岩手県葛巻町 くずまき秋祭り

 

 

新町組『木曽義仲』平成17年

 岩手郡葛巻町の秋祭りには山車が4台、下町組・浦子内組(うらしないぐみ)・茶屋場組(ちゃやばぐみ)・新町組から出ます。現在は盛岡や一戸から人形趣向を招いた借り上げ山車ですが、貸出先に任せきりでないところが好きです。具体的には牡丹以外の造花はすべて町内製で、人形配置も自前で行い・時には手を加え、音頭も新たな歌詞を書いたりします。同じ趣向でも貸出先や他の貸出例と違った仕上がりになることが多く、花がおおむね新品なので山車全体が新しく、美しく見えます。
 花がたくさん付いて横に膨らみ、量感にあふれているのが葛巻の山車です(街並みの背景に広がる雄大な山々が少なからず影響していると常々思うのですが…)。造花は桜・紅葉・藤・山吹で、種類は少ないけれど数(量)が多く、作りも丁寧です。松は「一本もの」で山車の四隅を隈なく覆い、桜も紅葉も一本の木に仕立てられ、いっぱい吊られてあります。見ものは白黒写真にシダレ桜と同じくらいの存在感で映る大ぶりの藤で、町秘伝の作り方があるのだとか。平面的な山吹の花(削った木の皮で作る)は当地独自の、葛巻山車の象徴的な飾りです。台車の幅が広いので、盛岡地方では見返しに乗る酒樽を表にも乗せた山車がありました。このように借り上げながら地元山車組が一生懸命手を入れ独特の味わいに仕上げているのが葛巻山車の特徴であり、魅力です。

 

新町組『御狩りの万寿』令和4年

山車を中心としたお祭りの流れ

 山車は朝は9時前に出庫、午前中は町内をかなり広域にわたって門付けします。4組とも山車の絵を染めた手拭(てぬぐい)を祝儀先に配り、音頭上げと手踊りで御礼。見返しには縦長の紙に祝儀先・額を認めた金銀の紙片がたくさん貼り出されます。

 お通りは両日とも午後1時半に出発、初日は葛巻山の大麻八幡宮から新町の秋葉神社まで、最終日は逆ルート(秋葉神社から八幡宮まで)です。一本道のバイパスを使うので他町のように完全な交通規制は出来ず、神輿と芸能3つ(神輿の前に葛巻神楽・後ろに七つ物とさんさ踊り)が通ってしまった後で交通整理をしてから山車が続く「2陣制」です。つまり、お通りが途中で切れるのです。各郷土芸能や山車組が祭典実行委員会に寄せたコメントがお通りの際に読み上げられ、神事は観光パレードさながらの雰囲気になります。

 お通りが終わると、それぞれの山車が音頭上げ・踊りの披露をしながら自由に動きます。1日目は踊りの競演や電飾した山車の展示など合同イベントが中心で、山車組のメンバー始め町民総出の流し踊り大会が繰り広げられ、山車はライトアップしたままお祭り広場に並びます(展示場所がバラバラな時期もありました)。踊りを眺めたり出店を回ったり電飾を施した美しい展示山車を眺めたりというのが、葛巻祭りの秋の夜長です。
 2日目の午後は各山車とも中心街(主に役場・葛巻病院周辺)に入り、かなりみっちり門付けをします。ほぼ50メートルおきに音頭と踊りをセットで披露し、門付け場所も4つの組で大差無く、夕方から夜にかけてゆっくり山車を楽しめます。夜7時ころにはおおむねどの組も地元の空き地に山車を飾り、踊りを通して披露したあと小屋入りするようです。
 音頭上げにその時々の流行りの歌謡曲に乗せて手踊りや余興を添えるのが恒例で、「伝統的な山車から現代のポップスが流れるのがウチの祭りならでは」との話。進行中に「次は○○で披露します、お集まりください」とアナウンスされ、観客もすごく楽しみにしています。

