盛岡山車の演題【風流 早川鮎之介】
 

早川鮎之助

 



岩手町沼宮内の組平成12年

 山中鹿之助(やまなか しかのすけ)の名で知られる戦国時代の尼子十勇士(あまこ じゅうゆうし)のうちの、今はだいぶ無名な人物である。盛岡地方に限って彼はなぜこれほど山車に出るのだろうか。私が長年感じている盛岡山車のこの大きな謎のひとつに、ある人は“浴衣一枚で清流に身を置く人形の涼やかさが好まれる”と応えてくれた。たしかに涼感のある、爽やかな演し物ではある。

 山中鹿之助が毛利に滅ぼされた主家尼子氏の再興をはかって諸国を巡っているとき、急流の只中で大きな戸板を担ぐ怪力無双の少年を見つけた。聞けば病床の老父に早瀬の鮎を食べさせたいが、家が貧しく網が無い。そこで戸板で川ごと堰き止めて獲っているのだという。その類稀なる怪力と孝行心に感動した鹿之助は、「早川鮎之助(はやかわ あゆのすけ:作例・組によっては鮎之「介」と書く)」と名づけて少年を家来に加えた。後に鮎之助は鹿之助の期待に応え、敵に捕らわれた城主を救うため堀に潜水して見事奪還する偉業を成した。なお、鹿之助が率いた尼子の十勇士には皆このような”場面を現す苗字に○○之助”というパターンの名前がつけられていて、うち実在したのは鹿之助だけで、残りは全て講談話にだけ登場する架空の人物という。

 裸人形の定番の題となった為、盛岡の山車好きの間ではかなりありふれたイメージがある。しかし冷静に調べてみると、限られた団体しかこの題材を手がけていない。実は、裸人形数ある中でもこの早川は飛び抜けて難しいといわれている。戸板を背にした浴衣姿・乱れ髪の青年を飾った山車であり、唯これだけの設定でいかに魅力的な山車を仕立てるか、たしかにつくり手には相当の技量と感性が求められる。

岩手町川口井組平成25年

 戦後間もない時期に盛岡の二番組(消防六分団・油町)が出した際は新聞に「早川鮎之助の山車」と題入りで紹介されており、当時は話題性を醸すようなよく知られた人物であったのかもしれない(もしくは鮎之助「の山車」への脚光か)。昭和58年は松が脇に流れるくらいの大人形に仕立て、面持ちは凛々しく、体は半分激流にうずめた。肩のあたりから波出しや細く作った滝の絵などが大量に前方に降り、水の柱が立っている。水の表現はこの題の付き物として草創以来さまざま工夫されてきただろうが、この作ではそれらを片側に集中させることで印象を強めた。この2作でも絵紙では浴衣を片肌脱ぎにした早川が描かれたが、実物で実現したのは平成18年である。鉢巻・柄物の浴衣を合わせたまったく趣の違う早川でもあり、片手は戸板を押さえるのでなく前に向かって構えた。岩手町川口(写真A)や紫波町日詰の作例はこの年の二番組早川に近く、片肌脱ぎも採用されている。
 戦前の作には流れを背で受ける形でなく正面に向けて両手で戸板を押さえる格好の鮎之助もあったようで(戦前の盛岡川原町や、旧和賀郡東和町土沢の山車)、当時の絵番付は無いが、錦絵に同様の構図が見られる。

二戸市浄法寺仲の組平成24年

 県北一戸町の八坂神社祭典山車において早川の作例は多く、5組中4組が手掛けている。鮎を獲る描写に表現の重点が置かれ、身構えは様々・素朴であったり大らかであったりするものも多い。野田組では、鮎の大群を一目でわかるように鮎之助の胸元に配した(平成7年)。本組の作例は戦後を通じて多く、長い波しぶきを上から下に向けて飾るのが特徴で、滝の中で鮎を獲っている感に映る。平成の一作では鮎の模型を足元や肩の上、さらに山車の側面にまで細やかに散らして夏の渓流の涼感を醸し、松の上から手具巣で釣られ、風に乗ってくるくる回る鮎もいた。うち一匹は鮎之助の手に握られており、他町への貸し出し時には手の向きが変わって更に一匹掲げる形とした(この体勢が本来この組が作ってきた鮎之助の定型)。隣の上町組でも、片手は低く戸板を支え、もう一方で大きな鮎を掲げる早川に仕立てており(写真B)、橋中組では見返しに使った際の一作で、浴衣さえ纏わない褌一枚の裸人形にして観衆の度肝を抜いた。
 私がきちんと見た最初の早川は岩手町の沼宮内の山車である(の組:写真@)。流れの中にたくさん鮎がいて一つ一つに動きがあり、まるで山車の中を泳いでいるようであった。人形はいかにも激流を受け止めているように前傾姿勢で、町内外で後々まで高評を得た。10年を待たず再作した際は美青年の趣を一転して筋肉隆々たる豪傑の風貌とし、柄入りの深緑色の浴衣を纏う相撲取りのような早川にし、バン!と音がしそうな支えられ方の戸板に水飛沫の白い吹きつけが施された。

