令和六年志賀理和気神社祭典山車


◎日詰の子供たちへ
岩手県紫波郡紫波町日詰志賀理和気神社例大祭令和六年九月

はじめに
 日詰まつりの山車は毎年作り替えるものなので、今年の人形趣向は今年だけ・来年はもう見られません。物語や由来を知って、大事に楽しみましょう。

【上組の山車のこと】
 碁盤忠信は盛岡地方の代表的な歌舞伎山車の題材で、佐藤四郎忠信という武将の武勇伝を扱っています。忠信は源義経の家来で、奥州平泉の出身です。義経の鎧を着て身代わりとなって敵襲を引き受けた時、重い碁盤(囲碁や将棋の道具)を片手で振り回して戦ったという逸話から“碁盤忠信”の威名(名誉な名前)が付きました。
 歌舞伎では荒事という独特の表現で碁盤忠信の勇敢さを見せていますが、このうち顔に入っている赤い隈取は血管の拡張する血気盛んな様子を、髪が横に突き出たり前にだらりと垂れているのも、忠信の荒武者ぶりを表しています。日詰まつりには元々ある盛岡の構図でない、創意・個性のある碁盤忠信の山車がたびたび登場しています。

【一番組の山車のこと】
 夏祭浪花鑑は歌舞伎・浄瑠璃の名作のひとつですが、殺人の場面を見どころとするお芝居だからか、山車に取り上げた例は日詰の一番組以外ありません。主人公の団七は全身に赤と青の刺青が入っており、大阪の夏祭りの日の夕暮れ時、彼が泥だらけになりながら義父を殺し「悪い人でも舅(しゅうと)は親だ…」と嘆く場面が有名です。
 今回の山車はその後の場面で、団七が梯子に上がって捕り方(罪人を捕まえる人)と華やかに立ち回りを演じており、眉間には義父に付けられた赤い傷跡が見えます。
 見返しは歌舞伎十八番のひとつ 外郎売で、外郎とは喉の薬のことです。人目を惹く派手ないでたちで現れた外郎売が、薬がよく効くとの宣伝で早口言葉を披露します。

岩手県紫波郡紫波町日詰志賀理和気神社例大祭令和六年九月【橋本組の山車のこと】
 江戸時代に書かれた「菅原伝授手習鑑」というお芝居の、いちばん華やかな「車引き」の場面を取り上げています。大きな牛車(牛が引く、貴族の乗り物)が舞台の半分くらいを占め、その横の赤い着物を着た人物が主役の梅王丸で、彼の仇(かたき)(敵)が牛車に乗っているので、それを止めているのが山車の場面です。「梅」王丸なので着物には梅の花の柄が入っており、腰回りのどてら(上着)の模様は「童子格子」といって、二本筋の隈取とともに梅王丸の若々しさを表しています。腰には刀を3本差し、これも元気の良さ・強さの表れです。
 見返しは鯉太郎で、滝を逆さまに上って龍になろうとする大きな鯉と、それに跨る裸の男の子を飾っています。子供の健やかな成長を願う縁起の良い演し物です。

【下組の山車のこと】
 大久保彦左衛門はその昔、大坂の陣で真田幸村の槍にかかりかけた主・徳川家康を身を挺して守った立派な武士です。年を取ってからは相手が偉い人でも遠慮なく注意したり間違いを正したりしたので、「天下のご意見番」と皆から慕われました。この山車は、彦左衛門が江戸城に上がる場面を描いているのですが、乗っているのは魚屋さんが売り物を運ぶ木の盥(たらい)です。魚屋の一心太助は彦左衛門のもと家来で、「地位の低い侍は城に出向くとき駕籠(かご):乗り物)を使ってはダメだ」というお触れを幕府が出したとき、抗議しようと彦左衛門は、太助の盥に乗ってお城に行きました。運び役になった一心太助もまた、彦左衛門に負けないくらい快活で一本気な江戸っ子だったのです。
 八百屋お七も江戸時代の話で、恋人に会いたい一心で放火に手を染め、火あぶりになってしまう悲しい娘の物語です。山車では雪の降る中、火の見櫓に上がって太鼓を打とうとする、お七のお芝居では一番盛り上がる場面を取り上げています。

