岩手県久慈市 久慈秋祭り
( 自 作 後 )
約600年の歴史を持つ岩手県久慈市の秋祭りは「県北地方最大の秋祭り」と称えられて久しく、大型の八戸系風流山車8台の競演がその規模を十二分に感じさせてくれる。私は平成22年から数年久慈で働き、祭りに至る久慈の様子を間近に見る幸運にあずかることができた。【写真1 巽町組『石川五右衛門』お通りにて】 前夜祭開会は午後6時、中央にステージを設け各組の引き子が並んで音頭上げを披露し、太鼓を叩く。口火を切るのは当年の「当番組」で、他の組も当番組の山車の前で音頭を上げる。観客は駐車場には入れず土風館の通路にぎゅうぎゅう詰めになって見物するので、決して見やすくはない。地域の外から狙って赴くべき機会ではないのかもしれないが、地元人は皆この前夜祭が楽しみで、特に半纏姿の参加者が付近歴通路通りなどで嬉しそうに談笑している。前夜祭はパフォーマンスに約1時間半、その後30分ほど休憩して三々五々、各地元に帰る。
祭典初日。お通りは大神宮の膝元である荒町から市内中心部に向けて、神社行列・樽ミコシ・山車が合同で運行する。出発は夕方の4時、初めは神輿が何基か続くが、なかには年毎に作り替える人形を乗せた「創作みこし」もある。出発地点に集まった山車8台が動き出すのは4時半過ぎ、次第に町は夕闇に染まり、通りにすべて山車が入る頃にはすっかり夜になる。
初めに山車が通るのは、左右にずらりと出店の並ぶ八日町・十八日町・二十八日町で、観客が極めて多く年齢層も広く、町中の人がお祭りを見に来ている一体感を感じた。傍目にも、大変な盛り上がりがよくわかる。通りには電線が無いので、山車は全開状態のまま前に進むことができる。久慈秋祭りでは角度を選びながら、電飾された最も良い形の山車をじっくり見られるのだ。【写真3 新町組見返し『鳥獣戯画』お通りにて】 久慈の山車には、見返しを作り込んだものが多い。特に、冗談めかした主題をかなり真剣に作っているのが面白い、古参自作のめ組によるアニメ見返ししかり、本町の戦国自衛隊しかり、山車というキャンバスにさまざまな趣向が凝らされている。これは八戸ではなかなか楽しめない、久慈の山車ならではの見所であろう。
表は、現時点では八戸の構図を写し取って構成されたものが多く、八戸山車にも「型」があるのだと改めて感じた。八戸的な作り方でなければ派手さの出ない演題というのがあるようで、私が見た中では巽町組『石川五右衛門』がそれに当たるような気がする。
山車の行列は、まず中学生の旗持ちが十人くらい先行し、続いて横一列に手をつないだ子供たちが街路いっぱいに広がる。笛吹き集団、その後に綱、曳き子は総勢300人というが、子供たちがだいぶ人数を稼いでいるようで、それはそれで楽しそうなお祭りである。運行の掛け声は「ヨースヨイサー、ヨイスーヨイサ、ヨースヨイサー」と大人のマイク持ちが掛け合う独特のもの、外部の人間からすればかなり異様に聞こえるが、これが久慈の粋なのだろうと思えば、素直に浸るほか無い。【写真4 本町組見返し『戦国自衛隊』お通りにて】 久慈の祭り囃子は野田や普代など周辺山車太鼓の源流となるものであり、八戸の山車囃子とは全く違う。源流ゆえに8つの組でそれぞれ個性が加わっており、魅力的なこだわりが沢山見られる。久慈で働くようになってから、お囃子の練習をよく見に行くようになった。飽きの来ない見事なお囃子であり、指導もなかなかに厳しい。大方の組が9月に入ってから練習を始め、夕方6時前から夜の8時頃までやる。当日は掛け声が加わるために個々の味わいが薄れてしまい、個人的には残念な思いである。
山車は合同運行を終えるまでの3時間弱が華、あとは引き子も太鼓も解放して大人たちだけで山車を引いて帰る。この時も、掛け声は欠けない。いまいち好きになれないこの掛け声は、久慈のお祭りにとってとても大事なものなのだろう。ほとんどの山車は小屋近くに来て囃子を止め、そのまま作業的に小屋に納まる。