 見返し対応はほとんど考えられてこなかったが、平成に入って一戸でいくつか試みられている。本組は表の早川で夏を表現し、見返しには秋の紅葉やススキを添えて鎧姿の『山中鹿之助』を飾った。これは実に風流で高尚な試みで、鹿之助は刀を抜いて切っ先を天にかざし、上部には雲に隠れた三日月を飾って「月に祈る武将」のモチーフを再現した。同じく上町組は、十勇士に擁立され尼子再興の旗頭となった『尼子四郎勝久』を見返しにした。

『山中鹿之助』岩手県二戸市

 明確な動作指定が無いため、作り手の工夫にかなり多くの部分がゆだねられ、同じ早川と題を掲げた作品でも実物は千差万別、仕上がりにここまでバリエーションが出る演題も珍しい。このような点が作り手や観客の心を躍らせ、早川の山車を待望させるのかも知れない。借り上げ習慣を持つ地域で派手さを欠くため敬遠されがちな一方、自作地域ではこの演題に取り組む組に昔から大変な敬意が払われていた。こういった双方相反する捉え方も含め、早川は裸人形演題の縮図であるといって良い。

 他の地域では、山中鹿之助の山車はあっても早川鮎之助の山車はほぼ無い(最後に挙げた秋田の一作は珍しく、岩手の構図に欠けている「獲った鮎の保管」がフォローされている)。ゆえに、盛岡山車の数ある演題の中でも早川は特に大事に守っていかなければならない宝物の演題だと、常々考えている。

秋田県秋田市土崎港曳き山祭り




文責・写真:山屋 賢一


(ホームページ公開写真)

盛岡 一戸 沼宮内@ 日詰 沼宮内A
日詰(見返し) 小鳥谷(山中鹿之助)



本項掲載:沼宮内の組H12・川口井組H25・一戸上町組H24・『山中鹿之介奮戦』(岩手県二戸市の平三山車)・秋田県秋田市土崎



山屋賢一 保管資料一覧
提供できる写真 閲覧できる写真 絵紙
早川鮎之助 沼宮内の組@(本項)AB
盛岡二番組
一戸本組
一戸上町組(本項:浄法寺町借上時)
岩手川口井組(本項)
日詰一番組

秋田県秋田市(本項)
日詰上若連
日詰上組@A
盛岡川原町
盛岡二番組
一戸橋中組
一戸本組
一戸野田組
小鳥谷山車
東和町土沢駅上組
盛岡二番組B(正雄:色刷)
一戸本組・一戸上町組(正雄)
小鳥谷に組
日詰一番組(色刷)
沼宮内の組

一戸野田組@(国広)
一戸野田組A(正雄)
見返しの鮎之助 一戸橋中組 一戸橋中組
山中鹿之助 一戸本組

二戸福岡愛宕(本項)
二戸福岡下町
青森ねぶた@A
荒波碇之助 秋田土崎@A
ご希望の方は sutekinaomaturi@outlook.comへ

(音頭)

忍ぶ山中(やまなか) 鹿(しし)鳴く谷間 流れ早川 鮎之助
其の名早川 瀬音の響き 虹もわきたつ 鮎之助
光る早川 名のすけの字に はやる尼子
(あまこ)の 十勇士
流るる川に 戸板を立てて 勇む尼子の 鮎之助
武勇早川 其の名も高く 尼子再興 十勇士
急流せき止め 怪力無双 聞くも勇まし 鮎之助
流れ早川 もろともせずに 男かけたる 勇み肌
戸板ひとつで 流れをとどむ ちから勇者ぞ 鮎之助
耐えよ忍べよ この闇底を 今に咲き追う 夜明け際
早瀬の岩に 戸板を立てて 怪力無双の 鮎之助
おどる若鮎 流れを止めて 若き勇士の 名を残す
流れ乱れて 飛沫のかすみ 胸は一途な 鮎之助
安芸
(あき)の国より 義久救い 殊勲(しゅくん)を残すや 鮎之助
後の早川 流れの鮎に 孝
(こう)の大力(たいりき) 世の鑑(かがみ)




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