執筆:山屋 賢一(令和6年9月頒布)※原文はルビ付き

 



夏祭浪花鑑 / 外郎売 一 番 組

夏の盛りの祭りの裏に 義侠溢るる人模様(岩手県紫波郡紫波町日詰志賀理和気神社例大祭一番組山車令和六年九月)

浪花侠客 義侠のかがみ 背なで音聞く 夏祭り
(見返し)曽我の五郎が 外郎売に その身窶して 時を待つ

平成25年日詰まつり(見返しの夏祭浪花鑑)
平成30年日詰まつり(外郎売第一作)



富士に響くは外郎売の 音に聞こえし早言葉(岩手県紫波郡紫波町日詰志賀理和気神社例大祭一番組山車令和六年九月)岩手県紫波郡紫波町日詰志賀理和気神社例大祭令和六年九月


 題材を聞いて萎えたことは言うまでもないが、歌舞伎もの且つ裸人形という未曽有のジャンルであり、それをここまで整えた手腕に素直に舌を巻いた。歌舞伎ものならば、こういう出オチでも良いのだと思う。
 端正で、刀を背負う手つきとか梯子を掴む手つきとかは伝統的な盛岡人形の作り方では無理だし、かといって変にも見えず、隙の無い山車であった。片足は地面に在るのにちゃんと跳んで見えるし、跳び方にも効果が見える。梯子の電飾は、最終日の七色ネオンまで見て納得した。白塗りに白い着物は当初こそ見づらかったが、動けば腕と着物の裾とは別々に揺れるので気にならなくなった。「ら」は中村屋の「ら」だという。音頭歌詞は2つとも秀逸で、盛岡地方全域で稀に見る不作の中、絵紙はかなり健闘した。
 『外郎売』は再登場だが、曽我五郎だから寿曽我の手つきなのだろう。そういう見方が出来る人にも、そうでない人にも楽しめる形だ。
 団七の顔は、あれで捕り物の顔なのだろうかと思う。美しくはあるが、そういう緊迫感がない穏やかさだ。3日目の昼に石鳥谷に行って、富樫の顔と取り替えたいと思った。





一心太助 / 八百屋お七 下 組

岩手県紫波郡紫波町日詰志賀理和気神社例大祭下組山車令和六年九月岩手県紫波郡紫波町日詰志賀理和気神社例大祭下組山車令和六年九月

待つや久しき 実りの秋は 綱に取りつく 手も弾む
度胸啖呵に 男も惚れる 一心如鏡の 勇み肌

貸出元
平成元年の『一心太助』


 一戸では天秤棒がまっすぐで、他と比べて歴然と動きが無かった。下組での組み上げでまずそこが改善されたのは嬉しく、結構長く、人形だけ組まれた形を眺めていた(本当は盥をどう付けるかを見たかったが…)。
 彦左衛門の顔を縄が遮ってしまったのは残念だ。逆に言えば、それ以外は全部良かった。日詰ならではの緑のネオン・桃色のネオンも趣向に合っていて、たぶん小学一年生の時と同じだと思う。祭典後、『八百屋お七』の写真をほとんど撮れていないことに気付いた。それだけこの山車は、正面ばかりを何度も見ていた。
 パレードでは解説がかかった。この解説も素晴らしく、自分が書いた上の文面よりもずっと、場面が起き上がってくるものだった。動画撮影者よ、そういう部分をきちんと撮って呉れ(笑)。…それも含め、自分が憧れてきた下組の山車がはっきりと、日詰の町に戻ってくれた気がした。





車引き / 鯉太郎 橋 本 組

松の緑の治まる御代に 色香競える梅ざくら(岩手県紫波郡紫波町日詰志賀理和気神社例大祭橋本組山車令和六年九月)怪童坂田に挑みし滝を 登りて鯉は龍となり(岩手県紫波郡紫波町日詰志賀理和気神社例大祭橋本組山車令和六年九月)