浦子内組『朝比奈三郎』平成16年

山車の作法

 葛巻の山車組では音頭を上げる人、太鼓をたたく人、踊り子…と役割が分担されています。小学生は主に手踊りを担当し、他では小学生が叩くことの多い小太鼓を葛巻では中学生に割り振ります。中学生が叩く小太鼓はさんさ踊りサイズの大きめの締め太鼓、皆腕がきちんと上がり、あまり拍子が乱れません。お囃子のリズムは緩く、岩手町川口のペースに近いです。のどかなお囃子にカチ、カチと拍子木が入って歩み太鼓が止まります(一戸と同じような止まり方)。同じ岩手郡内でも、沼宮内以南のようにあげ太鼓(2つマッチャ)は先行しませんが、無いわけではなくて、お通り前の役場待機時や夜間展示の時などに、2つ、3つ、4つときちんとマッチャをそろえて叩く場面が見られました。自町内に入った際、進行時にマッチャを使う組もあります。
 音頭はイントネーション・歌い終わりに若干独自の色があるものの、ほぼ盛岡と同じ節回しです。やはり道路事情の関係で、進行中に歩み太鼓と平行して音頭を上げる場面が見られます。笛は優雅なメロディーが多く、4組でそれぞれ違う曲を使っています。テンポが遅いときと早い時で、別の曲を使っているように聞こえます。
 山車の周りは常に車でいっぱいで、山車は道路の片側にぎっちり寄って動きます。ですので他の町のように左右から見ようとすると、ちょっと厳しいかもしれません(町の方々の邪魔にならないような見物を心がけたいものです)。

 

浦子内組の膨大な枝垂桜
山車のほかには…

 勇壮な葛巻神楽が初日夕方に『権現舞』『三宝荒神』『剣舞』『盆舞』『鳥舞』など全レパートリーを披露します。会場は葛巻駅前(バス発着所)、野外音楽堂などです。動きが大きく派手で、中学・高校と学ばれている若手の活躍が目覚しい神楽です。行列では神輿に先行し、お祝いが出て神輿が止まると華やかな歯打ちの群舞が始まります。
 七つ物」と「さんさ踊り」は神輿の後ろで楽しそうに、賑やかに展開されます。どちらも当地なりの個性があり、特に七つ物については人員・拍子など他に類例の無い芸です。「門付け」は主に初日・2日は神輿出発前の午前に辻辻で見られ、さまざまなところで葛巻の芸能に出会うことができます。
 商店の店先にはお神輿や山車に出すお祝いが準備されていますが、燭台を使い献花を伴う珍しい形です。こうした当地ならではの祭り作法をのんびり探して歩くのも、なかなか楽しいひとときです。



●くずまき秋祭り 資料編


(各山車組について)

※順番は、盛岡から遠い順
茶屋場組『九戸政實』平成16年
【茶屋場組】


 茶屋場自治会・四日市町内会による町中心東部からの山車、小屋は市街からだいぶ離れた葛巻高校の周辺にある。私が確認出来ている最も古い資料は昭和54年の番付手拭いで、当年は屋根付きの屋台を出したようだ。
 現在の人形借り上げ先は一戸の上町組で、おおむねその年の趣向を借りるが、宮祭り(不作等で山車を出さない年の祭りをこう呼ぶ)の翌年に前年の人形を使ったこともある。趣向によっては配置を変えたり背景を描き加えたり大道具を作り直したりして印象をガラリと変えてしまうこともあり、平成9年は見返し『茶屋場の藤娘』を自作(カ)・翌平成10年には『もののけ姫』を2年分乗せている。音頭に自前で読んだ歌詞を加え、上町組の絵紙に車が無かった年も茶屋場組では手拭の山車の絵に台車を描き足した。
 2通りの染め方の桜を併用し、枝垂れではなく上に向いた枝で飾る。色鮮やかな仕上がりの山車である。台車はトラックの改修で、貸出先の上町組(現在は大八車を使用)の平成20年までの様相を伺える。夜間照明には白色電球を使用、かつて葛巻山車共通の特色であった松の吊るし電球は、現在は茶屋場組のみが堅持している。


