志賀理和気神社(赤石神社)例大祭日詰まつり2019


 3日間天候に恵まれ、暑気の中での秋祭りとなった。
 底上げがなされ天井も抜け、良い山車・魅せる山車が揃った当たり年である。題材傾向が分散したのも良い。

 



景清錣引 / 天の岩戸 一番組

錣もぎ取り威勢をあげる 声ぞ景清世に響く

屋島戦場(いくさば) 組み討つ壮者 称す互いの 剛と剛
(見返し)岩戸開きて 満ち来る光 明けし令和の あま照らす

※南部流風流山車の『景清』の題材

 
共に集いて力を合わせ 五穀祀りで光呼ぶ戦前の盛岡め組『景清壇ノ浦』の絵紙(もりおか歴史文化館蔵)

(日詰まつり来場者配布文言)
 侍が使う鎧や兜は人毛の綱で頑丈に編まれているので、滅多なことでは千切れたり破れたりしない。当山車の場面は平安末期・源平合戦の折、平家の武将「景清(かげきよ)」と源氏の武将「美尾谷(みおのや)」が一騎討ちをし、刀を折られ劣勢となった美尾谷が隙を見て逃げようとするのを景清が兜の錣(しころ:後ろの部分)を掴んで引き止め、両者の引き合いの激しさで兜が千切れたという逸話。逃げ損ねた美尾谷は景清の腕の強さを褒め、景清は「美尾谷どのの首こそ強い」と応じたという。
 見返しは、天の岩戸に引きこもった天照大神(あまてらすおおかみ)を何とか引っ張り出そうと神々がお祭り騒ぎをし、天照が顔を覗かせた瞬間、力持ちの神が岩戸をこじ開け世界に光を戻したという神話から。天照は志賀理和氣神社の祭神で、岩戸から現れた眩(まばゆ)さを舞台いっぱいに再現した。

 一番の眼目である「錣を掴んだ手」と「歪んで千切れかけた兜」がよく見える。この箇所が美しければ本作は大成功であり、景清の迫力と威圧の感、鎧武者が二つ並んだ豪華な感じも加わり唯一無二の一作となった。千切られる方の武者が舞の姿勢に見えるのと、人形が見えやすいような背景の工夫があれば更に…。
 天照はもっと背高で、光の筋に枠をはみ出る感が必要と思う。羽衣が写真のように七色に光ったのは、最終日のみであった。






川中島 / 鯉の滝登り 橋本組

獅子虎挑みて川中島に 戦激しく雲を呼ぶ

馬上謙信 大太刀振るい たじろぐ信玄 軍配を
幾度戦う 川中島に 対峙て睨む 獅子と虎

※南部流風流山車の『川中島』


険し山場の龍門滝を 鯉が登りて龍となり最終日は叩き手が謙信に扮し、額に鯉を掲げた

(日詰まつり来場者配布文言)
 戦国時代に甲斐の国主「武田信玄」と越後の国主「上杉謙信」が、北信濃の支配権を巡って戦った。最大の激戦とされる第四次合戦の舞台を採って、両者の戦い全体を「川中島合戦」と称する。両雄互いの腹を読み合い、武田の奇策「キツツキ戦法」の裏をかいた謙信が単騎で八幡原の信玄本陣を急襲する名場面は盛岡山車武者ものの伝統題。信玄は刀の柄を握る間もなく軍配団扇で三度太刀筋を受け止め難を逃れたが、戦い終わって見返すと、軍配には七筋の傷跡が残っていたという。
 見返しは中国後漢書党錮伝の故事から黄河上流の滝「龍門」を登った鯉が龍になるという「鯉の滝登り」、その勢いを讃えつつ立身出世の縁起を担ぐ。無人の見返しは、日詰山車では初めての登場である。

 自作化以来の課題であった人形の大きさと顔の作りが改善され、双方の顔が見やすく・見ようとさせる山車となった。特に信玄の体勢について非常に工夫があり、両者の色を紅白で整えたのもここちよく、不自然でない。わずかなアニメ色と背景・足元の単調さが薄れれば、相当な秀作となったであろう。
 見返しは滝の流れを細く刻んだ滝の絵で表現する斬新な趣向だったのだが、いかんせん街路に出るとその繊細さは削がれてしまった。牡丹の垣根にそれぞれの色で提灯を差したのが粋である。