合同運行は夜7時に終わり交通規制も解かれるが、若衆の花もらいはかなり遅くまで一軒一軒行われていた。久慈地方では昔から、寄付集めは山車を連れずに音頭がけで行っていたようで、初日はお通りが解散してから山車の移動輸送・寄付集め…と役割ごとに動き始める。静まりかえった夜の街に、音頭上げの景気のよいウケがあちらこちらで響いていた。ちなみに翌の中日は、各山車組にとって丸一日寄付集めだけを行う日となっている。まとまった人数で一軒一軒回り歩く「出す側の負担」、多数の団体を迎える「見る側の負担」、…両方とも部外者からは負担に見えるだけで、当事者たちは実に楽しそうであった。【写真5 に組音頭上げ、山車は『真田幸村と伊達正宗』】 祭典3日間とも催し物はおおむね3時間半くらいで終わり、その後はもっぱら夜店を目当てに人が集まる。久慈の通りには様々な夜店が大量に出て、アジアの屋台街さながらの活況を見せる。大阪のカステラ屋2軒をはじめ西日本からの出店が散見され、県下では他に無い珍しい品を数々目にできるのが魅力だ。秋祭りでお祭り要素が夜店しかなくなるという環境も、実は凄く独特な当地ならではものではなかろうか。
久慈秋祭りに登場する民俗芸能は意外に少なく、お通り・お帰りには野田のお祭りに出るのと全く同じ神楽の権現舞が入る。はじめに房のついた棒を回す舞手と獅子が一緒に輪になって踊り、後半は獅子が歯打ちをする。中日の芸能パレードでは、殆どの出場団体が「久慈・九戸地方正調盆踊り 夜明けガラス」、俗に云うナニャドヤラを披露する。たくさん団体が出ても、バリエーションはそれほど多くない。【写真6 備前組見返し『つのつき(平庭高原の闘牛)』御還りにて】 沿道では、各組の「山車ものがたり」や出演団体の意気込みを載せたパンフレットが売られている。長らく無料配布だったが、近年は一部200円になった。八戸で昔作っていたものをすっかり真似た冊子であるが、八戸では廃れ、今は久慈に残っている。この他にも、昔八戸でやっていて今はやっていないことが、久慈にたくさん残っているような気がする。開いた山車をあまねく沿道に見せるゆったりとしたパレードも、そう考えると八戸祭りの足らざる部分を十二分に補うにとどまらず、往時の八戸山車の姿を残すものといえるかもしれない。 最終日、お帰りが済むと山車は足早に自町内に帰り、山車を全開にして納め式をする。責任者の挨拶と音頭上げ・太鼓の打ち納めなどがあって、6時半頃には直会に流れる。山車を伴った門付けや自由運行などが無いのはやはりさびしい気がするが、各町内の納め式は非常に哀愁があって好きだ。町の明かりに照らされる山車の姿は今も昔も変わらない祭りの姿、最も美しい祭りの姿である。 (平成20・22〜年見物) ※太字はこのページ内に写真を掲示しているもの
太鼓の拍子がゆったりと伸びやかでタメが良く効いており、非常にこだわりのあるお囃子である。佳境では「新町一番」と声がかかるリズムの早い拍子を披露する。 本町組 (久慈プラザホテル〜長内橋) 巽町・新町と並ぶ大型の山車である。遠目で派手に見えるよう脚色された豪華な鎧武者の山車が多く、起き上がり部分にフラッシュライトを入れて遠くからでも派手に見えるよう演出している。見返しも起き上がりの一番上まで上手に使い、美しさと共にダイナミックな威容で観衆を魅了する。 巽町組 (巽山公園東) 八戸山車各地を比較してみても、大変丁寧で上手な山車組みといえる。手先や目線、全体の色合いなどなおざりになりがちな部分がきちんとこだわって作ってあり、毎回抜群に出来が良い。個性がよりよく見え他に圧倒的に勝る見返しに、毎年注目している。 め 組 (門前) もとは「三十一年会」という同好団体で、平成元年から自前で山車を作っている。久慈では最古参の自作組である。太鼓練習は盆明けくらいから始め、山車製作に取り掛かるのもかなり早い。見返しには子供の喜ぶアニメの場面を作る慣例があり、手作りの風貌ながら構図のとり方や構成にはっとする工夫がある。 備前組 (大川目町) 中心街からやや西に位置する大川目町からの出場組で、平成12年から参加している。製作は大川目町内で行うが、祭典期間中は中組の山車小屋でもある「山車創作体験館」に山車を納める(前夜祭の日と最終日は、合同運行のために長時間かけて大川目から山車を引いてくるのだそうだ)。駒踊りや虎舞など、大川目に伝わる民俗芸能が山車に同道し、観衆を盛り上げる。
