令和六年盛岡八幡宮祭典山車


《県無形民俗文化財として》
 祭りや伝統行事・郷土芸能のランクは「市町村指定」「都道府県指定」「国指定重文」「世界文化遺産」…と上がっていくが、盛岡八幡宮祭典の山車行事はこのほど(令和6年4月)岩手県無形民俗文化財の指定を受けた。「県民の基盤的な生活文化の特色を示す典型」として評価されたわけだが、気仙町けんか七夕(陸前高田市)・日高火防祭の屋台囃子(奥州市水沢)・盛町式年大祭の館山車(大船渡市)に次ぐ指定である。影響域の大小を鑑みつつこの順を見れば、本県の文化財行政がいかに人形山車行事を軽視してきたか・調査に怠慢であったかは明らかで、それは同時に、定点観測10数年などでは全く足りない風流山車探究の難しさを物語ってもいるのだろう。
 県都の一般道を不連続に、不断に山車が練り歩くことがいかに稀少か、県民は「県指定」の看板があったら気付いてくれるだろうか。権威とかより、例えばそんなことがひどく気になる。価値あるモノやコトがそのように、守るべき人達の目に届くかが問題なのだ。手元の指定書類を見ると、「近代の」と銘打たれはしたものの分布域の指摘はあった。一方で題材の類型については全く言及がなく、飾り物も「草木」と大括りに示されていたりする。もちろん、音頭をかけつつ自由に動く山車の様子など伺い知れない。気がかりだ。県指定無形民俗文化財盛岡山車の運行が、これからも穏やかに厳かに在り続けてほしい。
 記念の年・祝いの年の盛岡山車は、計8台であった。うち武者ものが3、歌舞伎もの4、纏もの1、退治もの(延べ算定)2。さらに武者は源平が1・戦国ものが2で、歌舞伎は1体が筋隈・非筋隈と分かれ、2体ものも同一舞台と高低差アリ…と実にバラエティに富む並びになった。古典的な演出を保ったものも、斬新な構図を入れたものもある。絵紙もまた、白黒復刻・押絵・再利用から組自前の柄まで様々に。…他、数々の類型がある。本項ではこうした中から、新作・復刻など”採題の仕方”で8台を並べてみようと思う。

 



◎新作・初挑戦の題

川中島 / 八重垣姫 三 番 組

霧を蹴散らす一騎の寄せを かざす軍配太刀の跡(岩手県盛岡市三番組令和六年九月)

煙る朝霧 川中島に 干戈まじゆる 旗の波
(見返し)音に聞こゆる 歌舞伎の三姫 筆頭飾る あで姿

※南部流風流山車『川中島』

智勇優れし上杉武田 互い譲らぬ名勝負(岩手県盛岡市三番組令和六年九月)想う絵姿八重垣姫の 契り叶わぬ十種香(岩手県盛岡市三番組令和六年九月)



【photospot】@14日午後・本町通り門付け A16日夕方・長田町地元廻り B14日朝・長田町出発時

【題材の来歴・三番組のこれまで】
 全国的に広く山車人形となっている人気の場面で、盛岡では「二番組」や「め組」の得意の題である。うち後者が、見返しに八重垣姫を採る。白い毛の垂れた武田の兜を掲げる赤姫の見返しである。三番組は戦前は芝居もの・戦後は歌舞伎ものを主に採ってきたが、平成後期から五條大橋・加藤清正など武者ものにも挑むようになり、本作では騎馬の武者を初めて出した。女形の見返しについては、他の追随を許さぬ出来のものを長らく作り続けている。
 今回川中島と八重垣姫に添えられた山車音頭は全て聞き覚えの無いオリジナルの歌詞で、絵紙の左下にはその音声を聞けるQRコードが初めて付いた。福田パン長田町付近で上がった歌詞には、少し歩くと見える盛岡一高のバンカラ応援歌の一節が(上記上段)。

