朝比奈三郎義秀
立ち岩を覆うように演題に見合う背景を作る時、最も観客の目を奪うのは、木造の立派な城門であろう。城門を背景とする演題には『大高源吾』に代表される赤穂浪士の討ち入りを
扱ったものがあるが、最もよく知られているのは、北条の城門を破る鎌倉武士 朝比奈三郎(あさひな さぶろう)の山車である。 山車の朝比奈は、普通髭の生えていない若武者の風貌であり、兜はかぶらず、不精に伸びた髪を金具の付いた鉢巻で束ねている。日詰の橋本組や沼宮内の新町組は、鉢巻きを省いてより不精の感を醸した(写真3・沼宮内ろ組の作はこれを模倣・発展させ髭を生やした)。一戸町の本組では脱いだ兜を後ろに背負った体で見せ、体勢も独自に工夫している。絵紙では背中のホロが風を受けて横にたなびいているが、実際に作品化した際にこの部分を再現した例は、おそらく無い。 敷石の当たった城門は、たいてい傾けるだけで破損させない。橋本組は門の壁にささくれのような破れを施し、盛岡観光協会では大穴をあけて敷石がめり込んでいるように作った。新町組では、門を支える柱を折った。崩れる様子を、屋根瓦を散らして表現した例もある。 朝比奈の場合は当然、破られる門をいかに豪華に作るかで作品の成否が分かたれるのであり、手塩に掛けた虎の子の門を敢えて破壊して見せるところに面白さがある。それは風流山車の備えるべき一瞬の華々しさの具現といえるのかもしれない。豪華な門の造りのみが朝比奈の魅力であるならば、むしろ一戸の例のように門破りの直前を描いて門そのものは残すという発想の方が自然である。朝比奈の真の魅力とは門そのものよりか、その門を打ち崩してしまう豪奢振りにあるのであり、城門を伴う山車のうち、最も風流と称すにふさわしいものであろう。 文責:山屋 賢一 岩手町秋祭り 川口秋祭り 盛岡秋祭り
本名の和田義秀を添えて『朝比奈三郎義秀(よしひで)』と題がつくこともある。
朝比奈三郎は、源頼朝・頼家・実朝に仕えた侍所別当(さむらいどころ べっとう)和田義盛の三男で、母は巴御前であったともいわれる。鎌倉武士あまたある中でもとりわけ武勇に優れ、怪力無双と讃えられた武将である。頼朝の死後、勢力拡大を図る北条一族は梶原・比企など有力御家人を次々に滅ぼし、和田氏にもその魔手を向けた。こうして世に云う「和田合戦(わだかっせん)」が起こるのだが、この合戦のさなか、朝比奈は自慢の怪力にものを言わせてたった一人で北条の砦の門を破り、敵将北条義時(ほうじょう よしとき)を震え上がらせたという。またこの合戦で朝比奈は、未だ若年であった敵将の一人を討ち取らず見逃したと云い、このことが音頭に「敵に情け」等と詠み込まれている。山車には、朝比奈が北条屋敷の前庭の敷石(しきいし)を引き剥がして門にぶつけ、門を破る有り様が作られる。
朝比奈の掌(てのひら)は、左右どちらも門のほうを向いているのが常である。橋本組は上がった手を外側に向け、双方外に伸びるような姿勢にした。石鳥谷の下組は屋根瓦を上がった手に持たせて構図に変化を加え、新町組(沼宮内)は下がった手を内側に向けて投げつけた余韻を表した。このように組ごとの細部にわたる解釈・表現を楽しめるのが武者演題の良いところである。
年代不詳だが、石鳥谷では金棒を両手で振り上げ門を破ろうとする朝比奈の山車が出ている。一戸町には門の前で敷石を持ち上げる朝比奈の絵紙が残り、平成に入って橋中組がこの構図で作った。不精ひげをはやした荒武者仕立ての朝比奈で、諸手に大きな敷石を差し上げる異色の構想であった。
盛岡山車ではこのほか、『草摺引』という2体歌舞伎の演題に朝比奈三郎(小林朝比奈)が登場する。道化の隈取で晴れ着を纏い、曽我五郎と鎧を引き合う姿である。この歌舞伎姿の朝比奈が煙管をふかす様を1体で飾った山車も、戦前の盛岡で出た(釣鐘弁慶用の大人形による)。
私が朝比奈三郎門破りの人形山車を盛岡エリアの外で見たのは(2次資料‐写真や映像‐含め)青森県八戸市・同野辺地町・同青森市・秋田県仙北市角館で、あまり目にする機会の無い題材である。八戸の一作は朝比奈をかなり後ろ向きにして、背景の立派な門のほうを向く構図とした(拡張前のもので、白黒の写真)。青森ねぶた千葉作龍氏作の朝比奈は、下がったほうの手が胸板と交差していて、投げた感じが上手く出ている。
ねぶたエリアでは、青森市で「朝比奈三郎地獄の屈服」という作品が出て以降(黒石の村元芳遠さん作)、朝比奈の地獄破りが頻出を見せた。これは朝比奈が死後の世界で閻魔庁を騒がし、地獄の鬼に和田合戦の有様を語って震え上がらせるという筋書きで、初回は小鬼を握りつぶすような構図で、やがて歌舞伎風の着物姿で閻魔大王と対峙するような場面も取り入れられた。人形のみならず扇ねぶたの絵柄にも採られたことがあった気がする。
大迫のあんどん山車に洞窟で大蛇を退治する『和田平太胤長』が何度か出たことがあるが、北条方の彼への厳罰が朝比奈らが活躍する和田合戦の発端となった。
本項掲載:一戸上町組R4・石鳥谷下組H9・沼宮内ろ組H26・「敷石上げ」日詰下組H16(一戸橋中組・作)
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提供できる写真
閲覧できる写真
絵紙
敷石投げ
(定型)盛岡一番組@A
盛岡観光協会・日詰一番組
石鳥谷下組(本項2枚目)
川口み組@A
沼宮内新町組
沼宮内ろ組(本項3枚目)
一戸上町組(本項1枚目)日詰橋本組
一戸本組・二戸は組
一戸野田組
盛岡二老会日詰橋本組(国広:白黒)
川口み組@A(香代子:色刷)
一戸橋中組・一戸上町組(香代子:白黒)
盛岡一番組(圭:色刷)
沼宮内新町組(手拭)
葛巻浦子内組(香代子:手拭)
敷石上げ
一戸橋中組・日詰下組(本項4枚目)
一戸橋中組
一戸野田組
金棒
石鳥谷上若連
橋本組なら 源氏の武将 朝比奈三郎 語り草
腕は金剛(こんごう) 情けは胸に 苔(こけ)むす敷石 逆さ投げ
怪力無双の 朝比奈三郎 敵に情けも 武士の道
攻めいる朝比奈 鬼神(きしん)の如し 城門やぶる 武勇伝
城門破りし 朝比奈が 敵をも想う 男道
投げうつ敷石(しきいし) 響きも高く 薫(かお)る誉れの 朝桜(あさざくら)
命を預け 水練(すいれん)の 鮫をしとめし 由比ヶ浜(ゆいがはま)
豪傑無双の 鎌倉武士と 朝比奈三郎 名を残す
鎌倉武士の 誉れも高く 怪力朝比奈 幾代迄(いくよまで)
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