岩手県九戸村 九戸まつり

 

 

上町『真田大助』

九戸の山車

 岩手県九戸郡九戸村の「九戸まつり」は、一般的には繁華伊保内(いぼない)にある熊野神社の祭典をさすが、戸田の神明宮の祭典が開催される年(3年に1回)は戸田と伊保内両方の夏祭りをさして「九戸まつり」という。相互はまったく別々に開催されるが、開催日は一日ずれるだけでほぼ同時期であり、戸田の方が一日早く始まり、一日早く終わる。剣舞や鹿踊り・神楽などは戸田・伊保内の両方に出ていて構成もよく似ており、表裏一体の芸を伝えるものとも思える。戸田では更新性の山車は出ないが、『岩たなき(ぎ)童子』など年季の入った古い京人形を乗せた屋台が3つほど歩く。ただ押して歩くだけで、お囃子は無い。

 毎年行われる伊保内の夏祭りには、上町・下町・南田の3町が山車を出す。町並みには古き良き繁華の風情が残り、山車の色や存在感が良く活きる。自作山車の時期もあったようだが、私が初めて見に行った時期は平三山車100パーセントの山車祭りであった(以降、しばらくこの時期のことを書きたい)。二戸や軽米では平三山車に一戸借り上げ・八戸借り上げ・三戸借り上げ・自作山車などが混じるが、九戸まつりだけは全部平下さんの山車で揃っていた。 平三山車が当該年度に初めて登場するのはゴールデンウィークの「やくしっこ(二戸市米沢薬師堂のお祭り)」であるが、夏から秋にかけて県北地方各地をめぐる「その年のデザイン」ともいうべき趣向は、やはり伊保内で「初登場」するといえる。伊保内で出たものが、以降数週間ごとに二戸や野田、堀野、軽米などで出るのである。
 伊保内の山車は丈が低めである。簡素・貧相なのではなくて、一つ一つの人形をじっくり吟味できる良い高さである。鎧兜の類もキラキラと真新しく、人形の使い方が丁寧なように見える。太鼓類を全部台車の前に集中させている山車だが、それでも二戸祭りなどと比べて人形が見やすい。
 音頭や山車の囃子は、おおまかには二戸地方のものに近く、盛岡・久慈風の音頭や三戸のような優雅な行進囃子は無かった。小太鼓は袢纏姿・中太鼓は浴衣で小太鼓と同じ拍子を刻み、大太鼓は浴衣の片肌を脱いで叩く。大太鼓のみ進行方向に背を向け、趣向側を向いて叩く作法であるようだ。運行時は基本的に山車が止まらず音頭と囃子が並行されるため、最終日行列解散後の「山車競演」にて本来の作法を見ることができる。
 初日も最終日も夕方4時のお通り・お還り近くに出庫し、帰路に少し門付けをするもののお供をする以外にあまり山車を使わない。当地方の慣例で伊保内でも中日の山車の運行は基本的には無く、郷土芸能のように門付けを行っているようすも無い(メインストリート沿いの下町の山車小屋は、中日に訪れた際は前幕も閉じられ、ひっそりとしていた)。祭典期間全体で正味2時間強の運行、捉えようによっては非常に贅沢である。

 

南田『天岩戸』の背面(たぶん素戔嗚尊)

※上記は主に平成13年見物時の状況であるが、平成20年代に入って著しい変化(主として八戸化)が出てきたので、以下に平成29年頃の伊保内各山車組の状況を述べる。

(伊保内熊野神社祭典山車 現時点)

◎上町若者連中

 平成18年に八戸の鍛治町の山車人形で『関羽』を製作し、以来八戸人形の山車となった。当初はせり上げや回転の無い平三山車と似た人形各々を見やすいわかりやすいものであったが、現在は一段のせり上げを必ず備えて徐々に青森南部の趣に近づけている。起き上がりの仕掛けなどもうまい演出で見せており、また音頭についても近年、沖上げでなく一戸に近い節に変えた。見返り(見返し)には特にストーリーのない幻想的な場面を飾っていたが、平成23年は里見八犬伝と関連付け、登場人物の『悪女船虫』を上げた。おおむね前年の八戸三社大祭鍛冶町の趣向が使われるが、主役人形や見返しなど現地と異なる趣向で作る年が多いようである。また表側の趣向については「風流」の冠は無い。
 唯一電飾を伴う山車であり、中日には1台だけで夜間運行をする。