 今回唯一、盛岡山車人形の道筋の上に居て見えたのが、この山車の見返しであった。これを地元長田町の出発直後・予備情報一切無しで見られたのはすごく嬉しかった。もちろんそれは兜不使用への驚きから始まり、程なく違和感を感じさせない端正と絶妙な傾きに見惚れる眼に変わる。燈明をかざすのはどの場面か、など今だに気にならない。良い山車人形にはそういうチカラがある。
 表はまず遠望、そこから謙信の顔が見えるような位置で見た。馬の動き・方向は従来に無く、山車全体が回る前に馬だけ先に動くような見え方になり奏功している。しばらく付いて歩いて漸く、信玄の顔を見た。決して似合う顔ではないが、合っていて、端正であった。こちらから見るに、刀を振りかぶった謙信の背中が・体勢が見たことの無い空気を作っている。
 …ああ、これで謙信の顔がマトモであったなら。謙信の顔でだいぶ、全体のおもちゃ感が濃くなってしまった。ここまで違和感が滲むのは、やはり伝統題だからだろうか。






加藤清正 / 大宮さんさ な  組

智仁武勇の清正が 今に伝わる其の武名(岩手県盛岡市な組令和六年九月)

雷鳴高き 清正公が 行く手を阻む 虎退治
やいば噛み切る 猛虎の牙に 気合い一撃 討ち果たす

※南部流風流山車の『加藤清正』(な組平成5年『加藤清正』掲載)

猛る大虎閃くやいば 挑む清正一騎討ち(岩手県盛岡市な組令和六年九月)地元に伝わる大宮さんさ 城下祭りに花を添え(岩手県盛岡市な組令和六年九月)



【photospot】@14日午後・仙北町門付け A14日午後・南大通を早太鼓で直進 B14日午後、明治橋

【題材の来歴】
 な組では第3作(平成5年)が同じく加藤清正の山車だったが、これは前年の沼宮内で出た趣向をほぼそのまま付け直したものだったので、組独自の作例としては今回が初である。
 なお、型を案出したのは戦前の二番組で、現在も市の内外で広く使われている。絵紙の音頭は戦後の二番組の歌詞で、字足らずの2句目は「きィイィィィよォォォォ、まアさアァが」と伸ばして上げられた。ほか市内二番組、三番組、一戸町本組の昔の歌詞が代わる代わる上がって、県指定文化財盛岡山車の重層ぶりが示された。

 清正の高さも構えも虎の大きさも、全部妥当で見やすい出来栄え。顔は猛将にしては端正すぎるが、醜いよりはよほど良い。見返しにはもう一件さんさ踊りが出ているものの、こちらは手踊りで採り上げた所作も伝統さんさならでは、背景にも凝った。夜のパレードでは清正と虎の間から煙が立ち昇り、派手な電飾と相まって楽しい運行となった。
 絵紙は従来に無い調達の仕方、手法自体は興味深かったが、画力・センス不足はいかんともし難い。






紅葉狩 / 更科姫 の  組

鬼姫誘う信濃の紅葉 維茂救う烏丸(岩手県盛岡市の組令和六年九月)

赤く染めたる 戸隠山に 錦彩る 紅葉いろ
紅葉うつくし あやしき風に うたたね覚ます 夢の告げ

※南部流風流山車の『紅葉狩』(本作貸出時掲載)

岩手県盛岡市盛岡八幡宮祭典山車の組令和六年九月二枚扇の更科姫は 維茂誘う艶姿(岩手県盛岡市の組令和六年九月)



【photospot】@14日・夜の八幡参り A14日夕方・肴町アーケード B15日午前・紺屋町門付け

【題材の来歴】
 昭和40年代のい組の作例が初出か。女の着物の鬼と髭を生やした維茂という構図が約10年後に歌舞伎の意匠に近づけて再作され、冨沢茂氏が絵紙を描いたこの2回めの形が定型化した。見返しに化ける前の夜叉を合わせたのは沼宮内の新町組が最初、市内の青山組は表とは無関係に『紅葉狩』の題で見返しに姫を飾った(本作はこの時の形に近い)。舞台に松の幹を仕立て鬼女を樹上としたのは平成20年盛岡観光協会の作例以来。