【新 町 組】

新町組『仁田四郎忠常』

 新町自治会・秋葉会・葛巻町消防団第二分団を中心とする歴史ある山車組で、小屋・本部を市街のほぼ中央に構える。「葛巻山車の師匠格」といわれ、例えば笛を葛巻山車に入れたのは当組が最初という。自作の時期・八戸から借りた時期もあったようだが(昭和40年代の八戸類家『赤穂浪士』等)、遅くとも昭和61年以降は一貫して一戸の本組から借りている。必ずその年の人形が来るが、衣装を変えたり道具を足したり組み方を改めたりして葛巻ならではの演出にすることも多く、頭を交換したり、地元史に基づく一戸での演題を改め全国区の歴史物語に置き換えて別な題をつけたこともあった。音頭は自前の歌詞を作って手拭いに染め、解説文も本組のものをそのまま使わず新たに書いている。
 大きな松と色の赤さが顕著な枝垂れ桜(非常に長く、車輪周りの滝の付け根まで下がる)、紫白2色の藤が目を引く山車である。平成19年以降しばらくは盛岡流の牡丹を自作し、大ぶりの牡丹を一戸本組と同じく4つの群れを作り境界を空けて飾った。
 台車は大八車だが軒花無しで滝だけが下がり、演題立て札の他に「奉納新町組」と書いた札が立った時期がある。

(新町組作の音頭歌詞 一例)

(S63) 加藤清正 文武の武将 大和おのこの 心意気

(H03) 七たび生まれて 帝を護る 大楠公の 太刀冴えて

(H04) 松風騒ぐ 比叡の山に こころを磨く 鬼若丸

(H07) 寺のきざはし 釣鐘重く 怒りに燃える 弥左衛門

(H09) 祈る弁慶 仏の加護か 平家一族 今いずこ

(R元) 類まれなる 容姿の山三 浮き名を流す 傾奇者




浦子内組『巴御前』令和4年

【浦子内組】

 浦子内町内会による山車で、平成29年で運行55周年(昭和38年が初回)。歴史をさかのぼると葛巻山車は盛岡流でない時期もあったが、浦子内組だけは一貫して一戸の南部山車を引いている。借り上げ先は当初2件は上町組・西法寺組だが(各1回ずつ)昭和41年以降は橋中組で、現在まで変わっていない。平成元年発刊の記念誌「25年の歩み」には貸出先で記録していない音頭歌詞が多数掲載されており、これらは浦子内組で新作されたものと考えられる。必ずその年の趣向を使い、人形は橋中組に頼らず地元で設置するのが慣例という。初見時は大きな松にたくさん電球が下がり、山車の上部を隈なく覆っていた。当組では大きさ・高さに関係なく趣向を松に及ばないように付けるため、人形・特に見返しが他の借り上げ先より小さく見えることがある。
 長らく台車は奥行きのある廃トラックで、立ち岩のほかに両側面に岩盤2枚を飾ってその上に牡丹をアーチ状に付けた。酒樽は飾りの外側に配置し(後ろだけでなく前にも)、昭和56年の見返しは飾り・大太鼓のさらに外側に樽を積んだようである。平成28年から盛岡流の大八車の台車に変わり、飾り台は卵型に変わった。
 橋中組では点いたままの牡丹を、浦子内組では点滅させる。桜は縁を染めた小さめの花をすごく長いシダレに仕立て観客の頭をすっぽり掠めてしまうほどたくさん束ねて山車の後ろに垂らす。紅葉もたくさん使い、ともに付け根を一本の木のようにまとめる。長らく見続けた結果、新町組の飾り方をより大げさにしたのが当組流なのだと感じている。
 2種類の進行囃子のうち、ゆっくりとしたペースのものには八戸三社大祭、リズムの早い方には盛岡の正調メロディーがそれぞれ使われている。女性の音頭上げは、葛巻では当組が最初に始めた。

(浦子内組作の音頭歌詞 一例)

(S48) 粋な盥に 魚と彦左 走る太助の 心意気

(S49) 奇しきさだめよ 信長公は 恨み尽くせぬ 本能寺

(S57) 赤穂浪士の 討ち入りなるぞ 鳴れや響けや 陣太鼓

(S60) 智勇にすぐれし 幸村なれど さだめは憐れ 夏の陣

(H30) 弁慶義経 都を追われ 安宅関越え 陸奥へゆく

(R元) 豊年祭りに 捧げる山車は 道真公の やまぐるま



下町組『連獅子』平成17年

 

