盛岡山車の演題【風流 黒田武士】
 

黒田武士

 



紫波町日詰橋本組平成5年

 織田信長に見いだされ、豊臣秀吉に天下を取らせた天才軍師 黒田官兵衛義孝(くろだかんべえ よしたか)。官兵衛及び息子の黒田長政に仕えた八人の荒武者を「黒田八虎(くろだ はっこ)」といい、中でも特に世に知られるのは母里太兵衛(もり たへえ)である。
 福岡では結婚式など酒宴の席で必ず歌われる民謡 黒田節(くろだぶし)。母里太兵衛が大杯(たいはい)の斗酒(としゅ)を飲み干し、福島正則(ふくしま まさのり)から日本一の名槍を貰い受けるという快談であり、唄の最後で「これぞまことの、黒田武士」と太兵衛を称えている。名槍は時の天皇から豊臣秀吉に下賜され位まで賜った、まさしく古今無双の槍で「日本(ひのもと)号」という。現在もその実物が福岡の博物館に保管されてあるから驚きだ。
 講談では、もともと母里太兵衛は酒癖が悪く、主君長政が福島家への遣いに出した際、特に酒は慎めと厳命していた。ところが福島正則は名にし負う豪傑・悪く言えば無頼であり、再三盃を拒んだ太兵衛に無理やり酒を勧め、呑んだら何でもやるとまで言い、さらにそのような無粋な家臣は主君の恥 と長政の批判さえ始めたので、太兵衛は一念発起、「武蔵野(むさしの)」と書かれた大杯を3度空けたと伝わる。これは武蔵野=関東平野=野が見尽くせないほど広い=飲み尽くせない、との意図。

 盛岡山車に上がる太兵衛の朱塗りの盃に武蔵野の字を見たことは私は無い、たいてい「寿」一字、ないし「月の輪」とか「あさ開き」とか酒蔵の銘が入って宣伝に使われている。見返しに採られた場合は特に、『猩猩』とか『養老の瀧』と同じく酒屋の広告ありきの演題であったきらいがある。

紫波町日詰下組平成8年
 裃姿に片袖を抜き、片手に大杯・もう一方の小脇に槍を抱えた博多人形スタイルの一体飾りで、地味だが端正・清楚な趣向ということで割に人気のある演題である。足元に板場・背に衝立・傍らには石灯籠が立つ。最古の写真は昭和30年台の盛岡のか組・その2〜3年後に一戸の橋中組、以降は見返しに上がることが多かったようだが、平成に入ってからは盛岡観光協会が黄土色の着物に紺の裃を着せて作り、以降は博多人形を模したこの色彩が一般化したようである。石鳥谷の下組は槍を台に置いて全景を見せ、太兵衛は只今拝領の体で拝み手をする構図で出した。

石鳥谷下組平成28年

『黒田官兵衛』二戸市福岡は組平成26年見返し
 関連する演題として、太兵衛の主君『黒田官兵衛』が大河ドラマの年の見返しに、杖をついた鎧姿で登場した。また黒田の武将『後藤又兵衛(ごとう またべえ)』が、顎当て付きの黒甲冑に満月の前立て・馬上の槍遣い姿で盛岡祭りに出た。これは関ヶ原合戦にて、石田三成方を攻め破る一景という。

 



文責・写真:山屋 賢一

山屋賢一 保管資料一覧
提供できる写真 閲覧できる写真 絵紙
風流 黒田武士 盛岡観光協会・日詰一番組
日詰橋本組(本項1枚目)
日詰下組(本項2枚目)
石鳥谷西組(雨天時)
石鳥谷下組(本項3枚目)
盛岡か組
一戸橋中組@A
石鳥谷中組
紫波町志和町
日詰商工青年部(富沢)
盛岡観光協会(香代子:色刷り)
日詰一番組(香代子)
石鳥谷下組(手拭)

盛岡か組(富沢)
見返し 黒田武士 日詰上組 日詰下組

一戸橋中組
盛岡二番組
盛岡い組
黒田官兵衛
(見返し)
一戸上町組(本項4枚目)
後藤又兵衛 盛岡と組 盛岡と組
ご希望の方は sutekinaomaturi@outlook.com へ

(音頭)

黒田武士をば 称えんために 飾り立てたる 花車
槍を呑
(の)み取る 心を秘めて 斗酒(としゅ)を飲み干す 黒田武士
酒は飲めども 飲まれぬ槍を 飲んで勲
(いさお)し 母里太兵衛(もり たへえ)
母里の友信
(とものぶ) 大杯(たいはい)受けて 日本一(ひのもと いち)の 槍を呑む
かけた名槍
(めいそう) 手中に収め 大杯(たいはい)かざす 母里太兵衛
斗酒の大杯 飲み干す武勇 名槍賜
(たまわ)る 黒田武士
主君
(きみ)よりさずかる 朱色の槍よ 舞うは黒田の 母里太兵衛
(ち)に居(い)て乱を 忘れじとこそ 心槍呑む 黒田武士


(後藤又兵衛)
勇猛果敢(ゆうもう かかん)な 黒田の先鋒(せんぽう) 槍の又兵衛 ここにあり
切っ先三寸 喉元
(のどもと)かすめ 又兵衛繰り出す 大身槍(おおみやり)
馬上で繰り出す 大身の槍は 槍の又兵衛 五段突き
しころ傾け 愛馬を駆って 掃部
(かもん)追い詰め 打ち倒す



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