秋田県鹿角市 花輪ばやし

 

 

深夜零時の出発時
 8月19日の夜、JR花輪線【鹿角花輪駅】のホームに降り立つと、出口のギリギリ前まで迫る聚楽第のような屋台の背に迎えられた。駅前行事といって、観光客向けに鹿角花輪駅前に全町内十基の屋台を並べて演芸会を行う。それにしても、屋台の背面がまるで出口をふさぐかのようにみっちりと駅を囲んでいるのには驚いた。ロータリーを人垣を縫って反対側へまわり、やっと観客席に着く。えらいこと開放的な桟敷があって、桟敷越しでも充分駅前広場を見渡せる。人出は多すぎず、でも決して少なくない、賑やかさを楽しみながらじっくり見物できる好環境だ。

 花輪ばやしの屋台は、藩政期の山車行事記録でたびたび目にする「底抜け屋台」が極端に豪華になったものだ。岩手で底抜け屋台といえば、お神輿を先導するお囃子方が小太鼓大太鼓を乗せている、歩きながら演奏するタイプの簡単な車である。もともと囃子の付かない山鉾に追従し、囃子を添え付ける役割のものであった。鹿角にも昔は大型の風流山車があったというが、今は底抜けの囃子屋台のみになり、これが近在では類を見ないほど豪華に飾られている。屋根の上下に金箔張りの欄間、八方にせり出している唐獅子、赤地の派手な提灯、軒を飾る玉桜…、華やかな装飾に向きがちな目をちょっと下に落とすと、屋台の前半分に床がない。笛と三味線は座って奏でるが、太鼓2列は歩きながらたたいている。背にかかっている。よくよく見れば、もとの簡素な底抜け屋台の面影が見えてくる。


 良い町だ。駅から商店街に行こうと坂を上がる。坂の両側に出店が出ている。やはり人出が適度だ。さびしくなく、多すぎない。出店の暖簾が途絶えたあたりで、両側に華やかなアーケード街が見える。どの家も特注の提灯を下げ、シャッターを閉めても提灯は消さない。くだらないが、辻辻にきちんとゴミ袋を設置しているのも良いことだ。年に一度の自慢の祭りに、浮かれるだけではなくきちんと居住まいを正している。

 駅前行事が終わると、扇子踊りを先行させて全ての屋台がアーケード街をパレードする。扇子踊りは極力体力を使わないようにつくってあって、なんだか田舎じみて見えるのが愛おしい。曳き子はどの団体も少なく見える。パレードで囃されるのは主に本囃子、俗に言う「本屋台囃子」で、花輪ばやしの真骨頂である。リズムの刻みが細かく弾むようなお囃子で、旋律も耳に残る。囃子方が時折「そりゃあ」と合いの手を入れて、盛り上がって囃している。すごくかっこいいパートがある。他の奏者がみな屋台の進行方向を向いているのに、一人だけ背を向けている鉦打ちだ。軽快なリズムに身を任せながらかちゃかちゃと鐘を鳴らすこのパートのテンションが、そのまま屋台全体のテンションを作っている。指揮者、とでもいいたいところだが、そういう褪めた表現が全然似合わないほど、彼らは闊達で陽気である。鉦打ちの体のゆれに合わせて、屋台が揺れているように見える。鉦打ちに合わせて、鹿角花輪が揺れているように見える。かちゃかちゃいう鉦の音と、囃し方の掛け声が混じって、夏の夜の空気にいくつも渦ができる。
 

 生まれ故郷に伝わるリズムに、メロディーに、こんなにも奔放に乗っかれる鹿角の人たちは、すごく幸せだ。偏見だが、他から持ち込んだものに心も体も奪われて陶酔する人たちより、自分が生まれた土地に根付く音楽を心から楽しんでいる人たちのほうが、私はすごいと思っている。すごいというか、恵まれている。自分がその土地に生まれた運命を、本当に大事にして生きていけるのではないだろうか。もし自分が数百年前にこの地に花輪ばやしを伝えた人物だったら、今のこの喧騒を見て誠に冥利と思うだろう。そういう実感は、いまこの祭りの渦の真ん中にいる人たちが30年も40年もあとに感じる感覚と、変わらないと思う。鹿角の人たちがこの祭りに熱くなる理由はきっとそういうところにあるのだが、言葉にするとうまく表せない。