 






矢の根 / 鍛冶町さんさ 上 組

岩手県紫波郡紫波町日詰志賀理和氣神社祭典山車

歌舞伎十八番の 矢の根の五郎 成田屋二世の あたり芸
廓通いも 仇討つためと この世あざむく 曽我五郎

※南部流風流山車の『矢の根』 当組平成14年奉納山車含


 

牡丹花笠五色を腰に 踊るあねこの艶やかさ


(日詰まつり来場者配布文言)
 歌舞伎十八番のひとつ。父を頼朝の家来 工藤祐経(くどう すけつね)に討たれた曽我五郎時致(そがのごろう ときむね)は、正月にも仇討ちのため鍛錬を忘れず、バカバカしいほど大きな矢の鏃(やじり、別名「矢の根」)を研いでいる。曽我兄弟の志は、この矢よりも大きい。初夢に兄の危難を知り大根売りの馬を奪って救出に駆け出す荒事の歌舞伎演目、その粋と様式美を一体に凝らした「矢の根五郎」の山車は日詰まつり定番の趣向である。ただし本作は、矢を立てて前に出す従来に無い構図で採り上げた。
 見返しの「かじ町さんさ」は秋祭りや夜市など様々な場面で披露されている日詰の名物、昭和10年頃に赤沢の船久保さんさ踊りを基に作られ、以来鍛冶町の芸達者らに引き継がれてきた。山車人形としては平成初期の上組で何度も見返しに上げており、自作化以降は今回初めての再作となる。

 顔を新しくしたのは短期的には失敗のようでもあるが、矢のゴツさ・大きさと着物の派手さに目を向けさせる仕掛けにはなっている。表裏とも顔が見づらい山車であったが、飾り方・バランスは4台中最も良かった。見返しは非常に躍動的で軽やかなのだが、舞台に上がり太鼓も乗って街路で眺めるとその感じがだいぶ薄れて惜しい。写真では大太鼓に隠れている位置に、五色の腰帯が美しく開いている。










天神さん / 梅王丸 下 組

我を忘るな都の人よ 天翔け道真舞い戻る

鳴らす雷(いかづち) 黒雲裂きて 神なり(カミナリ)給う 道真公
(見返し)兄弟鼎(かなえ) 割れるも辞さず 道ぞ真と 梅王丸

※南部流風流山車の『車引』『梅王丸』

※貸し出し元での『天神菅原道真』『梅王丸』

 

岩手県紫波町志賀理和気神社祭典山車


(日詰まつり来場者配布文言)
 学問の神「天神様」とは、平安中期の学者・政治家「菅原道真」のことである。政敵の謀略で都を追われ失意の内に生涯を終えた道真は怨霊となり、都に舞い戻って数々災厄をもたらし、帝のおわす清涼殿に雷を落として醍醐天皇や政敵藤原時平(ふじわらの ときひら)に祟った。その無実を認めた人々が御霊を京都 北野天満宮に祀り、現在に至る。山車は神となって都に帰った道真を度外れの大人形で表現する異色の趣向であり、肩先に雷鬼を従え雲中に在る。
 見返しの梅王丸は、上記の逸話をもとに書かれた江戸時代の芝居「菅原伝授手習鑑」の登場人物で、弟 桜丸とともに主人道真を陥れた時平の牛車を襲い、実の兄 松王丸と対決する(「車引き」の場)。梅は道真が愛した花で、山車の道真も紅梅を手にしている。

当地では珍しいさらし姿の小太鼓(令和元年下組

 一戸で感じた違和感は日詰ではそれほどではなく、例えば金襴の着物が豪華で良いなとか、松が人形の肩の高さだとか、そういう部分も「立派だ」と感じた。とはいうものの、次回は普通の山車がいいとの思いは不変。
 最終日の競演では日詰では非常に珍しいさらし姿での太鼓を披露、周囲のコメントや帰り際にすぐ元に戻した趣向も含め、非常に面白い演出であった。見返しでは、諸肌脱ぎの男衆が大太鼓を叩いた。










※各組歴代作例




写真・文責:山屋賢一(やまや けんいち)/連絡先:sutekinaomaturi@outlook.com

岩手県紫波郡紫波町日詰 令和元年9月6日(金)〜8日(日)

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