【下 町 組】

 葛巻八幡宮膝元の山車組で、現在は町内で唯一盛岡から人形を入れている。マッチャ3種は当組が初めに取り入れ、他へ広げたともいう。
 例年盛岡観光協会の人形が上がり(遅くとも昭和59年以降一貫)、ほとんど他地域に貸し出されなかった『連獅子(H16)』や『助六』、『森蘭丸(H26)』『鐘馗』『根元草摺引』も極めて丁寧で美しい仕上げで飾られている。通常は前の週に盛岡で使った当年の人形が上がるが、宮祭りや観光協会以外の趣向を使った翌年に前年の趣向を選んだこともあり、表裏の組み合わせを変えることも多い。同市の三番組からも『矢の根』『五條大橋』『寿曽我』『羅生門』などが来た。人形まで自作していた時期もあったようで、平成に入ってからは数回見返しを作ったことがある(平成8年は熊に乗った金太郎、題は『あしがら山』/以降『花咲爺さん』『一寸法師』)。
 松は他の3組に比べ抑え目で、調整しながら使う。盛岡で両側に桜をつけた時期も当組では一貫して片側に紅葉・もう一方に桜という配置を続け、2色めの桜は定型飾りというより小道具の一部として(たとえば『花咲爺』の桜など)使った。台車は大八車だが軒花は無く滝のみを付け、初見の頃は大太鼓は注連縄を張っていた。

(下町組 八戸山車移入実績)

・昭和50年『汐汲/藤娘』青森県八戸市鍛冶町山車組
・昭和53年『南部神楽の舞』青森県八戸市新井田山車組
・昭和56年『巴御前の奮戦の場』青森県八戸市鍛冶町山車組
※S56には盛岡流の桜・牡丹・藤、山吹が足されている






(郷土芸能について)※順番は、私が実見した順


葛巻高校の神楽『権現舞』の手綱舞(高等学校総合文化祭にて)
葛巻神楽

 九戸の江刺家神楽より伝授された山伏神楽で、舞全体に江刺家手特有の一定のリズムを刻む細かい振動が見られる。お囃子方たくさんで華やかにはやし、幕は天の岩戸開きをパステルカラーで描いた華やかなものを使っている。最初は、くずまき秋まつりの初日夕方にバス停留所や野外音楽堂で5演目ほど披露したのを見て、すごくワクワクした。
 現在は舞手の中心が高校生となり、乱破舞(ラッパ:他系統でいう「荒舞」)は練りの部分でも面をつけずに素面で踊っている。高校総合文化祭の出場演目は初めは曲技の『盆舞』で、太鼓系鹿踊りや鬼剣舞・七頭舞などメジャーな芸能が多かった中で異彩を放っていた。数年後には『権現舞』もやるようになり、女子高生が片手で獅子頭を操る豪快な演技が印象深かった。演舞中のめくりによれば葛巻では襷を「手綱」と呼び、獅子を取ると「産土神」「三条獅子」「お米受け」「もたり」「青柳」と展開していく。八戸方面の神楽とは違い、はじめの方は歯打ちは1回くらいしかやらず、後半に掛かるにつれ増えていく。最近は序盤に5分弱に縮めた『鶏舞』も入れ、権現舞は頻繁に片足の上がる高校生らしい勇ましい舞い方になった。
 葛巻まつりで初めて見物した時は、保存会の方がかける『権現舞』の掛け歌に際立ったメロディーが あって、強烈に耳に残った。あとで下北半島の「獅子舞」を見たとき、似たような掛け歌を聞いた。

 直見演目:『盆舞』『権現舞』『三方荒神』『剣舞』
 見物日時:岩手県高校文化祭郷土芸能部門発表会(01.9.6 盛岡市永井 都南文化会館キャラホール 『盆舞』・03.10.2 矢巾町田園ホール『権現舞』)・葛巻八幡宮例大祭(02.9.21 JRくずまき駅ほか)・まんぷくそばフェスタ(05.2.19 いわて沼宮内駅1階ホール)…以降も葛巻秋祭り、高校文化祭 などで見物