製作場所が町から遠い海沿いにあるため、祭典初日の運行を終えるとやませ土風館の山車展示場に当年の山車を納める。東日本大震災で津波被害により山車小屋ごと山車全てを失ったが、災害当年にも立派に山車を製作・運行した。 道の駅「やませ土風館」に隣接する「山車創作体験館」に山車を作る。飾りの一部を一般ツアー客に作ってもらうイベントが企画された年もあった。
上 組 (大神宮門前、荒町) 久慈大神宮の膝元に当たる山車組みで、太鼓練習は鳥居前の石段に太鼓を並べて行う。自作以後は表に歌舞伎、見返しに昔話が定例化しつつある。パンフレット等に載る山車の構想図が非常に上手で、毎回楽しみにしている。 (久慈秋祭り 借り上げ期)
文責・写真:山屋 賢一
久慈の山車は長らく八戸三社大祭で奉納された山車をそのまま持ち込んで看板を付け替えるなどしたものであったが、平成20年までにすべての町内が山車を完全自作化した。これに伴って町内8箇所に常設の山車小屋が設けられ、構想は冬に練り春は4月から製作に取り掛かる山車組みがほとんどとなっている。山車小屋には折りたたんだ状態で山車を納め、組み上げる際は近くの広場などに引き出して全開にして組み上げる。起き上がりの構造に配慮し、山車を後ろ向きに小屋に納める組もある。
久慈秋祭りは木曜の前夜祭からスタートする。前夜祭の日は午後4時を過ぎると町の各所から太鼓の音が響いてきて、やがて街路に次々に山車が出てくる。久慈の場合、山車移送の際に無音で引くようなことはなく、常に賑やかに囃子をかける。久慈に暮らす誰もがその響きに心躍らせ、祭りの訪れを感じる。山車は町中心部の「やませ土風館」の駐車場にずらりと並び、全開状態のまま夜の帳を待つ。付近一帯には交通規制が敷かれ、山車は駐車場に納まりきらず、どの組も街路まではみ出したまま並べている。【写真2 上組見返し『一寸法師』前夜祭にて】
青瓦に黒の漆喰・金の彫り物でごてごてと仕上げた大阪城、五右衛門を捕らえようとまばゆい鎧姿で天を仰ぐ豊臣の武将たち、無数の電球を照らして表現する鯱のヒスイの目玉、…人形それぞれがしっかりと作りこまれ、この人形数・この規模でこそ豪華に仕上がる一作となった。この山車が見られたので、まずは久慈に来てよかったと思った。各山車自作間もない雰囲気がなく、大変立派であった。
久慈秋祭りは、「県北最大」の名に恥じないスケールと素朴な繁華の秋祭りの雰囲気の双方を味わえる、極めて魅力的なイベントといえる。 【写真7 自町に帰る巽町組『里見八犬伝』】
前日(9月第3木曜日) 午後6時半から駅前前夜祭
初日(9月第3金曜日) 午後4時よりお通り(目抜き通り夜間パレード/先頭の山車は日中・最後尾の山車は夜間運行となる)
中日(9月第3土曜日) 午後から郷土芸能大パレード
終日(9月第3日曜日) 午後2時からお還り(目抜き通り日中パレード)
平成15年
(借り上げ期) 平成20年
平成22年
平成23年
(過半が前年の微調整)平成24年
平成25年
平成26年
中組
孫悟空
国性爺/紅流し
スーパー歌舞伎・京劇 龍王/孫悟空
スーパー歌舞伎・京劇 龍王/孫悟空
水滸伝/京劇 二将軍
諸葛孔明南蛮王孟獲捕らえ/京劇の関羽
関羽/孟獲
上組
倶利伽羅峠
大般若/鶴の恩返し
景清/浦島太郎
七ツ面/桃太郎
七つ面と三社の神/一寸法師
紅葉狩/金太郎
船弁慶/かぐや姫
新町組
かぐや姫
新桃太郎/鳥獣戯画
夏井大梵天神楽/悪鬼祓い
夏井大梵天神楽/桃太郎
日本振袖始/復興祈願(神主・権現様)
道成寺/夏井大梵天神楽
鳴神/牛島弁天
巽町組
鎮西八郎為朝/常盤御前
石川五右衛門大阪城参上 鯱の翡翠の眼を盗む/五右衛門の釜茹で
南総里見八犬伝/芳流閣の場
南総里見八犬伝/犬江親兵衛虎退治
頼光四天王鬼退治/土蜘蛛
三国志虎牢関/京劇の呂布
水滸伝/張順の水門破り
本町組