 双方良く出来た人形で、特に着物の配色が美しい。音頭は半分は伝統歌詞、もう半分は一部言葉を変えて当組の色を出した。
 人形配置がなんだか盛岡山車っぽくなくて残念、決して小さくないのに小さな人形に見える。特にも退治する側が負けそうな目配りなので、禍事を招くようで嫌だ。見返しもせっかく良く出来たのに、太鼓が乗ると隠れるような位置に付いてしまっている。あとは絵紙、狐忠信とか暫あたりは味はあっても下手ではなかったのだけれど…。
…その辺りはほぼ、翌週の貸し出し先で解消された。特にも鬼女の出来栄えについては、この場があったから確かめられた。髭は野暮ったく余計な気がしたが、在ってよいような気もした。







◎再作・リメイクの題

寿曽我 / 娘七種 盛山会さ組

蓬莱飾りを翳して此処に 曽我の五郎が勇み立つ(岩手県盛岡市盛山会さ組山車『寿曽我対面』令和六年九月

やれ待て五郎よ 止まって呉れと 猿見得朝比奈 留め男
(見返し)さ組の見返し 女の自慢 静御前と 小正月

※南部流風流山車の『寿曽我』
※ さ組平成19年 さ組平成27年

芹に薺に繁縷ごぎょう 菘すずしろ仏の座(岩手県盛岡市盛山会さ組山車『娘七種』令和六年九月)



【photospot】@Aとも14日午前・八幡町門付け

【題材の来歴】
 題材としては昭和59年の本組初出、薄いブルーの裃姿の曽我兄弟の山車は鮮烈な印象を残し、平成に入って作例が相次いだ。さ組の採題は3度目で、今回は戯れ隈の朝比奈を合わせた平成27年の趣向の再作であり、絵紙も当時の絵をそのまま使った。見返し『娘七草』(静御前)は、平成19年から使用しているオリジナルの題である。音頭歌詞は、絵紙に載った2つは前回(あるいは朝比奈登場の『草摺引』時)の踏襲だが、歌われた分はほぼ新作のようである。

 さ組は2体ものが不得手だ…と長年思ったり話したりしてきたが、本作でだいぶ覆った。かなりしっかり、両者が活きる立派な仕上がりである。松もたくさん贅沢に付いていて、この山車ならではの見栄え。構図的に、朝比奈の袴のボリュームがもっと有ると、バランスはもっと良くなるだろう。当組らしい言葉選びの音頭、とりわけ上記下段の文句が面白く、歌われて初めて花が生まれる詞であった。
 最終日の午後はほぼこの山車と、い組の雨の五郎を見た。勢いは最後の方まで衰えず、山車を取り巻く皆が楽しそうであった。






和藤内 / 錦祥女 盛岡観光コンベンション協会

父の祖国を再興すべく 心は躍る和藤内(岩手県盛岡市観光コンベンション協会山車令和六年九月)

橋を踏み出し 見守る川に 望み叶わぬ 和藤内
(見返し)妻の心に 打たれて甘輝 味方を誓う 国性爺

※南部流風流山車の『和藤内』
※ や組平成18年 歴文山車初年7年

時は変われど変わらぬものは 幾千代残る石の橋(岩手県盛岡市観光コンベンション協会山車令和六年九月)松を翳して妖しき紅の 流れ来たれと和藤内(岩手県盛岡市観光コンベンション協会山車令和六年九月)