八幡宮祭典での葛巻さんさ踊り
葛巻のさんさ踊り

 演目は4つで、中に開いた扇を使う踊りがある。紫波から葛巻に移り住んだ杜氏が「葛巻には芸能が無いため酒の席での口論が多い」と嘆き、ふるさとのさんさ踊りを伝えたのが始まりという。
 動作は小さめだが、確かに紫波型の手を斜めに振る動作が出てくる。初見時は袖と足の部分が赤・体が黄色に各々違う前掛けをしたインパクトのあるいでたちで、特に笠の上の花が赤いのが印象的だった。これは経木を赤く染めたものといい、現在はだいぶ盛岡の装束に似てしまったものの(写真参照)、指には今も紅白の九字が巻かれている。全踊り手に占める太鼓の割合はそれほど高くないが、迫力は強調されている。位置はやや低くリズムは早めで、教え太鼓を一回打ち鳴らした後に踊りに入る。掛け声が簡略化・独自化しており、例えば「ハラハラハラセ」が「ハイハイハイ」などと変わっている。


葛巻七つ物(八幡宮例大祭にて)
葛巻の七ツ物

 八幡宮祭典では神輿行列に踊りながら随行し、解散後は門付けをする。初めは祭り自体に夕方に出かけることが多く、繁華から遠い地区を門付けしたりしていてほぼ出会えなかった芸能であった。お通り・お還りに見物の照準を合わせたら、割とよく目に出来るようになった。
 葛巻七ツ踊りには一戸や沼宮内・岩泉などで共通する”七ツ拍子”が出てこない。九戸神楽と同じような通り拍子で踊っている。ただ、笛の旋律は沼宮内や川口の七つ物に近く、鳥兜を着けた弓矢の舞手、たっつけ袴にたすき掛けの杵使いなどが入る。輪を作って前進後退を繰り返す比較的単純で短い踊りだが、とにかく明るく独特でクセになる。唱えことばもはっきり字面としては聞き取れないが、面白くて元気が良い。道化役は黒装束にサンバソウの面をつけ、長い袖を持ってシナよく踊る。そのさらに前で、笹を持った岡目が踊る。
 町内では他に「下冬部七ツ物」が踊られているが、この踊りとは全く芸態が異なり一戸の形に近く、縄で何かを引きずる鬼が先頭に付く。囃子は皆、座って囃す。









音頭上げ風景(新町組、2日目の夕方)

【祭 典 日 程】

 9月第4週末、秋分の日周辺の土日に設定されることが多い。
 山車の運行は両日とも午前9時から夜7時ころまで。
 初日は電飾した山車をJRバス葛巻駅奥に並べ、音頭共演等をする。(街路に並べ、流し踊りをした年も)
 合同運行(神輿渡御)は両日とも午後1時半から。



【ア ク セ ス】

 いわて銀河鉄道「いわて沼宮内駅」のバス乗り場にて「久慈方面行きしらかば号」に乗車、「葛巻駅前」で下車
(盛岡駅から直通でも可 運賃は片道約2000円)



(掲載写真と意図)
 貸出先と違う題をつけた例(新町組H17)/雄大な山々が迫るメインストリート(新町組R4)/かつての台車・かつての電飾(浦子内組H16)/膨大な桜と紅葉(浦子内組H23)/背景足しの例、「お隣の九戸村で…」とのアナウンス付き(茶屋場組H16)/大きな松の例(新町組R4)/大八車移行後・岩手町とは違うタイプの雄大さ(浦子内組R4)/平成連獅子唯一の貸出例(下町組H17)/芸能3つは@生き生きしているA本来の場か頑張っている場の演技…を選定。ゆえに葛巻神楽は高総文祭の一コマで/夜景・大牡丹使用・枝垂桜の量と長さ(新町組H21)
…題材は札を読んだり一戸・盛岡の悉皆調査でご確認あれ

文責・写真:山屋 賢一

参照:「山車浦子内組25年のあゆみ」(山車浦子内組山吹会 平成元年)・「広報くずまき」

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