令和六年川口豊城稲荷神社祭典山車
シーズンを通して良い人形というか、”きちんとした盛岡の山車人形”と感じたのは、盛岡の八重垣姫とこの山車の弁慶だった。対する牛若も十分に端正だが、それでもこの弁慶と並ぶと違和感が生まれる程だ。
採題にあたり1990年以来、否もっともっと長く眠っていた清水一角の良き音頭が次々に上がった。字面で見てもわかりきれない良さがいくつも在って、文言ひとつひとつが胸に迫ってきた。なるほどと思わされた。こうした宝が盛岡山車にはたくさん眠っている、だから作例を温め記録を積むことは尊いのだ。
舞い跳ぶ牛若 薙刀交わす 五條の橋に 走る風
(見返し)愛しき義経 想いをうたい 舞うや静の 美しさ
弁慶が大きく沈み、牛若は大胆に飛び、その狭間にきちんと見所が作られている。橋など前回と比べて挑戦は無いが、ゆえに定例的な作り方の効果がわかる。弁慶の背に咲く七つ道具の並びもそうである。近くからも遠くからも、非常に良い山車に見えた。ただ、牛若の作風(顔の作り方)が弁慶と合わず、視線も弁慶を捉えていない。位置的には目線を通すだけが正解ではないが、ひと工夫する余地はあった。
静御前は写真で見ると脚が長すぎるのだが、実物は違和感なく、スマートで綺麗だった。他の組にも共通する話だが、川口の山車ばやしはいつも乱れが無くて、聞いていて厳粛な気持ちになる。
赤穂浪士の 討ち入りなるぞ 鳴れや響けや 陣太鼓
四十七士は 桜と咲けど 清水一学 室の梅
もちろん、赤穂浪士はもっときちんとした人形であるべきだし、せめて矛盾の無い体型でいてほしい。刀の設えには実は鎧武者でないほうが目が行くため、こだわる余地はまだ在った。橋はあったほうがいいし、雪も描いてほしいし、二刀の一方が槍先を捉えるか、あるいは諦めるならもっと自在に空を待っていてほしかった。古写真一本からの構想だと、こうした理想やモノガタリは生まれにくいのだと気付いた。
そうした物足りなさを乗り越えて、清水一学は確かに堅実に、川口の路上に立っていた。それが私には、たまらなく嬉しかった。
武勇とどろく 智将の真田 日本一と 名を残す
智勇優れし 幸村なれど 運命は憐れ 夏の陣
表は大河ドラマ「真田丸」の年に取り組まれた趣向の再構成で、思えばこの年からみ組の山車人形は現在のような姿に一変した。当時は馬が不自然だったが、今回は改善された。その改善は、人物までは及ばなかった。
印象深いのは見返しの佇まいである。マネキンの立ち方そのままであるのに、それが場面としてきちんと活きている。高さもばっちりで、当地当組ならではの「境地」とも感じた。前回は「竹林院」・今回は「あき姫」で、いずれも聞き慣れないが幸村の妻の名だという。
…お気付きだろうか。今回は上から薄暮・夕刻・夜の山車の姿を並べてみた。同行した知人は行列が解散したのでマツリ終了と思い、川口を後にした。止めたりはしないけれど、長く見てきた私はそこから先がマツリの本領だと知っていた。
上記の如く当年は、当地にとってやりきれない2日間であり、その凝集・皺寄せが3日目を襲う可能性もあった。しかし実際、川口は夜の自由運行・地元廻りを守った。それこそが令和6年9月23日の尊さだと、私は思ったのだ。
写真・文責:山屋賢一(やまや けんいち)/連絡先:sutekinaomaturi@outlook.com
岩手県岩手郡岩手町川口 令和6年9月23日(月・祝)
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