青森県弘前市 弘前ねぷた祭り

〜永遠に再生産され続ける、創意豊かな武者絵物語〜

 

盛岡山車と共通演題1『村上義光』

 …青森はねぶた、弘前ではねぷたと呼ぶ。青森は立体・弘前は平面の武者絵で、青森のラッセーラに対し、弘前はヤーヤドーと騒ぐ。…このように、双方個性を訴えながら当地なりのやり方を残してきた。それは青森・弘前に限ったことでなく、津軽全域がねぶたの「個性」を誇って魅力としてきた。私のような外部からの観光客にとって、それらは当地ならではの面白さになる。

 弘前市のねぶたは通称「火扇」という。なるほど大きな扇子の形だと思うと、炎天の夏祭りに一抹の涼風を覚えないでもない。扇形の行灯の正面には勇壮な武者絵、背面には優美な美人画と創意を凝らした背景が見える。台座は華麗な牡丹の柄に彩られ、大型であれば折り曲げの仕掛けが有って狭い路で4〜5メートル程に縮み、広い通りでは8〜10メートルほどに膨らむ。扇の上も折れるようになっている。弘前ねぶたは高い。しかも、バランス良く高い。扇の両端には紐がついていて、曳き手が握って周りを走り、ねぶたを回す。近くで見ると大迫力だが、遠目に見ると何とも軽やかに回っている。このあたりも「火扇」らしく、実に涼やかだ。
 全体で70台を超える出陣数で、さらに「前ねぷた」や余興(抜刀術とかなんとか)が加わって、いつ終わるとも知れぬ長い長い行列が続く。
 楽しみ方は「じっくり」ではない。その点、山車祭りとはだいぶ異なる。どのねぶたも一瞬の「風」を残して早々と過ぎていく。写真など撮っていたら、途端に見所を失ってしまう早さだ。だから津軽の人は、写真屋からねぶたのスナップを買って残しておく。黒石ではいまだにどの写真屋も、少し前までは弘前でも多くの写真屋がバラのねぶた写真を売っていた。出陣前の全部のねぶたを載せたガイドブックも出ている。題材も、明示しないのが主流と思ってよい。たまに前あんどんや太鼓台に示されることもあるが、示し方が一定でないことがそもそも示すこと自体を曖昧にしている。そのような早さ・多さで披露されるねぶた絵のどれもが、例えば一枚居酒屋に飾られただけでその場を圧倒するような芸術品である。ねぶた祭りは実に贅沢で、風流な催しなのである。

盛岡山車と共通演題2『里見八犬伝芳流閣の場』

 弘前ねぶたの囃子はスローペースで勇壮でなく、むしろのどかで物悲しい。これが「やあやどお」の掛け声で一気に勇ましさを帯びる。字面からは想像しかねるイントネーションがあって、やはりねぶたは勇ましいものなのだと思い直した。