【photospot】@16日午前・大通り入り口付近 AB14日夕方・直利庵

【題材の来歴】
 盛岡山車の最も古い歌舞伎題材で、藩政期以来、市内外のたくさんの組が山車にしてきた。まさに記念の年にふさわしい。
 見返しも併せ、同スタッフでは平成18年(厨川や組)・平成23年(もりおか歴史文化館展示)を経て3作目。見返しの女形が器でなく瓶を手にしているのは、昭和40年代の城西組『国性爺錦祥女』以来である。表の音頭は往古の名作(い組S45、み組S61、城西組H8等・「時は変われど〜」は石橋の歌詞)・見返しは自前の歌詞を上げた。

 唸ったのは、背景の水の描写である。こんなに凝った岩山・滝は見たことが無い。夜も効果的な照明で引き立ち、翌月はマラソンの余興用に別な人形を前に乗せ、さらなる威容を放った(=より見やすかった)。立体的な二重の橋も大きく、和藤内の人形を負けずに大きくしたところに作り手の矜持を感じる。その分、少しだけ不自然な見栄えを残してしまったのが惜しい(写真2枚目)。
 7月のmonaka祝いの山車は、滝波に添わない上向きの軒桜のみが印象深かった。河北の山車を中心にかつて盛んに見られた飾り方であり、本作にも同じやり方が踏襲され、比較的地味な題材を盛り上げた。






雨の五郎 / かむろ 八幡町い組

色もゆかりの紫かむり 梅香の匂う春の雨(岩手県盛岡市八幡町い組山車令和六年九月)

蝶も華やか 紅隈魅せて 元禄無双 曽我の見得
(見返し)梅の匂いか かむろの紅か 花の吉原 宵に咲く

※南部流風流山車の『雨の五郎』


【photospot】@16日午後・南大通直進時 AB7月14日の山車 『金太郎』@八幡町、『矢の根五郎』@monaka前

【題材の来歴】
 他の組が別の題で見返しに上げた例はあるが、正面の題として『雨の五郎』を飾ったのは当組が最初で、昭和56年のことであった。以来、巻物の有無や着物の配色に検討が加わったが、平成11年以降は白い着物に巻物を傾けて垂らすこの形に収斂され、本作で5作目となる。

 ローテーション5つのうち近年は低すぎたり動作のぎこちなさが目立った題だが、今回はバランス良く、正しい高さ・角度で人形が組まれた。特に遠望すると見栄えに細やかな変化があり、早く顔が見たくなる雨の五郎であった。照明機材が一新され、桜は河南の山車ではあまりやらない両下げにし、それでも左右の量にメリハリをつけて総体の落ち着きを保った。
 藤が伝統的なものでなくなったのが残念である。見返し側については吊り方も雑で、趣向が見づらかった。飾り物ひとつがこんなに山車全体に作用するのかと久しぶりに驚き、そこに県無形民俗文化財盛岡山車の繊細さを感じもした。

※7月には商業施設monakaの開業を祝う八幡町の山車が運行
肴町monaka開店祝い(令和六年七月十四日)歌舞伎舞台にせり出す花は 矢の根五郎の艶姿(肴町monaka開店祝い令和六年七月十四日)









…次回に期待

厨川消防組纏持ち / 土淵さんさわ  組

岩手県盛岡市わ組山車令和六年九月

地域防災 纏に誓い 不惜身命 火消し道
纏一筋 誠心誠意 地域防災 宗として

※南部流風流山車の纏振りの演題

岩手県盛岡市わ組山車令和六年九月さっこら響く土淵の郷 守り伝えし永遠の幸(岩手県盛岡市わ組山車令和六年九月)



【photospot】@14日・八幡下り A16日午前・中屋敷町直進 B15日・大絵巻パレード出発前@盛岡城跡公園

【題材の来歴】
 わ組の火消しものは、昭和50年代の『日本銀次』以来2例目。ただし今作の場面取りは江戸時代でなく、昭和7年・盛岡地裁の火災に出動した厨川消防組の功績を物語る異色の趣向。菊の御紋を守って金馬簾を賜った逸話と、警察徽章を頂く纏の由緒を山車で残した。見返しは平成25年『畠山重忠』の見返しを飾った趣向・8月夜の大通りを大人数で沸かせる伝統さんさ団体のひとつ。

