七夕行事に由来し、ねぶりすなわち眠気を払う行事で、本来は市街を練った後に川に流す。
 針金で骨を組み立体的な意匠を表現する人形ねぶた(組みねぶた)は青森市を中心に浅虫・大湊・木造・黒石・深浦などに見られ、特に五所川原では縦に長い「立ちねぶた」を工夫している(横幅は青森ねぶたが最大)。高覧を伴うものと伴わないものがあり、例えば黒石や弘前の組みねぶたは前者、青森や大湊のねぶたは後者である。意匠は青森ねぶたを真似たものと扇ねぶたの延長線上で描かれたものに大別されるが、製作者によっても変わり、一定流派の作風継承も少なくない。背面には正面と同じように人形灯籠を組むこともあれば、四角く枠を作って送り絵を描くこともある。
 扇ねぶたは明治時代に案出され流行したスタイルで、現在は弘前市を中心に、黒石・平賀・藤崎などに見られる(弘前型の絵柄が広域に伝播)。行列には様々な大きさの扇ねぶたが併存する例が多い。表は鏡絵と呼び全面に武者絵が描かれ、背面は中心部分を四角くくくって美人画を飾り(送り絵)、周囲は「袖」と呼んで別の絵柄が入る(正面ないし背面と絡めることもあれば、絡めないこともある)。扇の台座は、牡丹柄の「開き」と天の川の意の「雲漢」の字が入った「額」で構成され、場に応じて伸縮する。側面には町名・団体名が大書され、下部は雲の柄である。題材名がねぶた本体に示されることは稀で、先行する町名灯籠や背後に続く太鼓の台に入ったり、入らなかったりする。
 囃子は締太鼓を長い撥で叩き、笛と鉦を加える。掛け声は地域によって異なるが、同一町内・同一の催しにおいては統一されている場合が多い。ねぶたと囃子は分離しており、一般的にねぶたが先行し、囃子は後ろで囃す(例外:五所川原等)。引き綱はある場合も、無い場合もある。参加者は晒し巻きの上に法被姿が一般的である。
 ねぶたが催しに加わることを現地では「出陣」と呼び、例えば弘前のねぶた囃子は出陣時・五所川原は交戦時・青森は凱旋時を象徴するといわれる。【添写真:尾上八幡崎同志会の送り絵『唐美人』(青森県平川市)】

文責・写真:山屋 賢一
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