令和六年川口豊城稲荷神社祭典山車


《9月第4週の悲劇》
 20日は快晴であった。問題はその後の2日間で、ひどい雨降りだった。当地川口の山車は運行中止、隣の滝沢巣子も山車は翌日午後まで小屋を出ず、北隣の葛巻では両日出はしたが、過酷な運行に終始した。久慈の山車はお通りは全開、お還りは一切仕掛けを開かずの運行だったという。…私は土沢の山車小屋を巡り、その後遠野に出掛け、ずぶ濡れのカッパ姿で踊る獅子踊りや田植踊り、山口さんさ踊りに涙した。そうした遠野芸能の情熱さえ押し流すほど、9月第4週の雨は激しかった。
 子供の頃、こうした天候に泣かされたことが何度も何度もあった。不思議なもので、そういう悪環境で、雨だれだらけのビニール越しに薄曇りのライトアップで見た山車のことを、未だによく覚えている。なぜか皆、ひどく上出来であったような気がする。
 神の恵みで嵐をよけて、恵み豊かな3日目の川口秋まつり。予定通りにいったのは、この一日のみであった。ゆったりした時の流れがココロに、体に、穏やかに染みわたっていく。祭りを3日開催とした先人の智慧に敬服し、深く感謝した。

 



五 條 / 静御前 下町山道組

朧月夜の五條の橋で 牛若弁慶巡り合う(岩手県岩手郡岩手町川口豊城稲荷神社例大祭組山車 令和六年九月)

舞い跳ぶ牛若 薙刀交わす 五條の橋に 走る風
(見返し)愛しき義経 想いをうたい 舞うや静の 美しさ

※南部流風流山車の『五條大橋』
※川口秋まつり平成25年



歌に残した静の想い 義経慕い舞い踊る(岩手県岩手郡岩手町川口豊城稲荷神社例大祭組山車 令和六年九月)

 シーズンを通して良い人形というか、”きちんとした盛岡の山車人形”と感じたのは、盛岡の八重垣姫とこの山車の弁慶だった。対する牛若も十分に端正だが、それでもこの弁慶と並ぶと違和感が生まれる程だ。
 弁慶が大きく沈み、牛若は大胆に飛び、その狭間にきちんと見所が作られている。橋など前回と比べて挑戦は無いが、ゆえに定例的な作り方の効果がわかる。弁慶の背に咲く七つ道具の並びもそうである。近くからも遠くからも、非常に良い山車に見えた。ただ、牛若の作風(顔の作り方)が弁慶と合わず、視線も弁慶を捉えていない。位置的には目線を通すだけが正解ではないが、ひと工夫する余地はあった。
 静御前は写真で見ると脚が長すぎるのだが、実物は違和感なく、スマートで綺麗だった。他の組にも共通する話だが、川口の山車ばやしはいつも乱れが無くて、聞いていて厳粛な気持ちになる。






清水一学 / 園井恵子 井   組

仇討ち成りて師走の江戸は 朝日に映える泉岳寺(岩手県岩手郡岩手町川口豊城稲荷神社例大祭組山車 令和六年九月)

赤穂浪士の 討ち入りなるぞ 鳴れや響けや 陣太鼓
四十七士は 桜と咲けど 清水一学 室の梅

※南部流風流山車の『清水一角』


瀬戸の尾道囃子に浮かれ 心も踊る鞆の浦(岩手県岩手郡岩手町川口豊城稲荷神社例大祭組山車 令和六年九月)清水一学冴えたる太刀も 力尽きたる松の雪(岩手県岩手郡岩手町川口豊城稲荷神社例大祭組山車 令和六年九月)

 採題にあたり1990年以来、否もっともっと長く眠っていた清水一角の良き音頭が次々に上がった。字面で見てもわかりきれない良さがいくつも在って、文言ひとつひとつが胸に迫ってきた。なるほどと思わされた。こうした宝が盛岡山車にはたくさん眠っている、だから作例を温め記録を積むことは尊いのだ。
 もちろん、赤穂浪士はもっときちんとした人形であるべきだし、せめて矛盾の無い体型でいてほしい。刀の設えには実は鎧武者でないほうが目が行くため、こだわる余地はまだ在った。橋はあったほうがいいし、雪も描いてほしいし、二刀の一方が槍先を捉えるか、あるいは諦めるならもっと自在に空を待っていてほしかった。古写真一本からの構想だと、こうした理想やモノガタリは生まれにくいのだと気付いた。
 そうした物足りなさを乗り越えて、清水一学は確かに堅実に、川口の路上に立っていた。それが私には、たまらなく嬉しかった。






真田幸村 / 幸村の妻 み   組

岩手県岩手郡岩手町川口豊城稲荷神社祭典山車 令和六年九月

武勇とどろく 智将の真田 日本一と 名を残す
智勇優れし 幸村なれど 運命は憐れ 夏の陣

※南部流風流山車の真田幸村
※平成28年の川口秋まつり

 

岩手県岩手郡岩手町川口豊城稲荷神社祭典山車 令和六年九月


 表は大河ドラマ「真田丸」の年に取り組まれた趣向の再構成で、思えばこの年からみ組の山車人形は現在のような姿に一変した。当時は馬が不自然だったが、今回は改善された。その改善は、人物までは及ばなかった。
 印象深いのは見返しの佇まいである。マネキンの立ち方そのままであるのに、それが場面としてきちんと活きている。高さもばっちりで、当地当組ならではの「境地」とも感じた。前回は「竹林院」・今回は「あき姫」で、いずれも聞き慣れないが幸村の妻の名だという。



 …お気付きだろうか。今回は上から薄暮・夕刻・夜の山車の姿を並べてみた。同行した知人は行列が解散したのでマツリ終了と思い、川口を後にした。止めたりはしないけれど、長く見てきた私はそこから先がマツリの本領だと知っていた。
 上記の如く当年は、当地にとってやりきれない2日間であり、その凝集・皺寄せが3日目を襲う可能性もあった。しかし実際、川口は夜の自由運行・地元廻りを守った。それこそが令和6年9月23日の尊さだと、私は思ったのだ。


※各組歴代作例



写真・文責:山屋賢一(やまや けんいち)/連絡先:sutekinaomaturi@outlook.com
岩手県岩手郡岩手町川口 令和6年9月23日(月・祝)

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