 造形物としての端正さは自前でも目指せるが、盛岡山車人形としてのそれはやはり難しいようで、屋根を2つ作って上げた努力とか、肩肌脱ぎを見せる努力とかが顔の外人臭ですべて霞んでいる残酷な出来であった。アルカイックスマイル?これがなぜ駄目なのか、どういった山車人形が盛岡の山車人形なのか、そういったことを今後、私たちはどう未来に引き継いでいくべきなのか。もしかしたらそれは方法論では既になくて、可能かどうかの問題なのかもしれない。黒・茶・金の色彩の中、県指定文化財の白い札がまばゆく光っていた。無形文化財、それはこの札の後ろで本当に形を保っていたのだろうか。
 新作絵紙の中では一番面白い描き方であったし、上手さもあった。夜間照明は最小限・それが古風に見えるか吝嗇に見えるかも、詰まるところ趣向次第であった。






鵺退治 / 俄獅子二番組

あやしきけものは寅巳に申で とどめ刺したは猪の早太(岩手県盛岡市二番組山車令和六年九月)

御所を悩ます あやしきけもの 一と矢で射落とす 源三位
(見返し)粋な芸妓の 踊りは派手に 差す手引く手の あでやかさ

※南部流風流山車の『源三位頼政鵺退治』

岩手県盛岡市盛岡八幡宮祭典組山車二番組令和六年九月岩手県盛岡市盛岡八幡宮祭典組山車二番組令和六年九月



【photospot】@ABとも14日午前 八幡前参集時の門付け

【題材の来歴】
 戦前に大工町・戦後昭和48年に本町3町内合同の「三和会」で出した題材で、今回の絵紙は後者で使用したものの復刻。写真を見るに戦前の鵺は著しく大きな丸顔にギョロ目、戦後はウルトラセブンのゴーロン星人っぽい仕上がりと、いずれも個性的な楽しい出来のようである。平成に入ってからは、二番組と交流の深い岩手町の沼宮内で数件作例が出た。

 二番組は盛岡いち人形造りが上手く飾りや配置のセンスも良いから、鵺退治という良き採題に期待は大きく膨らんだ。…絵紙は現在の絵でなく、碇知盛や夜討曽我のように組保有の押し絵が使われるはずだ…音頭は大工町の歌詞も三和会の歌詞も同じで2つしか無い、きっと扇子にだけ残っている唸るような歌詞がいっぱいあって、今回漸くそれらが表に出てくるだろう…大河ドラマにはあれだけ頻繁に御所の御簾が出てきている、真新しい御簾はベージュでなくモスグリーンだ、山車では色はもとより飾り表具なども貪欲に真似て凝って作るだろう…鵺は絵では顔が見えるが、実際に作ると隠れる。今までの作例を踏まえ、二番組はどういう工夫をしてくるだろうか…それは鵺を組み伏せる武者の体勢についてもそうで、従来以上の密着度でなるほどな姿勢をとるだろう…見返しはわりと最近の題だし、『吉原雀』(H18)以来の力の入れ方から考えて、同じポーズを同じ背景で、音頭歌詞まで同じなんてことはまず無かろう。
 …と、この辺が全部外れてしまったわけだ。良かったのは近くで見ると武者の面差しがそれなりに勇ましいことと、鵺の腹がちゃんと狸なことと、それから…、…、何だろう…一見して何の場面かわからずワクワク…しないな。…、あ、大人たちの半纏の柄が良かった。
 50年前ならまだしも、鵺退治の作例を昔の盛岡山車と絵紙2件しか知らないなんて、令和の今あり得るのか。あり得るならそれは、古風などでは決してない。ただ怠慢を晒しただけであろう。
 







※各組歴代作例



写真・文責:山屋賢一(やまや けんいち)/連絡先:sutekinaomaturi@outlook.com
岩手県盛岡市 令和6年9月14・15・16日

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