赤い絹糸も 絢爛なれど 道真思いし 出る涙
(見返し)竜門急流 幼きわらべ 後に剛健 四天王

南部流風流山車の『車引き』
平成30年日詰まつり


 橋本組は、いったん借り上げ山車に戻るのも良いかもしれない。コロナ前は、拙くても新しいことに挑もうという気概があった。今回の山車は端正ではあるが、そうした気概が無いのが寂しい。
 出来栄えとしては、前回の梅王丸より良いと思う。顔が良くなり、目線が変わった。止めるのでなく車を守る目線になったのが惜しく、車を止める場面なのに車輪が回る等、矛盾もあった。そうではあるが、色の配りはやはり抜群に良かった。
 見返しは、音頭を聞く分には「金時」と解釈されたようである。子供たちには8件中一番喜ばれた、そういうチカラのある人形でもあった。平成8年には盛岡山車として出て違和感の無かった趣向であり、それが今回他と並んでいるのを見て、当地手作りの山車が一定の技術水準を得たことを確認できた。





碁盤忠信 / 静御前 上 組

碁盤振り上げ討ち手を寄せぬ 碁盤忠信暴れ武者(岩手県紫波郡紫波町日詰志賀理和気神社例大祭上組山車令和六年九月)

義経まもる 夜討ちの勲 碁盤忠信 あばれ武者
(見返し)静御前と 吉野の旅で 鼓恋しく 舞う化身

南部流風流山車の『碁盤忠信』(借り上げ時代の上組碁盤忠信掲載)

岩手県紫波郡紫波町日詰志賀理和気神社例大祭上組山車令和六年九月岩手県紫波郡紫波町日詰志賀理和気神社例大祭上組山車令和六年九月


 車が組まれ、人形の骨組みが上がるところから日々見ていた。顔をすでに日除けの布が覆った状態からである。構えからは何の題か判断できない。布から出ている車鬢や洗い髪・赤い隈取が入った手足から碁盤忠信かなと思うが、体勢が違って見える。足元に軸があり、ある夜ほんのひと時、そこに碁盤が付いた。
 碁盤忠信とわかってからしばらくして、赤い着物が着せられた。車紋の中ほどを黒い縁取りが回っているのが変わっているが、いずれ昔から見ていた懐かしい碁盤忠信の着物だ。数日後、腰回りを黒いドテラが覆う。ほぉ、黄色がそういうふうに入るのだな。ある夜はソースかつ丼を待ちつつ19時を迎え、太鼓の大音量が店を揺らす中、ウキウキしながら食べた。食後に山車小屋を覗くと、松にはたくさん電球が灯っていた。ああ、愈々お祭りが来るなと思った。
 見返しは、この時点でもわからない。わかったのは立ち姿であることくらい。次の日、着物を着て鼓が上がり、さらに次の日、題の札が付いた。表には「碁盤将延」と大書されている。

 …そういう日々に楽しませてもらえた一台である。本番まで最大の課題が見えなかったのが、私にとっては良かった。見返しは『狐忠信』と付けて、背景に朧げに白狐の姿が見える形なら、より面白かった。





 祭典3日目は昼間にナックス、夜はヒノヤ前に山車が全部揃って共演をした。上の如く仕上がりまちまちの日詰山車が、この場に並ぶと皆よく見える。巧拙が、溶けてしまう。
…山屋個人は、この共演場面が田舎臭くて嫌いである。やかましくて嫌いである。個々の山車の動きを阻んでいるようにも思う。が、当年はそうした効果を感じ、この場面もそこそこ好きになった。
 馴れたのだと思う。

※各組歴代作例


写真・文責:山屋賢一(やまや けんいち)/連絡先:sutekinaomaturi@outlook.com
岩手県紫波郡紫波町日詰 令和6年9月6日(金)・同7日(土)・同8日(日)

ホームへ

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送