陰陽師/雷神の道真 清涼殿に雷を落とす
飛龍伝説 義経蝦夷渡海/戦国自衛隊
北の関ヶ原/若菜姫
北の関ヶ原/羽衣
かぐや姫/直江兼続
かぐや姫の帰還、月の民の宴会/加藤清正虎退治
安倍晴明/かぐや姫
め組
加藤清正虎退治/こち亀
三国志/ヤッターマン
里見八犬伝/カリオストロの城
加藤清正虎退治/ワンピース
平清盛海賊討伐/ワンピース
一ノ谷の戦い/アンパンマン・潮騒のメモリーズ
碇知盛/妖怪ウォッチ
備前組
(覚えていない)
津軽為信/鷹と蛇
九戸城落城 奥方衆の自決/平庭闘牛
久慈城主復興祈願/浦嶋太郎
侍と化け猫/久慈渓流に熊
九戸政実/化け猫
雅楽の宴/騎馬武者
に組
三国志 南蛮王孟獲
亀の恩返し/北限の海女
政宗と真田幸村の戦い/金太郎
アテルイ/恵比寿様
写楽/桃太郎
連獅子と文殊四尊/海女
姫路城 天守物語/勝海舟
◎各山車組のデータ・印象
→お通り・お帰りはおおむね以下の順番で山車が通りますが、「当番組」が初日の先頭・最終日の最後尾に来るように調整されます。
初自作は平成20年、『桃太郎』は大きな鬼の顔をたくさん飾って怖いくらいの迫力を出した。見返しにかえると相撲を取るうさぎを飾って『鳥獣戯画』という発想が面白かった。
平成22年は地元の民俗芸能『夏井大梵天神楽』を題材に取り上げ、御神楽や岩戸舞などを舞台に効果的に配置、開き方を工夫しながら様々な姿を観客に見せ、飽きのこない運行を行った。【写真 『道成寺』部分】
平成20年の山車は、戦車と騎馬武者をコラボさせた見返し『戦国自衛隊』が面白い。表はキリンがそれぞれ煙を吐く、なかなか凄味のある風貌であった。
コロナ禍以降は休止。
平成20年の『石川五右衛門』は、立派な大阪城を作り、加藤清正など豊臣配下の豪華な鎧武者をたくさん配した豪華版。八戸流でしか出せない華やかな場面で、無駄のない秀作であった。
平成24年は津波災害という「鬼」を退治しようとの気概を込めて『源頼光四天王大江山鬼退治』を製作、従来の八戸型の鬼面と絶妙な解釈を加えた巽町の鬼面とを織り交ぜ、迫力満点に仕上げた。NHK朝ドラ「あまちゃん」(平成25年上半期)にも、非常に効果的な演出の元で登場している。【写真 『里見八犬伝 犬士揃い踏み』】
久慈東高校のある門前から市街に向けて山車を出すが、初日の戻りの際は照明を全て落として小屋まで帰ってきた。そういう場合でも、お囃子は止めないようである。
組の名は当地を治めていた戦国大名に由来し、演題も地元の歴史に絞って自前で作る。参加当初は八戸型のせり上げを嫌って古風でも一目でわかるような山車作りを目指していたため、起き上がりなどをあまり使わず他より小ぶりな印象があった。平成20年に台車を改修し、以降他の組と同じような大きく広がる山車にした。祝儀返礼の手拭いに、当地では唯一当年の山車の簡略図を入れている。山車を彩る造花は、和紙で作った古風なものが多い。
『津軽為信』は久慈出身説に基づいて山車に上げたが、この際脇役としてピンクイルカや直江兼続を添えた。
平成16年に『義経八艘飛び』で八戸レベルの大きさの山車を初自作。台車部分の化粧幕をはじめ、全体に黄色をテーマカラーとした山車が多い。平成20年の『亀の恩返し』は、ところどころにちりばめられた狐のモチーフに動きがあり、竜の角にはきらきらとラメが入っていた。斬新で効果的な工夫であった。平成24年は「日本初」と自負する珍しい趣向『写楽』を山車に採り上げ、歌舞伎役者・花魁・正月風物などをちりばめた中に浮世絵師東州斎写楽の名作を数々並べた、奇想天外魅力たっぷりの作品に仕上げた。【写真 『東洲斎写楽』】
平成20年の『和藤内』は全体的に造りが粗く魅力的な表情も少ない印象があったが、トラに添えられた笹の葉が綺麗にカールしていて立体的であった。平成22・23年は京劇の一景を山車とし、衣装等非常に見所のある豪華な山車とした。
三国志や西遊記など中国物の演題を好む山車組である。【写真 『国性爺』】