◎南田若者連中
 平成22年に平三山車をやめて自作化し、八戸人形(八戸市糠塚山車組)の山車を出すようになった。他の2組と違って花類をだいぶ省いているため、現状において小ぶりの山車に見える。見返しには題が付かないことが多く、表と連動した飾り物であったり、無人の趣向であったりもする。

◎下町町内会
 九戸の平三山車は現在、下町の1台だけになった。唯一生木の松を飾る山車であり、他の2つと比べて大振りで古風に見える。歴代演題
 台車は紅白幕で覆い、町内会の看板を掲げる。繁華に面した伊保内小学校の校庭に山車小屋を置いた時期が長かったが、現在は裏通りに置かれ、慎重に表通りに運んだ後で太鼓が乗り、隊列が整えられて運行が始まる。

下町『九戸政実』



掲載写真(前半):上町山車『真田大助』(平三山車)・南田山車見返し『無題(八岐大蛇カ)』(八戸人形)・下町山車『九戸政実』(平三山車)






戸田神明宮『高砂屋台』
(戸田神明宮祭典屋台 非更新制)

 8/16・18の午後に運行。いずれも黒塗りの屋根と欄干の付いた手押し車に人形を固定して引き回す。3台とも神輿に先行し、屋台を引く地区に芸能がある場合は芸能に先立って歩く。欄干の前側の柱に屋台の名が墨書してあり、人形は30センチから50センチくらいの小さなもので、足元とテグスで固定している。神輿がお旅所に付くと、屋台は青いビニールシートをかけてその場に置いていく(=門付けをしない?)。

◎弁慶屋台(宇堂口)
 鎧を着て両手で刀を振っている人形一つ。肌の色は浅黒く、髪は乱れ髪。社旗と古風な馬簾に続いて歩き、後から戸田虎舞が続く。

◎岩たなき屋台(西山)
 二人形。浅黒いやられ役の人形が舞台の右側に背を向けて倒れていて、両手に刀を構えている。舞台奥に白塗りの、諸手で岩を差し上げた人物が飾られている。後に同部落が伝える七つ物踊りが続く。

◎高砂屋台(平内)
 他の2つより大きめの人形で、踊り子を模した女人形である。一人は三味線引き、もう一人は舞子で、向かい合って据えられている。 後に平内狐けんが続くが、この芸能には高砂屋台の人形と同じような舞子の踊りが伴われる。



 伊保内にしても戸田にしても、お祭りに参加する郷土芸能の数、種類の多さに驚かされる。お通りの終着点にあたる神社の境内では、江刺家手の神楽、南部虎舞、紙ザイ鹿踊り、ケンバイ、七つ踊り、太神楽…といった県北部の主要な芸能が一堂に会し、広く浅くその概要を見せてくれる。これらがその後無規則に町に繰り出し、商店や民家の軒先で次々と芸を披露していく。この門付けばかりは観光案内にも見つけられない、現地に行って初めて楽しめるお祭りの見所である。

(平成13・16・23・25・29・30年見物)


上町『里見八犬伝 悪女船虫』
例年の日程

8/17
pm3:00
参加芸能・山車音頭の熊野神社奉納
pm3:30
山車3台伊保内病院集結・郷土芸能熊野神社出発
pm4:00
山車・郷土芸能町内巡行(神輿渡御)
・二ツ家虎舞
・太神楽
・川向駒踊
・荒谷獅子踊
・九戸神楽(長興寺神楽)
・小倉七つ物舞
(・遠志内剣舞)
・上町山車(途中山車を止めて音頭上げ)
・下町山車(運行中に沖上げ音頭)
・南田山車(運行中に沖上げ音頭)
pm5:00
郷土芸能6団体、八幡宮境内にて演舞(一団体1〜2分)
山車、町内巡行
pm5:30
山車小屋入り


8/18  九戸音頭流し踊り(夜)・上町山車夜間運行

8/19
pm3:30
山車3台・郷土芸能八幡宮下集結
pm4:00
八幡宮から熊野神社へ向けて神輿還御、山車・芸能巡行
pm5:00(行列到着次第)
役場前にて山車競演(題解説・音頭・太鼓全曲)、熊野神社にて芸能披露



戸田神明宮御旅所での奉納(倉野剣舞)
(補足)