 屋台の見所は、なんといっても欄間だろう。岸和田のだんじりのように、ストーリー性のある欄間である。新町は月兎に石橋、旭町は彩色された美しい牡丹、大町は仏様、因幡の白兎ややまたのおろちなど、神話を彫ったものもあった。提灯も凝っていて、あえて文字を90度横倒しにして図案化したり、よく見ると小粋な工夫がされている。竿に刺して飾ってあるビニール製の小桜も、町によって個性がある。

朝詰め(午前2時)

 19日の見所は、「朝詰め」だ。なんとも厳格な響きの言葉。文字通り、朝に屋台を詰める、つまり結集させる。出発は日付の変わる20日の零時、進行方向を争いながら約2時間半かけて、十基の屋台が川べりに集まる。道争いでは、互いの屋台の屋根をつき合わせて押し合い圧し合いする。本屋台囃子が加速し、盛り上がりは最高潮に達する。初めて秋田の夜明かし祭りの実在を知ったときも衝撃的であったが、鹿角でさらに驚いたのは「夜明かしの当然視」であった。計画通りで夜中の2時にパレードスタート、朝詰めに向かうどの屋台も「夜中にやってるけだるさ」がなく、むしろ夜中だからこそボルテージを上げていく。鉦打ちの動きと声がどんどん大きくなって、屋台の前面に出て団扇を振る若者も出てくる。まるで祭りの夜に、皆が溶けていくようだ。「鹿角の1年は朝詰めのために」という人もいるという。確かにこれは同じ囃子をずっとはやしながら屋台が動いているだけだから、理屈からいえばさほど面白くはない。だが実際目の前にしてみると、夜がふければふけるほど自然に瞳孔が開く。花輪ばやしの渦の中に、半身が持っていかれそうになる。しらずしらず、囃し方の発するエネルギーが体に充填されていくのだ。どうしてこのようなことを感じたか、一向にわからない。少なくとも文字に表せるようなものではないだろう。地元の人に聞けば、そんなのは一言だ。「だってお祭りじゃないか」
 朝詰めが終わり、居を移した稲荷神社の神輿へ参拝が終わると、空はもう白濁している。「サンサ」は盛岡城下の盆踊りではなく、一種の手締めのようなもので、サンサを経て屋台が出発する。土崎や能代のように、運行に音頭が先行することはない。参拝直後から本屋台囃子が途絶え、さまざまな曲が使われるようになる。典雅な曲が多く、それまでの雰囲気が変わる。朝が来たのだ、と体が認識した瞬間、


 どっと疲れが来て駅へ戻る。(平成17年見物)


朝詰めを終えて帰還(午前5時半)

あとがき:

 南部藩の山車行事だから見に行った、というわけでは実はなかったりする。花輪に着いて町をぶらぶらしていたら南部煎餅の店があって、「あ、そうだったっけか」と気がついたくらいで。上記したように、昔のお祭りの話は盛岡や花巻によく似ているようである。
 以前おはやしだけステージ公演したのを見たことがあって、そのときは全然面白くなかった(失礼)。しかし、現地で見る花輪ばやしは「本当に見に来てよかった」と納得のいくものであった。花輪ばやしはやはり芸能ではなく「行事」と考えたい。環境が付属してはじめて、魅力が出てくる。そういうのが本物のお祭りなのではないか。観客も、観光客というよりは、長年この行事を見守り、待ち焦がれている人たちなのだと思う。


文責・写真:山屋 賢一

※岩手県を中心に東北地方の囃子屋台祭りを収集

 

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