八坂神社稲荷神社例大祭一戸まつり2024
※南部流風流山車の火消しもの 【題紹介】 ※日詰まつり平成元年下組山車『一心太助』 【題紹介】
【題紹介】
秋の祭りに 引き出す山車は 粋な火消しの 纏持ち
人のためなら 水火も辞せず 飛び込む火消しの 勇ましさ
※盛岡市 南部火消し伝統保存会山車(令和3年10月)
上町組ではかつて、『纏一代』という人形が二つ高屋根に乗る独特の火消しものを出したそうだが、今回は外連味一切無しの『南部火消し』を飾り、消防団の統合を祝った。野狐三次でも新門辰五郎でも日本銀次でもないところに、この題の変遷が奇しくも見えた。統合先の来田(らいでん)の神楽(郷土芸能)は祭り行列の露払い、沿道で高々と竪杵を投げ上げ、受け止め、キリリと構えてみせる。背景にかかるのは、町の郷土芸能祭で張られる神楽・七つ物・鹿踊り共通の化粧幕。
貸出先では纏の頭が変わり、見返しは衣装を着せ替えられ、青空背景の『茶屋場えんぶり』となった。
シンプルな構成の一つ一つが見どころとしてきちんと光る、不思議な山車であった。例年になくスラリとした等身、大胆に片方に寄せた配置、背景にのぞく火の効果、側面に現れる屋根の丹精、作為無く自然にふわりとする纏、踊り人形の手の形・凛々しい顔…、実は一番長く眺めた山車はこれである。
夜間照明に照らされる人形の顔に、いつになくハレの日を思った。
声と節とは 西法寺組よ 聞かれ南部の 木遣り節
見るも勇まし 清正公の 異国の陣の 虎退治
【題紹介】
西法寺組が山車人形を自作し始めたのは平成2年で、以来3度、この清正虎退治を飾っている。初回は沼宮内から盛岡進出を果たした新町組の真に迫る虎を研究、その形が本作にも引き継がれ、さらに今回は清正を馬上の人とすることで豪華さを増した。
バランスよく仕上がった一台で、この構図の清正を完成させた感がある。虎にも馬にも清正にも十分に存在感があり、色味もうまく散っていて見やすい。動作も自然で違和感なく、見返しでは扇の使いようが変化のある景色を作った。
口髭がもっとはっきり付けば尚良い。見返しでいえば眉である。隣町(小鳥谷)で同趣向が出た翌年の登場というのが少々気にはかかった。
持って生まれた 義侠の肩に 揺れる大鯛 陽に映える
男一疋 彦左を乗せて 行くは江戸城 たらい駕籠
※日詰まつり平成21年一番組作『お七』
大久保彦左衛門はその昔、大坂夏の陣で真田幸村の槍にかかりかけた主・東照大権現(徳川家康)を身を挺して守った剛の者である。生来の武骨と無欲のために生涯旗本身分にとどまり、家康の孫・家光の代まで徳川に仕えて歯に衣着せぬ物言いを貫き「天下のご意見番」と頼られた。魚屋の一心太助はもとはこの彦左衛門の草履取りで、旗本以下の登城において駕籠の使用を禁じる幕府の触書が出た際、憤った彦左衛門を商売道具の魚を乗せる盥に上げて江戸城まで送ったという。太助もまた、彦左衛門に劣らぬ快活で一本気な江戸っ子であった。
待ちに待った題材であり、鯛の赤・太助の法被の濃紺に彦左衛門の裃の色…三位一体、心地よく華やかで派手過ぎず、滑稽味と意気地の良さ・物語の面白みが舞台の上で巧みに響き合っている。こうした題材を採りうる余地こそが一戸山車の魅力であり、可能性の重要な核なのだと思う。鉢巻の着け方ひとつ取っても、火消しと魚屋で違いが出た。
課題は天秤棒の位置に縛られたゆえの動きの無さ・そうした環境下で悪目立ちした手の形か。絵紙は実物を手元にするとだいぶ良いが、手前に伸ばした手のひらを大きく描くなどイラスト化が気になる。見返し『八百屋お七』は周年展の資料や日詰での見聞が活き、良き角度をいくつも見せた秀作だったが、着物やいでたちでやや大人の女に見えたのが惜しい。…一番大きな私の嘆きは、赤枠の白看板がいよいよ本格的に失われてしまったことである。
昭和・平成の音頭は「江戸は春風(はるかぜ)、たらい駕籠」。当時小学生だった私にこの良さを味わいうる学が無かったのが悔しい。
毛剃九右衛門 舳に立ちて まさかり高く 敵を討つ
あらくれ海賊 かしらの毛剃 龍の衣で にらみ差す
毛剃九右衛門は近松門左衛門作の江戸時代の歌舞伎の山車で、一戸では戦前に本組・戦後に橋中組が出しており、昭和50年代に同じ構図から歴史物『藤原純友』が生まれた。今回の野田組の山車はこの純友の山車絵を再度毛剃に戻し、芝居のいでたちそのままを再現するのでなく当地当組ならではの様々な工夫を入れて作った。
船端に抜き身の刀が複数突き立っているのがだいぶ良く、髪をきちんと作って歌舞伎風の鬢を付けたのもよい。赤の肌着には毛剃らしい龍や雲が躍っている。
踏み出した足が活きるには目線は正面でなく、とは思った。牛若は橋がある分、もう少しだけ高く跳ねてほしい気がする。音頭は例年になく祝いの歌詞中心で、夜間運行出発前の一戸駅でようやっと、上記上段の歌詞が聞けた。
…これが純友として出たとしたら、嬉しさ一塩であったなとは思う。それが一戸山車なりの、広さであるからだ。
智勇備えし なおしげ公が 紫電一閃 虎を突く
(見返し)白磁の器に 思いを託し 今に伝える 李参平
【題紹介】
盛岡山車初登場の題材、加藤清正とともに朝鮮で虎狩りをし秀吉にその皮を献上した武将で、江戸時代に肥前(現・佐賀県)鍋島藩の藩祖となった。彼が朝鮮から連れ帰った陶工が日本で初めて磁器を焼き、世界に誇る古伊万里(こいまり)・有田焼として現在に至る。貸出先の葛巻町では「軍師直茂、唐御陣(からごじん)」と音頭が上がった。
虎の作り方が非常に面白く今までに無く、顔も端正・配置も上手い。虎と竹の色味が心地よく、槍を片手にした直茂の体勢にも勇みがある。白磁を捧げた陶工もいかにもという顔付きであり、いでたちであった。
藤が付いてバランスが取れたものの、武者の位置はもう少し高くしたいし、高ければ勢いはよりよく伝わると思う。あるいは槍の向く先を、もっと大胆に変えたい。…要は、清正虎退治ともっともっと差別化したいのである。久々の新演題ではあったが、山車に採る逸話として弱さ否めず…。
見返しの題には朝鮮の名でなく、和名の『金ヶ江(かねがえ)三兵衛』が使われた。同場面取材の縁か、2日目のお通りでは清正の直後に直茂の山車が続いた。
写真・文責:山屋賢一(やまや けんいち)/連絡先:sutekinaomaturi@outlook.com
岩手県二戸郡一戸町 令和6年8月24日(土)
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