平成20年の『大般若』は山車に現れている構想と三蔵法師が大般若経を授かる物語とがよくつながらない山車だったが、鬼女がたくさんいる凄味は感じた。平成22年は歌舞伎の景清牢やぶりを製作、景清の信仰する観音菩薩と眷属を添え、回転部には阿古屋太夫と3種の弦楽器を飾った。翌年はこの趣向の多くを活かしつつ、景清が面打ち師に化けて頼朝を討とうとする『七ツ面』を飾った。
八戸の山車の持ちこみ?じゃあまったく八戸の三社大祭と変わらんじゃないか…と思われる方も多いかもしれません。実際私もそう思っていた一人なのですが、実際お祭りを眼にしてみて、かなり違った雰囲気を感じることが出来ました。
私が見に行ったのはお帰りの日。最終日の日程は、午後2時から巽山神社の門前、本町を起点に山車行列がスタートします。午前中はそれに先駆けて、駅方面に向けて各組の山車が駅前付近を自由運行するわけです。といっても、山車の運行としては自由な門付けはほとんどなく、寄付もらいはもっぱら若衆の音頭上げ廻りで行われています。久慈のお祭りが八戸と違うところの第一は、この「音頭の珍重」にあります。八戸のお祭りでは、音頭上げを全くといっていいほど耳にする事がないのですが、久慈では山車の運行前から町のいたるところで音頭の上げ廻りが行われ、また山車の運行中も頻繁に音頭が上がります。音頭の節は盛岡周辺のものにかなり近く(これは八戸市の音頭も同様です)、歌詞は組誉めの一曲のみで、実行委員会発行のパンフレットには山車の見取り図の横に必ず書かれてあります。組誉め以外の曲、長歌の形式をとって演題を読み上げるものもいくつかはありました。軽米町で耳にしたものに似ているような気がします。とにかく久慈のお祭りの聞きどころは音頭。山車を見せるメインであるせり上げも、必ず山車を止めて、進行中の囃子でない囃子を何種類か披露し、それに続く音頭を背にする形で行われます。これは、山車を開いて見せるのが祝儀への御礼といったような元もとの山車を見せるあり方に通じるものでしょうか。八戸の山車運行ももともとはこうでなかったか、久慈の山車を見ていて自然と想像させられました。
進行中のお囃子は、大太鼓・小太鼓のリズムは南部流のものにかなり近く、これに供される笛のメロディーは八戸のものとはまったく違う、久慈独自のものでそた。軽米や大野、普代など八戸持ち込みの山車祭りとの関連が気になるところです。せり上げの時の山車を止めるお囃子は、八戸には見られないものであり、その中の一曲は、なんだか本当に幸せそうな感じを伝えるものでありました。お祭りに望む久慈の皆さんのの思い入れを感じさせてくれます。
久慈秋祭りに見られる山車の惹きまわしの作法は、八戸系の山車を本当にじっくりと楽しませてくれる珠玉のものであり、お帰りパレードはお昼の2時にスタートし、たっぷり3時間、午後5時までゆっくりと町内目抜き通りを運行しています。久慈の市役所が繰り出す神輿は人形神輿で、これは毎年趣向を変えるものです。これもまた、山車と同じ楽しさを提供してくれる祭りの目玉といえるでしょう。
唯ひとつ、久慈のお祭りの望ましくない点を上げるとすれば、約2ヶ月を経た八戸山車の節々に著しい落剥が見られることで、塗装の剥げは言うまでもなく、人形の破損と材料の露出、装飾の破損などに改修を加えられず、そのまま運行されてしまっているという実情です。これは山車をじっくり見せる久慈の運行形式だからこそ余計に目立ってしまう事で、貸出先借入先双方からの努力が求められるのかもしれません。その意味で、自作を手がけるめ組、備前組には努力の成果がきっちり主張できる余地が残されているともいえましょう。
いずれ久慈のお祭りは、県北最大の名に恥じないスケールと、新嘗祭の素朴な雰囲気双方の魅力に酔えるよいイベントでした。(平成15年執筆/写真@本町組『北野天神縁起』A本町組の先立ち)
※当時の各組の借入先:新町組(塩町山車組)・本町組(吹上山車組)・巽町組(廿六日町)・に組(十一日町龍組)・上組(売市付け祭り組)・中組(類家山車組)・め組(自作)・備前組(自作)
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