 先日、九戸村の夏祭りを見に出かけて考えたこと。


 村役場やら観光課やらに事前に問い合わせたところ、
「戸田地区でやる3年に1回のお祭りですが、中日の17日には何かやるんですか?」
「なんにもやりません」
「郷土芸能は?」
「なんにもやりません」
…17日は伊保内で山車が出るしなあ。せっかく車を出してくれる人もいるし、戸田と併せて見られたら都合がよかったんだけど。まあ、仕方がない。戸田は翌日に見に行こう。

 17日、裏道を散々巡って、葛巻から九戸に向かう道。倉野とか、平内とか、戸田のお祭りに芸能を出す地名がバス停にちらほら、でも全然お祭りの気配が無い。
「すいません、この辺のお祭りってどこでやってるんですか?」
「ああ、もう少し先に行ったらへんでチョコチョコと飾り物をしているとこがあったでしょう。あそこらへんで踊りを踊ってる、あれがうちの祭りなんです。踊り組はみんなあっちのほうで踊ってる。他の人が見ると、あれが祭りか!?なんていうんだけれど、あれがうちの祭りなんですよ。」
 …また、ずいぶん自虐的なコメントだなあ。少し車を走らせると、確かに神明社に幟、そして、なんと瀬月内神楽が門付けをやっているではないか!慌てて車から飛び出すと、なにやら権現さんがいる家の奥のほうで、違うお囃子が聞こえる。
「七つ物だ!」
 また駆ける。2軒分の踊りを見て、また車へ。今度は思いっきりテープ音源で南部手踊りらしきものをやっている。スルーしようとした矢先、変なものが3つ家の脇にいるのに気づく。

平内狐けん
「ああこれが、平内の狐けん(稲荷天狗狐剣)か。」
…とまあこんな感じで、伊保内に行くならもう少し時間を置いても、とギリギリに二戸を出てきたことが災いし、次から次へと出てくる戸田の芸能門付けを、
「ちょっとだけ、ちょっとだけ」
と見ているうちに、伊保内へは4時半過ぎに着いてしまった。

 翌日、今度はバスで九戸へ向かう。伊保内の営業所から戸田方面に出るバスは、伊保内に着いてから20分くらい待った後、出るという。で、今度は18日の伊保内で何かあるかどうかと聞く。
「夜の6時から…。」
「昼間は?」
「何もありません」
「郷土芸能は?」
「何もありません」
 実際に行ってみて驚いた。お通りに付くすべての芸能が伊保内の町に出て、1軒1軒の軒先で踊っている。だから、伊保内の町は芸能と芸能と芸能と芸能と芸能と芸能の、多重な音楽に満ち満ちている。ことに獅子踊りと七つ物では、門付けにつきものの「花舞」を演っている。ほとほと商店街から離れづらくいたが、いいかげんにバスがきたので、飛び乗るように路上に止めた。

戸田神明宮『岩たなき屋台』
 戸田では、4時からといっていた行列が雨の影響で3時に前倒しになり、4時開始の情報に合わせてきた私は少々ぶんむくれになった。でも4時半を過ぎたころに、戸田の中心街に芸能が次々と繰り出してきて、やはり一軒一軒門付けをする。後ろ髪を惹かれるようにして、5時にタクシーを呼んで伊保内に帰った。
 タクシー代はバス料金の8倍となる1610円、再び5時半に出るバスを待つまで20分、芸能を見る。


 観光課や役場は何をやっているのだ!!、などと責めるつもりはない。むしろこれが、昔ながらのお祭りの姿なのだと思う。踊り組が門付けの日程を観光客に知らせる理屈などどこにあろう。何時にどこどこで、などと紙に日程を移して見せる理屈がどこにあろう。お祭りとは、どこからともなく現れ、いつのまにか大騒ぎをはじめ、これがいつ尽きるかは知らない、いつのまにかどこかへ去っていく。伊保内で、戸田で、私は北上みちのく芸能まつりのような、限られた区域で多数の芸能がいっせいに演舞する状況を味わったが、これは決して計画性をもったものではなく、虫が春になるといっせいに動き出すような、実に自然味あふれるものであった。

 せかせかとバスや列車の日程を気にしながらお祭りを見に行っていた私が、ついぞ忘れてしまっていた、本来のお祭りの楽しみ方を、九戸村を訪れることでかりそめなりとも、思い出せた気がする。(平成16年見物時)




掲載写真(後半):戸田高砂屋台・伊保内上町山車見返し『悪女船虫』(八戸人形)・倉野剣舞・平内狐けん・戸田岩たなき屋台



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文責・写真:山屋 賢一

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