 青森と同様、専門の絵師がねぶたを描く。表を鏡絵(かがみえ)といい、裏側を送り絵といって、表裏でそれぞれ動と静の風情を表す。鏡絵の絵柄は主に中国の歴史、特にも三国志と水滸伝が多い。扇面の上のカーブと中国鎧の丸い線が良く合うのだという。江戸時代に侍達が参勤交代から持ち帰った都会の絵草紙に由来するというが、長い年月を経るうちに、はじめは浮世絵の模写に近い画風であったものが現在のように闊達になった。今でもたまに、例えば国芳の錦絵そっくりの花和尚が出て来たりもする。
 「名作」といわれる構図が年月を経て再構成される一方、画題の枠内で常に新たな奇抜な発想を探る動きもあり、画題そのものを奇抜なところに求めるところもある。定番は三国志の『関羽』『趙雲』、水滸伝の『花和尚』『九紋龍』、日本史では『源三位の鵺退治』『牛若弁慶』『義経八艘飛び』『川中島』『加藤清正』、当地弘前城主の『津軽為信』は錫杖を前立てにした黒い兜が印象深い。度肝を抜かれた題材として、血だらけの北畠顕家や『耳無し芳一』『南都焼き討ちの平重衡』『熱病に苦しむ平清盛』などがあった。五条の橋の背景に平清盛の頭を描いて『主従の出会いを憂慮』などとした趣向も面白かった。稀に仏画も表裏や袖に入るが、手のたくさんある明王系の仏が多い。
 送り絵は一般には『唐美人』、鏡絵に関連して水滸伝なら『一丈青』、また生首を下げた『地獄太夫』・女盗賊の『鬼人のお松』など血を好む残酷な絵柄が入ることもある。全面に絵柄を展開する鏡絵と違い、送り絵は美人画を扇の中央の長方形のくぼみのみに収め、周囲の「袖」と呼ばれる部分を様々な趣向で彩る。鏡とも送りとも無関係な柄、鏡絵に絡めた趣向、送り絵の物理的・ないし精神的な背景となる柄もある。『清姫』の袖が真っ赤な配色に割れた小面・その奥に般若面・僧のドクロにとぐろを巻く蛇…というのは凄味があった。地元では、表よりも送り絵にねぷたの「華」を見るらしい。
 熱して液状にした蝋を紙に塗って、灯りの通し方を調整する。着物の模様は蝋の打点で華やかに描く。或る『張順の水門破り』のねぶたに幾筋か蝋引きされた水の白線が下りていて、本当に水が流れているような涼を感じたことがある。蝋には墨が水に流れるのを防ぐ役割もあり、雨天に出しても墨描きの部分は殆ど乱れることがない。

送り絵『袈裟御前』(鏡絵は『那智の滝』、文覚と不動明王)

 人形型のねぶたを弘前では「組みねぷた」と称する。こちらの方が、より古いねぶたの形という。町内会や素人同好会による作品が多く、青森や黒石ほどの高い技術は見られない。比較的大きい電球が入って行灯らしいまばらな明るさになり、ゆっくりと回る姿は風情がある。折り曲げ等の工夫でかなりの高さに及ぶ「組みねぷた」もあり、それは五所川原とは違ったバランスの巨大化であった。

 行列の最後には『本日終了』の手持ち灯篭。小屋は各町内に分散していて、帰る道すがら囃す『帰り拍子』は運行のお囃子より華やかで激しい。合同運行に並行して個別に町内を回る例もあるらしく、細かな移動の際にも必ず進行囃しが奏される(人形ねぶた諸行事では稀なこと)。



組ねぶたを集めた展示(弘前駅付近)

 弘前は津軽藩の城下町、藩政期は港町であった青森市よりずっと都会であったはずだ。だから現在の青森と弘前のねぶたを比べたとき、圧倒的に青森のほうが都会風であるのは面白い。青森ねぶたには無い「地元が楽しむ余地」のようなものが、弘前には充分残っている気がする。

 初めて見に行った年は、駅前の合同運行を見た。弘前駅の灯りを背景に次々ねぶたが通っていく非日常が良かった。2回目は、土手町という昔からの繁華街で見た。少しくすんだような土手町の明かりがねぶたの明かりを良く包み、圧倒的な風情を感じた。いずれも捨てがたいが、私は土手町が好みである。



文責:山屋 賢一

(写真:@ADは現地購入品、BCは山屋撮影)

@AD 文中で触れた「写真屋で買ったバラ売りのねぶた写真」から、『村上義光』『里見八犬伝』…と、盛岡山車と共通する題材のものを選んだ。これらは単発もので、長らく引き継がれる絵柄ではないように思われる。最後の『畠山重忠』は隣町の黒石の扇ねぶたで、弘前と若干異なる画風である。
B送り絵の『袈裟御前』、横恋慕され夫の身代わりになって殺される女性で、夫を装うために黒髪を切っている姿。傍らの煙は供養の線香か。
C組ねぶたのみを1カ所に集めて終日展示していた(祭典期間中1日限定)。夜も運行無しで、このまま点灯する。題材は左から『宝船』『水滸伝』『地震鯰』で、水滸伝は伸縮の仕掛け付き。

※私が見に行ったねぶた祭り一覧

黒石ねぶた『畠山重忠』
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送